<< 023 札幌建築年表 021 叫児楼の思い出 >>

022 骨董テイネ(1番館)の思い出

「骨董テイネ」のホームページを見て驚いた。
9月から閉店セールが始まるという。
なんでも12月以降は、琺瑯照明の専門店をやることになっているらしい。
ずいぶん通い詰めた店のひとつだけだっただけに、閉店のお知らせは、僕にはとても寂しいものに感じられた。

その頃、「骨董テイネ」は「1番館」という名前で、北1条通りに面して店を出していた。
おそらく一番最初は、「アンティーク クレイドル」に比較的近いこともあり、偶然通りかかるうちに、何となく店に入ってみたのだと思う。

決して広くはない店内に、小物系の雑貨が整然と並べられていた。
商品構成の中心は、昭和30年代に作られた生活雑貨で、いわゆる昭和レトロ雑貨と呼ばれているものだった。
他の店では、あまり商品にならないような小物も、この店ではガラスケースに並んでいたし、しかも、それらは大抵の場合、数枚の100円玉で購入できる値段だったことから、僕は少しずつその店に通うようになった。

初めての買い物は、今でもはっきりと覚えている。
初めて足を踏み入れたその店で、抒情画家の蕗谷虹児がジャケットの作画を担当したSPレコードのアルバムが、店の床の上に直接置かれていたのだ。
それは、どうせ入手できるはずがないと思いながらも、いつかは手に入れてみたいと思っていたもののひとつで、そのとき、僕はどれだけ喜んだか分からない。

それからも、この店で、僕は胸をときめかすような出会いを何度も経験した。
昭和初期のサッポロビールのビアグラスを手に入れたのも、「1番館」だった。
ブラックライトに照らされて、妖しい緑色に光る5客のビアグラスを目にして、瞬間的に僕はそれらを手に入れたいと思った。

その頃の僕は、明治時代~昭和初期にかけてのガラスコップを中心に蒐集していたし、ノベルティものは集めない主義とはいえ、地元企業であるサッポロビールだけは別扱いだと考えていたのだ。
とはいえ、5客全部をまとめて購入するとなると、僕のポケットマネーで買うことのできる範囲を、簡単に超えてしまう。
結局、僕は店主と相談しながら、手持ちの骨董品をいくつか下取りに出し、差額の1万円ちょっとを出すことで、このサッポロビールのノベルティグラスを手に入れることができた。

また、あるときは、全品半額セールの言葉に乗せられて、店内のデスクスタンドをまとめ買いしたこともある。
昭和20年代~30年代にかけての小さなスタンドで、1つ1つは結構な金額だったのだけれど、それらが半額で購入できるとあって、ずっとほしいと思っていたそれらのスタンドを、僕は思わずまとめて衝動買いしてしまったのだった。

しかし、全般に見ると、僕のこの店での買い物は、ごくごく細かいものを中心としていた。
昭和の観光地で販売されていた「お土産こけし」や、石原裕次郎の世界に出てきそうなショットグラス、昭和モダンに溢れたカップ&ソーサなど、あくまでも細かいものを中心に、僕はその店での買い物を続けた。

ある日、店主が、「そろそろ移転しなければならないんですよ」と言った。
どうやら、店舗として使っている建物が老朽化のため、解体されるらしかった。
「補償も出るので、この機会に店を新しくしようと思うんです」
少しずつ具体化していく夢を、店主は語った。
「店の中を区切って、いくつかのお店が入っている形にしようと思うんです」
新しい店に対する夢は、店主の気持ちを大きく勇気づけていたらしい。

やがて、正式に移転の計画が固まり、僕はその新しい店が手稲区富丘にできることを知った。
中央区の南端に暮らしている人間にとって、富岡はなかなか通うことのできる距離ではない。
まして、これまでみたいに仕事帰りにひょこっと顔を出したりすることは、ほとんど不可能になってしまう。
移転計画の内容を聞きながら、僕はそんなことを考えていた。

やがて、「1番館」は姿を消し、手稲区富丘に「骨董テイネ」が誕生した。
僕の中での「1番館」の歴史は、やはり「骨董テイネ」へと引き継がれることはなく、僕は時々通りがかりのついでに、店を覗いてみる程度になっていた。

店名も店舗も変わって、ずいぶん長い時間が経ったけれど、それでも僕の中に残る「1番館」への愛着は今も強く、それだけに「骨董テイネ」の閉店は寂しい。
元・消防士だったという店主の店は、僕にとってはやはり「1番館」のままで記憶に残っていくこととなった。
by kels | 2011-05-01 21:10 | 古物・雑貨
<< 023 札幌建築年表 021 叫児楼の思い出 >>