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だけど、狸小路の狸がぶら下がっているのは、夏の間だけだ

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札幌の狸小路のアーケードには、大きな狸がぶら下がっているらしい。
そんな噂を聞いて、この街を訪れる旅人は多い。
どうしてみんな狸が好きなのだろうと、僕は思う。

だけど、狸小路の狸がぶら下がっているのは、夏の間だけだ。
夏の終わりとともに、狸は必ずどこかへ消えちまうんだから。
夏の終わりの札幌の街から、旅人が消えてしまうのと同じようにね。

狸の向こうに、札幌の夏があった。


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by kels | 2016-08-16 21:01 | 夏のこと | Comments(0)

夏はこれから始まるんだし、僕は僕の夏を僕なりに過ごそう。

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夏だ、と僕は思った。
「これからどうするつもりなの?」とユキが訊いた。

「ダンス・ダンス・ダンス」村上春樹(1988年)

夕方、すすきのに出かけて食事をしてきた。
味覚園すすきの本店。
すすきのでも老舗の焼き肉屋になるだろう。

開け放した戸口から気持ちの良い夕風が入ってくる。
七輪の焼き肉をつつきながら、僕は夏を感じた。
おそらく、今年初めての。

考えてみると、ここ数週間はまったく余裕がなかった。
部屋で過ごす時間がほとんどなくて、仕事以外のことを考える暇もなかった。
夏が近づいていることにさえ、僕は気が付かなかったのかもしれない。

でも、大丈夫。
夏はこれから始まるんだし、僕は僕の夏を僕なりに過ごそう。


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by kels | 2016-07-09 21:08 | 日記 | Comments(0)

3月半ばになるというのに、相変わらず寒い日が続いている

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3月半ばになるというのに、相変わらず寒い日が続いている。
最低気温がマイナスを記録している間は、さすがに春とは言わないのだろう。
まして、最高気温が5℃以下の日々では、真冬とあまり変わらない。

それでも、昨日・今日と春コートを着て出かけた。
どうせ近所の喫茶店に行ってコーヒーを飲むくらいだから、特に問題はない。
さすがに、パーカーを重ね着して防寒対策は取っていったけれど。

街に出ると、少しづつ薄着の人たちが増えている。
特に若い世代の人たちは春を待ちきれないのか、早々と春めいた格好に変わりつつある。
せっかく買った春コートがあれば、早く着たいという気持ちも分かる。

僕も、この春に買ったコートを着て出かけた。
春コートと言っても、購入したのは2月上旬である。
本当の春が訪れる頃には、とっくに売り切れてしまっているからだ。

春コートというのは、意外と季節が短い。
札幌の場合、3月では寒いし、5月では暑いから、実際に活躍するのは4月だけである。
もちろん、朝晩の冷え込みを考えると、6月くらいまで使うことは可能だが。

東京に春が訪れていない以上、札幌に春が来るはずもない。
桜の季節を考えても、東京と札幌では、ほぼ1か月のズレがある。
こればかりは、まあ、どうしようもないことなんだけれど。


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by kels | 2016-03-13 19:54 | 春のこと | Comments(0)

リアルに過ごしてきた「時代」以上に、愛着のある「時代」というものはない。

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戦後の狸小路は闇市から始まった。
一丁目の疎開地跡や四丁目などが中心だっただろうか。
中学生には怖くて近寄れない場所だった。

カンコバ(勧工場)と呼ばれていた古い露地が、狸小路とクロスして延びていた。
小割した小さな店が、中心に並んでいた。
二丁目から三条通りに抜けるカンコバは「共栄(ともえ)館」と言った。
商品販売店が並んでいたのだろうが、戦後、私が覚えたころは、食堂と飲み屋がずらりとそろっていた。

中でも最も有名だったのがカレーライスの店。
五十円だった。
行列のできる店の第一号かもしれない。
うまかったし安かった。

「札幌街並み今・昔」朝倉賢(2000年)

戦争という大きな時代をくぐってきたから、昭和という時代の中で、街並みは大きく変わった。
狸小路だって、もちろん同じだ。
ある世代以上の人たちにとっては、その移り変わりがリアル体験として残っているということになる。

そして、リアルに過ごしてきた「時代」以上に、愛着のある「時代」というものはない。


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by kels | 2015-08-15 06:59 | 札幌のこと | Comments(0)

昔の恋人のことも、好きだった女の子のことも、記憶は不鮮明で、思い出だけが鮮やかだ

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僕は恋人のことを考えた。
そして彼女がどんな服を着ていたか思い出してみた。
まるで思い出せなかった。
僕が彼女について思い出せることは、全部漠然としたイメージだった。
僕が彼女のスカートを思い出そうとするとブラウスが消え失せ、僕が帽子を思い出そうとすると、彼女の顔は誰か別の女の子の顔になっていた。
ほんの半年前のことなのに何ひとつ思い出せなかった。
結局、僕は彼女について何を知っていたのだろう?

