タグ:iPhone6 ( 30 ) タグの人気記事

僕は見栄張りだから、女の子と食事をしたときは、できるだけ自分が支払うようにしている

b0103470_6321743.jpg

あの時代は、男も女も役割がはっきりしてたでしょう。
生きるのが楽だったのよ。男は男、女は女。
自分がどう振る舞えばいいか、みんなが心得ていたんですもの。
何をしても、みんな男性の奢りだったしね。
50年代のアメリカは、王様だったと思うの。
といっても、あの時代の何もかもが良かったというわけじゃないのよ。
リトル・ロックの暴動だとか、コミュニズムなんかは、もう願い下げだわ。
でも、あの頃って、デートも楽しかったし、女性がコルサージュをつけるファッションだって、素晴らしかったじゃない。

「ニューヨーク・ガイドブック」ニューヨーク・タイムズ編、高見浩・井上一馬/訳(1988年)

誰かが誰かに御馳走するということが少なくなったような気がする。
男性が女性に奢ったりとか、上司が部下に奢ったりとか、昔は習慣のように当たり前だった。
最近のデートは、割り勘も多いっていうしね。

僕は見栄張りだから、女の子と食事をしたときは、できるだけ自分が支払うようにしている。
これは、もう習慣みたいなもので、本当に見栄の塊だなあと思うけれど。
まあ、支払いのこととかで、あれこれ考えるのも面倒くさいしね。

さらりと割り勘っていうのが、理想的なのかなあ(笑)


にほんブログ村 地域生活(街) 北海道ブログ 札幌情報へ
にほんブログ村
↑↑↑↑↑
「にほんブログ村」に参加をしてみました。
1日1回のクリックをお願いいたします!
by kels | 2015-09-12 06:55 | 随想 | Comments(0)

街歩きをしていると、撮りたいと思える瞬間って、たくさんあるんだけれどね

b0103470_22595941.jpg

北海道百年だとか、人口百万都市が出現したとか言ってみても、百年などという歳月は知れたものだという思いが、ひとたび札幌を離れると、動かしがたい実感となる。
ここでは、いまもって時間が空間に追いつけないでいる。
伝統もない。
それが北海道の弱点でもあるが、同時に魅力でもあるのだろう。
底は浅いが、自由で陰湿な影がない。

「北海道の風物」船山馨(1969年)

今週は隙間なく忙しい一週間だった。
週末に休みを取ることができたのが、奇跡的に感じるくらいである。
貴重な休日だから、仕事をしているよりもブラブラしている方が、もちろん良いに決まっている(笑)

別に、休みだからと言って、特別な用事があるわけではない。
洋服屋や本屋を覗いては衝動買いをして、喫茶店で一服するくらいのものである。
もっとも、その街歩きそのものが、僕には貴重な楽しみとなっている。

ただ、気持ちに余裕がないからか、カメラを持って、街をふらつく時間は、随分減ってしまった。
もう少し仕事が落ち着かないと、写真に集中することは難しいかもしれない。
街歩きをしていると、撮りたいと思える瞬間って、たくさんあるんだけれどね。


にほんブログ村 地域生活(街) 北海道ブログ 札幌情報へ
にほんブログ村
↑↑↑↑↑
「にほんブログ村」に参加をしてみました。
1日1回のクリックをお願いいたします!
by kels | 2015-09-05 23:36 | 写真・カメラ | Comments(0)

碑には、唱歌「われらが愛する北海道」の歌詞が刻まれている

b0103470_6145962.jpg

議題にのぼった市会当日の様子を、古市から詳しく知らせて寄こした。
それによると、詩碑建立の土地使用の件を取り上げると、議員のひとりが、その詩碑に刻む文句は何というのかと質問した。
高田市長は「十一州の鎮めなる、ヌタプカムシュペ、峰高く」と最初の一節を唱えた。
すると、これを聞いた議員連中が、それならおれも知っている、おれも歌ったと言い出し、みんなが異口同音に歌い出したという。
図らずも「十一州の定めなる」の大合唱になった。
「懐かしい歌だな」で満場一致の承認。
この手紙を読んで、私は胸が熱くなった。

「札幌の芸術碑」石森延男(1977年)
父・石森和男の碑は、昭和33年、藻岩山ロープウェー乗り場の近くに建立された。
当時は、このあたりの景観も、今とは違っていただろう。
もちろん、ここから見下ろす街の風景も。

碑には、唱歌「われらが愛する北海道」の歌詞が刻まれている。
当時の札幌市議会議員みんなが「懐かしい歌だ」と歌ったという唱歌である。
この歌も、今では残念ながら、あまり歌われなくなってしまった。

