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札幌に来たから札幌らしいラーメンを食べることができるという時代ではなくなった

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大通公園を花々が彩り、明るい陽差しのもと人々が賑わう夏の到来とともに、借り部屋の期限がきてぼくは東京に帰るしかなかった。
冴えない滞在だったとしても、アパートを出るときはちょっと後ろ髪を引かれる思いだった。

「犬の記憶 終章」森山大道(2001年)

森喜朗元首相は、札幌に来ると必ずラーメンを食べるほど、札幌ラーメンが好きらしい。
地元の人間にとってはうれしい話だと思う。
札幌ラーメンこそ、札幌が初めて世に送り出した札幌名物なのではないだろうか。

僕も大のラーメン好きで、それも「札幌ラーメン」と呼ばれるラーメンしか食べない。
札幌ラーメンは札幌の郷土食であってほしいと思うし、札幌ラーメンこそ札幌の郷土食だという自負がある。
だからこそ、旅人には札幌に来たからにはラーメンを食べてほしいと思っていた。

ところが、僕自身、もう随分長い間、ラーメンを食べていない。
ラーメンを嫌いになったわけではない。
札幌ラーメンが、もはや札幌の郷土食ではない現状を、半ば受け入れつつあるからだ。

今やラーメンは全国的な時代の流れの中で生きている食べ物である。
札幌に来たから札幌らしいラーメンを食べることができるという時代ではなくなった。
そもそも、「札幌らしいラーメン」という言葉さえ、何の意味も持たないのだ。

あるのは全国的な流行と店主の個性くらいのもので、ラーメンに「札幌」という地名を付ける必要性はない。
「札幌ラーメン」は、もはや過去の幻影であり、ノスタルジーの食べ物である。
あまりにも一般化された食べ物の多くが辿った道を、ラーメンも歩いているということなのかもしれない。


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by kels | 2016-07-18 06:59 | 食べ物 | Comments(0)

僕は東京の夏が好きだし、ついでに横浜や鎌倉の夏を楽しむことができるからだ

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十九年ぶりに見る札幌の町はそれほど変わったようにも思えなかった。
ただ街衛に並ぶ建物が全体に巨(おお)きくなり、以前にも増してさっぱりと整った印象を受けた。
アカシアの街路樹と、朱い実をつけたナナカマドの並木と、ビルの向こうの山上のジャンプ台を見ると、つくづくと札幌を実感するが、千秋庵のパーラーでコーヒーを飲みながら西四丁目界隈の街頭を眺めていると、まだ東京にいるような錯覚を起こす。
それは、三越、パルコ、三愛、と居並ぶ都会的風景の類似ということもあるが、やはりぼくにとっては、空路でのあっという間の空間移動という、どこかアッケラカンとしたタイム・ラグがあったからだと思う。

「犬の記憶 終章」森山大道(2001年)

家族が東京で暮らしているので、年に1回は顔を見せに帰るようにしている。
距離的な遠さに比べて、時間的な遠さは感じない。
それが、現在の札幌と東京との関係だろう。

実際、東京に仕事があっても、日帰りで済ませてしまうことは多い。
道北や道東の街に比べると、ずっと効率的な移動が可能だからだ。
東京まで移動するときの最大の不安要素は、千歳空港までのJR北海道くらいのものである。

帰省するのであれば、できれば夏に帰りたい。
僕は東京の夏が好きだし、ついでに横浜や鎌倉の夏を楽しむことができるからだ。
人のいなくなった東京のお盆も、また良いものだと思う。

もっとも、今年の夏も帰省することは難しいだろう。
まとまった休みを取ることができるかどうか、全然分からないからだ。
もう少し要領良く生きることができるといいとは思うのだけれど。


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by kels | 2016-07-17 18:52 | 旅行 | Comments(0)

