カテゴリ:文学・芸術( 144 )

北海道立文学館で「有島武郎と未完の『星座』」展が開催されている

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札幌に来てから園の心を牽きつけるものとてはそうたくさんはなかった。
ただこの鐘の音には心から牽きつけられた。
寺に生れて寺に育ったせいなのか、梵鐘の音を園は好んで聞いた。

上野と浅草と芝との鐘の中で、増上寺の鐘を一番心に沁みる音だと思ったり、自分の寺の鐘を撞きながら、鳴り始めてから鳴り終るまでの微細な音の変化にも耳を傾け慣なれていた。
鐘に慣れたその耳にも、演武場の鐘の音は美しいものだった。
 
「星座」有島武郎(1922年)

 
北海道立文学館で「有島武郎と未完の『星座』」展が開催されている。
言うまでもなく、有島武郎は札幌の文学を語る上で欠くことのできない存在だ。
そして「星座」は、有島と札幌との繋がりを物語るひとつの証のような作品だった。

正直言って、文学館の特別展としては「今さら有島武郎か」的な部分はあるかもしれない。
有島武郎の存在が、道立文学館の設立を後押ししたとさえ言って良いくらいのものだからだ。
もっとも、だからこそ、道立文学館では有島武郎の特別展を開催する意義があるのだとも言える。

道立文学館の館内は、いつだって静かだ。
自分の他には、極僅かに2~3名の来館者がいるのみらしい。
そして、その人たちはいずれも年輩の方々だった。

美術館と違って、文学館は作品を展示する場所ではない。
文学作品は個人が各々好きな時に鑑賞できるものだから、文学館では作家に関する資料を鑑賞する。
そういう意味で、美術館のようには人を集めにくい部分があるのかもしれない。

けれども、文学作品を深く理解しようと思った時は、必ず、その文学者を深く理解しなければならない。
あるいは、その作品に関する丁寧な解説に触れることも、また大切なことである。
文学館は、そういった部分では、非常に重要な役割を担っているのだ。

難しいことを考えなくても、札幌と関わりの深い文学者の人生に触れるだけで楽しいものである。
今回の展示でも、札幌で暮らしていた頃の写真アルバムなど、私生活を知ることのできる貴重な資料があった。
これから、有島を読んでみたいと思っている人たちにもお勧めの展覧会だ。


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館内で唯一写真撮影が許されていたのが、この記念撮影コーナー。
「星座」の登場人物たちと一緒に記念写真を撮ることができる。
最近の展示では、こういった仕掛けが必要なのかもしれない。
 
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展示を見終えた後は、ミュージアムコーナーをチェック。
 
図録と一緒に、いくつかのお土産を購入した。
上の写真は「おばけのマールとニセコ」のポストカード。
ニセコ町の有島記念館で販売しているものらしい。

 
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もうひとつ、ニセコ町有島にある「高野珈琲店」の珈琲豆。
有島記念館には、「ブックカフェ 有島記念館×高野珈琲店」があるらしい。
ちなみに、「一房の葡萄」も有島の作品名に因んでいる。

今年は夏は、ニセコ町の有島記念館を訪ねてみたいな。

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by kels | 2018-02-24 17:26 | 文学・芸術 | Comments(0)

コーチャンフォーに行くと、原田康子の復刻文庫コーナーができていた

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札幌の冬は釧路の冬とよほど違います。
雪の降らない日が一日でもあるでしょうか。
さらさらした粉雪、しめった大きなぼたん雪、やわらかなふわりとした綿雪、さまざまな形の、さまざまな感触の雪がたえず目の前でちらついております。
 
「春の札幌」原田康子


コーチャンフォーに行くと、原田康子の復刻文庫コーナーができていた。
「海霧」に続いて、「風の砦」「聖母の鏡」が復刻されているのである。
コーチャンフォーの本気具合を感じた。

もとより、コーチャンフォーは釧路の会社である。
釧路出身の作家である原田康子に対する思い入れには、きっと強いものがあるのだろう。
原田康子はやはり郷土の誇りなのだと、改めて思い知らされた気がする。

釧路では新たに文学館が誕生するなど、文学の街としての活気がよみがえっているらしい。
子どもたちに郷土の財産を伝える「ふるさと教育」としても、きっと有意義なものだと思う。
こうした動きは、釧路だけではなく、北海道全体に広がってほしいなあ。

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by kels | 2018-02-24 06:48 | 文学・芸術 | Comments(0)

伊藤整の詩集は「小樽雪あかりの路」に行く前に読む

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2月となり、北海道は冬のイベントの季節になった。
札幌では雪まつり、小樽では雪あかり。
真冬の屋外イベントくらい、北海道の厳しさを体感できるものはない。

