<   2013年 09月 ( 27 )   > この月の画像一覧

その写真と文章を誰よりも楽しんでいたのは、僕自身だったのかもしれない

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今となっては、随分昔の話になってしまうけれど、雑貨ブログを作っていたことがある。
自分のお気に入りの雑貨の写真を載せて、その雑貨についての文章を書く。
ただ、それだけのブログだったけれど、比較的長い間書き続けていたような気がする。

他人から見ればどうでもいいようなものでも、思い入れが膨らむと貴重な宝物になる。
アンティークあり、お菓子のおまけみたいなものあり、拾ってきたガラクタあり。
自分の好きなものについて書くという作業は、意外と楽しいものだった。

タイトルを「紳士のおもちゃ箱」といった。
板坂元の「紳士の粋」と、猪熊弦一郎の「画家のおもちゃ箱」を組み合わせたものだ。
単純すぎる話だけれど、それこそが、そのときの僕の気分だったのだ。

メインは、もちろん「画家のおもちゃ箱」だった。
骨董あり、世界各地の土産物あり、ガラクタあり、猪熊弦一郎のおもちゃ箱はまさしく多様であり、個性に満ち溢れ、魅力的なものだった。
何でもありの雑貨ブログを思いついたのは、そんな画伯の生き様に啓発されたのかもしれない。

ちょうど、その頃、雑誌『クウネル』でも、猪熊弦一郎のおもちゃ箱が紹介されていた。
自由な視点で、自分の感性に合ったものを集める。
そんな生き方が着目されたのかもしれない。

一方の「紳士の粋」には、さすがのハイブランドな雑貨やアンティークが数多く紹介されている。
道端で拾ってきたガラクタが魅力的ならば、歴史に洗練されたアンティークも、また魅力的である。
一生かかっても手の届かないような上等の雑貨たちに、僕は心を奪われていた。

もっとも、本書の最大の見せどころは、金のかかったアンティークではなく、上等のものを見極める著者の審美眼だと、僕は思う。
たとえ、ハイブランドなものであっても、どれだけ高級なアンティークであっても、自分の審美眼をクリアしないものは認めない。
そんな潔い生き様こそが、まさしく「粋」だったのだろう。

そんな2冊の本に触発されながら、僕は日々雑貨の写真を撮り、文章を書き続けた。
今にして思うと、他人から見れば、いかにもつまらないものも少なくなかっただろう。
けれど、自分の好きなものを次から次へと紹介していく高揚感は、雑貨好きには止められない刺激だった。

それに、自分の書いた文章を後から読み返すというのも、なかなか楽しい作業だ。
忘れていた雑貨や、時には冷めてしまった雑貨に対する熱い思いが、そこにはリアルに残されている。
その写真と文章を誰よりも楽しんでいたのは、もしかすると僕自身だったのかもしれない。

1年に何度か考える。また、雑貨ブログを作りたいなあ、と。
そして、すぐにそれは無理なことなのだと、自分に言い聞かせている。
なぜなら、その後、いくつも立ちあげたブログは、いずれも長く続かずに挫折したからだ。

熱しやすく冷めやすいのは、僕の長所でもあり短所でもある。
だけど、雑貨ブログに対するこの懐かしい思い、しばらくは自分の中で温めておこうと思う。
書くべき機会はいずれ訪れるような気がするし、その日のために、僕は今日も自分のおもちゃ箱の中をこっそりと覗いているのだ。





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by kels | 2013-09-17 22:22 | 日記・つぶやき | Comments(0)

雨の午後は、街中の時間がゆっくりと流れていくかのようだ

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朝から雨の休日。
どこへも出かけることができなくて、部屋で本を読んでいる。
天気が良ければ、コスモスの写真でも撮りに出かけたかったところ。

秋の雨はとても静かに降り続いている。
僕は熱いコーヒーを淹れて、石津謙介の「大人のお洒落」を読んでいる。
1988年発行。

BGMに、原田知世の「Music&Me」を聴いている。
朝からリピートを繰り返し、もう何度目になるのだろうか。
どこまで聴いても飽きることのない音楽。

囁くような原田知世のボーカルと、透明感溢れるアコースティックなアレンジ。
音量をできるだけ絞り込んで、僕はコーヒーと本に没頭している。
原田知世が、秋の雨の中にゆっくりと溶け込んでいく。