1冊の本ができるほど良いカフェがたくさんあるなんていうのは、ある意味で幻想である

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三ヶ月という期限付きで札幌にアパートを借りたぼくは、その間、雨降りでさえなければ(雨の日にも撮るべきだった)、とにかく自分の決めとして連日カメラを持って外出した。
田本研造たちの意志と困難さには比すべくもなかったが、バスに乗り列車に乗って北海道のあちこちを写し歩いた。
まれに一泊となることもあったが、ほぼ連夜、重い足を引きずってアパートに辿り着き、寒い部屋でひとり食パンをかじってウイスキーをなめ、また得体の知れない憂鬱にとりつかれて長い夜を苛々と過ごしていた。

「犬の記憶 終章」森山大道(2001年)

せっかくの三連休ということもあって、札幌市内のカフェを新規開拓しようと思った。
最近のカフェの記録はインスタグラムで簡単に残している。
インスラグラムで話題のカフェをいくつか訪ねてみた。

もっとも、インスタグラムに投稿すべき店に出会うことはできなかった。
店の悪口は書きたくないし、と言って嘘はもっと書きたくないからだ。
自分の投稿した記事を参考にする人も、世の中にはいるかもしれない。

普段からそうだけれど、記録に値しない店は、どこにも記録しないように努めている。
少しばかりの時間をお金を無駄にしただけのことだ。
「2度と行かない」という思いまで、他の誰かと共有する必要もないだろう。

だけど、貴重な休日を無駄にしたという切なさは残る。
ありあまる退屈な時間をどうやって消費しようかと考えて生きているわけではない。
おかしな店を選択した自分の愚かさに、ただ呆れるばかりだ。

はっきり言って、良いカフェなんてそんなにたくさんはない。
1冊の本ができるほど良いカフェがたくさんあるなんていうのは、ある意味で幻想である。
だからこそ本当に良いカフェに出会えたときの感動は大きなものなのだ。


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by kels | 2016-07-17 18:25 | カフェ・喫茶店 | Comments(0)

10年経ったときに何かを思い出せるような、そんな写真を撮りたいと思う

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その年(1978年)の5月から7月にかけての札幌の街は、連日風が吹きつのるうすら寒い日々が続いていた。
梅雨こそないもののカラっとした晴天はまれで、全体に不順な空模様だった。
夜に入ると決まって風は治まるものの、冷気が街衛をすっぽりと包み、家々の軒下の暗がりでは淡紫色のライラックの花房がかじかんで震えていた。

「犬の記憶 終章」森山大道(2001年)

原点回帰というわけでもないけれど、最近はモノクロ写真に惹かれている。
森山大道のような白黒のストリートスナップ写真。
自分が写真を撮るようになった理由のひとつが、森山大道の写真でもあった。

一眼レフをメインにしている頃は、何となくモノクロ写真から離れていた。
最近はRICHOのGRⅡをメインにしていることもあって、モノクロの目線になっているのかもしれない。
RAWで記録しておいて、モノクロでJPEG保存している。

モノクロ写真というのは、カラー写真以上に記録している感覚が強い。
記録というよりも焼き付けるという感覚。
街の一瞬の風景を何かに焼き付ける作業と言えば良いだろうか。

10年経ったときに何かを思い出せるような、そんな写真を撮りたいと思う。


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by kels | 2016-07-17 18:01 | 写真・カメラ | Comments(0)

やっぱり、写真っていうのは、撮り続けていないと、ダメなんだなあと思った

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自分の身体が充電されているときというのは、自分の全身がどこかレーダーのようになっていて、で、レーダー化しているから、いろいろなものは見えてくる。
見えてくるっていうことは、外界のさまざまが飛び込んでくるわけだよ。
こちらから分けいっていけばさ。
つまり、自分が写すレーダーになっていれば、見る見られる、撮る撮られるの関係が、街頭で相対化されてくるわけね。

「昼の学校 夜の学校」森山大道(2006年)

時間ができたので、久しぶりにカメラを持って街を歩いた。
なにしろ、世の中は秋の大型連休中だし、オータムフェスタも開催中だし。
半日もあるけば、相当の写真を撮ることができるだろうと思っていた。

ところが、街を歩いても、撮るべきものが何もない。
と言うか、何を撮っていいのか、全然分からない感じ。
一眼レフを持っていても、ファインダーを覗くことさえ難しいように思えた。

