タグ:村上春樹 ( 77 ) タグの人気記事

そしてある年の夏(いつだったろう?)、夢は二度と戻っては来なかった。

b0103470_22514589.jpg

僕は5分ばかりそれを眺めてから車に戻り、シートを倒して目を閉じ、しばらく波の音に混じったそのボールを打ち合う音をぼんやりと聞き続けた。
微かな南風の運んでくる海の香りと焼けたアスファルトの匂いが、僕に昔の夏を思い出させた。
女の子の肌のぬくもり、古いロックンロール、洗濯したばかりのボタン・ダウン・シャツ、プールの更衣室で喫った煙草の匂い、微かな予感、みんないつ果てるともない甘い夏の夢だった。
そしてある年の夏(いつだったろう?)、夢は二度と戻っては来なかった。

「風の歌を聴け」村上春樹(1979年)


にほんブログ村 地域生活(街) 北海道ブログ 札幌情報へ
にほんブログ村
↑↑↑↑↑
「にほんブログ村」に参加をしてみました。
1日1回のクリックをお願いいたします!
by kels | 2014-07-23 22:54 | 旧・札幌日和下駄 | Comments(0)

村上春樹の「風の歌を聴け」を読むことは、僕にとって夏の風物詩となっている

b0103470_22252412.jpg

今年もまた「風の歌を聴け」の季節がやって来た。
村上春樹の「風の歌を聴け」を読むことは、僕にとっては既に夏の風物詩となっている。
この小説を読まないことには、僕の夏が始まらないような気がしているのだ。

若い頃にこの小説に出会って以来、夏が来るたびに何度も何度も、僕はこの小説を読んだ。
筋書きだって覚えているし、一つ一つの文章さえ体の中に沁み込んでいる。
それでも、今年の夏もまた、僕はこの小説を読みながら、少年のように目を輝かせている。

毎年のように、決まったページのところで僕はため息をついた。
何度読んでも何十回読み返しても、いつまでも好きなフレーズ、というものがあるのだ。
そして、いくつになっても共感することのできるフレーズというものが。

そんなわけで、今年も僕は「風の歌を聴け」のフレーズを書き記しておこうと思う。
まだピュアだった作者が、まだピュアだった時代に書いた、もっともピュアな小説。
まだピュアだった僕は、いとも簡単に、この小説の魅力にやられてしまった。


にほんブログ村 地域生活(街) 北海道ブログ 札幌情報へ
にほんブログ村
↑↑↑↑↑
「にほんブログ村」に参加をしてみました。
1日1回のクリックをお願いいたします!
by kels | 2014-07-23 22:49 | 旧・札幌日和下駄 | Comments(0)

村上春樹翻訳による「言い出せなくて」を聴きながら

b0103470_78920.jpg

村上春樹といえば小説家だけれど、僕は彼のエッセイが好きだ。
エッセイには、いろいろな話題があるけれど、僕は彼の音楽に関する話が好きだ。
そして、音楽の話にもいろいろあるけれど、僕は彼が翻訳する洋楽についての話がとても好きだ。

2003年に発行された「アルネ3号」にも、そんな村上春樹の音楽に関するエッセイが掲載されている。
エッセイのタイトルは「言いだしかねて」だった。
昔の音楽っていうのは、こういうタイトル一つで、胸をキュンとさせる仕掛けになっているらしい。

僕は飛行機で世界一周もした
スペインの革命も調停した
北極点も踏破した
でも君相手だと なぜかうまく切り出せないんだ

1929年には僕は株を売り抜けた
英国に行けば、僕は王室に招待される
でも君の前では僕の心はつらく切ない
それというのも、君にどうしても言い出せないから

「言い出しかねて」村上春樹・訳(1937年)

僕は古い時代の音楽が好きなので、レコードやCDを見つけては買ってきて聴いている。
特に1930年代から40年代にかけての、いわゆる戦前の音楽を聴くと、どういうわけか胸がキュンとなってしまうことが多い。
歌詞もメロディもアレンジも演奏も素朴で単純なのに、人の心の奥底深くに響く音楽とでも言うべきか。

そして、村上春樹のエッセイには、そういう古い音楽が取り上げられることもあって、僕はそういう古い音楽に関する話を、とても楽しみにしているのだ。
それは高名な小説家の難しい音楽論を聴いているというよりは、近所の音楽好きの老人が語る昔話を「へー、そんなことがあったんすね」とか笑いながら聴いているのに近い。
古い音楽の話というのは、やっぱり人生の先輩から聴くべきものだと、僕は考えている。