小樽市の「小樽雪あかりの路」は、20回目のメモリアルということで随分盛り上がっている。
さっぽろ雪まつりに比べて、商業主義にまみれていないところが人気らしい。
素朴なキャンドルの灯りが無数に並ぶ様子は、確かに小樽という街に似合っている。

イベント名の「雪あかりの路」というのは、伊藤整の作品に因んでいる。
伊藤整は小樽出身の詩人で、小樽商科大学では小林多喜二の後輩にあたる。
「雪明りの路」は、小樽の冬を詠んだ伊藤整の詩集のタイトルだった。

この詩集には、小樽の冬がたっぷりと詰まっている。
最初に「雪明りの路」が出版されたのは大正15年(昭和元年)である。
大正時代の小樽の街の空気が映し込まれていると言ってもいい。

当時、伊藤整は弱冠20歳で、商大を卒業して小樽市内の中学校の英語教員をしていた。
それまでに作った作品を1冊にまとめたものが、この「雪明りの路」だったらしい。
序文には「十五六の年からもう六七年も私は詩を書いて暮らしてきた」とある。

もしも、小樽の街まで「雪あかりの路」を観に行こうと考えている人がいたら、ぜひ、その前に、この詩集を読んでもらいたいと思う。
大正時代の冬の小樽に思いを馳せたまま、JR北海道に乗って、冬の小樽に向かう。
そこには、期待を裏切らない昔ながらの小樽の詩情があるはずだ。

ちなみに、自分の持っている「雪明りの路」は、戦後の昭和27年に発行されたもの。
最初の詩集が発表されてから25年後に、改めて、この詩集が世の中に登場したということになる。
最初の詩集も欲しいけれど、そんなに簡単に手に入るものではないんだろうなあ。


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by kels | 2018-02-02 20:46 | 文学・芸術 | Comments(0)

小林多喜二全集は冬の北海道で読んでおく

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小林多喜二は、北海道小樽市出身の作家である。
当然、その作品の中には、北海道の自然や風景が舞台として登場する。
北海道民であれば、「蟹工船」以外の作品にも、少しは触れておきたいものである。

多喜二の作品には、冬の情景を描いたものが多い。
北海道の作家ならではの特徴であるとともに、庶民の中の貧富の差は、冬という厳しい季節にこそ顕在化するといった事情もあるのかもしれない。
夏に遊んで暮らすことができた者も、冬を越すことは容易ではないのだ。

多喜二が生きた時代、貧困が庶民の大きな課題であったことは間違いない。
当時の新聞記事には、貧困にあえぐ人々に関する報道が、頻繁に登場している。
庶民の中の貧困が、社会的に共有され始めた時代こそが、多喜二の時代ということなのだろう。

ちなみに、写真は、新日本出版社の小林多喜二全集全7巻。
全集を買うなら、やはり発行年の新しいものが良いと思う。
新たな発見に終わりはないから。

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by kels | 2018-01-18 19:43 | 文学・芸術 | Comments(0)

北海道文学全集は旅行に出かける前に読んでおく

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「北海道文学全集」は、1981年に完成した全23巻の文学全集で、文字どおり北海道文学の集大成である。
いわゆる「北海道を舞台にした文学作品」を読むには、最適の全集である。
札幌のみならず道内各地が登場するので、道内旅行に出かける前には読んでおきたい。

北海道出身の作家のほか、内地からの移住者の作品、果ては内地の作家が北海道旅行をした際の作品まで含まれる。
文学の種類も、小説だけではなく、詩歌や随筆など多岐に渡る。
北海道で暮らす者であれば、ぜひとも一度は目を通しておきたいものだ。

全集ものの貴重なところは、現在入手困難な作家の作品も読むことができること。
この全集以外では、ほとんど読むことさえ困難だというレアな作品も少なくない。
研究者以外には知られていないような、無名の歴史的作家の作品に触れるのも楽しいものである。

難点は、当然のことながら、現代作家の作品が含まれていないこと。
もっとも、現代の流行作家の作品に関しては、この全集を通読してから手を出しても遅くはない。
まずは、明治・大正・昭和初期と、発展途上の北海道を見つめた数々の作品に触れていただきたい。

ちなみに、全集23巻はかなりのボリュームで、場所を取ること、この上ない。
読みたい巻を、少しずつ図書館で借りながら読んだ方が賢いと思う。

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by kels | 2018-01-15 19:43 | 文学・芸術 | Comments(0)