こんな雨の日には、静かなカフェで過ごしたいと思う。
美味しいコーヒーを飲みながら、素敵な音楽を聴いていても、やっぱり自宅は自宅。
そこはカフェではない。

足りないものは分かっている。
珈琲とか音楽とか雑誌とか照明とかインテリアとか、多分そういうものじゃないんだ。
足りないものは、店を訪れては静かに去っていく、人の流れだ。

カフェはいつでも街の一部で、様々な人たちが通り過ぎていく。
僕は、窓の外の通りを行きかう人たちの笑い声や、店内の静かなざわめきに耳を澄ませながら、そうやってカフェを楽しんでいた。
そういう人の流れこそが、僕にとってのカフェそのものだったのかもしれない。

原田知世が「時をかける少女」を歌っている。
あの頃とは違う、大人のメロディと大人のサウンド。
雨の午後は、街中の時間がゆっくりと流れていくかのようだ。





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by kels | 2013-09-16 13:24 | 日記・つぶやき | Comments(0)

1999年の「FAB cafe」の誓い

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「カフェの話」という一冊の本がある。
2000年にアスペクトから出版された本だ。
タイトルのとおりに、カフェの話がたくさん収録されている。

カフェが好きだから、カフェに関する本をたくさん読んだ。
もちろん、この本も好きだった。
本の中では、個性的なカフェがたくさん紹介されている。

札幌のカフェとして「FAB cafe」が紹介されていた。
「十一月」オーナーが、まだカフェのスタッフとして写真に写っている。
なにしろ、10年以上前に出版された本なのだ。

いろいろなカフェのオーナーの話が掲載されている。
起業に至る苦労やカフェへの思い入れ、将来に対する夢。
もちろん「FAB cafe」オーナーの談話も、そこにはある。

自分で毎日のように自転車で札幌の都心を回っていたんです。
そしたらある日、奥に釣り具コーナーがある古い不思議な喫茶店が、店じまいで次の借り手を求めていた。
狸小路のはずれ。
おじいちゃんおばあちゃんがやっていた店で、もうリタイアするところだったのでしょう。
ウワッ暗くて汚い!というのが第一印象。
喫茶店になる前はサパークラブだったそうで、その遺産だと思うけれど、奥の壁には、堂々たる鹿の剥製の首がニョキっと飾られていました(笑)
でも建物自体はしっかりしていたし、広さもある。
場所もまあ許せるというか、というギリギリのところで、エイヤっと決めました。
ええ、人通りは少なかったですけどね(笑)
今よりもさらに。

僕は北海道小樽市生まれ。
1970年代半ば、高校生の頃ですが、小樽に面白い喫茶店がいろいろ出てきたんです。
明治、大正時代に建てられた石造り倉庫を改造した『叫児楼』とか『海猫屋』など。
ちょうど小樽運河の保存運動が市民の間で盛り上がった時期でもありました。
ラグビーの部活が終わったあとなど、よくそうしたところで仲間とたむろしていたものです。
狭くて薄暗い雰囲気が、なんか隠れ家にいるような、いい気持ちにさせてくれたんですね。
カッコイイつもりになってタバコを吸ったり(笑)
大学生活を送った札幌でも『仏蘭西市場』とか『珈琲野郎』など、いい喫茶店があったなあ。
『珈琲野郎』は今もありますけど。
カフェという言葉も使われていませんでしたし、インテリアがどうしたとか、音楽やコーヒーの味がどうしたというより、とにかくいい喫茶店のいい雰囲気に惹かれていただけ。
でも、ほんとに好きでしたよ。
自分がカフェを作ることになった根っこには、そんな体験があるのかもしれない。

Fabulous(ちょっとすてきな)cafe、という意味です。
お客さんに愛称で呼んでほしかったので「FAB」にしました。
いったいどんな店を作ろうか、具体的に進めていったとき、次のような大枠を決めました。
 ・明るくて清潔で誰もがくつろげる店
 ・食べ物にも力を入れる。調理は自分たちでやる。
 ・紅茶とかテーブルウェアなどの物販もやる。
 ・フライヤーとかポスターなんかを気軽に置けるようにする。
 ・パーティーやワークショップなど、ちょっとしたイベントもやる。
そんなところかな。