「午後の最後の芝生」村上春樹(1982年)

どんなに頑張っても、思い出せない記憶がある。
同時に、どんなに忘れようとしても、忘れられない記憶がある。
記憶というのは、不公平で、とても扱いにくいものなのだ。

時々、こんなことを考えた。
今この瞬間のことを、僕は永遠に忘れることはないだろう、と。
だけど、記憶はちゃんと失われていて、多くの瞬間を、僕が思い出すことはない。

記憶が鮮明でない分だけ、思い出は僕の中でしっかりと形づくられていく。
僕にとって都合の良い、僕だけの思い出のままで。
そんな思い出たちが、今の僕を支えていることも、また確かなのだろう。

昔の恋人のことも、好きだった女の子のことも、記憶は不鮮明で、思い出だけが鮮やかだ。


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by kels | 2015-07-26 18:22 | 随想 | Comments(2)

毎年思うことは、夏の始まりは夏の終わりの始まりだということ

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「さっぽろ夏まつり」が始まっている。
大通公園ではビアガーデンが、そして、狸小路では「狸まつり」が。
いつもの年の、いつもの夏と同じ風景。

毎年思うことは、夏の始まりは夏の終わりの始まりだということ、
夏が好きすぎて、始まる前から終わることを考えている。
今この瞬間だけを楽しむということができないタイプらしい。

それは、札幌の夏が短いせいかもしれない。
大人になって、夏を楽しむ時間が少なくなったせいかもしれない。
夏が砂時計みたいに減り続けていく。

昨日の朝、いつもの店へ髪を切りに行った。
「もう2回も海に行きましたよ」と、お店の女の子は言った。
世の中の人たちは、この短い夏を存分に楽しんでいるらしい。

僕も、何か夏らしいことをしなくちゃダメだね。


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by kels | 2015-07-26 06:11 | 夏のこと | Comments(2)

祖父の遺品を、僕は何度も何度も繰り返し眺めては、遠い時代の遠い国を思った

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お盆になると、祖母の家に親戚が集まった。
祖母がまだ元気で生きていた頃のことで、もう随分昔の話になる。
狭い家に母親の兄弟姉妹とその家族が集まると、いかにもお盆が来たなあという感じがしたものだ。

ある年の夏、祖母は押入れの奥にしまったままの祖父の遺品を整理すると言い出した。
僕の母親とその兄妹姉妹は、子供の頃に父親を亡くして母子家庭で育った。
祖母は、夫の遺品の多くを、長い間手を付けずにいたらしい。

押入れの中から、古い衣装箱が取り出された。
もう数十年も構われていないらしく、ところどころに小さなクモの巣が張っていた。
祖母でさえ、中に何が入っているのか覚えていないという。

みんなで恐る恐る蓋を開けると、戦争中に祖父が使用したと思われる生活雑貨が出てきた。
蛇腹式のカメラ、行軍袋、白黒写真のアルバム。
戦前の日本の貨幣、眼鏡、万年筆、腕時計。

行軍袋の中には、実際に戦場で使用したと思しき血痕だらけの日の丸の鉢巻があった。
出征の際にもらったのだろう、白い布いっぱいに記された寄せ書きもある。
戦地で見知らぬ女学生から届いたらしい慰安の手紙もあった。

親戚はみな、それらを古くて不潔だから、すぐに捨てるべきだと言った。
祖母はどうしようか迷っているように見えた。
捨てるなら欲しいんだけど、と僕は言った。

僕の母親は少しぎょっとしていたが、特に何も言わなかった。
子供のくせに変わったところがあるんだからと、みんな笑った。
会ったことのない祖父の遺品は、そうして僕の宝物となった。

考えてみると、あれが僕と生活骨董との最初の出会いだったような気がする。
祖父の遺品を、僕は何度も何度も繰り返し眺めては、遠い時代の遠い国を思った。
気が付けば、あの時から既に長い時が経つ。

祖母の夢を見て目覚めた夏の朝に、僕はそんなことを思い出している。


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by kels | 2014-08-09 03:54 | 雑貨・アンティーク | Comments(0)

夏の旅行に出かけたときの、僕の楽しみの一つは夕立に遭うことである

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夕立というのは、北海道よりも東京の方でずっとはっきりとしている。
今、晴れていたと思った空が、あっという間に真っ暗になり、雷を伴った激しい雨が降り始める。
夏の空は、本当に油断ならないなあと思う。

