<< 店の名は「ハリネズミ珈琲店」。 原野と原始林の中の都会、札幌 >>

路面電車が走る風景は、札幌において、1970年代以前の風景だ

路面電車が走る風景は、札幌において、1970年代以前の風景だ_b0103470_2133133.jpg

札幌に地下鉄が導入されたのは、1971年(昭和46年)のこと。
1972年(昭和47年)に開催が予定されていた冬季札幌オリンピック見物客の輸送機関として、地下鉄は大きな期待を持って生まれた。
当時、世の中は、路面電車の時代だったのだ。

地下鉄が誕生する直前の1970年当時、市内随所に札幌市電の軌道が張り巡らされていた。
当時の路線をざっと拾ってみる。

・一条橋~丸井前~西4丁目~医大病院前~長生園前~円山公園
・北24条~札幌駅前~三越前~すすきの~静修学園前~教育大学前(現:中央図書館前)
・医大病院前~長生園前~中央市場通~札幌駅前~三越前~すすきの~豊平8丁目(旧:豊平駅前)
・苗穂駅前~道庁前~三越前~すすきの~静修学園前
・新琴似駅前~北24条~札幌駅前~三越前~すすきの
・三越前~すすきの~静修学園前~教育大学前~西線16条~交通局前~西4丁目~丸井前

ごく簡単に言うと、北は新琴似から南は教育大学、東は苗穂・豊平から西は円山まで、市電は札幌市内を縦横無人に走り回っていたのだ。
地下鉄の登場によって、最も大きく変わったものの一つとして、市電の走る街の風景があったかもしれない。
路面電車が走る風景は、札幌においては、まさしく1970年代以前の風景であったのだ。

今、当時を偲ぶ面影は、西4丁目・すすきのから中央図書館前まで、わずかに残されているに違いない。
それは、まるで1971年の地下鉄導入のときに記された古い傷痕のようにも見える。
地下鉄という新しい時代の波に乗り遅れた者たちのために残された古い時代の痕跡。

ただ、痕跡が痕跡のままで終わるのか、新しい時代を築いていくのか、それは分からない。
時代は常に移り変わるものだし、時代は常に回り続けているからだ。
市電だけが、いつまでも1970年代の傷跡であり続けるわけにはいかないと、僕は思う。

奇跡的に現代へと残った傷跡は、新しい時代に向かって再生していくべきなのだ。


にほんブログ村 地域生活(街) 北海道ブログ 札幌情報へ
にほんブログ村
↑↑↑↑↑
「にほんブログ村」に参加をしてみました。
1日1回のクリックをお願いいたします!
by kels | 2015-03-13 21:45 | 歴史・民俗 | Comments(4)
Commented by 木邑 at 2015-03-13 22:32 x
雪ミクを纏って走る等、それなりに時代の変容を受け入れているのだと思います、路面電車。
当該車両は未だ乗ったことも拝んだこともありませんが・・・。
Commented by kels at 2015-03-14 06:13
木邑さん、こんにちは。
そうなんです、札幌の路面電車は、決してただ古臭いだけのものではないと思うんです。
新型車両、ループ化、拡張議論。
いろいろな意味で新しい可能性のある乗り物だと感じているのですが☆
Commented by 無名子 at 2015-03-17 22:01 x
市電苗穂線で花電車を見たのは、
東京オリンピックの前だったはず。
あれは、札幌神社のお祭だっけかな。

Commented by kels at 2015-03-17 22:51
無名子さん、こんにちは。
「花電車」なるもの、一度は見てみたいものです。
「札幌神社」っていうのもいいですね~☆
<< 店の名は「ハリネズミ珈琲店」。 原野と原始林の中の都会、札幌 >>