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土曜日の今日は「Pokémon GO」で遊びながら、札幌の街を歩いた

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観光地化したといえば、札幌観光で一番有名なのは時計台である点、これは二十余年たっても変わらないようだ。
ただし、関心を持つのは道街の観光客ばかりで、道産子は時とともに無関心になっているのではなかろうか。

「北海道探検記」本田勝一(1979年)

昨日の昼休みに配信されたばかりの「Pokémon GO」をダウンロードした。
相当アクセスが集中していたのだろうか、インストールされるまで1時間近く待った。
帰宅してから、ゲームを開始して、最初のポケモンには、ピカチューを選択した。

そして、土曜日の今日は「Pokémon GO」で遊びながら、札幌の街を歩いた。
もともと週末の散策は、自分の趣味である。
カメラを持つ代わりに、スマホを持って街を歩けばいい。

先週に続いて、街まで歩いた。
ただし、写真を撮りながらではなく、ポケモンを探しながらである。
さすがに、山鼻の住宅街では「ポケストップ」は少ない。

電車通りから中島公園に入ると、突然に「ポケストップ」が現れ始めた。
同時に、スマホを見ながら歩いている人たちの姿が、少しずつ増えていく。
みんが個々にゲームを楽しんでいるのに、何となく不思議な連帯感がある。

中島公園からススキノを抜けて、札幌の中心部へと入っていく。
もはや誰もが「Pokémon GO」の参加者のように見えてくる。
もちろん、実際にはそんなことはないのだろうけれど。

ところで、「ポケストップ」は、記念碑や路上アートなどに設定されていることが多いらしい。
中島公園内のいくつかの記念碑も「ポケストップ」に設定されていた。
日頃見過ごしていた札幌の文化と向き合う良い機会になるのではないだろうか。

ちなみに、写真は 札幌西高出身の彫刻家・山内壮夫による「森の歌」である。
昭和34年、中島公園で開催された北海道博覧会を記念して建立された。
スマホを持った多くの若者たちに囲まれている場面を見るのは、もちろん今日が初めてのことだ。


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by kels | 2016-07-23 20:51 | 旧・札幌日和下駄 | Comments(2)

北海道の海はビーチなんていうような格好いいものではなく、ただの砂浜である

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カリフォルニアの海だ。
カリフォルニア、百貨店のような州だ。
大抵のものは揃っているが、最良のものはない。

「リトル・シスター」レイモンド・チャンドラー/訳・村上春樹(1949年)

さっぽろ夏まつりも始まって、いよいよ本格的な夏がやってきた。
時間を見つけて海にでも行きたいところだ。
もっとも、北海道の海は、たとえ真夏であっても油断はできない。

北海道の海はビーチなんていうような格好いいものではなく、ただの砂浜である。
何しろ、海水の気温は低いから、寒くてたまらないという海水浴も少なくない。
真夏日が何日か続いたあたりで、泳ぐにちょうどよい水温になるような気がする。

それでも夏になれば海に行きたいのは、北海道の人間も一緒だ。
いっそ、北欧のように、湖畔にサウナ小屋でも建てて湖で泳ぐべきかもしれない。
北海道の海は、漁師のための海だ。


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by kels | 2016-07-23 06:39 | 旧・札幌日和下駄 | Comments(0)

夏の準備が終わったら、いよいよ本格的な夏の到来だ

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何時の間にか、人が絽(ろ)の羽織を着て歩く様になった。
二三日、宅(うち)で調物をして庭先より外(ほか)に眺めなかった代助は、冬帽を被って表へ出てみて、急に暑さを感じた。
自分もセルを脱がなければならないと思って、五六町歩くうちに、袷(あわせ)を着た人に二人出逢った。
そうかと思うと新らしい氷屋で書生が洋盃(コップ)を手にして、冷たそうなものを飲んでいた。

「それから」夏目漱石(1909年)

別に何かを探すというわけでもないけれど、何となくセールを見てきた。
セールもこの季節になると、本当に売れ残りの商品が並んでいるという感じである。
「2点お買い上げでさらに10%オフ」みたいな文字が、あちこちの店に飾られている。