それにしても、世の中すべてのものが手に入るようなすごい男であっても、好きな女性の前では何も言い出せなくなってしまうっていうのは、いつの時代においても共通している恋愛の本質をとらえたものなのだろう。
1930年代以降、世界中でどれだけの男たちがこの歌を聴きながら「そうなんだよ!」と共感し、涙を流したことか(笑)
男性だったら分かりますよね、この気持ち。





にほんブログ村 地域生活(街) 北海道ブログ 札幌情報へ
にほんブログ村
↑↑↑↑↑
「にほんブログ村」に参加をしてみました。
1日1回のクリックをお願いいたします!
by kels | 2014-04-13 07:37 | 旧・札幌日和下駄 | Comments(0)

村上春樹の「フリオ・イグレシアスのどこが良いのだ!」

b0103470_4543987.jpg

今週はちょっと疲れる出来事が続いていて、それで昨日は早々と仕事を切り上げて、午後9時前には眠ってしまった。
だから、午前3時に目が覚めてしまって、音楽を聴いたり、本を読んだりして、朝までの長い時間を過ごしている。
週末は朝風呂に入る習慣があるんだけれど、午前6時を過ぎないと、なんだか朝風呂に入っているという感じがしない。

ということで、気分転換にブログなどを書いてみる。
僕にとって、このブログは、最高の気分転換なのだ。
文章を書くことでストレス解消できるんだから、安上がりだよね。

今週は、村上春樹の『村上朝日堂』というエッセイ集を持ち歩いては、仕事に出かけていた。
『村上朝日堂』は、1980年代の前半に、日刊アルバイトニュースに連載されていたエッセイをまとめたもので、様々なテーマの雑文が収録されている。
話題がとにかくてんでバラバラなので、逆にそれが良い気分転換になる。

話題の中には、さすがに時代性を感じることも少なくないけれど、僕のように80年代カルチャーが好きな人には、それも隠れた楽しみになっている。
村上春樹もまだ若かったから、文章も瑞々しくて、一つ一つのフレーズにキレとハリがある。
個人的には、村上エッセイの中で一番好きな作品だ。

その中に、フリオ・イグレシアスに関する文章があって、これが非常におもしろい。
まさに、若さゆえのキレとハリが鮮やかな文章で、今だったらきっと書けないだろうなという素晴らしいものになっている。
タイトルは「フリオ・イグレシアスのどこが良いのだ!」

僕の個人的な感想を言えば、あのフリオ・イグレシアスという人間は実に不快である。
僕のこれまでの経験によると、あの手ののっぺりした顔だちの男にロクなのはいない。
財布を拾っても交番に届けないというタイプである。
ああいうのは五年くらい戸塚ヨット・スクールに放りこんでおけばいいと思うのだけど、きっと要領がいいから途中からコーチなんかになって他人をなぐる方に回るに違いない。
そういう男なのだ。

「村上朝日堂」村上春樹(1982年)

作者は2回の連載に渡って、フリオ・イグレシアスがいかに嫌いかということを、これでもかというくらいに書き連ねている。
村上春樹は小説作品の中でも取り上げるくらいフリオ・イグレシアスに思い入れが強いらしい。
『ダンス・ダンス・ダンス』に登場するユキの言葉を借りて言えば、「本当は好きなんじゃないの?」といったところだろう。


にほんブログ村 地域生活(街) 北海道ブログ 札幌情報へ
にほんブログ村
↑↑↑↑↑
「にほんブログ村」に参加をしてみました。
1日1回のクリックをお願いいたします!
by kels | 2014-02-22 05:21 | 旧・札幌日和下駄 | Comments(2)

都会というのは、ある意味で多くの部分が匿名化されやすいものなのだ

b0103470_7482338.jpg

中頓別町の人たちが怒ったという話を聞いた時、僕らは彼らの気持ちが分かるような気がした。
例の村上春樹の小説の話だ。
-たぶん中頓別町ではみんなが普通にやっていることなのだろう。

同じ北海道でも、これが札幌や函館や旭川のように大きな街がモチーフだったとしたら、地元の人たちはここまで敏感に反応しなかったかもしれない。
大きな街は、いつでも様々な批評に晒されているものだし、良い話も悪い話も飲み込んでしまうだけのキャパシティがある。
都会というのは、ある意味で多くの部分が匿名化されやすいものなのだ。

