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これまで雪で運休したことのなかった札幌市電の歴史が奇跡みたいなものなのだ

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暁方(あけがた)の三時からゆるい陣痛が起り出して不安が家中に拡(ひろ)がったのは今から思うと七年前の事だ。
それは吹雪も吹雪、北海道ですら、滅多にはないひどい吹雪の日だった。
市街を離れた川沿いの一つ家はけし飛ぶ程揺れ動いて、窓硝子に吹きつけられた粉雪は、さらぬだに綿雲に閉じられた陽の光を二重に遮って、夜の暗さがいつまでも部屋から退(ど)かなかった。

「小さき者へ」有島武郎(1918年)

札幌や北海道を舞台にした文芸作品は古今無数にある。
そして、その多くの作品が、北海道の厳しい冬の暮らしを描いている。
北海道らしさを描こうとするとき、冬の凄まじさは決して忘れることのできない、北海道の風土だからだ。

無数の作家が北海道の冬を文章にしたためたけれど、その中で僕は、有島武郎の描く冬が一番好きだ。
特に、「小さき者へ」の冒頭部分にある吹雪の描写は、札幌の冬を簡潔に表現している。
心に沁み入る吹雪の情景だ。

その頃、有島の家は、菊水1 条1 丁目の豊平河畔にあった。
当時は住宅街というよりも、一帯は果樹園だったらしい。
明治の終わり頃のことである。

有島の暮らした住宅は、現在も開拓の村に保存されていて見学することが可能だ。
この住宅の前に立った時、この家がけし飛ぶほど揺れた吹雪の恐ろしさをリアルに想像することができるだろう。
現代のように、寒冷地住宅が十分に研究されてはいなかった時代の話なのだ。

吹雪に閉ざされて昼なお暗い冬の暮らしを、現代の僕たちは上手に思い描くことができない。
暖かい部屋の窓から眺める吹雪は、生命の安全が保証された吹雪だ。
明治時代の吹雪とは、きっと何もかもが違うのだろう。

そんな現代にあって、雪のために市電が終日運休したという事実は、人々をひどく驚かせた。

もっとも、JR北海道なんて大雪のたびに運休している。
鉄道の視点で考えてみれば、明治も平成も人間の非力さというのは、何も変わっていないのかもしれない。
これまで運休したことのなかった札幌市電の歴史が奇跡みたいなものなのだ。

さて、今日は市電、動くのかな?


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by kels | 2016-12-11 07:39 | 冬のこと | Comments(2)

「さっぽろライラックまつり」は、今日で終わりだったらしい

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私が学生々活をしていた頃には、米国風な広々とした札幌の道路のここかしこに林檎園があった。
そこには屹度小さな小屋があって、誰でも五六銭を手にしてゆくと、二三人では喰い切れない程の林檎を、枝からもぎって籃に入れて持って来て喰べさせてくれた。
白い粉の吹いたままな皮を衣物で押し拭って、丸かじりにしたその味は忘れられない。
春になってそれらの園に林檎の花が一時に開くそのしみじみとした感じも忘れることが出来ない。

「北海道に就いての印象」有島武郎

「さっぽろライラックまつり」は、今日で終わりだったらしい。
夕方、大通公園を散歩したけれど、思ったほど混雑してはいなかった。
食事時には少し早かったせいかもしれない。

それでも、道内各地の名産を食べさせるコーナーは、非常に賑わっていた。
近年のこうしたイベントは、若い人たちに支持されているのだろう。
木陰で風に吹かれながら食事をする心地良さは、確かに他に替えがたいものがある。

今年はライラックの開花も早かったので、今日あたり、多くのライラックは既に枯れ始めていた。
まつりの始まったころが、最も花の美しい時期だったような気がする。
季節の花の見頃は、まさしく一瞬、一期一会だ。

ライラックの季節が過ぎるのは寂しい。
だけど、札幌の夏には、次から次へと心惹かれるものが現れる。
一期一会で、今年の夏を楽しまなくては。


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by kels | 2016-05-29 20:20 | 夏のこと | Comments(0)

有島武郎の日記に描かれた明治時代の札幌の花見

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朝六時半起床。出校す。
二時間目より休業となりしかば有志相計りて丸山に遊ぶ。
桜花のまさに咲くあればなり。