だけど、そういう夕立らしい夕立に遭うと、北海道の人間としては嬉しい気持ちにもなる。
夕立は、どうせすぐに通り過ぎるものと分かっているし、どうせなら夕立を楽しもうという気持ちになる。
夕立だって夏の風物詩であることには違いないのだ。

北海道でも夕立は珍しくないが、やはり東京のように際立ってはいないと思う。
井上陽水の古い曲に「夕立」というのがあって、突然の夕立に人々が逃げ惑う情景が描かれている。
こういう歌を聴くと、「夕立」というのはやはり本州のものなんだなあと、しみじみと感じる。

だから、夏の旅行に出かけたときの、僕の楽しみの一つは夕立に遭うことである。
ギラギラに灼けるような太陽が一瞬隠れて、スコールみたいな雨が降り始めたとき、「旅に出てよかった」と思うのだ。
雨の中、一人嬉々としてカメラを構え、逃げ惑う人々に向かってシャッターを押すのである。

もっとも最近のゲリラ豪雨は、かつての夕立とは似て非なるものらしいけれど。


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by kels | 2014-08-05 23:22 | 夏のこと | Comments(0)

北海道でなければ感じることのできない何かを、旅人たちは求めているのだ

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盛夏が過ぎて、北海道からカニ族が消えた。
カニ族とは、二十歳前後の道外からの観光旅行者をいう。
彼らは男女を問わずセーターとズボンの軽装に、一様に横に角張ったリュックを背負っている。
この恰好が甲羅を背負った蟹に似ているところから、カニ族という名前がついた。
札幌の夏は、夏休みを利用して道外から寄せてくるカニ族で溢れる。

「連中は大半は飛行機で来るそうじゃないか」
「そうなんです。飛行機で来て、ホテルに着いてカニ族に変わるそうです」
「じゃあ何も無理してカニ族になる必要はないじゃないか」
「それがやはりカニ族になった方が面白いのですよ。何と言ってもあのスタイルは、若さと自由の象徴ですからね」

「リラ冷えの街」渡辺淳一(1970年)
若者の文化が大人の価値観と衝突することは珍しいことではない。
それは1970年も2014年も、何も変わることはないだろう。
1970年に若者だった人たちも、2014年には大人の価値観を持って、2014年の若者たちを見ているに違いない。

僕が思うのは、北海道が最も北海道らしかったのは、カニ族がこの街を歩き回っていた頃ではなかっただろうかということだ。
それは、僕がこの時代を知らないがために感じる憧れのようなものなのかもしれない。
けれども、少なくとも当時の文章や写真からは、若者たちが北海道に対して持っていた熱い情熱や希望のようなものを感じ取ることができるような気がする。

1980年以降、全国的な均一化が進んで、北海道らしさのようなものは急激に失われていった。
北海道でなければ手に入らないものが、どんどん少なくなっていったのだろうと思う。
ネットの普及による情報化社会の到来で、北海道に対する憧れは、ますます薄れていったのかもしれない。

北海道が生き残る道。
それは、北海道がどこまで北海道らしさを保ち続けることができるかどうかに尽きる、と僕は思う。
北海道でなければ感じることのできない何かを、旅人たちは求めているのではないだろうか。


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by kels | 2014-08-03 18:39 | 随想 | Comments(2)

週末にも葉書を買ってきて、僕も暑中見舞いというものを書いてみよう

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暑中見舞いの葉書が届いた。
ビジネスで非常にお世話になっている人からである。
暑中見舞いなんて珍しいなあと思った。

僕はよく分からないけれど、北海道では暑中見舞いの葉書をやり取りする風習は、あまりないのではないだろうか。
少なくとも、年賀状のように儀礼的にやり取りするものではないような気がする。
本当に親しい人に対してだけ、気持ちを込めて届けるのだ。

寒冷な北海道では、見舞うほどの暑さはなかったのかもしれない。
そうすると、暑い地域ほど暑中見舞いの風習は盛んだということになるが、果たしてそうなのだろうか。
あるいは、時代的に少しずつ廃れてきただけなのかもしれない。

暑い日が続く中で、不意に届く暑中見舞いの葉書はよいものだなあと思った。
葉書一枚受け取っただけで、確かに、目に見えない涼を受け取ったような気がする。
これが電子メールだったら、こんなにも涼しさを感じることはなかっただろう。

週末にも葉書を買ってきて、僕も暑中見舞いというものを書いてみようと思う。


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by kels | 2014-08-01 06:27 | 夏のこと | Comments(2)