まだ準備を始めたばかりの頃、円山の家具のアンティーク・ショップで、どっしり大きくて、たっぷり入る本棚を見つけました。
後悔しないようにまず買っておこう!と8万円で買いました。
ところが、やはり普通の家に運び込むには大きすぎて。
吊り上げて入れることになり、ひどい目にあいました(笑)
家具はね、アンティークを基本にしようと最初から思っていました。
古くて人間がずうっと使い込んだものには、新しいものには絶対出せない色や質感があります。
シンプルな中にぬくもりのある雰囲気を出すために、他の選択はなかったですね。

メニューは、1年間、自宅で試行錯誤を重ねました。
ボイルの具合から基本のソースなど、ほとんど独学だけれどこだわったつもりです。
「カフェで食べるイタリアン」をめざしました。
次に、コーヒー。
札幌は、コーヒーのレベルがとても高い街なので、レギュラー、エスプレッソとも、豆の選定には気を使いました。
それと、紅茶です。
紅茶を揃えると女性に訴えることができるし、ハーブティーなども含めて種類がたくさん出せます。
メニューに奥行きがだせますね。
それと、物販のラインアップに紅茶関連のグッズが揃えやすい。
紅茶の講習会なんかもやってみたいと思いました。
はい、次はデザート。
家内の担当で、毎日焼き菓子を6種類くらい作っています。
これは、店全体に通じることですが、完成度を売り物にするのではなく、飾らずに、気持ちよく、ありのままを、という精神です。
なんでも、手作りのできたてのものを楽しんでほしい。

いろんな分野でトレンドやブームは意識しますが、でも、それを追いかけるつもりはない。
疲れてしまいます。
現代まで生き残った古いものが持っている、ベーシックで、シンプルで、ぬくもりのある世界ってあるでしょう。
それを大切にしていきたい。
この店の壁のひびや汚れや穴が、時間が経つにつれてもっといい味を出してくれます。
そういうことに、意味や価値を持っていたいんです。
店には、自分たちが生きてきた時間や道のりが出るような気がします。
これは怖いことでもあるけれど、この空間とサービスを街の人々に提供していく以上、店はある種の自己表現とも言えるでしょう。
でもそれは、決して自己満足ではない。
そうあってはならないと思っています。

「FAB cafe」の開店から、既に10年以上の時が過ぎた。
オーナーの望んだとおり、店は札幌の老舗カフェとなりつつある。
そして、店の壁のひびや汚れや穴は、「FAB cafe」とオーナー夫妻の歴史を今日も刻み続けている。



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by kels | 2013-09-15 21:43 | カフェ・喫茶店 | Comments(2)

「泣くな、おんな!」と、僕は叫びたい気持ちにかられた

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ここのところ、仕事の関係であちこちを飛び回っている。
旅行先は、東京であったり、道内の地方都市であったりする。
仕事の都合によって、日程は日帰りにもなり、泊まりがけにもなった。

その日、僕は2日がかりの仕事を終えて、とある小さな街の駅で、札幌行きの特急列車を待っていた。
日の暮れかけた駅には、カップルが1組と高齢の女性が一人、僕と同じように列車を待っていた。
予定時刻より少し遅れましたが、そろそろ列車が到着しますと、アナウンスが告げた。

荷物を持って改札に向かう僕の横にいたカップルのうちの女の子が、突然、隣にいた男の子の首に抱きついた。
彼女は彼の首を抱きしめたまま、何かを告げている。
男の子は、少し照れくさそうに笑っていたが、何も言わなかった。

待合室にいた人間は、駅員にうながされるようにして改札口を抜けてホームへ出た。
ビンク色の大きなスーツケースを持った女の子は、改札口で男の子と最後の挨拶をした。
やがて、列車が到着して、僕らは順番に指定席車両に乗り込んだ。

荷物を棚に載せて、僕は窓際のシートに座り込んだ。
続いて、ピンク色の大きなスーツケースを持った女の子が、僕の隣に座った。
スーツケースは前の座席のシートと彼女の両足との間に潜り込んでいる。