この歌については、また改めて紹介する機会を作りたいと思う。

詩碑設置の計画は、息子・延男の友人たちの発案で、話がトントンと進んだらしい。
昭和33年、世の中が今みたいに複雑で面倒くさくはなかった時代だ。
碑は、その年のうちに建立されたという。


にほんブログ村 地域生活(街) 北海道ブログ 札幌情報へ
にほんブログ村
↑↑↑↑↑
「にほんブログ村」に参加をしてみました。
1日1回のクリックをお願いいたします!
by kels | 2015-07-20 06:43 | 文学 | Comments(0)

石森延男の父・石森和男は、札幌中学校の国語教諭だった

b0103470_545184.jpg

あなたが晩年、札幌第一中学校で、国文や漢文、習字などを教えていた忙しいときでも、寸暇があれば、歌を詠んでいましたね。
夜半に、ふとことばが思いつけば、台ランプをともして紙に書きつけていたこともおぼえています。
凍りつく硯の墨を、はあはあ息をふきかけて、書きつけていた姿もはっきり見えますよ。
あなたの文字は、実に美しかった。

「おとっつぁんの歌」石森延男(1964年)

石森延男の父・石森和男は、札幌中学校の国語教諭だった。
札幌中学校は、後の札幌第一中学校、現在の札幌南高校である。
北海道庁立札幌高等女学校の教師も兼務していた。

かつては、北海道師範学校の教師をしていたこともある。
現在の北海道教育大学札幌校だから、相当の学識を有していたということだろう。
明治期に活躍して、大正5年に亡くなった。

高校教師として勤務中も、とにかく短歌を愛したという。
息子・延男が書いた「おとっつぁんの歌」には、父・和男の短歌が、多く収録されている。
息子でなければ書けない、貴重な記録だ。

石森文学広場には、この石森父子ふたりの文学碑が、並んで建っている。
札幌に文学碑は数あれど、父子の碑が並んで建っているのは、ここだけに違いない。
札幌の人というのは、意外と粋なことをするものだと思った。

さて、次回はいよいよ、ふたりの文学碑を紹介します。


にほんブログ村 地域生活(街) 北海道ブログ 札幌情報へ
にほんブログ村
↑↑↑↑↑
「にほんブログ村」に参加をしてみました。
1日1回のクリックをお願いいたします!
by kels | 2015-07-20 06:13 | 文学 | Comments(0)

藻岩山ロープウエー乗り場の奥に、「石森文学広場」がある

b0103470_21234546.jpg

藻岩山ロープウエー乗り場の奥に、「石森文学広場」がある。
札幌市民でも知っている人は少ないに違いない。
ここには、札幌とゆかりの深い石森父子の文学碑が設置されているのだ。

文学碑があるだけではなく、文学広場があるなんてすごい。
こんなにすごい広場のことを、札幌の人たちが知らないなんて、もったいないなあと思う。
僕たちは、郷土の文化に、もっと興味を抱くべきなのだ。

石森父子について、簡単に記そう。
息子の石森延男は、日本でも著名な児童文学作家である。
明治30年に札幌で生まれ、昭和62年に90歳で亡くなった。

代表作に「コタンの口笛」がある。
昭和32年に発表されると、第1回未明文学賞や第5回産経児童出版文化賞を受賞した。
今でも偕成社文庫で読むことができる。

以前は、講談社の「青い鳥文庫シリーズ」でも読むことができた。
北海道だけではなく、日本全国で愛された児童文学のひとつだと思う。
詳細は別に記すが、地元の人間としては、読んでおきたい作品のひとつである。

夏休みの読書感想文なんかにも、良い題材だと思うのだけれど。

長くなりそうなので、父の石森和男については、次の更新で。


にほんブログ村 地域生活(街) 北海道ブログ 札幌情報へ
にほんブログ村
↑↑↑↑↑
「にほんブログ村」に参加をしてみました。
1日1回のクリックをお願いいたします!
by kels | 2015-07-19 21:45 | 文学 | Comments(0)

もう少し暑くてもいいと思うけれど、札幌の夏は、こんなものだろう

b0103470_2105883.jpg

午後になって気が付くと、空が晴れていた。
雨の心配がないのだったら、少し散策でもしよう。
そう考えて、仕事を切り上げた。

とは言え、時間は既に夕方に近く、あまり遠くまで出かける時間もない。
結局、少し近所をウロウロしただけで、いつもの週末と何も変わらなかった。
せっかくの休日、朝からゆっくりと遊びたかった。

最近は、石森延男の作品を集中的に読んでいる。
だから、札幌文学散歩2015の最初は、石森延男にしようと決めていた。
最近は、あまり話題に上らないけれど、郷土の大作家だ。

とりあえず、藻岩山の文学碑を観に行くと、「ろいず珈琲館旧小熊邸」が休業していた。
特に理由も期間も書いていない。
何台かの自動車がやってきては、引き返していった。

