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狸小路の「中川ライター店」閉店、歴史を振り返る

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朝「めざましテレビ」を見ていたら、狸小路にある「中川ライター店」閉店のニュースが出てきて驚きました。
ツイートランキングのコーナーだったのですが、それにしても、北海道のおもちゃ屋さんの閉店が全国ニュースになるなんて凄すぎです。
ヤフトピにもなっていたくらいなので、その影響力はよほど大きかったのでしょう。

ということで、今回は「中川ライター店」の回想記事にしたいと思います。

そもそも「中川ライター店」とは、どのようなお店だったのか。
昭和61年に発行された「さっぽろ文庫36 狸小路」でも、「中川ライター店」は老舗として紹介されています。

老舗の多い狸小路でも、昔ながらの店頭看板と木造の店構えがとりわけ郷愁を呼び起こす「中川ライター店」は、喫煙用具、模型飛行機、プラモデルの専門店。
先代の中川信さんが狸小路に進出したのは、明治38年。
福井県武生出身の信さんは18歳で渡道、最初は3丁目の勧工場「札幌商品館」で小間物屋を開き、しだいにオモチャを扱うようになった。
その後、戦前は二度の火災にあい、1丁目、2丁目と店を転々し、4丁目に落ち着いたのは、昭和23年のこと。

先代が亡くなった後(昭和18年没)、精一郎さん(故人)、寅之助さん(74)、房三さん(62)、昌三さん(60)の兄弟4人で会社を設立、スクラムを組んで店を盛りたててきた。
現在は「コスモ」1階にも、ライターと喫煙用具が中心の支店を持つ。
また、開店当時から由緒ある店頭看板の電話番号は「1442」としか描かれてなく、市内局番のない時代の痕跡を未だにくっきり残している。

「さっぽろ文庫36 狸小路」1986年


昭和52年に発行された「札幌青春街図」にも「中川ライター店」は登場していました。

狸小路の中でもひときわ異彩を放っている店。
大きな看板に金の浮き文字、電話番号に注目あれ、なんと局番がない。
(電電公社の文書広報課で調べてもらったら、昭和25年に局番ができたそうで、この看板が作られたのはそれ以前ということになる。
調べてくれた島岡さんという方、ありがとう)

ラン間のところにはなつかしい飾文字で同居している写真店の屋号、その横には「お風呂屋の絵」風のSLの絵、木の部分はグリーンのペンキ塗、腰の部分はタイル張り、閉店後はやはりグリーンのペンキ塗りの雨戸がウインドーに入る。

営業品目も実に多彩でねたばこ、ライター、パイプ類をはじめ、模型飛行機、グライダー、模型電車、バルサ、パーツ類、プラモデル、碁盤、将棋盤、トランプ、花札、オモチャのカメラもあるぞ、手品用品、本格的カメラ、写真材料、それに骨董的カメラがウインドーに並んでいる。
特に模型飛行機や材料、パーツがきちんと揃っている店は札幌には数件しかなく、愛好家には貴重な店となっている。
盛り場にある割には閉店が早く、夜7時頃には閉まってしまうので注意を要する。

「札幌青春街図」プロジェクトハウス亜離亜(1977年)


地元紙北海道新聞でも、中川ライター店閉店のニュースは大きく報じられています。

狸小路の中川ライター店、閉店12日に 盛況で在庫乏しく前倒し

札幌市中央区の狸小路で1902年(明治35年)から続く最古の店「中川ライター店」(南3西4)

の最終営業日が、12日に決まった。
当初は1月末を予定したが、商品の在庫が少なくなったため、前倒しした。
同店によると、昨年12月に閉店セールの告知文を店頭に掲示して以降、来店者が殺到。
5日も午前中から絶え間なく訪れた。
少年時代にゼロ戦の模型を買ったという男性客(58)は「思い出の店がなくなるのは、寂しい限り」といい、飛行機模型が飾られた店内を盛んに写真に収めていた。

閉店は、約1年前に4代目店主の中川功清さんが50歳で他界したため。
父親で3代目店主の昌三さん(88)が売り場に立ち続けたが、体力の限界もあり、のれんを下ろすことを決めた。
功清さんの妻、瑞恵さん(50)は「来店客の中には、店内を眺めながら涙を流してくれる人も。最終日まで、できるだけ多くの人に113年間の感謝の思いを伝えたい」。

札幌狸小路商店街振興組合の菊池恒理事長(55)は「中川ライター店は、老舗商店街である狸小路のシンボルだった。長い間、大変お疲れさまでした」と話している。
水曜は定休だが、7日は営業する。
営業時間は午前10時半~午後7時で、最終日は午後5時に閉店する。

北海道新聞(平成27年1月6日)

少年の「宝箱」さようなら 札幌・中川ライター店閉店

札幌市中央区の狸小路で1902年(明治35年)から続く最古の店「中川ライター店」が12日、閉店した。
プラモデルや鉄道模型などが山のように積まれ、少年たちの憧れの場所だった同店。
千人を超える常連客らが来店し、名残を惜しんだ。
同店は雑貨店として創業。戦後はライターや模型などの商品を豊富にそろえ、子供から大人まで幅広い世代の人気を集めた。
しかし、一昨年12月に4代目店主中川功清(のりきよ)さんが50歳で急逝。
父親で3代目店主の昌三さん(88)が店頭に立ったが、体力の限界から閉店を決めた。

この日は午前10時半の開店とともに中高年層を中心に多くの客が詰めかけ、終日店内は混雑。
残り少なくなっていた商品が次々と売れていた。
午後5時、店のシャッターが下り始めると、店外で見守っていた人たちから拍手が起こった。

北海道新聞(平成27年1月13日)


すごいのは、どの時代の記事を見てもブレていないこと。
僕は閉店前日の11日(日)に訪れたのですが、たくさんのお客さんで賑わっていました。
人だかりを見つけてやってくる観光客も少なくなかったと思います。

狸小路の歴史が、またひとつ幕を閉じました。


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by kels | 2015-01-13 22:19 | 歴史・民俗 | Comments(4)
Commented by hendrickson-pink at 2015-01-14 11:13
ほんと全国区で閉店する事を伝えるなんて凄い事です。一頃「狸小路」自体避けてたのですが、近頃は割と気に入っていってました。「ANATOMICA」や「S2W8」に行く道すがら「中川ライター店」を横目に.....。1/35スケールのディオラマに入れ挙げた世代だけに閉店は何となく悲しいですね。
Commented by kels at 2015-01-15 20:22
hendrickson-pinkさん、こんにちは。
僕は札幌育ちではないので、少年時代の中川ライターを知らないんですよね~。
大人になってからは、狸小路をホームグラウンドにしていますが(笑)
Commented by Wonderfullifewith at 2015-01-16 19:09
田舎育ちだった自分は、子供の頃親に札幌に連れてきて貰った時、この店に来るのが一番の楽しみでした。
ここに来ればほとんど全部のプラモデルがあったと言って過言じゃありませんでした。

今でこそ立ち寄る事はなくなってしまいましたが、あのような店は札幌の財産だと思います。
惜しい店を無くしました。
Commented by kels at 2015-01-16 21:24
Wonderfullifewithさん、こんにちは。
やっぱり人気店だったんですね~。
子供の頃に来てみたかったなあ☆
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