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森田たまの随筆集「ゆき」の装丁デザインとなった中谷宇吉郎の描いた雪の結晶

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昭和31年12月25日に発行された森田たまの随筆集「ゆき」。
装丁の雪文様が非常に美しい本だ。
この雪の結晶のデザインについて、筆者はあとがきで次のように書いている。

雪は天から送られた手紙である。
世界的な雪の権威者、中谷宇吉郎博士は、雪の結晶の画の上に、必ずそういう賛をなさいました。
つづいて、
 一片の雪に千古の秘密がある。
と記されています。
十数年前、博士から雪の結晶の画をいただいた私は、それを古代紫地の帯に染めました。
この本の装丁に使ったのが、その帯の写しです。

「ゆき」森田たま(1956年)


本書では、秋から冬にかけて読みたい随筆45編が収録されている。
そして、この作品の中でも筆者は、故郷である北海道を偲ぶ文章をしたためている。

例えば、表題作「ゆき」の中には、次のような記述がある。

ふるさとの十二月は、いままでちらちらと降っては消え、降っては消えしていた雪が、本当に腰を据えて降り出し、根雪といって、あくる年の3月まで全世界を雪に埋める季節の始まりです。
北海道の雪は、内地の雪のような脆さも儚さも感じられぬほど、強い力を持って、夜も昼も休みなく振り続けるのですが、その冬の間には、一点の雲もなく、カラリと晴れあがったあを空の日が幾日かあって、ただそのあを空を仰ぐだけでも、生きていることが楽しいと思わせてくれます。
そして、そのあを空はまた、やがて必ず、ゆきの溶ける日のくることを、約束してくれるのです。

「ゆき」森田たま(1956年)


中谷宇吉郎の描いた雪を装丁として用いた筆者の北海道に対する思いが、一つ一つの文章の中に込められているような気がしてならない。



by kels | 2017-12-03 07:31 | けるす文庫 | Comments(0)

森田たまは、北海道が最も北海道らしかった時代の記憶を、生涯抱き続けていたのではないだろうか

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雪のちらつく十一月に、何をおいてもしなくてはならぬのが、漬けものでした。
それが半年の間の、いちばん大切なおかずなので、どこの家でも四斗樽を井戸端に並べて、せっせと漬けます。
しばらく陽に干して、少ししなしなと甘くなった大根を長さ二寸ほど、四つ割にして、みがき鰊と麹で漬けこむ、にしん漬け。
これは、冬の漬けものの王様です。

「冬支度」森田たま(1951年)


「冬支度」は、昭和31年に刊行された随筆集「ゆき」所収の作品である。
森田たまは、明治44年に上京して以降、北海道で生活することはなかった。
したがって、にしん漬けの記憶も、少女時代の幼い思い出ということになる。

その昔、北海道の冬を越す開拓者たちにとって、冬の野菜不足は非常に大きな課題だった。
漬けものは、北海道の冬に野菜を補給するための、重要な保存食だったという。
寒冷な北海道の気候が、特に、この地域独特の漬けもの文化を発展させたということもあるだろう。

流通や冷凍技術が発達すると、北海道内においても、冬の商店には野菜が並ぶようになった。
漬けものだけで、冬の野菜不足に対応する時代は終わったのである。
高度経済成長の時代を経る中で、家庭で漬けものを作る習慣は、どうやら廃れてしまったらしい。

一方で、生活様式の発展や温暖化の進行に伴って、昔と同じような漬けものを作ることは難しくなったとも聞く。

北海道の漬けものは、真冬の厳しい環境の中で生まれてきたものだ。
しかし、寒冷地住宅の開発は進み、北海道の冬を快適に過ごすことが可能になった。
暮らしやすい住宅環境は、北海道らしい漬けものを作るには、少し場違いになってしまったらしい。

そもそも、北海道の冬は、昔のようには寒くはないともいう。
森田たまが上京した1911年の冬を例に取ると、この年の1月、氷点下10度以下となった日が23日ある。
2016年1月では、氷点下10度以下となったのは1回だけだから、冬の寒さは全然違うと言ってよい。

森田たまが「ゆき」を刊行した1951年でも、氷点下10度以下の日は17回ある。
明治時代とは時代が変わりつつあるとは言え、北海道の冬は、まだまだ北海道らしさを十分に保っていた。
おそらく彼女は、北海道が最も北海道らしかった時代の記憶を、生涯抱き続けていたのではないだろうか。

by kels | 2017-11-05 17:46 | 旧・札幌日和下駄 | Comments(2)

