ホワイト・イルミネーションは、冬の夜の札幌を楽しむのに最高のイベントだと思う

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初めて札幌へ出かける人に、どこを見ればいいかと訊ねられた場合、私は必ず植物園とビール園と創成川畔だけは指摘する。
大通公園や中島公園は全国的に知れわたっていて、いまさら指摘の必要がないと思えるからである。
もっとも、その大通公園にしても、内地からの旅行者の殆んどが、三、四丁目あたりだけを眺めて通りすぎてしまうらしいが、本当の大通の姿は西へ入るほど深まってゆく。
三丁目四丁目あたりは、今では人工的になりすぎた。

「札幌の中の札幌」船山馨(1971年)

先日、ホワイト・イルミネーションを観るために、大通公園まで出かけた。
札幌テレビ塔からスタートしたのだけれど、大通公園の広さを改めて実感した。
どこまで行ってもイルミネーション会場が続いているのだ。

札幌テレビ塔は、大通公園の東端である西一丁目の東隅にある。
大通公園は、ここから西に向って整備されている。
突きあたりは、西13丁目の札幌資料館だ。

普通の市民が、大通公園の東端から西端までを歩く機会というのはほとんどない。
ジョギングや犬の散歩をしている人たちくらいのものである。
稀に、季節の写真を撮り歩いている物好きな人間もいたりするが(笑)

今回、イルミネーションは、西一丁目から西八丁目まで用意されている。
それぞれの区画ごとにテーマが設けられて趣向が凝らされているから、飽きるようなことはない。
冬の札幌の夜を楽しむには最高のイベントだと思う。

もちろん、八区画も観て歩けば結構な時間もかかるし、それなりに疲れるし、何より寒い。
合間にカフェタイムなども入れて、のんびりと札幌の夜を楽しむことをお勧めしたい。


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# by kels | 2016-12-03 07:43 | 冬のこと | Comments(0)

戦後間もない時期に、佐多稲子は小樽を訪れている

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雪は和子の面にも吹きつけるほど激しく、降っている。
停電は、狭い一区画だけで、大通りの先は街燈もついていて、狂うように舞い落ちる雪片が、街燈のまわりで早い速度を浮き出させて見せた。

「雪の降る小樽」佐多稲子(1950年)

戦後間もない時期に、佐多稲子は小樽を訪れている。
かつての盟友であった小林多喜二の母親に面会するためである。
「雪の降る小樽」は、そのときの体験がモチーフとして用いられている。

舞台は12月半ばの小樽である。
いよいよ根雪になるらしい雪が、小樽の街を埋め尽くしていた。
地元の人々は「あいにくの雪で」と挨拶を交わす。

主人公の和子は、案内人の家で夕食を食べた後、吹雪の中、「南樽(なんたる)」の駅まで歩く。
目的地は「朝里」である。
汽車は吹雪のため、1時間の延着となっていた。

実は、このとき和子は、共産党の活動のために北海道を訪れている。
札幌、夕張、苫小牧、室蘭などを回り、各地で地元の活動家の人たちと意見交換をしていたのだ。
和子にとっては、これが初めての北海道だった。

そんな旅行の中で、小樽だけは和子のプライベートな目的地だった。
「十数年前に警察の拷問で死んだ作家Kの母親」を訪れるためだ。
Kの死体からシャツを脱がしたのが、Kの母親と和子だった。

激しい雪の中、和子はKの母親を訪ねていく。
案内役の人々は、北海道に根差した活動家たちで、それぞれの事情と生活と運動とを抱えている。
昭和20年代前半の北海道でなければ描けない何かが、そこにはあったのではないか。

雪降る小樽の光景が、戦後間もない時代の社会運動家たちを、美しく見せている。


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# by kels | 2016-11-29 21:01 | 札幌文学散歩 | Comments(0)

この街が誕生した明治以降の時代であれば、札幌が描かれていない時代はない

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札幌開拓の経営は、明治二年十一月十日に始まった。
その年はことのほか積雪が少なく、寒気が過酷であった。
秋が深くなって、例年なら雪が来るのに関らず、深い霜が降り、夜毎に彼等を悩ました。