やっぱり、写真っていうのは、撮り続けていないと、ダメなんだなあと思った。
撮り続けていないと、写真を撮る勘みたいなものがなくなってしまうのかもしれない。
毎日撮っていた頃は、本当にいくらでもシャッターを切ることができたんだから。


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by kels | 2015-09-21 06:18 | 写真・カメラ | Comments(2)

僕は、森山大道の写真を見て、ノーファインダーで撮る写真というものを覚えた

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僕は、森山大道の写真を見て、ノーファインダーで撮る写真というものを覚えた。
RICHO GRを買ったのも、もちろん森山大道の影響だ。
だから、ひと頃はRICHO GRを使ってノーファインダーの写真を撮ってばかりいた。

ノーファインダーで撮る写真は、どらちかというと写真らしくない写真だと思った。
それは、写真を撮るというよりも、街を記録する行為に近いような気がしていたからだ。
まるで、カメラというツールを使って、街をスキャニングしているみたいだと、僕は思った。

そして、次々に記録されていく街の写真は、僕をひどく夢中にさせた。
或る街の、或る時間帯の、或る一瞬の風景が、写真の中にはあった。
気取りもてらいもない街の風景は、それだけで芸術だと、僕は思った。

街の一瞬を切り取るだけのシンプルな写真だけに、難しい写真でもあった。
どんな瞬間を、どのように切り取るかということに、写真家の主張が凝縮されてしまうような気がしたのだ。
あるいは、切り取られた街の風景が、写真家そのものだったのかもしれない。

最近の僕は、RICHO GRを持って街に出ることは少なくなった。
街を切り取ることの難しさに、翻弄されていたのだと思う。
写真を一枚撮るたびに、少しずつ自分が消耗していくような気がしていたのだ。

だから、今の僕は、気分転換のために、RICHO GRを持って出かけることが多い。
何も考えずに、街をスキャニングして、写真の中の街とじっくり向き合うのだ。
写真を撮ったときには見えなかったものが、何か見えるような気がして。


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by kels | 2014-06-13 21:48 | 写真・カメラ | Comments(0)

街をスナップするってことは、その異界を撮るっていうことなんだよ

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森山大道はこう言った。

ほとんどの人は日常しか撮ってないでしょう。
つまり、基本的に異界に入り込んでいない。
でも、街は至るところが異界だからさ。
街をスナップするってことは、その異界を撮るっていうことなんだよ。

「路上スナップのススメ」森山大道(2010年)

それまで、僕は、街とは日常の中の一つの風景だと思っていた。
いつもと同じ風景を、いつもと同じように撮るのが、街のスナップ写真だろうと思っていたのだ。
だけど、少し視点を変えて街を見ると、街は非日常の存在でもあることに気が付いた。

ショーウィンドゥの中には、リアルな街にはない擬似的な季節感が溢れている。
ガラス窓の反射には、正面から見たときには分からなかった群衆の表情が見える。
古着店の前に置かれた鏡の中には、一瞬だけの映像が次から次へと流れていく。

それが、森山大道の言う「異界」なのかどうか、僕は分からない。
だけど、街を撮るということが、日常からはみ出した行為であることは、理解できるような気がした。
だからこそ、僕は、いつまでも街の風景を撮り続けることができるのだと思う。

街は季節によって表情を変えるし、時間によっても表情を変える。
天気が変われば街の表情も変わるし、曜日によってさえ、その表情は昨日とは違うものになる。
変わらない風景の中にあって、街の表情は常に変化し続けている。

今日も、僕は、とりあえず街に出るだろう。
何を撮ろうとしているのか、それは分からない。
だけど、街には先週とは違う表情がどこかにある。

僕は、まるで知らない街を訪れたかのように、新鮮な発見をするのだ。





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by kels | 2013-04-06 05:54 | 写真・カメラ | Comments(2)

世の中がもっと写真の好きな恋人同士で溢れてくれればいいのに

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「紀伊国屋書店」へ行くと、必ず2階の写真集のコーナーをチェックする。
何か新しい写真集が出ていないか、何かおもしろい写真集が並んでいないか、少しワクワクしながらおもしろそうな写真集を物色するのだ。