明後日12日は、原田康子の生誕90年目の節目である

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羽生輝さんの挿絵は素晴らしいのだが、人物画にヒロインの女性たちの顔が出ると、絵のイメージが独り歩きしてしまうと、原田先生は好まれなかった。
だから、画家は大変だったと思う。
人物画が少なくなると、街並みや自然の風景が増える。
そうすると絵に色気がなくなってしまうので、編集者としては、いささか頭の痛いところではあった。
作家と画家の意見が合わないときのため、予備カットを用意しておいてもらったものである。

「『海霧』新聞連載の頃」谷口孝男(2005年)


原田康子。1928年1月12日、東京中野生まれ。
1930年、釧路市川上町に移住し、原田康子は、釧路の人となる。
後に、釧路を代表することとなる偉大な作家のルーツ。

明後日12日は、原田康子の生誕90年目の節目である。
地元新聞で紹介されるなど、郷土の作家が再び光を浴びつつある。
北海道文学を愛する者にとって、郷土の作家に光が当たることは非常にうれしいものである。

裏を返すと、日頃、郷土の作家に光が当たる場面が少なすぎるということがある。

現在、普通に入手できる原田康子の作品は、新潮文庫版「挽歌」のみ。
その他の作品は、古書で探すしかない。
これではとても、郷土の作家を次世代に受け継いでいくことなどできないと、僕は思う。

昨年、コーチャンフォー各店舗で、原田康子の「海霧」が限定復刻された。
「幻の名作」の復刻とあって売れ行きも良かったようだが、そもそも代表作が「幻」になること自体、どうなんだろうか。
原田康子に限った話ではないけれど、北海道にも素晴らしい作家がいたのだということを、子どもたちに語り継いでいくためにも、我々はもっと考えなければいけないことがあるような気がする。



by kels | 2018-01-10 20:19 | 文学・芸術 | Comments(0)

森田たまの随筆集「ゆき」の装丁デザインとなった中谷宇吉郎の描いた雪の結晶

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昭和31年12月25日に発行された森田たまの随筆集「ゆき」。
装丁の雪文様が非常に美しい本だ。
この雪の結晶のデザインについて、筆者はあとがきで次のように書いている。

雪は天から送られた手紙である。
世界的な雪の権威者、中谷宇吉郎博士は、雪の結晶の画の上に、必ずそういう賛をなさいました。
つづいて、
 一片の雪に千古の秘密がある。
と記されています。
十数年前、博士から雪の結晶の画をいただいた私は、それを古代紫地の帯に染めました。
この本の装丁に使ったのが、その帯の写しです。

「ゆき」森田たま(1956年)


本書では、秋から冬にかけて読みたい随筆45編が収録されている。
そして、この作品の中でも筆者は、故郷である北海道を偲ぶ文章をしたためている。

例えば、表題作「ゆき」の中には、次のような記述がある。

ふるさとの十二月は、いままでちらちらと降っては消え、降っては消えしていた雪が、本当に腰を据えて降り出し、根雪といって、あくる年の3月まで全世界を雪に埋める季節の始まりです。
北海道の雪は、内地の雪のような脆さも儚さも感じられぬほど、強い力を持って、夜も昼も休みなく振り続けるのですが、その冬の間には、一点の雲もなく、カラリと晴れあがったあを空の日が幾日かあって、ただそのあを空を仰ぐだけでも、生きていることが楽しいと思わせてくれます。
そして、そのあを空はまた、やがて必ず、ゆきの溶ける日のくることを、約束してくれるのです。

「ゆき」森田たま(1956年)


中谷宇吉郎の描いた雪を装丁として用いた筆者の北海道に対する思いが、一つ一つの文章の中に込められているような気がしてならない。



by kels | 2017-12-03 07:31 | 文学・芸術 | Comments(0)

森田たまは、北海道が最も北海道らしかった時代の記憶を、生涯抱き続けていたのではないだろうか

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雪のちらつく十一月に、何をおいてもしなくてはならぬのが、漬けものでした。
それが半年の間の、いちばん大切なおかずなので、どこの家でも四斗樽を井戸端に並べて、せっせと漬けます。
しばらく陽に干して、少ししなしなと甘くなった大根を長さ二寸ほど、四つ割にして、みがき鰊と麹で漬けこむ、にしん漬け。
これは、冬の漬けものの王様です。

「冬支度」森田たま(1951年)


「冬支度」は、昭和31年に刊行された随筆集「ゆき」所収の作品である。
森田たまは、明治44年に上京して以降、北海道で生活することはなかった。
したがって、にしん漬けの記憶も、少女時代の幼い思い出ということになる。

その昔、北海道の冬を越す開拓者たちにとって、冬の野菜不足は非常に大きな課題だった。
漬けものは、北海道の冬に野菜を補給するための、重要な保存食だったという。
寒冷な北海道の気候が、特に、この地域独特の漬けもの文化を発展させたということもあるだろう。