桜の在る所、堂々たる札幌にして、只此一小仙園あるのみ。
至れば、桜株百内外之れを内地の名所に比すれば、巨人に対する一侏儒のみ。
而かも、我が目を喜ばして餘りあり。

此日、師範学校付属の生徒及び北海女学校の生徒来たりて、運動会を為す。
唱歌し、野球の技、蹴球の術、盛に戯るるの様、桜花の爛漫と夫れ何れぞ。

「観想録」有島武郎(1901年)

有島武郎の日記の中にも、札幌の桜が登場している。
上記は、明治34年5月13日木曜日の日記の一部抜粋だが、このとき、有島は札幌農学校の学生だった。
講義が休校になったため、仲間と一緒に円山公園まで花見に出かけた様子が記されている。

大都市・札幌にあって、桜の名所は円山公園1か所のみであると、有島は記録している。
その円山公園にあっても、桜の樹はせいぜい100株前後。
内地の人間にとっては、ささやかなものだったのかもしれない。

ちなみに、当時の花見はバーベキューではなかった(当たり前だが)。
有島も書いているように、当時は学校行事で運動会を行うことが多かったらしい。
野球やサッカーで盛り上がる花見というのも楽しそうだ。

有島の日記には、かつての札幌の情景が描かれている。
大人になるにつれて、観念的な悩みが多くなっていくが、明治時代の札幌を描いた貴重な記録である。
円山公園の桜が、古くから札幌市民に愛されてきた様子が分かろうかというものだ。


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by kels | 2016-05-05 22:07 | 文学 | Comments(0)

死を持って償うしかありえないところに、「不倫」の愛の壮絶さを、僕は感じる

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愛したものの死ほど心安い潔いさぎよい死はない。
その他の死は凡て苦痛だ。
それは他の為めに自滅するのではない。
自滅するものの個性は死の瞬間に最上の生長に達しているのだ。
即ち人間として奪い得る凡てのものを奪い取っているのだ。

「惜みなく愛は奪う」有島武郎(1920年)

「ゲス不倫」でもうひとつ思い出したことがある。
あれは、有島武郎の心中事件だ。
近代日本文学史を揺るがした、大きなスキャンダルのひとつとして、人々の記憶に残されている。

有島武郎の妻は、幼い子どもたちを残して病死している。
有島38歳のときのことだった。

その後、一人暮らしを続けていた有島は、45歳のときに、「婦人公論」の記者である波多野秋子と出会う。
人妻であった秋子の夫は、有島の責任を厳しく問い詰める。
愛を清算するために二人が選んだ道は「心中」という選択肢だった。

不倫の果てに情死事件を起こした有島は、その後、日本文壇からも完全に抹殺されてしまう。
有島の再評価がようやく始まったのは、戦後しばらく経ってからのことだった。
一人の文学者を歴史の奥深くに沈めてしまうほどに、「不倫」という言葉の持つ意味は重い。

たとえ、「死」がすべてを清算しようとも、社会は決して「不倫」を許容することはないだろう。
そう知っていても、死を持って償うしかありえないところに、「不倫」の愛の壮絶さを、僕は感じる。
そこまで壮絶な気持ちがあってこそ、初めて、「不倫」の愛は成立するのではないだろうか。

雨がひどく降っている。
私達は長い路を歩いたので濡れそぼちながら、最後のいとなみをしている。
森厳だとか悲壮だとかいえばいえる光景だが、 実際私たちは戯れつゝある二人の小児に等しい。
愛の前に死がかくまで無力なものだとは此瞬間まで思わなかった。
恐らく私達の死骸は腐乱して発見されるだらう。

有島武郎の遺書の一節より

どれだけ美しくても「ゲス不倫」は「ゲス不倫」。
救いようはないのだけれど。


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by kels | 2016-02-14 17:59 | 随想・日記 | Comments(0)

有島武郎の「小さき者へ」は、切なすぎると同時に美しすぎる作品だ

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いよいよH海岸の病院に入院する日が来た。
お前たちの母上は全快しない限りは死ぬともお前たちに逢わない覚悟のほぞを堅めていた。
二度とは着ないと思われる――そして実際着なかった――晴着を着て座を立った母上は内外の母親の眼の前でさめざめと泣き崩れた。
女ながらに気性の勝ぐれて強いお前たちの母上は、私と二人だけいる場合でも泣顔などは見せた事がないといってもいい位だったのに、その時の涙は拭くあとからあとから流れ落ちた。