そのとき、僕は森山大道の「カラー」という写真集を眺めていた。
森山大道の写真を見ていると、ストリートスナップはいいなと、いつも思う。
そして、僕の横では若い男の子が、何か違う写真集をパラパラとめくっていた。
彼の肩には、古いフィルムカメラがぶら下がっていた。

彼の隣には女の子がいて、彼女もまた肩からフィルムカメラをぶら下げている。
二人で、どの写真集を買おうか相談しているらしい。
フジフィルムとコンタックスの恋人同士は、二人で顔をくっつけるようにして真剣に写真集を覗きこんでいた。

街でそういう恋人同士を見ると、僕は彼らを少しうらやましく思う。
僕も誰かとそんなふうにして熱く写真を語りたかったと。
でも、学生時代のころの僕は、そんなにも写真に対して熱心ではなかったし、誰かと何かについて熱く語り合いたいとも思わなかった。
そんな時代だったし、そんな年代だったのだ。

やがて僕は彼らを残して写真集のコーナーを離れた。
二人がどんな写真集をチョイスしたのか、少しだけ気になったけれど、それは彼らの問題であって僕の問題ではない。
彼らはきっと彼ららしい写真集を見つけたことだろう。

まるで、手に入れられなかった何かを取り戻そうとするかのように、そんな恋人同士に出会うだけで、僕はなんだか自分まで幸せな気持ちになることができるような気がする。
世の中が、もっともっと写真の好きな恋人同士で溢れてくれればいいのに。


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by kels | 2013-01-02 00:03 | 写真・カメラ | Comments(8)

撮った写真の意味なんて考えてもしようがない

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よく飽きないねって聞かれるけど、僕は飽きないのよ(笑)
新宿とか、刺激のグラデーションは高いけど、どんな場所でも何らかの刺激はあるんだ。
この辺は変化がないからと撮らなくなったら、それは自分の可能性を狭めることになる。
路上スナップをやっている以上は、そうはなりたくない。
街を微細に見ていくと、さまざまなものが密集して蠕動しているのを感じる。
それを直感、瞬間、生理的な反応で撮る。

何のために撮るか。
撮った写真の意味なんて考えてもしようがない。
街っていうのは途方もない存在なんだから、これは途方がない行為なんだ。
うまくいかないこともいっぱいあるし、反省もある。
幾度、考えを突きつめても、最後は撮るところに戻っていく。
「にも関わらず撮る」。
最近、よく使う言葉なんだけれどね。

「スナップ写真を撮ろう(CAPA 2011.04)」森山大道(2011年)


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by kels | 2012-10-15 22:15 | 写真・カメラ | Comments(0)

札幌の街

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昨夜、片岡義男の本を読みながら思い出したのは、僕が自分でも写真を撮りたいと思うようになったのは、森山大道と片岡義男の2人に大きく影響されたということだった。
もちろん、好きな写真家などは他にもたくさんいたのだけれど、「自分で写真を撮りたい」と思わせられたのは、結果的にこの2人だったと思う。

ストリート・スナップという言葉を覚え、街行く人々を「街そのもの」ととらえて写真に撮る考え方は、まさしく森山大道のスタイルであったし、ショーウィンドゥなどに表現された「仮想的な街」を撮る考え方は、片岡義男のスタイルであった。
だから、僕は広角のコンパクトカメラで街行く人々を撮ることと、ショーウィンドゥのマネキンなどを撮ることのふたつを、自分の写真の基本としている。
そこに、建築という観点と、レトロという歴史的な観点のふたつが加えられて、自分の写真のテーマになっているのだろう。

別に、何か新しいものを開拓しようとか、そういうことではなくて、僕はただ自分が好きになった人たちの真似をしてみたいという、子どもみたいな発想から歩き始め、そして、今もそのままだ。
ただ言えるのは、森山大道も片岡義男も、札幌の街で継続的に写真を撮り続けることはできないから、こればかりは札幌で生きる僕たちの仕事である、ということ。

まさしく、「撮って」と札幌の街が囁いている、のだ。

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by kels | 2010-12-05 19:36 | 札幌のこと | Comments(0)