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敗戦国としての屈辱は、今、この国にはないように思える

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遂に敗けたのだ。戦いに破れたのだ。
夏の太陽がカッカと燃えている。
目に痛い光線。列日の下に敗戦を知らされた。
蝉がしきりと鳴いている。音はそれだけだ。静かだ。

「敗戦日記」高見順(1945年)


戦時中の記録は、日記文学が充実している。
好きなことを好きなように書けなかった時代。
せめて、日記と向き合いながら、文学者も自分と向き合っていたのだろうか。

庶民にとって戦争の悲惨さは、終戦後にこそ、まざまざと明らかになってくる。
人々は空襲の恐怖から解放されると同時に、国家としての誇りを喪失していく。
敗戦国の民衆として生きていかなければならない絶望が、街には溢れていく。

荒廃した人心というものは、その時代を生きた者にしか分からないだろう。
自分が生き延びるために、誰もが必死の時代だったのだ。

敗戦から長い時間が経過した。
敗戦国としての屈辱は、今、この国にはないように思える。
敗戦とは(あるいは戦争とは)、高度な政治的問題ではなく、庶民の中の日常的問題ではあるけれど。

by kels | 2017-08-09 05:52 | 旧・札幌日和下駄 | Comments(0)