「小さき者へ」有島武郎(1918年)

最近は、「小学生のボクは鬼のようなお母さんにナスビを売らされました」という名前の絵本が売れているらしい。
病気だった母親が、自分の泣き顔を見せたくないために、小学生の子どもになすびを売りに出かけさせるという話だ。
もちろん、作者がなすび売りの理由を知ったのは、母親の死後のことである。

どんな親でも、子を思う心に変わりはない。
小さな子供を残して逝かねばならない母の心は、どれだけ無念のことだっただろうか。

有島武郎の「小さき者へ」には、幼い子どもたちを残して死んでいく母親の無念が、父親である有島の筆を通して、次から次へと溢れ出ている。
切なすぎると同時に、美しすぎる作品だ。

札幌、東京、鎌倉と、病気の妻を連れて移転した有島の生活を、作品では知ることができる。
幼い子ども3人を連れた家族の絆の強さが、文脈のあちこちから伝わってくるが、病魔は容赦なく妻の命を切り刻んでいく。
壮絶であるが故に、すべてを子どもたちに伝えたいと、作者は考えたのだろうか。


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by kels | 2016-01-24 07:23 | 文学 | Comments(0)

昨日東京で雪が降ったと思っていたら、今日は北海道もひどい天気になった

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暁方の三時からゆるい陣痛が起こりだして不安が家じゅうに広がったのは、今から思うと七年前のことだ。
それは吹雪も吹雪、北海道ですら、めったにはないひどい吹雪の日だった。
市街を離れた川沿いの一つ家は、けし飛ぶほど揺れ動いて、窓ガラスに吹きつけられた粉雪は、さらぬだに綿雲に閉じられた陽の光を二重にさえぎって、夜の暗さがいつまでも部屋からどかなかった。

「小さき者へ」有島武郎(1918年)

昨日東京で雪が降ったと思っていたら、今日は北海道もひどい天気になった。
もっとも、札幌あたりはまだ良い方で、道東・道北では、かなり大変な状況になっているらしい。
テレビのニュース番組では、記録的な大荒れを報じ続けている。

有島の長男が生まれたときも、そのようなひどい吹雪の日だったらしい。
「市街を離れた川沿いの一つ家」は、菊水1条1丁目に建っていた。
現在は公園になっているあたりの、本当に豊平川の河畔だ。

当時の住宅は、今でも北海道開拓の村で見ることができる。
古い建物とは言え、よくぞ吹雪の夜を耐えたなあと思わざるを得ない家だ。
吹雪の中で「けし飛ぶほど揺れ動い」たのも当然だっただろう。

有島武郎の小説には、このような北海道の厳しい冬が頻繁に登場する。
それほどまでに、北海道の冬の印象は強烈で、過酷なものだったのだろうと推測する。
当時の冬は、現代の冬とは比べ物にならないくらいに恐ろしいものだったはずだから。

とは言え、今回のような冬の嵐が来ると、人間って非力だなあと、いつも思うわけだけれど。


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by kels | 2016-01-23 06:44 | 文学 | Comments(2)

「カインの末裔」には、北海道の真冬の凄まじさがリアルに表現されている

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天も地も一つになった。
颯と風が吹きおろしたと思うと、積雪は自分の方から舞い上るように舞上った。
それが横なぐりになびいて矢よりも早く空を飛んだ。
佐藤の小屋やそのまわりの木立は見えたり隠れたりした。
風に向った二人の半身はたちまち白く染まって、細かい針で絶間なく刺すような刺戟は二人の顔を真赤にして感覚を失わしめた。
二人はまつげに氷りつく雪を打振い打振い雪の中をこいだ。

「カインの末裔」有島武郎(1917年)

1917年(大正6年)、有島武郎は休職していた東北帝国大学農科大学(現在の北海道大学)を退職した。
妻の病気治療のために、北海道を離れてしまったからだ。
「カインの末裔」を書いたとき、有島は北海道の人ではなかった。

だから、この作品は、有島の記憶の中の北海道が描かれているということになる。
この作品の舞台は、後志地方の狩太(かりぶと)である。
(狩太町は、昭和39年に「ニセコ町」へと名称変更をしている。)

北海道の真冬の凄まじさが、実にリアルに表現されている。
「颯と風が吹きおろしたと思うと、積雪は自分の方から舞い上るように舞上った。それが横なぐりになびいて矢よりも早く空を飛んだ。」の部分は、まさに北海道の冬だ。
吹雪ではなくても、強い風に吹き上げられた雪が、すべての視界を失ってしまうのである。

