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「この道」のモデルとなった道

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札幌時計台が建ち、アカシア並木が匂う札幌の北一条通りは、北原白秋によって書かれた童謡「この道」の舞台であるといわれています。

この道はいつか來た道、
 ああ、さうだよ、
あかしやの花が咲いてる。
 
あの丘はいつか見た丘、
 ああ、さうだよ。
ほら、白い時計臺(時計台)だよ。
 
この道はいつか來た道、
 ああ、さうだよ。
お母さまと馬車で行つたよ。
 
あの雲もいつか見た雲、
 ああ、さうだよ。
山査子の枝も垂れてる。


今日は久しぶりに「この道」を歩きながら、北原白秋がこの詩を作った時のことを思い浮かべてみました。

詩人・北原白秋が北海道を訪れたのは大正14年のことです。
当時40歳だった白秋は、鉄道省主催の「樺太観光団」に参加した帰りに北海道に入り、8月24日、札幌駅前にあった山形屋旅館に到着しました。
白秋の在札期間はわずか4日間でしたが、この間に、北大植物園や北海道大学構内、月寒種羊場(現在の羊ヶ丘牧場)、真駒内牧場、定山渓温泉などを観光したといいます。
札幌を去った白秋が、「この道」を「赤い鳥」に発表したのは、翌大正15年8月のことでした。

「あかしやの花が咲いてる」や「白い時計台だよ」などの部分から、この歌は白秋が札幌を訪れた時のイメージを元に作られたといわれていますが、実際には、白秋が札幌を訪れた8月には既にアカシヤの花は散ってしまっていることや、白秋を案内した人の証言により、白秋がこの「北一条通り」をほとんど歩いていないことなどが指摘されています。
ただ、白秋がこの札幌での旅行体験を基礎として、「この道」のイメージを膨らませていたことは、きっと確かだったのではないでしょうか。

「この道」は北原白秋の心の中に続く道であり、夏の札幌から白秋の故郷である福岡県柳川まで続く道であったとしたなら、それは詩人としての白秋らしい「道」であったような気もします。
結局のところ、札幌の「道」が白秋の心の中に眠っている故郷の「道」を思い起こさせたのかもしれませんね。

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ところで、「この道」の重要なアイテムとして描かれている北一条通りの「アカシヤ」は、大正5年に植採されたもので、初夏には花が咲き匂い、札幌の風物詩として親しまれていたものでした。
しかし、平成に入って北一条通りの道路拡張工事のために大部分が伐採されてしまい、現在では当時の面影をほとんど感じることはできません。

さらに、札幌で「アカシア」と呼ばれている木は、実は「ニセアカシア」の名を持つ外来種なのですが、これが環境省が定める特定外来生物の「要注意リスト」に入ったということで、アカシア並木の前途はまだまだ多難のようです。

白秋の「この道」の舞台となったといわれる北一条通りのアカシア並木も、札幌市民の心の中の道として生き残るだけなのかもしれませんね。
by kels | 2006-07-30 18:03 | 建築・景観
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