流通や冷凍技術が発達すると、北海道内においても、冬の商店には野菜が並ぶようになった。
漬けものだけで、冬の野菜不足に対応する時代は終わったのである。
高度経済成長の時代を経る中で、家庭で漬けものを作る習慣は、どうやら廃れてしまったらしい。

一方で、生活様式の発展や温暖化の進行に伴って、昔と同じような漬けものを作ることは難しくなったとも聞く。

北海道の漬けものは、真冬の厳しい環境の中で生まれてきたものだ。
しかし、寒冷地住宅の開発は進み、北海道の冬を快適に過ごすことが可能になった。
暮らしやすい住宅環境は、北海道らしい漬けものを作るには、少し場違いになってしまったらしい。

そもそも、北海道の冬は、昔のようには寒くはないともいう。
森田たまが上京した1911年の冬を例に取ると、この年の1月、氷点下10度以下となった日が23日ある。
2016年1月では、氷点下10度以下となったのは1回だけだから、冬の寒さは全然違うと言ってよい。

森田たまが「ゆき」を刊行した1951年でも、氷点下10度以下の日は17回ある。
明治時代とは時代が変わりつつあるとは言え、北海道の冬は、まだまだ北海道らしさを十分に保っていた。
おそらく彼女は、北海道が最も北海道らしかった時代の記憶を、生涯抱き続けていたのではないだろうか。

by kels | 2017-11-05 17:46 | 文学・芸術 | Comments(2)

冬が近くなると、船山馨の「北国物語」を読みたくなる

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自動車は停車場通りをまっすぐに中島公園へぬける広い電車通りを走っていた。
道路の両側に巨大なアカシアの街路樹が鬱蒼として続き、その緑の繁みの間から、五番街デパートの赤煉瓦の建物がちらちら覗いたり、むかし北海道随一と言われた山形屋旅館の古い木造建築が見えたりするのは、もとのままの風景であったが、すぐその山形屋の一丁も先には、鉄筋コンクリートの八階建てのグランドホテルができ、そのまた少し先の十字街には、三越デパートの支店が瀟洒な六階建てで聳えていたりするのは、さすがにここも十四年の歳月がうかがわれるのであった。

「北国物語」船山馨(1941年)


冬が近くなると、船山馨の「北国物語」を読みたくなる。
物語冒頭に登場する札幌駅前通りの描写を見るだけで、この作品が札幌の街を舞台としていることが、よく分かる。
船山馨は、札幌西高校出身の郷土の作家だ。

札幌三越の開店は昭和7年、札幌グランドホテルの開館が昭和9年である。
伝統ある五番館百貨店や山形屋旅館の中に、新しい文化が生まれつつある街の姿が、そこには描かれている。
それは、10年以上も札幌の街を離れた者にとって、まさに激変とも言うべき街の変わり様だったに違いない。

船山馨が「北国物語」を発表してから、70年以上の時間が過ぎた。
伝統の象徴であった山形屋旅館も五番館デパートも既にない。
若い人たちには、その名前さえも歴史の副教材の中の言葉に過ぎないだろう。

停車場通りという言葉も、そこに並んでいたという巨大なアカシア並木も、今はもうない。
駅前通りと名前を変えた札幌のメインストリートは、現在もその姿を変容させつつある。
変わりながら成長していくことが、街の宿命なのだと言わんばかりに。


by kels | 2017-11-05 07:30 | 文学・芸術 | Comments(0)

今、渡辺つゆについて、詳しく知る術は何もない

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おつゆさんの命日にふさわしい雨だ。
あなたは春を知らずに過ぎた、秋の寂しい女だった。

「つゆ女伝」吉屋信子(1963年)

昔、渡辺水巴という俳人があった。
「紫陽花や白よりいでし浅みどり」という有名句がある。
大正から昭和初期を代表する人であった。

この俳人には、つゆという妹がいた。
生涯独身で、兄・水巴の世話をし続けたという。
己の女性としての幸せよりも、兄への献身に生きがいを見出していたというのか。

今、この渡辺つゆについて、詳しく知る術は何もない。
ただ、彼女の残したいくつかの俳句を読むことができるくらいだ。
それが僕には、何だか寂しいような気がしている。

圧し鮨の笹の青さや春の雪 渡辺つゆ女

つゆは、太平洋戦争が始まる直前の10月10日、兄より先に帰らぬ人となった。
58歳だった。
つゆの好物は、笹巻鮨だったという。

by kels | 2017-08-27 07:02 | 文学・芸術 | Comments(0)