格別にセールに期待があるわけでもないので、逆に僕はこの時期のセールが好きだ。
誰にも買われなかったものの中で、もしかすると出会いがあるかもしれない。
「何か買わなくちゃ」という強迫観念がないから、店内を客観的に見て回ることができる。

札幌パルコのグランバザールは今日が最終日。
JRタワーバーゲンのファイナルは、7月24日まで。
夏の準備が終わったら、いよいよ本格的な夏の到来だ。


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by kels | 2016-07-18 18:55 | 旧・札幌日和下駄 | Comments(0)

札幌に来たから札幌らしいラーメンを食べることができるという時代ではなくなった

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大通公園を花々が彩り、明るい陽差しのもと人々が賑わう夏の到来とともに、借り部屋の期限がきてぼくは東京に帰るしかなかった。
冴えない滞在だったとしても、アパートを出るときはちょっと後ろ髪を引かれる思いだった。

「犬の記憶 終章」森山大道(2001年)

森喜朗元首相は、札幌に来ると必ずラーメンを食べるほど、札幌ラーメンが好きらしい。
地元の人間にとってはうれしい話だと思う。
札幌ラーメンこそ、札幌が初めて世に送り出した札幌名物なのではないだろうか。

僕も大のラーメン好きで、それも「札幌ラーメン」と呼ばれるラーメンしか食べない。
札幌ラーメンは札幌の郷土食であってほしいと思うし、札幌ラーメンこそ札幌の郷土食だという自負がある。
だからこそ、旅人には札幌に来たからにはラーメンを食べてほしいと思っていた。

ところが、僕自身、もう随分長い間、ラーメンを食べていない。
ラーメンを嫌いになったわけではない。
札幌ラーメンが、もはや札幌の郷土食ではない現状を、半ば受け入れつつあるからだ。

今やラーメンは全国的な時代の流れの中で生きている食べ物である。
札幌に来たから札幌らしいラーメンを食べることができるという時代ではなくなった。
そもそも、「札幌らしいラーメン」という言葉さえ、何の意味も持たないのだ。

あるのは全国的な流行と店主の個性くらいのもので、ラーメンに「札幌」という地名を付ける必要性はない。
「札幌ラーメン」は、もはや過去の幻影であり、ノスタルジーの食べ物である。
あまりにも一般化された食べ物の多くが辿った道を、ラーメンも歩いているということなのかもしれない。


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by kels | 2016-07-18 06:59 | 旧・札幌日和下駄 | Comments(0)

僕は東京の夏が好きだし、ついでに横浜や鎌倉の夏を楽しむことができるからだ

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十九年ぶりに見る札幌の町はそれほど変わったようにも思えなかった。
ただ街衛に並ぶ建物が全体に巨(おお)きくなり、以前にも増してさっぱりと整った印象を受けた。
アカシアの街路樹と、朱い実をつけたナナカマドの並木と、ビルの向こうの山上のジャンプ台を見ると、つくづくと札幌を実感するが、千秋庵のパーラーでコーヒーを飲みながら西四丁目界隈の街頭を眺めていると、まだ東京にいるような錯覚を起こす。
それは、三越、パルコ、三愛、と居並ぶ都会的風景の類似ということもあるが、やはりぼくにとっては、空路でのあっという間の空間移動という、どこかアッケラカンとしたタイム・ラグがあったからだと思う。

「犬の記憶 終章」森山大道(2001年)

家族が東京で暮らしているので、年に1回は顔を見せに帰るようにしている。
距離的な遠さに比べて、時間的な遠さは感じない。
それが、現在の札幌と東京との関係だろう。

実際、東京に仕事があっても、日帰りで済ませてしまうことは多い。
道北や道東の街に比べると、ずっと効率的な移動が可能だからだ。
東京まで移動するときの最大の不安要素は、千歳空港までのJR北海道くらいのものである。

帰省するのであれば、できれば夏に帰りたい。
僕は東京の夏が好きだし、ついでに横浜や鎌倉の夏を楽しむことができるからだ。
人のいなくなった東京のお盆も、また良いものだと思う。

