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レールの保全に命を賭けた無名の技術者たちは、歴史の中に無数に埋もれている

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地元紙では毎日のようにJR北海道の異常事態が報道されている。
多くの事件は、安全管理がきちんと徹底されていなかったというもので、すぐにできるものを放置していただけという単純なものらしい。
多くの道民は呆れているといった論調が紙面を飾る。

必要な作業を放置していた原因は、人や金が不足しているからといったものから、職員の規範意識の低下によるものだというものまで、いろいろと並べられている。
きっと、いろいろな事情が積み重なって、今回の異常事態に発展しているのだと思うけれど、僕は、現代日本が抱える一つの伝統の欠如をそこに感じるような気がする。
そして、それは決してJR北海道という一企業だけの問題ではない。

僕が欠如していると感じるものは、日本に昔から伝わってきた「職人魂」というものである。
古来、職人というのは頑固で融通が利かない反面、自分の仕事には絶対の誇りを持っていた。
自己意識が許さない仕事は絶対に認めなかったし、そうした職人の強い意思が、日本の発展を支えてきた部分は、きっと否定できないのではないかと思う。

しかし、いつしか時代は「職人魂」を許さない社会を築き上げた。
世の中は合理的なものを求め、一層の効率化を図り、徹底したシステム化を推進してきた。
職人の意気込みなどという精神的なものは、既に歓迎される時代ではなく、いかにコストダウンを図るかが優先される社会こそが歓迎された。

もしも、鉄道技術者たちの中に、かつての職人魂のようなものがあったとしたら、危険なレールを放置するなどといった状況には、きっとならなかっただろう。
組織の系統的な指示が誤っていると思えば、技術者というのは自分の信念を決して曲げたりはせずに、ただひたすらに危険なレールを補修し続けただろう。
レールの保全に命を賭けた無名の技術者たちは、歴史の中に無数に埋もれているに違いない。

そして、僕は今でも日本はそういう頑固で融通の利かない職人が頑張っている国なんだと思っていた。
居心地の悪い組織の中で疎ましい存在となりながらも、黙々とレールを修理し続ける鉄道職人たちが頑張っている国なんだと思っていた。
そんに想像がすべて虚像だったということが、僕を何よりも切ない思いにさせてしまう。

それは、決してJR北海道のせいではないだろうと、僕は思いたい。
職人魂の継承を許さなかったのは、我々現代に生きる人々なのだ。
JR北海道は、個々の技術者たちが持つ職人魂を失った代わりに求められるシスマチックな危機管理というものが欠如していたに過ぎない。

つまらない時代だなあと、僕は思う。
頑迷で意固地な職人がいよいよ生きにくい時代となったのだ。
新聞報道の向こう側に、僕は消えていった無名の職人たちの姿を見たような気がした。


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by kels | 2013-09-28 04:57 | 日記・つぶやき
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