どうして、僕たちは、冬の厳しいこの土地で暮らし続けなければならないのか

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十一月はまたの名を霜月と言います。
私は子どものときから霜月という呼び名が好きでした。
北海道の十一月は、もうそろそろ雪の降り出す季節ですけれども、それでもよく晴れた日の朝早く、うらのキャベツ畑に出てみますと、黒い土の上一面に、うっすらと白く霜が降りていて、ずらりと並んだキャベツの玉の、きっちりと巻いた上皮がうす青く少しほぐれ、朝陽にとけた霜が瑞々しく葉を濡らしています。

「冬支度」森田たま(1956年)


札幌の街の紅葉が美しいのも一瞬である。
気が付けば、黄色い葉は散って、街は急激に寂しくなりつつある。
鮮やかだった藻岩山も、すっかりと枯れ山へと姿を変えた。

文明が進んだせいなのか、冬支度という言葉も、あまり聞かなくなった。
開拓以来、北海道の人々にとって冬を迎えるということは、人生の大きな節目にも似ていた。
長く厳しい冬を越すということは、言葉で言うほど簡単なことではなかったのだ。

冬が近くなるたびに、僕たちは北海道という風土と向き合わなければならない。
どうして、僕たちは、冬の厳しいこの土地で暮らし続けなければならないのかと。


by kels | 2017-11-05 08:26 | 旧・札幌日和下駄 | Comments(0)

「札幌市電が走らなかった日」~雪の街から

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札幌の町に吹雪が襲来し、小学校ではいそいで学堂を下校させたが、中に一人行方不明になった子があった。
吹雪がやんでから手分けして探したところ、その子は雪の下でランドセルを枕にし、外套をかけて寝ていたので助かったという新聞記事を読んだのは、何年前のことだったろうか。
その記事を読む私の耳には、ひゅうっと空気を切るすさまじい風の音がきこえ、湯けむりのようにもうもうと視界をさえぎる雪の渦巻が見えた。

「ふるさと十二ケ月」森田たま(1967年)

大雪のために、市電が運休している。
札幌市電始まって以来のことではないだろうか。
雪のために市電が動かないなどということは、まったく考えられないことだからだ。

朝、目を覚ますと、窓の外が真っ白で何も見えなかった。
吹雪の日には珍しくない光景である。
いよいよ本格的な冬が始まったのだと、改めて実感させられる。

雪の中、電車通りを自動車で走りながら街に向かう。
除雪がしっかりとしているのか、考えていたよりも路面に雪はなかった。
思ったほど、積雪は多くなかったのかもしれない。

途中でササラ電車とすれ違った。
ササラ電車は、雪の中で一息ついて休んでいるように見えた。
そう言えば、街に到着するまで市電の姿を一両も見なかったような気がする。

買い物をしているときに、ラインが入った。
大雪のために札幌市電が全面運休しているという。
どおりで、まったく市電を見かけないはずである。

それにしても、札幌市電が全面運休するなんて、ただ事ではない。
過去、どれだけの豪雪に見舞われても、市電は走り続けてきた。
雪のために市電が止まることなんてあり得ないと、僕たちは信じてきたのだ。

実際、電車通り界隈の住人になって、もう随分長い時間が経つけれど、市電は常に走り続けていた。
渋滞の自動車が軌道を塞いで電車の通行を妨げることはあっても、積雪のために市電が止まることはなかった。
雪に負けないという関係者の強い思いが、市電の運行を支えていたに違いない。

その札幌市電が走らなかった。
この12月の一日を、僕はきっと忘れることがないだろう。


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by kels | 2016-12-10 17:04 | 旧・札幌日和下駄 | Comments(0)

意外な話だけれど、美しい雪景色の街というのは、シーズンにそう何回もない

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私はこの烏の鳴き声がきらいであった。
いまでも思い出すと、家々の煙突から吐き出される石炭の煙、すすで黒ずんだ雪、灰色の曇った空を、一層強く頭に刻み込ませるように、烏の鳴き声がそのにび色の風景をかがっている。
十二月の札幌に楽しいことは何もなかった。
学校からの帰りは、いつも後ろから迫ってくる年に追いかけられるような、せかせかとした気持ちで歩いていた。

「明治の女」森田たま(1967年)

雪の降らない話を書いたら、やっぱり雪が降った。
毎年、こんなことを繰り返しているような気がする。
心配しなくても、冬の北海道では、ちゃんと雪は降るものなのだ。

一昨日の夜から昨日の朝にかけて、すいぶんたくさんの雪が降った。
早朝の街は、真新しい雪に覆われていて、いつもとは全然違う街だった。
嫌なものを全部隠してしまう雪というのは、あんな雪のことを言うのだろう。