列車が動き出しても、彼女が窓の外を見ようとしなかったところを見ると、彼は既に駅を去ったのだろう。
彼女は、スマホを取り出して、小さな指をゆっくりとスライドさせている。
仕事の疲れも手伝って、列車が走り始めてすぐに、僕は心地良い眠りに落ちた。

どのくらいの時間が経ったのだろうか。
何か特別な気配を感じたような気がして、僕は目を覚ました。
ぼんやりとした頭の中、遠くで誰かが泣いているような気がした。

気が付くと、隣の女の子が、車内情報誌に顔を埋めるようにして泣いていた。
僕は、彼女が泣いているのだと気が付くまでに、随分と長い時間を要した。
彼女は、車内のほとんど誰にも気が付かれないようにして、小さくすすり泣いていた。

彼女の小さな嗚咽を聞きながら、僕は、遠い昔に存在した一人の女の子のことを思い出した。
彼女の恋人は、東京の会社へと就職して、東京の人間になっていた。
学生だった彼女は、夏休みや冬休みなどを利用して、男の子の部屋を訪れていた。

やがて、都会の人間となった男の子は、都会の女の子と新しい恋に落ちた。
安っぽい恋愛小説みたいに彼女は恋に傷つき、そして、彼女の知らないところで僕も傷ついていた。
いつの間にか、僕らは毎晩のようにして、深夜のドライブを繰り返すようになった。

ある雨の夜、信号待ちをしている自動車の中で、彼女は僕の肩に額を押し付けて泣いた。
「寂しいよ」と、彼女はつぶやいたような気がする。
僕は黙って、信号が変わるのを待ち続けていた。

「寂しいよ」とかすれた声で繰り返す彼女に、僕は何も言うことができなかった。
かけるべき言葉は無数にあるような気がしたけれど、まるで凍りついたように僕は、声を出すことができなかった。
彼女のすすり泣く嗚咽だけが、フロントガラスを叩く雨の音に溶け込んでいった。

あのとき、どうして僕は、彼女に言葉をかけることができなかったのだろう。
いつまでも、僕は、そのことを理解できずにいた。
けれど、今になって僕は、その理由を理解できるような気がしている。

あのときの僕は、重い責任に耐えうることができないような気がしていたのではないだろうか。
重い責任。
僕の将来や彼女の将来や二人を取り巻いている様々な物事の将来に対して。

気が付くと、特急列車は夜の闇の中を疾走していた。
彼女は、小さな嗚咽を必死でこらえるようにして泣き続けている。
「泣くな、おんな!」と、僕は叫びたい気持ちにかられた。

ずっと昔に言うことのできなかった古い言葉が、今も僕の心の中で、新しい傷跡のように疼いている。
そう思った。


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by kels | 2013-09-11 21:30 | 小さな物語 | Comments(0)

この10年分の無駄遣いに、ここで一段落つけよう

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今年の僕のテーのひとつは「お片づけ」だ。
なにしろ、この10年間、集めるだけ集めて、一切の整理をしていない古道具が、部屋中を埋め尽くしている。
最初のうちは冗談で済んだのだけれど、今では冗談と笑って済まされない状態となってしまった。

入手すると満足してしまう性格だから、包み紙に入ったままで、10年間も放置されているものも少なくない。
自分としては、タイムカプセルのようなものだと思っているけれど、わざわざ買ってきた意味がないのも確か。
買った記憶さえないようなものまであるのだから、やはり、ここらが潮時である。

ということで、この10年分の無駄遣いに、ここで一段落つけようと思い、物置の奥にある段ボール箱を引っ張り出してきては、必要なものとそうでないものと区別している。
本当の話、いつ買ったのものなのか、どこで買ったものなのか、全然記憶にないものがあるのだから、我ながらあきれた。
その瞬間には、欲しくてたまらなかったはずのものなんだろうけれど。

そんな片づけをしている一方で、フリーマーケットがあると聞けば、とりあえず出かけていく習慣は相変わらずだ。
ガラクタだけは絶対に買うまいと強い意志を持って、今日も中島公園のフリマを覗いてみる。
久しぶりに青空の気持ち良い日曜日だ。

