僕は10年前に計画した「岩波文庫全巻制覇」という目標を未だに達成できないでいる

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彼は僕なんかはるかに及ばないくらいの読書家だったが、死後三十年を経ていない作家の本は原則として手にとろうとはしなかった。
そういう本しか俺は信用しない、と彼は言った。
「現代文学を信用しないというわけじゃないよ。ただ俺は時の洗礼を受けていないものを読んで貴重な時間を無駄にしたくないんだ。人生は短い」

「ノルウェイの森」村上春樹(1987年)
20代の頃に初めて「ノルウェイの森」を読んだとき、「死後三十年を経ていない作家の本は読まない」という永沢さんの生き方はそれなりに衝撃的で大きな示唆を受けた。
だけど、あれから長い時間が経って、自分がそれなりの年齢になってみたとき、ようやくあのときに受けた示唆が何だったのかを冷静に理解できるようになったような気がする。
間違いなく人生は短いんだということを。

あの頃は時間なんて無限にあるものだと考えていたし、一生の中で膨大な数の本を読むことができるだろうと楽観的に信じていた。
けれど、年齢を重ねていく中で、自分の一生の中で読むことのできる本には限界があるんだということを、今はもう無条件に受け入れざるを得なくなっている。
僕たちは限られた時間の中で限られた数の本を読むことしかできない。

そんな当たり前の事実に気がついたとき、僕の読書は「いかに無駄な本を読まないか」というスタイルに変わった。
そして、そのときに「死後三十年を経ていない作家の本を読まない」という基準が、自分の中でリアルに重要な意味を持ってきた。
限られた時間の中で多くの本を読むということを考えたとき、現代文学というやつは実に無駄な消費をしかねない存在なのだ。

現代文学は時間が無制限に与えられている若い頃に読んでおいた方がいい。
良い年をした大人になって、古今東西の名著をまだ読み終えていないという事実に気がついたとき、その時点で残された時間はあまりにも少ない。
少なくとも僕は、10年前に計画した「岩波文庫全巻制覇」という目標を未だに達成できないでいる。

時間がもっとほしい。
せめてビジネスに費やす時間をもう少し読書に費やすことができればなあ(笑)

# by kels | 2019-11-18 22:33 | 文学・芸術 | Comments(0)

久しぶりに「たべるとくらしの研究所」の白い看板を見つけた

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今年は初雪が例年よりも二日早かった。秋の天気工合がよかったせいか、円山の原始林の黄葉がまだ八分どおり残っているのに、朝学校へ出がけに、ぱらぱらと霰まじりに初雪が降った。外套の袖に受けてみると、雲粒のついた無定形の雪である。

昨年の今頃は、終戦後の混乱からまだ抜けきれず、それに食糧の不安も深刻で、初雪を見ても、あまり感慨も湧かなかった。あの頃からみると、ストライキ騒ぎこそあれ、随分落着いた気持になったものである。石炭はどうせ配給は無いものとあきらめているし、活動を見る気は初めからなし、ラジオはストライキで静かになってまことに結構であった。

また雪の研究でも始めるには、お誂え向きの世の中になったものである。

「雪三題」中谷宇吉郎(1948年)

久しぶりに見つけた懐かしい白い看板。
「たべるとくらしの研究所」を書かれている。
あの店が戻ってきたのだ。

道立近代美術館の南側に「庭ビル」がある。
「庭ビル」の中に「庭キッチン」がある。
「あの店」は「庭キッチン」の中で一瞬だけ復活した。

初めて入る「庭キッチン」。
そして久しぶりに入る「たべるとくらしの研究所」。
なんだかおかしな感じがある。

オーダーはあの頃と同じ「ラ・フランスのタルト」。
今年も一番好きなタルトを食べることができた。
そう考えただけで、自分は幸せだと思う。





# by kels | 2019-11-17 08:24 | カフェ・喫茶店 | Comments(0)

指名買いであればネット通販の方が絶対に効率が良い

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本を買うのはネットは古本屋。
そんなことだから街の書店が衰退していくのだ。
新聞に書いてあることも、もっともな指摘だと思う。

たまには書店で本を買おうと、仕事帰りに駅前の紀伊国屋書店へ向かう。
店内の文庫本コーナーまで行ってから、はたと立ち止まった。
文庫本というのは、作者名ではなく、出版社ごとに陳列されているのだ。

欲しい本の著者と署名は分かっているけれど、出版社までは確認していなかった。
スマホを開いてアマゾンで出版社名を調べる。
ネット通販だったら、このまま注文すればいいのだけれど。

出版社名は分かったけれど、書店の文庫本コーナーは広い。
そして、文庫本は意外とたくさんの会社から出版されている。
つまり、お目当ての出版社のコーナーがなかなか見つからないのだ。

まあ、確かにそれほど有名な出版社ではなかったのかもしれない。
文庫本のコーナーを何周もして、ようやく発見したその出版社の棚は実際小さかった。
文庫本1冊買うのに、この大騒ぎ(笑)

驚いたのは、その小さな棚に、お目当ての本がちゃんと並んでいたことだ。
決してベストセラーでもなく、新刊でもない、ただの文庫本が棚に並んでいた。
これは素晴らしいことだと、僕は思う。