だけど、小さな街の場合は、そんなふうにはいかない。
小さな街は、いろいろな意味で批評の影響を大きく受けやすいし、批評に対する反応が目に見えるようにはっきりと現れてくる。
簡単には匿名化されないものが、小さな街というものなのだ。

きっと、村上春樹は、そのことをきちんと理解していなかったのだと思う。
彼は都会の人だから、そういう小さな街のことを、現実的にイメージすることができなかったのだろう。
そこに悪意のようなものは微塵もなかったとしても。

彼の小説には北海道の地名が時々登場するけれど、それを楽しみにしている地元の人たちは、意外と多いのではないだろうか。
札幌は、既にたくさん登場しているので、この先はもう難しいかもしれない。
だけど、今回の事件があったから、今後はなかなかローカルな地名を登場させにくいかもしれないなあ。


にほんブログ村 地域生活(街) 北海道ブログ 札幌情報へ
にほんブログ村
↑↑↑↑↑
「にほんブログ村」に参加をしてみました。
1日1回のクリックをお願いいたします!
by kels | 2014-02-15 08:04 | 旧・札幌日和下駄 | Comments(6)

懐かしい音楽は決して僕を裏切ったりしない

b0103470_21481676.jpg

もう随分昔のことだけれど、疲れた夜には「ダニーボーイ」ばかりを聴きながら過ごした夜があった。
僕はまだ若くて、人付き合いも今より苦手で、酒の接待をして帰った夜には、必ずといっていいくらい暗がりの中で「ダニーボーイ」を聴いた。
きっと、僕はあの曲で自分を慰めていたのだと思う。

僕が「ダニーボーイ」で自分を慰めるようになったのは、きっと、村上春樹の「世界と終りとハードボイルドワンダーランド」を読んでからのことだったように思う。
あの小説の中で、「ダニーボーイ」はとても瑞々しく、とても美しい音楽として描かれていた。
失われた人の心を取り戻すくらいに美しいメロディとして。

いい大人になって、くだらない社会的儀式にもどうにか慣れた。
「ダニーボーイ」を聴かずとも自分を慰める方法も見つけた。
何より些細なことでは傷ついたりしない大人の鈍感さも身に付けた。

だから、僕がこんな気持ちで「ダニーボーイ」を聴くのは、とても久しぶりのことのような気がする。

そして、今夜得た一つの教訓みたいなものがある。
懐かしい音楽は決して僕を裏切ったりしないと。
懐かしい友人や懐かしい思い出は、いつでも僕を裏切るけれど、懐かしい音楽はあの頃のままで、現在の僕を慰めてくれる。


にほんブログ村 地域生活(街) 北海道ブログ 札幌情報へ
にほんブログ村
↑↑↑↑↑
「にほんブログ村」に参加をしてみました。
1日1回のクリックをお願いいたします!
by kels | 2013-12-04 21:59 | 旧・札幌日和下駄 | Comments(2)

世の中の28歳を過ぎた男性諸君、今日も頑張ろうじゃないか

b0103470_5132810.jpg

男が年齢のことでやたら感傷的になることは珍しくない。
その最も代表的で有名な文章は、村上春樹の小説にあるのではないかと、僕は考えている。
それは、こんな文章だ。

詩人は21で死ぬし、革命家とロックンローラーは24で死ぬ。
それさえ過ぎちまえば、当分はなんとかうまくやっていけるだろう、というのが我々の大方の予測だった。
伝説の不吉なカーブも通り過ぎたし、照明の暗いじめじめしたトンネルもくぐり抜けた。
あとはまっすぐな6車線道路を(さして気は進まぬにしても)目的地に向けてひた走ればいいわけだ。

我々は髪を切り、毎朝髭を剃った。
我々はもう詩人でもロックンローラーでもないのだ。
酔払って電話ボックスの中で寝たり、地下鉄の車内でさくらんぼを一袋食べたり、朝の四時にドアーズのLPを大音量で聞いたりすることもやめた。

つきあいで生命保険にも入ったし、ホテルのバーで酒を飲むようにもなったし、歯医者の領収証をとっておいて医療控除も受けるようにもなった。
なにしろ、もう28だものな。

「ニューヨーク炭鉱の悲劇」村上春樹(1983年)

この「なにしろ、もう28だものな」という台詞が、男の感傷のすべてである。
そして、僕も28歳になったとき、この台詞をぼんやりと思い出しながら感じていたものだ。
「なにしろ、もう28だものな」と。