1980年代のUSAのセーターを500円で購入。
古着を買うコツは、自分よりも年上の人のお店を探すことで、そういうお店の古着はリアルに古い(笑)
リアルに70年代、80年代を生きたと思われる人たちのお店は、必ずチェックしよう。

そこまでは良かったのだけれど、昭和30年代の北海道土産と思われる湯呑茶碗を見つけたあたりから、歯車は狂い始める。
もう食器なんて買うまいと思っていたのに、北海道の古いお土産は資料としても貴重なものだし、とか何とか理屈をつけて、とうとう購入。
しかも、5個セットまとめてで、また食器が増えてしまった。

さらに、別のお店でも、北海道土産のキーホルダーだの何だのを購入。
金額は大したものではないけれど、ぜいぜい最初の予定と違って、ガラクタが増えていく。
フリマはやっぱり恐ろしい。

さらに、別のお店で、今度は「たくぎん」ノベルティ、みんなのたあ坊のマグカップを発見。
オールド・サンリオも好きなんだよなあと思いながら、これも2個セットで購入。
片付ける以上のペースで、今日も着々とガラクタを増やし続けた。

まじめな話、とりあえず、大きなものだけでも処分しないと。


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by kels | 2013-09-08 21:22 | 日記・つぶやき | Comments(2)

写真を撮る最大の目的って、誰かを幸せにすることなんじゃないだろうか

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札幌駅に到着して、「あっ」と思った。
『Photo is 30,000人の写真展 札幌会場』が始まっていたってことを。
昨夜まではちゃんと覚えていて、「明日には観に行こう」と考えていたのに。

全然何の意識もなく札幌駅まで歩き続け、写真展の会場に入ったときに、突然そのことを思い出した。
偶然とはいえ、ちゃんと会場にたどりつけてよかったあ(笑)
一応、自分の写真くらいは見ておきたいからね。

でも、自分の写真がなかなか見つからなくて迷った。
「本名で出展していない」ことを思い出すまで、やや時間がかかってしまった。
よかったあ、ちゃんと思い出せて(笑)

こういう写真展を観ると、「本当にいろいろな写真があるなあ」と思う。
テーマも作風も本当にバラバラで、だからこそ、こういう写真展は面白いのだと思う。
統一感のないところに、「写真が好きだ」という気持ちだけが統一感を浮かび上がらせている。

「コンテストじゃない」のも、また、いいね。
自分の好きな写真を、自分の好きなように出展することができる。
写真なんて、別に「審査員のために撮っているんじゃない」から、自分が一番良いと思ったものだけを、誰かに見てほしい。

会場にある写真は、そんな思いで溢れている。
飾らず気取らず、本当の自分が自由に表現されている写真が集まっている。
一言で言うと、「とても開放的な写真」がたくさん並んでいるのだ。

多くの写真が個人的な作品になっているのもいい。
世界中の中で、誰か一人のためにだけ飾られた写真。
「誰か一人のためのメッセージ」が添えられている。

そんなことを考えながら写真を観ていると、とても幸せな気持ちになる。
写真を撮る最大の目的って、誰かを幸せにすることなんじゃないだろうか、もしかしてだけど。
僕も、「誰かを幸せにすることのできる」、そんな写真を撮ってみたいな。


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by kels | 2013-09-07 22:01 | 日記・つぶやき | Comments(4)

カメラを持って交差点に立つ僕自身も、街の一部なんだってこと

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久しぶりにハードなスナップ散策を敢行した。
どのくらいハードかというと、藻岩山ロープウェイ乗り場から札幌駅までを、徒歩で往復したくらいの感じ。
片道1時間半を往復したといえば、分かりやすいか。

その間、とにかくずっとカメラで街を撮り続けた。
ほとんどの写真は、街に入ってから撮ったものだけれど、とにかく、街を歩いて回るというのは楽しい。
特に、カメラを持ちながら歩くことで、いろいろな発見がある。

僕の街スナップは、どちらかといえば記録に近いから、シャッターを押すのに、あまり悩むことはない。
後ろを振り返ることも、後戻りすることも、どちらかといえば少ない。
その瞬間に感じたものを感じたままに撮って終わりにしてしまう方が、性格に合っているらしい。

