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新しい秋は、去年の秋とは、やっぱり違う季節ということらしい

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我々が朝食を食べ終え、ポーチに出たのは9時だった。
夜を境に気候は一変したらしく、空気には既に秋の匂いがあった。
ギャッツビーの以前の使用人の中ではただ一人残っていた庭師が、階段の下に姿を見せた。
「今日にもプールの水を抜いてしまおうと思っとります」

「グレート・ギャツビー」スコット・フィッツジェラルド/村上春樹・訳(2006年)

実際、札幌の街は、すっかりと秋らしい空気になった。
何が秋らしいと言うのではない。
空気がすっかりと秋らしいのだ。

街が落ち葉に埋もれる晩秋と違って、初秋はさりげなく、そして慎ましやかだ。
熱病が冷めてしまうみたいに、夏は、いつの間にか遠ざかっている。
そして、みんな少しづつ、この新しい季節の空気に慣れてしまうのだ。

過ごしやすいという意味では、確かに良い季節である。
暑すぎもせず、寒すぎもしない。
太陽の高いうちであれば、上着だって必要ないだろう。

ただし、昼と夜との気温差が大きいのも、この季節の特徴である。
かつて何度も、この季節に風邪をひいた。
いつまでも夏のつもりで、薄着で過ごす夜が原因なのだ。

どんな環境にも、なじむまでには時間がかかる。
季節でも人間関係でも、それは同じだ。
新しい秋は、去年の秋とは、やっぱり違う季節ということらしい。


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by kels | 2015-09-23 04:03 | 旧・札幌日和下駄 | Comments(0)

映画「華麗なるギャツビー」の字幕では、「友よ」という表現が使われていた

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僕が『グレート・ギャツビー』を翻訳していると言うと、アメリカ人はまず、「じゃあ、ギャツビーの口癖であるold sportは、どう日本語に訳すのですか?」と質問してきた。
当然と言えば当然の質問である。
もしアメリカ人だったら、僕だって同じ質問をすると思う。

「グレート・ギャツビー(あとがきより)」村上春樹(2006年)

結局、村上春樹は、この「old sport」問題を「オールド・スポート」と訳すことで決着を図った。
適当な、うまい具合の日本語が見つからなかったわけだ。
翻訳というのは難しい作業なんだなあと、つくづく思う。

もっとも、役者によるあとがきの解説がなければ、「オールド・スポート」が何を意味するものか、まったく分からないという問題は残る。
意味が分からなくても筋書きには影響しないのだが、ギャツビーの存在を理解する上で、これはやっぱり寂しい。
この口癖こそが、ギャツビーのアイデンティティのひとつになっている部分はあるからだ。

2013年公開の映画「華麗なるギャツビー」の字幕では、「友よ」という表現が使われていた。
ちなみに、1957年翻訳の野崎孝版では、「親友」。
親しくもない人に対して、親しげに呼びかける俗語だったのかもしれない。

おやすみ、オールド・スポート(笑)


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by kels | 2015-09-22 06:58 | 旧・札幌日和下駄 | Comments(0)

昔の恋人のことも、好きだった女の子のことも、記憶は不鮮明で、思い出だけが鮮やかだ

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僕は恋人のことを考えた。
そして彼女がどんな服を着ていたか思い出してみた。
まるで思い出せなかった。
僕が彼女について思い出せることは、全部漠然としたイメージだった。
僕が彼女のスカートを思い出そうとするとブラウスが消え失せ、僕が帽子を思い出そうとすると、彼女の顔は誰か別の女の子の顔になっていた。
ほんの半年前のことなのに何ひとつ思い出せなかった。
結局、僕は彼女について何を知っていたのだろう?