もっとも、一見気弱なこの言葉は、ある意味では、自分の成長を誇る言葉ともなり得る。
子供から脱却した自分を確認するための言葉。
それをあえて感傷的に装ってみせるのも、屈折したダンディズムというものなのではないだろうか。

28歳なんて若いじゃないかと、今の僕だったら、そう思う。
だけど、28歳の男性が「なにしろ、もう28だものな」とつぶやくその気持ちも、とてもよく理解できる。
なぜなら、ステップを昇ることで失ってきたものが少なくないことを、僕たちはみんなよく知っているからだ。

世の中の28歳を過ぎた男性諸君、今日も頑張ろうじゃないか(笑)





にほんブログ村 地域生活(街) 北海道ブログ 札幌情報へ
にほんブログ村
↑↑↑↑↑
「にほんブログ村」に参加をしてみました。
1日1回のクリックをお願いいたします!
by kels | 2013-11-01 05:33 | 旧・札幌日和下駄 | Comments(2)

夏の終わりというのは、クールな小説家であってもセンチメンタルな気持ちになるらしい

b0103470_2131334.jpg

夏の終わりというのは、クールな小説家であってもセンチメンタルな気持ちになるらしい。
というようなことを、僕は村上春樹の「風の歌を聴け」を読んだときに思った。
特に、それを感じたのは、やはり、この部分のフレーズだろう。

夏の香りを感じたのは久し振りだった。
潮の香り、遠い汽笛、女の子の肌の手ざわり、ヘヤー・リンスのレモンの匂い、夕暮れの風、淡い希望、そして夏の夢・・・
しかしそれはまるでずれてしまったトレーシング・ペーパーのように、何もかもが少しずつ、しかしとり返しのつかぬくらいに昔とは違っていた。

「風の歌を聴け」村上春樹(1979年)

この小説は、まさしく一夏の物語である。
東京の大学に通っている主人公が、夏休みを利用して故郷に戻ってきている。
彼は、夏の終わりとともに、故郷の街を去って東京へと戻らなければならない。

故郷の街を去るということ、仲間たちと別れなければならないということ、そして、夏が過ぎ去ってしまうということ。
夏の終わりは、彼の暮らしの中で、様々なものに区切りを付けて、彼を次の展開へと進めようとする。
物語は、そんな夏の終わりと一緒にフェードアウトするように消えていこうとしている。

8月26日、という店のカレンダーの下にはこんな格言が書かれていた。
「惜しまずに与えるものは、常に与えられるものである」

僕は夜行バスの切符を買い、待合所のベンチに座ってずっと街の灯を眺めていた。
夜が更けるにつれて灯は消え始め、最後には街灯とネオンの灯だけが残った。
遠い汽笛が微かな海風を運んでくる。

「風の歌を聴け」村上春樹(1979年)

夏が特別な季節であるということは、世代や性別を問わずに変わらない感性なのではないだろうか。
その夏が終わろうとしている季節、人は言いようのない喪失感や虚脱感を覚えるはずだ。
それは、取り戻すことのできない青春の時間に似ていることを、人は大人になったあとで気が付く。

夏の終わりには、クールな小説家だって、少年のようなノスタルジーを持つものなのだろう。
そういう意味で、僕はこの小説が今でも大好きだ。
いつまでも瑞々しい少年の心を失わない夏が、物語の中には溢れているから。

あらゆるものは通りすぎる。
誰にもそれを捉えることはできない。
僕たちはそんな風にして生きている。

「風の歌を聴け」村上春樹(1979年)







にほんブログ村 地域生活(街) 北海道ブログ 札幌情報へ
にほんブログ村
↑↑↑↑↑
「にほんブログ村」に参加をしてみました。
1日1回のクリックをお願いいたします!
by kels | 2013-08-30 21:34 | 旧・札幌日和下駄 | Comments(0)

「さらば愛しき女よ」の原題は「Farewell, My Lovely」

b0103470_712557.jpg

早朝、ももいろクローバーZの『サラバ、愛しき悲しみたちよ』を聴いたら、一日中このメロディが頭から離れなかった。
無意識のうちに、この曲が頭の中だけで延々と繰り返されている感じ。
夕方、「ブックオフ」で買い物をしているときにも、このメロディは続いていて、いい加減飽きてきたなあと思ったら、店内放送のBGMでリアルに流れている音楽だった。