週末にも雪が降るかもしれない。
いや、ぜひとも、たくさん降って、そして積もってほしいものだと思った。
買ったばかりの新しいカメラで、雪の札幌を撮りたかったのだ。

意外な話だけれど、美しい雪景色の街というのは、シーズンにそう何回もない。
そもそも、ドカ雪というのは、年に何回あるだろうかという気がする。
それに、風が強いと樹木や電線に積もった雪が飛ばされてしまって、美しい雪景色にはならない。

しかも、自分は週末でなければ、のんきに写真を撮っているわけにもいかない。
そう考えると、札幌の長い冬であっても、意外とチャンスは数少ないのだ。
だからこそ、その雪景色が貴重だとも言えるのだけれど。


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by kels | 2015-12-19 19:36 | 旧・札幌日和下駄 | Comments(0)

いよいよ雪の季節になったと思ったら、いきなりドカ雪になった

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五番館というデパートの、大きな明るいショーウィンドゥ、雪の中でもそこだけは、春のように暖かな感じがする。
その硝子窓へ頬を寄せて、舶来の洋品雑貨を覗いている自分の姿、ショーウィンドゥの光は、往来へまで降りこぼれて私の髪に、肩に、ちらちらと降る雪を、夢のように照らしていた。

「雪のふる町」森田たま(1962年)

いよいよ雪の季節になったと思ったら、いきなりドカ雪になった。
札幌の11月としては、記録的な大雪だったらしい。
最近の気候は、まったく極端すぎるね。

本来、雪というのは、何となく街を塗り替えていくものである。
降っては溶けて、積もっては溶けてを繰り返しながら、やがて本格的な積雪となる。
雪国の人たちは、それを「根雪」と呼ぶ。

映画みたいに、一夜にして降り積もった雪で、冬が始まるというわけではない。
まして、最初からドカ雪なんて反則だ(笑)
すぐに溶けると思っていたから、道路なんか除雪も入らなくて大混乱してしまったくらいだ。

始まったね、今年の冬が。


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by kels | 2015-11-28 05:43 | 旧・札幌日和下駄 | Comments(0)

本っていいなあと思う瞬間のひとつに、古い話を読んだ時というのがある

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ゆく春の一夜、私は不意にお迎えのくるまを頂いて、ある家へ行った。
久保田万太郎さんが、小宮(豊隆)先生のために設けた席であった。
「ナニ、酒も飲まない、煙草も吸わない、だからあんなものしきゃ書けないんだ」
既に十分の御機嫌であったらしい久保田さんは、お酒の飲めないという私に、いきなりそう言ってななめに睨みすえられた。

「随筆歳時記」森田たま(1940年)

本っていいなあと思う瞬間のひとつに、古い話を読んだ時というのがある。
自分の知らない昔の話も、本として残されることで、現代に伝えられる。
本ってすごいなあ。

古本集めなんていう趣味も、世の中にはあるらしい。
古い時代を探しまわることも、魅力のひとつくらいには入っているのかもしれない。
本っていうのは、実にリアルなタイム・カプセルなんだから。

上の文章は、昭和15年に発行された、森田たまの随筆集に掲載されていたもの。
文壇のビッグネームが、次々に登場してきて、戦前の文学界の息遣いを教えてくれる。
文壇が文壇らしかったのって、戦前までなんだよね、きっと。


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by kels | 2015-11-23 07:25 | 旧・札幌日和下駄 | Comments(0)

森田たまの記憶の中の札幌には「ライラック」という花の存在はなかった

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五、六年前、私はNHKからたのまれて、五月の末のライラック祭りというのへ出かけて行った。
ライラックなんてどこに咲いているんですかと、出かける前に私は文句を言ったが、行ってみたら会場に白と紫のライラックが、あふれるように活けてあったのでびっくりした。
さらにあくる日、山鼻の方へ車を走らせて行ったら、あちらこちらの家に、ライラックの白や紫が咲いているので一層驚いた。
大通りの一角に、まだ稚ない樹が植わっていた。

「明治の女」森田たま(1967年)

森田たまが故郷札幌を離れて上京したのは、明治末期のことである。
彼女の記憶の中の札幌には「ライラック」という花の存在はなかったらしい。
ライラックは、戦後になって急速に札幌の街に普及した花だった。

今、札幌の街には、彼女が戦後になって見た札幌の街が、今も残されている。
あちらこちらの家に、白や紫のライラックが咲いている5月の光景が。
昭和モダンの洋館、戦後のライラック、森田たまの記憶。

50年前もの街の記憶が今に残されているのだとしたら、それは本当に素晴らしいことだ。


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by kels | 2015-05-17 20:44 | 旧・札幌日和下駄 | Comments(0)