「札幌開府」寒川光太郎(1941年)

札幌を舞台とした小説は数限りないと思われる。
日本にして日本にあらずの北の島の都市である。
内地の人々を惹き付けるだけの、不思議な魅力を持っていた。

だから、札幌を舞台とした小説は、いつ、どの時代にも生まれた。
明治、大正、昭和初期(戦前)、戦後、そして現代。
この街が誕生した明治以降の時代であれば、札幌が描かれていない時代はない。

その中で、最も古い時代の札幌を描いたものは、開拓時代の札幌を描いたものということになる。
例えば、寒川光太郎の「札幌開府」は、まさしく島判官が札幌の街を築き上げようとする、その瞬間を描いている。
小説の舞台となった「札幌」としては、最も古い部類に属するものだろう。

「静かな夜じゃな、いつもこうかな蝦夷地は」
暫くしてぽつりと判官が口を切った。
「はあ、今宵あたりは雪かもしれませぬ」

「札幌開府」寒川光太郎(1941年)

冬が近づく季節になると、決まって僕は島判官のことを思い出す。
間もなく長い冬が訪れようとしている未開の蝦夷地で、彼は何を見たのだろう。
物語は限りない妄想を、僕たちに与えてくれる。


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# by kels | 2016-11-28 20:44 | 札幌文学散歩 | Comments(0)

橋崎政の「伝記製造業」は、戦後間もない札幌が舞台となっている、興味深い小説だ

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高校を卒業してからの勤め先は、サトホロという北の都会にある、赤煉瓦の行政庁であった。
故郷から汽車で三時間あまり。
カッキリと碁盤割りになったまちなみが、いかにも能率的な健康美にあふれ、田舎ものの三郎兵衛を有頂天にした。

「伝記製造業」橋崎政(1957年)

北見出身の橋崎が北海道庁に就職したのは、昭和21年のことである。
役所勤めは長くは続かなかったが、戦後混乱期の札幌を、橋崎は行政の立場から垣間見ていた。
終戦後の札幌を知る上で、橋崎の作品には数々のヒントがあると言える。

「伝記製造業」はこうした戦後の混乱期を生きた男の物語である。
共産主義者だった橋崎は、戦後社会の不条理を、あえて軽妙なタッチで描こうとしているようにも思える。
家庭の犠牲となって売春婦となってしまった恋人を救うために、ひたすらに金を稼ぎ続けなければならない主人公が極めた道が「伝記製造業」だった。

物語の筋は置くとして、戦後間もない札幌が舞台となっているという意味において、興味深い小説だ。


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# by kels | 2016-11-27 21:08 | 札幌文学散歩 | Comments(0)

2日連続の真冬日を含めて、一日の平均気温は3日連続で氷点下だった

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十一月の土曜日の午後、そとは霙まじりの雨が朝からふりしきっていた。
昨夜から気温は急激に下がり、雪一色の季節を迎える前の、天候がめまぐるしく変化する札幌の晩秋が、ここひと月あまり雨や風を盛大にともなって、天気予報を裏切りつづけている。

「恋人よ」藤堂志津子(1989年)

今日の札幌は、久しぶりに暖かい一日だった。
暖かいと言っても、最高気温は9℃そこそこである。
この季節としては、格別に暑すぎるというほどの気温ではなかった。

そもそもは、ここ一週間の気温が低すぎたのだ。
2日連続の真冬日を含めて、一日の平均気温は3日連続で氷点下だった。
最も寒かったのは23日の氷点下7℃で、11月としては異常な寒さである。

考えてみると、今年は秋らしい秋がなかった。
いつの間にか夏が終わり、秋の深まりを待つ間もなく冬が始まっていた。
こんな秋は、きっと、もう二度と経験することがないだろう。

そんな一週間を過ごしたばかりだったから、9℃という気温は相当暖かったのに違いない。
街では薄着の若い人たちの姿が、たくさん見つけることができた。
9℃という気温は、決して暖かいと呼べるような気温ではないのだが。

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# by kels | 2016-11-27 20:43 | 冬のこと | Comments(0)