その代わり、撮りたいものの傾向というのは、もうほとんど固まってしまっている。
新しい発見や新しい試みみたいなものには、とんと縁がない。
端的に言ってしまえば、いつも同じような写真ばかり撮り続けている。

だからといって、いつも同じ写真ばかりなのかと言うと、必ずしもそうではない。
なぜなら、街は常に変わり続けているし、僕は街の変わりゆく様子を、ただ撮り続けているだけだからだ。
撮影の趣向や方法を凝らさずとも、被写体は目まぐるしく変わり続けている。

札幌のような小さな街で、いつまでストリートスナップ写真を撮り続けられるだろうと、僕は思っていた。
小さな街のスナップ写真は、いつか限界が来るような気がしていたのだ。
街の何もかもすべてを撮りつくしてしまう日が来るかのように。

だけど、僕のそんな心配をよそに、街はいつまでも新しい街であり続けている。
季節とともに、時刻とともに、年月とともに。
人間の表情が刻一刻と老いてゆくように、街も大人へなってゆく。

いつまで続けられるか分からないけれど、しばらくは止められそうにない、街スナップ。
変わりゆく街を撮りながら、僕は今日一つ悟ったことがある。
カメラを持って交差点に立つ僕自身も、街の一部なんだってこと。


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by kels | 2013-09-07 21:37 | 日記・つぶやき | Comments(0)

どうでもいいはずなのに、妙に記憶に残り続ける言葉たち

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どうでもいい言葉なのに、どうしてか妙に記憶に残る台詞というのがあったりする。
例えば、僕の友人同士がダブルデートをしたときの言葉というのは、今も鮮明に覚えている。
それは、まだ、僕らがみんな大学生だった頃の話だ。

僕の友人二人が、ダブルデートをすることになった。
お互いのガールフレンドに会うのは、それが初めてのことで、二人とも相手の女性がどんな女の子なのか、全然知らない状況だった。
4人は大通りの地下街で待ち合わせをしていたという。

男の子2人と、ガールフレンドが1人、時間通りに集合して、残り1人の女の子を待っているときだった。
人混みの中、遠くから駆け足でやってくる一人の女の子を指差して、友人は「まさか、あれじゃないだろうな」と笑った。
日頃から面食いで通っている仲間のことを考えると、絶対にその女の子ではないだろうと信じて、思わず冗談を飛ばしたものらしい。

しかし、その女性こそが、彼ら3人が待ち続けている、残り一人の女の子だったということを、1組のカップルは直ちに知ることになる。
女の子は、余計なことを言った彼の存在を恨んだし、彼は自分の軽薄な性格を後悔した。
もちろん、自分の彼女を「まさか、あれじゃないだろうな」と笑われた友人は、その後、いつになく寡黙になってしまったらしい。

これと似たような話というのは、いくつもある。

ある女の子二人が飲んだ帰り道のこと、一人の女の子の彼氏が、自動車で迎えに来てくれることになったという。
二人とも、まだOLになったばかりの頃で、二人とも妻子持ちの男性と不倫の恋を楽しんでいた。
酔った勢いも手伝って、二人は迎えの自動車が来るまで、路上でのんびりと立ち話をしていたらしい。

やがて、遠くから近付いてくる自動車を見つけた彼女が、「あれかな」と言った。
もう一人の女の子は、しかし、運転席の男性を見て「でも、オジサンですよ」と笑った。
もちろん、日頃からオシャレでブランド好きな友人の性格から考えて、きっと見栄えのよい大人の男性がやってくるに違いないと、彼女は考えていたのだろう。

そんな彼女の予感は外れて、その自動車は二人の前に停まり、彼女は「オジサン」の運転する自動車に乗せられて、自宅まで送り届けられた。
どちらの話も、先入観と軽口が災いする話という点では一致していて、他人の失敗談として聞く分には楽しいし、おかしい。
けれども、似たような罠は、僕たちの人生の中にはいつでも隠されているものだし、僕たちはそんな罠を踏まないように、できるだけ慎重に生きていかなければならない。