寒いのではないかと思ってパイル地のパーカーを羽織って出かけたけれど、意外と気温は高かった。
何だかんだ言っても7月であり、海の日である。
もう少し暑くてもいいと思うけれど、札幌の夏は、こんなものだろう。

夕食後、夕涼みがてらに街に出ると、夕方以上に人が多い。
夏の夜というのは、いつまでも賑わっていて、いいものだなと思った。
一日が本当に長いように感じる。

最終セールでドレスシャツを安く売っていたので、思わず大人買いしてしまった。
週明けの仕事から、気分転換で着て出かけようと思う。
今さらの夏シャツだけれど、8月いっぱいくらいまでは活躍してもらえるだろう。


にほんブログ村 地域生活(街) 北海道ブログ 札幌情報へ
にほんブログ村
↑↑↑↑↑
「にほんブログ村」に参加をしてみました。
1日1回のクリックをお願いいたします!
by kels | 2015-07-19 21:18 | 日記 | Comments(0)

最終セールというのは本当に安いなあと思った

b0103470_5503767.jpg

戦後、自由になった娘たちは、もう、団体旅行などで、絵葉書を見るような、型通りの景勝地を探る興味を卒業して、自分が読んだ小説の作り上げた心象風景を、ひとり淋しく、現地で確かめようと思うようになったらしい。
こういう人たちは、ほとんど職場にはたらく未婚者である。
もし、私が訊ねたら、きっと「大都会の生活の澱を棄てに来ただけです」と、答えるだろうが、どうやら、自分が名作のヒロインになって、その背景の自然へ入ってみようとする答えもあるらしい。

「小説に描かれた旅情の土地」和田芳恵(1964年)

この3連休は、久し振りに文学散歩でもして過ごそうかと思っていた。
小説や随筆に描かれた場所を実際に周り、当時の人々に思いを馳せるのである。
舞台を訪れるだけで、作品に対する理解は大きく進むような気がするから不思議だ。

しかるに、昨日は雨だった。
そして、本日も札幌は雨である。
たまに、こういう海の日の3連休があるらしい。

雨が降っていては散策にもならないので、結局、街をブラブラして過ごした。
最終セール中とあって、天気が悪くても、街はそれなりに賑わっている。
札幌市民に、旅行者も相当に混じっているのだろう。

この夏は、セールで買い物をしていなかったので、最終セールくらい何か買おうかと思った。
こういうときの買い物は、大抵、必要のないものを無駄に買ってしまう。
買い物は、必要なものを必要なときに買うのが、一番間違いが少ないのだ。

とは言っても、最終セールというのは、本当に安い。
ユナイテッドアローズやビームスで、白いハットやノーカラーシャツ、ボーダーカットソーなんかを買ったけれど、驚くような金額だった。
使えるものが見つかれば、きっとお得なんだろうなあ。

だけど、セール対象外のもので欲しいものを見つけると、一緒に買ってしまう危険性もある。
昨日もネックレスをひとつ買ったけれど、これはセール対象外だった。
今買う必要もないのにと思いながら、欲しいと思ったときが買い時なんだよね(笑)

今日も雨なので、仕方ないから仕事に出かけようと思う。


にほんブログ村 地域生活(街) 北海道ブログ 札幌情報へ
にほんブログ村
↑↑↑↑↑
「にほんブログ村」に参加をしてみました。
1日1回のクリックをお願いいたします!
by kels | 2015-07-19 06:12 | 日記 | Comments(0)

石森延男が、お声がかりの柏の木柵を作ったのは、昭和初め頃のことである

b0103470_19544813.jpg

山鼻小学校の前には「お声がかりのカシワの木」がまだ残っていた。
かつて屯田兵時代に、明治天皇が行幸され、このカシワの木をごらんになり、あの木はなんという木かとご下問になったという、いわれのある木である。
そのカシワの木のそばへ行って、幹にさわり根元を見ると、人や車で踏みつけられ固くなっていた。
これでは枯れるぞ、何とかしなくちゃと考え、柵を回したらいいだろうと思いつく。

だが、道路上のこととて、市役所の許可を得なければならない。
正式の手続きを取っていては、今度の滞在中にはとうてい間に合うまい。
そこで直訴みたいに、市長に直談判する。
市長はかつての上級生、高田富興さんだった。
高田さんは、ふたつ返事で許可してくれた。
わたしは、さっそく木柵をほどこし、それを見届けて大連に引き返した。

「随筆みがきニシン」石森延男(1979年)

石森延男が、お声がかりの柏の木柵を作ったのは、昭和初め頃のことである。
その柏の木も、今はもうない。
ただ、山鼻公園の中に、その子孫の柏の木が、大切に保存されている。


