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明治42年に岩野泡鳴が見た札幌のとうもろこし売り

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さかさ箒の如く、細高く空天にそびえる白楊樹は、内地でいえばいちょうの格だろう。
普通の柳の代わりにドロがあり、楓の代わりにイタヤがあり、アカダモは北海道でなければ見られない楡の類だ。
同市の農学校附属博物館庭内には、すべての樹木が見られて、夏は実にいいところだ。

こういう樹々の蔭道を、近在から出てくる百姓馬子が、男にせよ、女にせよ、青物を積んだ荷馬を引きながら、呼び売りする。
林檎、唐もろこし、胡瓜、大根、キャベツ(カイベツとなまる)、玉葱のおびただしいのも珍しいが、くるみ、コクワ、グズベリなどを特別に売り歩くときがあるのだ。
そして、また、唐もろこしの時期には、町の角々にこん炉を持ち出し、その実を焼き売りする店が昼も夜も出る。
その香ばしい匂いが、札幌を代表するようにも見える。

「北海道の天然」岩野泡鳴(1909年)

明治時代の文士・岩野泡鳴は、カニ漁が活況である話を聞いて樺太に渡る。
しかし、樺太でのカニ缶詰事業は失敗。
ほぼ無一文のままで、泡鳴は札幌へ入り、地元新聞へ記事を書き始めたという。

もっとも、稼いだ金は、すぐに薄野で豪遊して使い果たしてしまったらしい。
豪快にして大胆な浪費ぶりは、いかにも泡鳴らしい伝説となっている。
そして、この時の北海道での経験を元にして、泡鳴は文壇における名声を得ることになる。

さて、上記文章は、泡鳴が明治末期に実際に見た、札幌の光景である。
明治42年といえば、石川啄木が札幌で暮らした、その2年後のことである。
啄木も詠ったとうきび売りは、泡鳴の印象にも強く残ったものらしい。

ところで、札幌でキャベツが名産だったということも、「カイベツ」となまって発音したことも、僕は知らなかった。
やはり、明治時代には明治時代の札幌という街があったということらしい。
それだけに、今も残る焼きトウキビのワゴン売りの伝統を、僕はとてもうれしく思うのである。


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by kels | 2014-07-05 07:27 | 文学・芸術 | Comments(0)
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