ところで、この「さらば愛しき○○よ」みたいな定型文の大元は、きっと、レイモンド・チャンドラーの「さらば愛しき女(ひと)よ」だろう。
私立探偵フィリップ・マーロウが主人公のハードボイルド小説で、読み終わった後の切なさが印象的な物語だ。
小説を読んだことがなくても、このタイトルは知っているという人も多いに違いない。

この小説の原題は「Farewell, My Lovely」。
このセンチメンタルなタイトルを、ハードボイルド風に「さらば愛しき女よ」と訳したのは、翻訳家の清水俊二。
時代的背景もあるのかもしれないけれど、これはやっぱり素晴らしいタイトルだと思う。

もし、これが村上春樹が訳したように「さようなら、愛しい人」であったなら、現在のような定型文にはなっていなかっただろう。
(別に、村上春樹の訳が悪いという意味ではなくて)

戦後間もない時代の翻訳が、ももクロの名曲にまでつながっているかと思うと、妙に感慨深い(笑)


にほんブログ村 地域生活(街) 北海道ブログ 札幌情報へ
にほんブログ村
↑↑↑↑↑
「にほんブログ村」に参加をしてみました。
1日1回のクリックをお願いいたします!
by kels | 2013-08-17 07:49 | 旧・札幌日和下駄 | Comments(2)

映画を観ながら、つくづく村上春樹の初期作品における「ギャツビー」の影響力を感じた

b0103470_5454830.jpg

「華麗なるギャツビー」の映画を観てきた。
映画そのものにはまったく期待していなかったけれど、ブルックスブラザーズが衣装を担当しているということで、映画の中に登場するスーツやらシャツやらを観たかったのだ。
などという予想に反して、映画そのものも面白かったので、とても満足。

ストーリーは、基本的には原作に忠実で、原作の持つ切なさをある程度感じることができた。
一部の演出に映画らしさを感じて辟易するものはあったにしても、突飛過ぎる羽目を外した展開はなかったと思う。
満足できない部分があったとしたら、演出やシナリオよりも配役の方だったかもしれない。

ところで、映画を観ながら、つくづく村上春樹の初期作品における「ギャツビー」の影響力を感じた。
アメリカの映画を観ているのに、村上春樹の小説のことを何度も何度も思い出していたのだ。
もちろん、それは決して悪い意味にではなく、僕にとっては優しいノスタルジーを感じる気持ちに似ていた。

センチメンタルで自己破滅型のスターであるギャツビーは、「ダンス・ダンス・ダンス」に登場する五反田君を思い出させる。
ギャツビーも五反田君も、ごく控え目な男性である物語の語り手に対して強い愛情を持ち、強い信頼感を寄せている。
二人の男が、大人の青春というものの切なさやはかなさを美しく描き出しているところも共通点かもしれない。

物語の語りであるニックとギャツビーとの関係は、「ノルウェイの森」におけるワタナベくんと永沢さんの関係性を連想させる。
傍観者に徹しようとするワタナベくんは、彼女がいるのに他の女の子たちともセックスをする永沢さんに巻きこまれ、彼の暮らしの表と裏に付き合わされることになる。
巻きこまれながらも、あくまで傍観者に徹しようとするその姿は、「ギャツビー」のニック・キャラウェイに相通ずるものがある。

「華麗なるギャツビー」の主人公は、やはり、語り手であるニック・キャラウェイだったのではないだろうか。
ジェイ・ギャツビーという一人の男性を描き出す過程の中で表現されているのは、ニックの強い感受性とプライド、そして鋭い観察眼である。
ニックの目を通して観察され、ニックの言葉を通して語られることにこそ、「ギャツビー」の価値はあったのだ。

ところで、ギャツビーがディジーに向かって次々とドレスシャツを放り投げていくシーンは、この映画の中でも重要なシーンの一つだったが、例の印象的な台詞がなかったのは、個人的にちょっと残念。
まあ、原作を読んでいなければ、格別ストーリーに影響する部分ではないので、仕方ないといえば仕方ないのだけれど。

あと、この物語は、一夏の出来事を描きだしたものなので、もう少し夏らしい季節感を演出してほしかった。
1920年代という時代を表現するには十分すぎるほどだったけれどね。


にほんブログ村 地域生活(街) 北海道ブログ 札幌情報へ
にほんブログ村
↑↑↑↑↑
「にほんブログ村」に参加をしてみました。
1日1回のクリックをお願いいたします!
by kels | 2013-07-06 06:33 | 旧・札幌日和下駄 | Comments(0)