「午後の最後の芝生」村上春樹(1982年)

どんなに頑張っても、思い出せない記憶がある。
同時に、どんなに忘れようとしても、忘れられない記憶がある。
記憶というのは、不公平で、とても扱いにくいものなのだ。

時々、こんなことを考えた。
今この瞬間のことを、僕は永遠に忘れることはないだろう、と。
だけど、記憶はちゃんと失われていて、多くの瞬間を、僕が思い出すことはない。

記憶が鮮明でない分だけ、思い出は僕の中でしっかりと形づくられていく。
僕にとって都合の良い、僕だけの思い出のままで。
そんな思い出たちが、今の僕を支えていることも、また確かなのだろう。

昔の恋人のことも、好きだった女の子のことも、記憶は不鮮明で、思い出だけが鮮やかだ。


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by kels | 2015-07-26 18:22 | 旧・札幌日和下駄 | Comments(2)

嵐や小波はいくつかあったけれど、僕たちの大いなる夏は続いている

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そうだった。
村上春樹の初めての短編集『中国行きのスロウ・ボート』が安西水丸の洒落たカヴァーで出版されたのは、1983年の初夏のことだった。
僕たちは我れ先にと取り合い、結局、二冊買って、どっちがよけいにボロボロにするか競ったものだ。
あれから三年弱、1986年が明けて早々、その文庫本が出た。
この小さな書物が、新たなどんな思い出を作ってくれるのだろうか。
嵐や小波はいくつかあったけれど、僕たちの大いなる夏は続いている。

「中国行きのスロウ・ボート」中公文庫裏表紙(1986年)

村上春樹の「中国行きのスロウ・ボート」を読み返している。
最近になって、近所の古本屋で見つけてきたものだ。
2008年発行の中公文庫だった。

裏表紙には、本の紹介コメントがあった。
おそらく、普通の小説のものとは少し異なるだろう、ポパイ的で80年代的シャレオツなコメント。
1986年の村上春樹っていうのは、やっぱり、そういうスタンスで扱われていたのだ。

そして、僕のもっとも好きな村上春樹が、この時代の村上春樹である。
ポパイ的で、80年代的シャレオツな幻想と希望を与えてくれた村上春樹の小説。
振り返りたくなったとき、僕はそっとあの頃の村上春樹を手に取るのだろう。





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by kels | 2015-06-20 08:30 | 旧・札幌日和下駄 | Comments(0)

大人になった今も僕は、自分の居場所を求め続けている

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既に30歳を超えた一人の男として、もう一度バスケットボールのゴール・ポストに全速力でぶつかり、もう一度グローブを枕に葡萄畑の下で目を覚ましたとしたら、僕は今度は何と叫ぶのだろう?
わからない。
いや、あるいは、こう叫ぶかもしれない。
「おい、ここは僕の場所でもない」と。

「中国行きのスロウ・ボート」村上春樹(1980年)

自分の居場所を探すことって、簡単なようでいて、実際はかなり難しいことだと僕は思う。
辿り着いたかと思えば旅の途中だったということなんて、人生には何度でもある。
所詮、人生は終わりのない旅であり、人は一人の旅人に過ぎない。

子供の頃から友達の多い人生だった。
いつでも誰かが僕の隣にいたし、おかげで僕は寂しい思いをすることが少なかった。
いくつかのトラブルや偶発的な事故はあったとしても。

だけど、どれだけ多くの友達に囲まれていても、僕は常に自分の居場所を探し続けていたような気がする。
もっと居心地の良い、もっと満たされる世界。
もちろん、そんな居場所はどこにもなかったけれど。

大人になった今も僕は、自分の居場所を求め続けている。
もっと居心地の良い、もっと満たされる世界。
現状に満足するようになったら、そこで終わりなのかもしれない。


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by kels | 2015-06-20 07:56 | 旧・札幌日和下駄 | Comments(0)

村上春樹の作品の中で、もっとも好きな短編が「中国行きのスロウ・ボート」だった

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僕は28になっていた。
結婚以来6年の歳月が流れていた。
6年の間に3匹の猫を埋葬した。
幾つかの希望を焼き捨て、幾つかの苦しみを分厚いセーターにくるんで土に埋めた。
全てはこのつかみどころのない巨大な都会の中で行われた。

「中国行きのスロウ・ボート」村上春樹(1980年)

村上春樹の作品の中で、もっとも好きな短編が「中国行きのスロウ・ボート」だった。
確か、村上春樹最初の短編小説だったような気がする。
あの頃、僕は何歳だったのだろう?

