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札幌の国道36号線には、見えない戦争遺跡が、今も残されている

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この国道は、東は千歳の空港や室蘭の軍港に通じ、西は小樽の港に直通していた。
札幌の市街地を東西に貫通し、市街地を南北に二分するこの街路に、防火帯が計画された。
米軍の焼夷弾攻撃による火災を回避し、この都市を防衛するために、それがもっとも有効と考えられたのだろう。

突如、この国道の拡幅計画が実行に移され、25メートルほどある街路が、倍の幅員になったのだ。
この拡幅は、道路の両側を公平に削るのではなく、なぜか、この道に沿った北か南の街区のいずれか一方から25メートルを削り取ることになった。

北にするか南にするか、いちおう住民の意見を取り入れるべく、それぞれ隣組の代表が、ジャンケンで決めたという噂が流れたが、それは確かではない。
もともと決まっていて、後になって、そのような噂を誰かが流したのかもしれない。
いずれにせよ、犠牲者は北側に決定して、北側住民の強制立ち退きが、有無を言わさずに実行された。

「そうだ!建築をやろう」竹山実(2003年)

札幌の36号線には、見えない戦争遺跡が、今も残されている。
昭和20年6月に実施された「建物強制疎開」の痕跡だ。
豊平橋から西11丁目までの中心部を貫く国道36号線沿いに建っていた建物は、瞬時に取り壊されてしまったという。

建築家・竹山実は、自分の家の目の前に建っていた住宅が解体されていく様子を、克明に記憶している。
それは、幼なじみの友人たちの住宅でもあったからだ。
戦後70年、竹山の実家は、今も国道36号線に面して残り、見えない戦争遺跡と向き合っている。


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by kels | 2015-08-08 20:43 | 歴史・民俗 | Comments(0)
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