もっとも、今年の夏も帰省することは難しいだろう。
まとまった休みを取ることができるかどうか、全然分からないからだ。
もう少し要領良く生きることができるといいとは思うのだけれど。


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by kels | 2016-07-17 18:52 | 旧・札幌日和下駄 | Comments(0)

1冊の本ができるほど良いカフェがたくさんあるなんていうのは、ある意味で幻想である

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三ヶ月という期限付きで札幌にアパートを借りたぼくは、その間、雨降りでさえなければ(雨の日にも撮るべきだった)、とにかく自分の決めとして連日カメラを持って外出した。
田本研造たちの意志と困難さには比すべくもなかったが、バスに乗り列車に乗って北海道のあちこちを写し歩いた。
まれに一泊となることもあったが、ほぼ連夜、重い足を引きずってアパートに辿り着き、寒い部屋でひとり食パンをかじってウイスキーをなめ、また得体の知れない憂鬱にとりつかれて長い夜を苛々と過ごしていた。

「犬の記憶 終章」森山大道(2001年)

せっかくの三連休ということもあって、札幌市内のカフェを新規開拓しようと思った。
最近のカフェの記録はインスタグラムで簡単に残している。
インスラグラムで話題のカフェをいくつか訪ねてみた。

もっとも、インスタグラムに投稿すべき店に出会うことはできなかった。
店の悪口は書きたくないし、と言って嘘はもっと書きたくないからだ。
自分の投稿した記事を参考にする人も、世の中にはいるかもしれない。

普段からそうだけれど、記録に値しない店は、どこにも記録しないように努めている。
少しばかりの時間をお金を無駄にしただけのことだ。
「2度と行かない」という思いまで、他の誰かと共有する必要もないだろう。

だけど、貴重な休日を無駄にしたという切なさは残る。
ありあまる退屈な時間をどうやって消費しようかと考えて生きているわけではない。
おかしな店を選択した自分の愚かさに、ただ呆れるばかりだ。

はっきり言って、良いカフェなんてそんなにたくさんはない。
1冊の本ができるほど良いカフェがたくさんあるなんていうのは、ある意味で幻想である。
だからこそ本当に良いカフェに出会えたときの感動は大きなものなのだ。


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by kels | 2016-07-17 18:25 | 旧・札幌日和下駄 | Comments(0)

10年経ったときに何かを思い出せるような、そんな写真を撮りたいと思う

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その年(1978年)の5月から7月にかけての札幌の街は、連日風が吹きつのるうすら寒い日々が続いていた。
梅雨こそないもののカラっとした晴天はまれで、全体に不順な空模様だった。
夜に入ると決まって風は治まるものの、冷気が街衛をすっぽりと包み、家々の軒下の暗がりでは淡紫色のライラックの花房がかじかんで震えていた。

「犬の記憶 終章」森山大道(2001年)

原点回帰というわけでもないけれど、最近はモノクロ写真に惹かれている。
森山大道のような白黒のストリートスナップ写真。
自分が写真を撮るようになった理由のひとつが、森山大道の写真でもあった。

一眼レフをメインにしている頃は、何となくモノクロ写真から離れていた。
最近はRICHOのGRⅡをメインにしていることもあって、モノクロの目線になっているのかもしれない。
RAWで記録しておいて、モノクロでJPEG保存している。

モノクロ写真というのは、カラー写真以上に記録している感覚が強い。
記録というよりも焼き付けるという感覚。
街の一瞬の風景を何かに焼き付ける作業と言えば良いだろうか。

10年経ったときに何かを思い出せるような、そんな写真を撮りたいと思う。


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by kels | 2016-07-17 18:01 | 旧・札幌日和下駄 | Comments(0)

いよいよ本格的な夏が始まるという季節には、夏のセールは終わっているのだ

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丁寧に礼を述べて穴倉を上がって、人の通る所へ出て見ると世の中はまだかんかんしている。
暑いけれども深い息をした。
西の方へ傾いた日が斜めに広い坂を照らして、坂の上の両側にある工科の建築のガラス窓が燃えるように輝いている。
空は深く澄んで、澄んだなかに、西の果から焼ける火の炎が、薄赤く吹き返してきて、三四郎の頭の上までほてっているように思われた。