ドラマチックな展開はないけれど、深い啓示と希望に満ちた小説だった。
何でもない当たり前のことが、まるで教訓に満ちているみたいに感じられた。
教訓とか哲学とかいうものに憧れていた世代だったのかもしれない。

あれから、どのくらいの時が経っただろうか。
僕は何百もの希望を焼き捨て、何百もの苦しみを土に埋めたはずだ。
この街で生きる多くの人たちと同じように。


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by kels | 2015-06-13 06:16 | 旧・札幌日和下駄 | Comments(0)

僕がブルックスブラザーズを好きになったのは、その伝統に惹かれたからだ

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たとえば洋服でいえば、ブルックスブラザーズ、ポール・スチュアート、Jプレス、こういう店に一歩足を踏み入れると、心が何となくうきうきしたものだった。
青少年時代をVANジャケット一辺倒で送った世代としては、そういう本場アイヴィー・リーガーズ御用達服飾店のブランド・マークを見ただけでも胸がときめいたし、また実際に服をまとめて買って帰りもした。
最初にアメリカに行ったときに、ボストンのブルックス・ブラザーズに入ってシャツを選んでいたら、ばりっとしたブルックス・スーツに身を包んだ上品なおじいさんの店員が僕の相手をしてくれたのだが、この人の英語がいかにもニュー・イングランド風の立派なのもので、洋服屋の店員というよりは、まるでハーヴァード大学の教授みたいに見えた。

「やがて悲しき外国語」村上春樹(1993年)

僕は村上春樹が好きで、ブルックスブラザーズが好きだから、村上春樹の文章の中にブルックスブラザーズという言葉が出てくるとドキッとする。
いささかミーハーだなあとは自分でも思うけれど、こういうミーハー的な感情というのは、意外と楽しいものだ。
暮らしの中にミーハー的な要素が何もなくなったら、それはそれでつまらないだろう。

僕は別にVANジャケットとかアイヴィーとかの洗礼を受けて育った世代ではない。
実際、僕の周りでアイヴィーとかアメリカン・トラッドとかに関心のある友人は少ない。
と言うよりも皆無に等しいような気がする。

僕がブルックスブラザーズを好きになったのは、やはり、その伝統に惹かれたからだろうと思う。
スコット・フィッツジェラルドやジョン・F・ケネディの伝説は、僕にとって、そのままブルックス・ブラザーズの伝説になっているのだ。
いささかミーハーに過ぎるけれども。

もっとも、好きなものと似合うものとは別物という言葉もある。
大柄なアメリカ人に向けて作られた洋服のシルエットは、はっきり言って、僕には似合わない。
トラウザーズだと、そもそもウエストがマッチしないという根本的な問題が発生する。

サイズ感さえ解決できれば、僕はもっとブルックズブラザーズと近くなれるんだけどね。


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by kels | 2015-06-07 20:16 | 旧・札幌日和下駄 | Comments(0)

春は一度も後戻りしなかった。三月とは全然違うのだ。

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一週間が過ぎた。
春が地歩を固め、確実に前進していく一週間だった。
春は一度も後戻りしなかった。
三月とは全然違うのだ。
桜が咲き、そして夜の雨がそれを散らせた。

「ダンス・ダンス・ダンス」村上春樹(1988年)

噂によると、札幌市内でも花の咲いている桜の樹があるらしい。
全然進んでいないように見えて、季節はやっぱり進んでいるのだ。
目にはさやかに見えない前進かもしれないけれど。

どうでもいいけれど、「ダンス・ダンス・ダンス」を読んでいると、何だかドーナツを食べたくなるんだよね(笑)


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by kels | 2015-04-21 19:32 | 旧・札幌日和下駄 | Comments(0)