にほんブログ村 地域生活(街) 北海道ブログ 札幌情報へ
にほんブログ村
↑↑↑↑↑
「にほんブログ村」に参加をしてみました。
1日1回のクリックをお願いいたします!
by kels | 2015-07-12 20:10 | 札幌のこと | Comments(0)

八紘学園のソフトクリームは、多少並んでも食べるだけの価値がある

b0103470_19213580.jpg

札幌は、昨日・今日と、真夏のような暑さとなった。
気温の低い日が続いていただけに、ようやく夏が近付いてきたような感じがする。
7月中旬に入るんだから、当たり前と言えば当たり前なんだけれど。

ソフトクリームが食べたくなって、月寒にある八紘学園まで出かけた。
農業専門学校で生産している農産物を売っているのだ。
地元では人気があるから、いつ行っても混雑している。

そうだろうと思ったけれど、直売所はやっぱりすごい賑わいだった。
多くの人たちが、ここの牛乳たっぷりのソフトクリーム目当てに訪れているらしい。
多少並んでも、食べるだけの価値があるソフトクリームではある。

あまり暑いので、ソフトクリームはたちまち溶けた。


にほんブログ村 地域生活(街) 北海道ブログ 札幌情報へ
にほんブログ村
↑↑↑↑↑
「にほんブログ村」に参加をしてみました。
1日1回のクリックをお願いいたします!
by kels | 2015-07-12 19:36 | 夏のこと | Comments(0)

野口雨情は、札幌で石川啄木と出会っている

b0103470_21365847.jpg

ある朝、夜が明けて間もない頃と思う。
『お客さんだ、お客さんだ』と女中が私を揺り起す。
『知ってる人かい、きたない着物を着てる坊さんだよ』と名刺を枕元へ置いていってしまった。
見ると古ぼけた名刺の紙へ毛筆で石川啄木と書いてある。
啄木とは東京にいるうち、会ったことはないが、与謝野氏の明星で知っている。

顔を洗って会おうと急いで夜具をたたんでいると、啄木は赤く日に焼けたカンカン帽を手に持って、洗い晒しの浴衣に、色のさめかかった、よれよれの絹の黒つぽい夏羽織を着てはいって来た。
時は十月に近い九月の末だから、内地でも朝夕は涼し過ぎて、浴衣や夏羽織では、見すぼらしくて仕方がない。
殊に札幌となると、内地よりも寒さが早く来る。
頭の刈方は、普通と違って一分の丸刈である。
女中がどこかの寺の坊さんと思ったのも無理はない。

「札幌時代の石川啄木」野口雨情(1938年)

野口雨情は、札幌で石川啄木と出会っている。
そのときのことは、雨情の回想録により知ることができる。
札幌時代の啄木を記録した、貴重な文章だ。

下宿屋の女中は「きたない着物を着てる坊さん」と言った。
季節は秋で、「色のさめかかった、よれよれの絹の黒つぽい夏羽織」を着ていたとあるから、よほど印象的な格好だったのだろう。
啄木にしても、大火で焼けた函館を追われてきたばかりのところだったのだ。

御飯を食べながら、いろいろと二人で話した。
札幌には自分の知人は一人もない。
函館に今までいたのも岩崎郁雨の好意であったが、岩崎も一年志願兵で旭川へ入営したし、右も左も好意を持ってくれる人はない、全くの孤立である。
自分はお母さんと、妻君の節子さんと、赤ん坊の京子さんと三人あるが、生活の助けにはならない。
幸ひ新聞で君が札幌にいると知ったから、君の新聞へでも校正で良いから斡旋して貰おうと、札幌までの汽車賃を無理矢理工面して来たのである。

何んとかなるまいかと言う、身の振り方の相談であったが、私の新聞社にも席がないし、北門新聞社に校正係が欲しいと聞いたから、幸いに君と同県人の佐々木鉄窓氏と小国露堂氏がいる。
私が紹介をするから、この二人に頼むのが一番近道であることを話した。
啄木もよろこんで、十時頃連れ立って下宿屋を出た。
これが啄木と始めて会ったときの印象である。

「札幌時代の石川啄木」野口雨情(1938年)

こうして、石川啄木は、札幌の人となった。
もっとも、啄木が札幌に滞在したのは、結果的にわずか2週間のことだった。
雨情と一緒に、小樽の新聞社へ移ってしまうからだ。

それにしても、本人の日記に残るほどには、啄木の暮らしは優雅なものではなかったらしい。
「しめやかなる恋の多そうな街だ」なんて言っている場合ではなかったのだ。
もっとも、それが啄木らしいところでもあるのだけれど。


にほんブログ村 地域生活(街) 北海道ブログ 札幌情報へ
にほんブログ村
↑↑↑↑↑
「にほんブログ村」に参加をしてみました。
1日1回のクリックをお願いいたします!
by kels | 2015-07-11 22:05 | 文学 | Comments(0)