「三四郎」夏目漱石(1908年)

札幌ではファイナルバーゲンセールが始まっている。
いよいよ本格的な夏が始まるという季節には、夏のセールは終わっているのだ。
夏に着る夏物を買う身にとってはありがたい話ではある。

もっとも、ファイナルセールというくらいだから、ほとんどが売れ残りなんじゃないかと思ってしまう。
誰かが買わなかったものばかりが、そこには並んでいるわけだ。
サイズやカラーなどは、もはや揃っていなくて当たり前の時期である。

そう思って見るせいか、どこの店でも客の姿は少ない。
逆に言うと、店内をゆっくりと見てあるくことができるので、つい、フラフラを入ってしまう。
サイズさえ残っていれば、上手な買い物をすることができるかもしれない。

セール初めの頃には行かなかったような店や、普段は入ったことのないような店を覗いたりする。
意外な発見があったりして、それはそれで楽しい体験である。
セールを機会に、新しいブランドで出会うこともあるに違いない。

それにしても、今回のセールも、あまり買い物をしなかった。
余計なモノを増やしたくないと思う気持ちが強くて、ほとんど衝動買いができないからだろう。
MHLのチノパンとアローズのシャツを1枚買ったくらいのものである。

そろそろ秋モノが気になり始める季節だ。


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by kels | 2016-07-17 05:29 | 旧・札幌日和下駄 | Comments(0)

夏になると読みたくなる作家の一人に夏目漱石がいる

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私は毎日海へはいりに出掛けた。
古い燻(くすぶ)り返った藁葺(わらぶき)の間を通り抜けて磯へ下りると、この辺にこれほどの都会人種が住んでいるかと思うほど、避暑に来た男や女で砂の上が動いていた。
ある時は海の中が銭湯のように黒い頭でごちゃごちゃしている事もあった。
その中に知った人を一人ももたない私も、こういう賑やかな景色の中につつまれて、砂の上に寝そべってみたり、膝頭を波に打たしてそこいらを跳ね廻るのは愉快であった。

「こころ」夏目漱石(1914年)

夏になると読みたくなる作家の一人に夏目漱石がいる。
深く考えたことがあるわけではないけれど、漱石の小説には夏の印象が強いのだろう。
明治から大正にかけての時代の日本の夏である。

「こころ」の冒頭は、まさしく夏の鎌倉から始まる。
一人で海水浴に来ている「私」が「先生」と出会うシーンだ。
都会の文化人が、夏の鎌倉の海岸で出会うシーンは印象的だった。

この部分の描写を読むと、大正時代の鎌倉が、いかに海水浴客で賑わっていたかが分かる。
そして、浜辺を賑わしているのは、やはり東京からやって来た「都会人種」だったらしい。
都会の人間が避暑のために海辺の街を訪れるというのは、今も昔も変わりはないのだろう。

さて、明日は海の日である。
たまには海にでも行きたいと思うけれど、果たして、それほど気温が上がるかどうか。


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by kels | 2016-07-17 04:56 | 旧・札幌日和下駄 | Comments(0)

悪くないものだ。何の予定もない三連休というやつも。

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「そのとおり」と私は言った。
「私はしゃべりすぎる。孤独な人間はいつもしゃべりすぎる。しゃべりすぎるか全然しゃべらないか、どちらかだ」

「リトル・シスター」レイモンド・チャンドラー/村上春樹・訳(1949年)

世の中的に三連休の始まりを告げる土曜日だ。
夏の、上機嫌な気候の、三連休の始まり。
どおりで札幌の街にも、自動車や買い物客の姿が少ないはずだ。

もちろん、三連休だからといって、特別に予定のない者にとっては、いつもの土曜日と何も変わりはない。
つまり、僕だ。

スターバックスコーヒー、バリスタートコーヒー、プランテーション。
カフェまで出かけて本を読み、本を読むために、またカフェまで出かける。
それだけで、一日は十分に忙しいし、十分に充実した気持ちになる。

悪くないものだ。何の予定もない三連休というやつも。


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by kels | 2016-07-16 22:21 | 旧・札幌日和下駄 | Comments(0)