特に、大人になってからの失敗は、学生時代の失敗のように、世の中は笑って済ませてはくれないものだ。
忙しいビジネスの隙間の中で、僕は時々そういう昔の誰かの言葉を思い出している。
どうでもいいはずなのに、妙に記憶に残り続ける言葉たちとして。

そして、そんな言葉は、昔懐かしい友人たちとの毎日へと、僕を取り戻してくれるのだ。


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by kels | 2013-09-05 21:47 | 日記・つぶやき | Comments(0)

札幌は、観測史上もっとも雨の日の多い8月を記録したそうだ

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今朝の新聞記事を読んで驚いた。
8月の札幌で雨の降らなかった日は、たった2日しかなかったというのである。
当然ながら、観測史上もっとも雨の日の多い8月を記録したということだ。

妙に天気の悪い夏だとは思っていたけれど、まさか、そこまで雨が多かったとは驚きである。
どおりで街スナップに出かける機会も少なかったわけだ。
個人的に、写真は直射日光の下で撮りたいと思っているくらいなんだから。

テレビでは、毎日のように猛暑を伝えるニュースが続いていたから、何となく夏らしい夏なんだろうという気がしていたけれど、今年の札幌の夏は、思い切り中途半端な夏であったらしい。
冷夏ではないにしても、夏らしい夏ではない。

毎日毎日雨が降り続いている夏なんて、真っ平だよね、梅雨じゃないんだから。
それでも、印象としては、それほど毎日雨が降り続いていたというわけでもないような気がするのは、雨は降りっぱなしではなく、断続的に降ったり止んだりを繰り返していたからなのだろう。
いっそのこと、毎日が雷雨であれば記憶にも残るものを、どこまでも中途半端な夏である。

今年の夏は異常気象だったということらしいけれど、まあ、貴重な体験ではあった。
雨が必ず悪いというわけではないだろうけれど、やっぱり、素晴らしい青空があってこその雨の日である。
世の中に雨降りの日しかなかったら、世の中にはこんなにも発展しなかったのではないだろうか。

というか、雨降りの日しか存在しない世の中なんて、想像もしたくないけれど。
「止まない雨はない」っていう言葉があるけれど、だからこそ、雨は希望の象徴みたいな存在だ。
どんなに激しい雨降りだって、いつかは必ず晴れるときがある。

昔の人は、雨降りの空を見ながらも、哲学的なことを考えていたんだなあ。

それにしても、この雨は9月になっても降り続いている。
今日まで、雨の降らなかった日はないように思うから、とにかく毎日が雨だ。
さっき、晴れ間をねらってうっかり散歩に出たら、帰り道に思い切り降られてしまった(笑)

まったく、雨の日と月曜日ってやつは憂鬱なんだから。


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by kels | 2013-09-04 21:07 | 観光・風物詩 | Comments(2)

男っていうのは、ノスタルジーを感じさせるものが好きらしい

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男っていうのは、ノスタルジーを感じさせるものが好きらしい。
骨董屋に行っても、女性は実用性の高いものとか美しいものとか芸術的なものを中心に買うのに対して、男性は、どう考えても中途半端なガラクタじゃないかと思えるようなものを買っていく。
例えば、壊れてもう動かなくなったミニカーみたいなものを。

男のアンティークっていうのは、商品に対する価値観をあまり求めていないところがあるのかもしれない。
つまり、男が骨董屋で探しているものは、骨董品とかではなく、かすれた記憶のようなもの。
そこから、何かの物語が始まりそうなものであればあるほど、男の感性は刺激されるのだと思う。

実用性とか状態とかそういう合理的なものではなくて、いかに自分の創造力を刺激してくれるかどうか。
どんなに素晴らしい芸術品であっても、エピソードも沸かないような代物では、あまりに空虚だ。
そして、物語も描けないようなガラクタであれば、そんなものは、そもそも持って帰る必要がないのだ。

そう考えてみると、ガラクタっていうのは、自分の想像力をうんと高めてくれる物語の源みたいなものだ。
もう動かなくなった時計の錆びた残骸を手にしているだけで、物語は既に始まっている。
いつか、そんな物語を、文章にして書いてみたいな。

誰のためでもなく、ただ自分だけのために。


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by kels | 2013-09-03 21:53 | 日記・つぶやき | Comments(0)