<< どうでもいいことだけれど、僕は... 僕たちは、過去を懐かしむときで... >>

久し振りに「花と雑貨ひととき」に行った。彼女の部屋は、まるで枯れ野そのものだった。

b0103470_19565180.jpg

冬もまぢかな、ひっそりした秋のひとときは、寒々として、いやなときだと思ったら大間違いです。
せっせと、せいいっぱい冬じたくのたくわえをして、安心なところにしまいこむときなのですからね。
自分の持ち物を、できるだけ身近に、ぴったり引き寄せるのは、なんと楽しいことでしょう。
自分の温もりや、自分の考えをまとめて、心の奥深く掘り下げた穴にたくわえるのです。
その安心な穴に、大切なものや、尊いものや、自分自身までを、そっとしまっておくのです。

「ムーミン谷の十一月」トーベ・ヤンソン/鈴木徹郎・訳(1970年)

久し振りに「花と雑貨ひととき」に行った。
店の中を見て驚いた。
まるで枯れ野の中にいるみたいに、冬の枯れ果てた花がいっぱいだったから。

正直に言って、僕はこのときほど「枯れ野」という言葉の意味をリアルに感じたことはない。
彼女の部屋は、まるで枯れ野そのものだった。
この部屋をまるごと持って帰りたいと思った。

枯れ野の中に、僕は小さなアジサイを見つけた。
枯れ野の中で、小さなアジサイはきれいに枯れていた。
僕は枯れ果てたアジサイが大好きなのだ。

僕は枯れ野の一部と一緒に紫陽花を買って帰った。
だけど部屋には、枯れた紫陽花にふさわしい容れ物が見つからなかった。
仕方がないので、古い茶色のガラス瓶の中に、僕は紫陽花を挿した。

古い茶色のガラス瓶の中には、古いおはじきがたくさん入っていた。
大正時代の小さなガラス粒の砂の中に、僕はそっと紫陽花を挿したのだ。
紫陽花は頼りなげに小さく揺れて、そして静かに落ち着いた。


にほんブログ村 地域生活(街) 北海道ブログ 札幌情報へ
にほんブログ村
↑↑↑↑↑
「にほんブログ村」に参加をしてみました。
1日1回のクリックをお願いいたします!
by kels | 2015-11-01 20:11 | 古物・雑貨
<< どうでもいいことだけれど、僕は... 僕たちは、過去を懐かしむときで... >>