アンパンは、歩兵25連隊の名物として、明治末より親しまれていました。国道36号線の月寒から、月寒公園を避けるようにして羊ヶ丘通りを横切って、平岸街道へと続く道が、「アンパン道路」である。 今となっては、特別に意味のある道とも思えなくなってしまったが、交通網の整備されていなかった時代、平岸から月寒へ通じるバイパスの完成は、とても大きな意義のあることだった。 道路が完成した明治44年当時、今の月寒地区は「豊平町」の役場が置かれる中心的な街であり、一方の平岸地区は、多くの果樹園で賑わう農作地だった。 発展する二つの街を繋ぐ道はまだなく、新たな道路の必要性が高まったことから、明治44年、豊平町は月寒地区に駐屯していた「陸軍第7師団歩兵第25連隊」に道路建設を要請し、この新たな道路はわずか4ヶ月の工事期間で完成した。 工事に従事する兵士にはアンパンが振る舞われ、このアンパンによって活力を得た兵士等の働きにより、道路は驚異的な短期間のうちに完成することができたと伝えられている。 そもそも、月寒地区のアンパンは「月寒アンパン」と呼ばれるほどに当地の名物で、兵隊相手の商売を目的としたアンパン屋が、戦前には10件近くも軒を並べていたという。 現在では、「ほんま」だけが懐かしい「月寒あんぱん」を製造・販売している。 「アンパン道路」は、非常に地域の高い誇りを感じさせる文化遺産であり、通りの中にいくつもの説明板や案内板を見つけることができる。 「さっぽろ・ふるさと文化百選」の記念碑は、36号線側の入口に設置されていて、保存状態は良好である。 なお、36号線からのしばらくの区間は、明治期を彷彿させるレンガ色の道路が整備されていたが、補修工事の際には通常のアスファルトが使用されているため、レンガ色の道路も随分つぎはぎだらけになってしまった。 <関連記事はこちらです> 月寒小学校のレンガの門 http://poros.exblog.jp/5672491/ 旧北部軍司令官官邸 http://poros.exblog.jp/5315012/ 八紘学園の直売所 http://poros.exblog.jp/11738591/ ↑↑↑↑↑↑ 「ブログ村」への参加を始めました。1日1回、クリックをお願いします。
by kels
| 2009-08-19 20:33
| 歴史・民俗
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