北海道の冬の写真を撮るのだったら、このような写真を撮りたいと思う。
もちろん、相当の覚悟がなければ、そのような機会はそうそうあるものではないだろうけれど。


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by kels | 2016-01-17 07:52 | 冬のこと | Comments(0)

冬の北海道を描いた作品として、有島武郎の「カインの末裔」は、間違いなく代表的な作品だ。

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北海道の冬は空まで逼っていた。
蝦夷富士といわれるマッカリヌプリの麓に続く胆振の大草原を、日本海から内浦湾に吹きぬける西風が、打ち寄せる紆濤のように跡から跡から吹き払っていった。
寒い風だ。
見上げると八合目まで雪になったマッカリヌプリは少し頭を前にこごめて風に歯向いながら黙ったまま突立っていた。
昆布岳の斜面に小さく集った雲の塊を眼がけて日は沈みかかっていた。
草原の上には一本の樹木も生えていなかった。
心細いほど真直な一筋道を、彼れと彼れの妻だけが、よろよろと歩く二本の立木のように動いて行った。

「カインの末裔」(1917年)有島武郎

冬の北海道を描いた作品として、有島武郎の「カインの末裔」は、間違いなく代表的な作品だ。
もちろん、この作品は、ひと冬の物語ではない。
農民の暮らしを、季節の移り変わりの中で描いてみせたものだ。

それでも、この小説は、読者に厳しい冬を強く印象付ける。
それは、冬で始まり、冬で終わる、絶妙の構成によって計算されたものであるからだ。
作者は、北海道の冬を、作品の中で非常に効果的に活用している。

ある農場に、新しい移住者がやってくる。
夫婦と赤ん坊、そして馬。
それは、厳しい冬の北海道でのことだった。

破天荒な主人公は、周囲の反感を買いながらも、自分なりの農業を成功させていく。
他人の女房を寝取り、小作料も納めず、好きな酒を飲んだ。
しかし、人生は、自分の思いどおりになるものではない。

赤ん坊が病気で死に、馬は草競馬で大きな怪我を負った。
そして、農場主の豊かな暮らしと、自分の貧しい暮らしとのあまりの格差に打ちのめされる。

やがて、夫婦は農場を出た。
赤ん坊と馬の姿もなく。
それは、厳しい冬の北海道でのことだった。

主人公に決して感情移入できないということが、この小説の特徴だ。
一方で、人は誰しも、破天荒で野蛮な自分自身というものを抱えているものである。
「カインの末裔」というタイトルが、作者の意図を何よりも示しているのかもしれない。

あまりに定番すぎるけれど、冬になると読みたい小説のひとつである。


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by kels | 2016-01-16 06:51 | 文学 | Comments(0)

真冬のとても冷え込んだ朝には、蜃気楼を見ることができた

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或る冴えた晩秋の朝であった。
霜の上には薄い牛乳のような色の靄(もや)が青白く澱んでいた。
私は早起きをして表戸の所に新聞紙を拾いに出ると、東にあった二個の太陽を見出した。
私は顔も洗わずに天文学に詳しい教授の所に駆けつけた。

「解放」有島武郎(1921年)

オホーツク海に面した小さな街で暮らしていたころ、僕は毎朝、流氷の海を撮りに出かけた。
寒がりの自分が、よくそんなことを毎日続けられたものである。
あの頃は、まだ実戦的ネイチャー派の人間だったのだ(笑)

真冬のとても冷え込んだ朝には、蜃気楼を見ることができた。
遠い海の向こう側に、さかさまになった街が見えるのである。
蜃気楼は一度ならず何度も見ることができた。

友人たちは、写真を地元の新聞社に提供したらいいと言ったが、僕は新聞社に報告したりしなかった。
新聞社の記者は顔見知りだったから、すぐに僕の写真を掲載しただろう。
小さな街だから、あっという間に僕はモノ好きな写真家として有名になること請け合いなのだ。

あの頃は、まだフィルムの一眼レフカメラを使っていた。
毎朝のように、ガシガシとフィルムを消費していた。
真冬の趣味と言えば、写真くらいしか思いつかないような街の暮らしだった。


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by kels | 2015-11-21 07:15 | 写真・カメラ | Comments(0)