VANジャケットのダッフルコートを13年間も着続けた村上春樹さんはすごい

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僕はダッフルコートというのが好きで、この13年くらいずっと同じものを着ている。
VANジャケット製のチャコール・グレイのもので、買ったときは1万5千円だった。
それ以来、冬になるとこれで寒風をしのいでいる。
そのあいだに世の中では実にいろんなコートが流行った。
マキシのコートが流行り、アフガン・コートが流行り、皮ジャンが流行り、毛皮が流行り、ランチ・コートが流行り、スタジアム・ジャックが流行り、ピー・コートが流行り、ダウン・ジャケットが流行った。
そのあいだ僕はずっとダッフル・コートを着ていた。

「村上朝日堂」村上春樹(1984年)

今年になってダッフルコートを2着買った。
1着は老舗定番ブランドのニューモデルで、もう1着はドメブラの昨季モデルである。
おかげで、いつも以上に暖かい冬を過ごせそうな気がする。

本当に欲しくて買ったのは、もちろん、老舗の定番ブランドの最新モデルである。
ただし、スタンダードモデルではなくて、ショート丈のニットダッフルという、思い切りの変化球。
考えてみると、昨シーズンも2着のダッフルコートを買っているので、ダッフルコートが増殖中である。

ドメブラのものは、サンプルセールでジャストサイズが安かったので、勢いで買ってしまった。
衝動買いだけれど、普段使いとして大いに活用できそうな気がしている。
案外こうやって勢いで買ったものがレギャラーに定着したりするからね。

もともと、ダッフルコートマニアというわけでもないけれど、近年はなぜかダッフルコート好きだ。
4着あれば、オンとオフとでの使い回しにも便利。
そもそもダッフルコートなんてジャケットスタイルでも違和感ないので、コストパフォーマンスは高いと思う。

ところで、村上春樹と言えばダッフルコートというイメージがあった。
安西水丸さんの描いたイラストが、あまりにも本人そっくりなので、村上さんも街を歩くときに困ったとか。
僕の中の村上さんは、だから今でもあの頃のままのダッフルコートを着て歩いている。

それにしても村上さんは流行に関係なく一着のダッフルコートを着続けた。
やがて流行が一回りしてダッフルコートに戻ってきたらしいけれど、デザインのトレンドはきっと変化していたんだろうなあ。
僕も古いダッフルコートを持っているけれど、あまりにもロング丈で今着るのは難しいもんね。

VANのダッフルを13年間も着続けた村上さんは、やっぱりすごいなあと思う。


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by kels | 2014-11-20 20:45 | 旧・札幌日和下駄 | Comments(0)

村上春樹は今回もノーベル文学賞の受賞を逃したらしい

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その頃に覚えた例文は今でもいくつか覚えている。
たとえばサマセット・モームの「どんな髭剃りにも哲学はある」という言葉もそのひとつである。
その前後にわりと長く文章がついていたのだが、そちらの方は忘れてしまった。
要するに、どんな些細なことでも毎日続けていれば、そこにおのずから哲学は生まれるという趣旨の文章である。
女の人向けに言うと「どんな口紅にも哲学はある」ということになる。

「ランゲルハンス島の午後」村上春樹(1986年)

ニュース速報によると、村上春樹は今回もノーベル文学賞の受賞を逃したらしい。
取れそうで取れないのがノーベル賞というものなのだろうか。
一村上春樹ファンとしては、ちょっと残念である。

とは言え「受賞を逃す」という表現はちょっと引っかかる。
何かを取ろうとして失敗したのであれば「逃す」という表現で間違いないかもしれない。
だけど、候補になったかどうかも知らされず、ただ発表を待っているだけの場合も「逃した」ということになるのだろうか。

期待が大きいだけに、そのような表現になるのかもしれないが、案外本人はあまり気にしていないのかもしれない。
あまり文学賞なんかに執着するタイプという印象がないんだよね、村上春樹って。
デビューしたばかりの頃のイメージしか持ってないけれど。

関係ないけど、安西水丸さんとの共作「ランゲルハンス島の午後」は名作ですね。






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by kels | 2014-10-09 21:23 | 旧・札幌日和下駄 | Comments(0)