だけど、お目当ての本にたどりつくまでに要した時間は、決して少なくない。
欲しい本が決まっている指名買いであれば、ネット通販の方が絶対に効率が良い。
書店で本を探して、僕は改めてそのことを学んだ。

ただし、気ままに本棚を見て回る楽しさは書店ならではのもの。
意外と知らない本との出会いがあったりして、これはなくしてはいけないものだと思う。
出会いが多すぎて、時間がいくらあっても足りないけれどね。

それにしても、出版社別に並べる必要ってあるのかな。
図書館みたいに著者別に並んでいた方が、絶対に分かりやすいと思うのだけれど。
消費者にとって出版社なんてそれほど重要ではないよね(少なくとも著者ほどには)。

# by kels | 2019-10-30 22:16 | 文学・芸術 | Comments(0)

新聞によると、世の中では「読書週間」が始まっているらしい

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この藤木清子に次の句があります。

戦死せり三十二枚の歯をそろへ

歯が三十二枚あるということは、この青年がとても健康で骨太だったことを伝えています。
若者の戦死をまことに冷静に見ている句で、ここには作者の感慨は些かも入っていません。
そのことがかえって戦死の不条理を鋭く伝えているように思われるのです。

「女性俳句の光と影」宇多喜代子(2008年)

新聞によると、世の中では「読書週間」が始まっているらしい。
新聞を読むまでは全然に気付かなかった。
各紙で特集を組んでいたので、決して小さな話題ではないと思うのだけれど。

読書週間のテーマは決まって「読書離れ」で「本離れ」。
「本を読まない子どもが増えた」と大騒ぎしている。
「大人が本を読んでいるのかどうか」が先に問われるべきような気はする。

読書週間の始まりは戦後間もない昭和22年。
「読書の力によって、平和な文化国家を作ろう」が当初の理念だった。
読む本を手に入れることさえ難しい時代が、日本にもあったのだ。

当時の人々は活字という活字に飢えていたらしい。
本でさえあれば、どんな本でもすべて売れたという。
古本屋が古本を集めることさえ大変な時代だった。

今、僕たちの暮らしは活字に溢れている。
その活字が、紙の上にあるのかスマートフォンの中にあるのか。
似ているようだけれど、時代は間違いなく変わりつつある。

No books,no life.

# by kels | 2019-10-29 21:20 | 日記・つぶやき | Comments(0)

ともすれば作家の作品そのものよりも作家の暮らしや生き方に関心を引かれた

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早稲田の家へは、友人やら弟子がつぎつぎに集ってくる。
酒癖の悪い鈴木三重吉、一度にトンカツ六枚食う内田百閒、自分の家にいるつもりの小宮豊隆、勝手に洋食出前をとる高浜虚子、など多士済々だ。
まだ学生の芥川龍之介や久米正雄もきて、来るたびに宴会になる。
神楽坂の川鉄から鳥鍋をとり、どんちゃん騒ぎになり、鈴木三重吉が悪酔いしてからんだ。

「文士の舌」嵐山光三郎(2010年)

学生の頃から文壇史が好きだった。
ともすれば作家の作品そのものよりも作家の暮らしや生き方に関心を引かれた。
僕が随筆好きなのは、そうした作家の生きざまに触れることができるからかもしれない。

だから、高名な作家の誰それがどこの店で何を食べたなんていう類の話も大好きだ。
世の中の関心も高いと見えて、この手の本は探せばいくらでも見つかる。
文学を取り巻く雑学の一つとしては楽しい話題だと思う。

嵐山光三郎も文学者の食生活に強い関心を抱いていたらしい。
文士の食事にスポットライトを当てた文章をいくつも書いている。
「文士の舌」では文士が愛した店を一軒一軒訪ね歩いている。

森鴎外、夏目漱石、泉鏡花、永井荷風、斎藤茂吉、高村光太郎、谷崎潤一郎、岡本かの子、川端康成、林芙美子、坂口安吾、檀一雄、吉田健一、水上勉、池波正太郎、遠藤周作、隆慶一郎、吉行淳之介、三島由紀夫、武田百合子、山口瞳、吉村昭、向田邦子、開高健。

いずれも知らぬ人はいないというビッグネームばかり。
作家の略歴にも簡単に触れているから、仮に知らない作家がいたところで問題はない。
むしろ、食生活をきっかけとして作品に入って行くというアプローチもできる。

実際、僕もそうやって読書の幅を少しずつ広げてきた。
そして、今回も自分の知らない作品をひとつ見つけて、早速読んでみたところである。
読書の入り口というのは、本当にいろいろなところに転がっているなと思う。

ちなみに最初の引用は夏目漱石のもので、漱石宅には本当にいろいろな連中が出入りしていたらしい。
「偏屈」とか「変人」の異名を持つ漱石だが、実際のところ、相当に親しまれていた人だったに違いない。
食生活を通すからこそ見えてくる作家の素顔というものが、きっとあるんだろうな。

# by kels | 2019-10-27 21:22 | 文学・芸術 | Comments(0)