終身雇用制度を背景として、大企業に入社することが、安定した人生の代名詞であった

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勉強することが、当たり前の時代になった。
なにしろ、高校進学率が99%近い時代である。
1960年には60%に満たなかったことを思うと、すごい時代の変わり様である。

時代の変化の中では、常に忘れられた言葉が存在するものだ。

「教育ママ」という言葉が登場したのは、1962年のこと。
当時は、私立幼稚園の入園願書受付に徹夜で並ぶ、教育熱心な母親がマスコミを賑わせた。

親の期待に応えるため、子どもたちは必死で「ガリ勉」をした。
古い言葉だが、現在も「ガリる」という形で一部に継承されている。

子どもの数が多い時代には「受験戦争」が激化した。
有名大学に入学することで、幸福な人生が約束されると信じられていた時代の物語である。

一流企業に入社した人を「エリート」と呼ぶ習慣もなくなった。
一流企業の中にも、さらに選ばれた「エリート社員」が存在していたものだ。

戦後から高度経済成長、バブルに至る時代にかけて、社会はまだ分かりやすかった。
終身雇用制度を背景として、大企業に入社することが、安定した人生の代名詞でもあったからだ。
一流企業に入社することが、子どもたちにとって共通の目標となり得た。

雇用構造の変化の中で、将来に求められる価値観は多様化し、子どもたちにとって「勉強」の持つ意味も、少しずつ変わりつつある。
今や知識の量ではなく、知識や経験をいかに生かすかが求められる時代だ。
教育ママに支えられながら、ガリ勉で受験戦争を勝ち抜き、エリート社員となった親の世代とは、もしかすると、世の中も変わっているのかもしれない。
# by kels | 2017-11-05 07:02 | 旧・札幌日和下駄 | Comments(0)

きっと、僕は街で一番早くコートを羽織ったビジネスマンかもしれない

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千歳空港で荷物を受け取って外に出ると、空気は予想していたより冷ややかだった。
僕は首に巻いていたダンガリのシャツをTシャツの上に着こみ、彼女はシャツの上から毛糸のベストを着た。
東京よりちょうど一か月分早く、秋が地上に腰を据えていた。

「羊をめぐる冒険」村上春樹(1982年)

もうすぐ10月が終わろうとしている。
夏の終わり以降、札幌の季節は突然駆け足で通り過ぎて行く。
秋から冬にかけて、季節はあっという間に流れ去っていくようだ。

気が付けば、冬はもうすぐ目の前まで迫っていて、秋は後ろ姿で立ち去ろうとしている。
今年初めてストーブを使った話や、いつ冬タイヤに交換すべきかという話を、人々は交わすようになる。
色づく街は、やがて訪れるモノクロームの季節の前触れにすぎないのだ。

朝夕の気温と真昼の気温差とが大きく、僕たちは、コートを着るべきか、マフラーを首に巻くべきかで悩まされる。
女子高生が早々に赤いチェックのマフラーを首に巻き付けている中、ビジネスマンは季節の流れに抗うかのように最後までコートを羽織ろうとしない。
まるで寒さに負けたものが順番に次の季節へと脱落していくかのように。

きっと、僕は街で一番早くコートを羽織ったビジネスマンかもしれない。
そのうえ、首元にはマフラーを巻き付けて、冬への旅を急いでいるかのように季節を先取りしている。
昔から、何かにつけて我慢するということが苦手な子どもだったのだ。

秋のコートが冬のコートに変わる日は、もう、そう遠くはないだろう。


# by kels | 2017-10-29 06:55 | 旧・札幌日和下駄 | Comments(0)

樹の葉の色が変わっただけで、こんなにも楽しいんだから、人生って良いよね

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久しぶりに、一眼レフカメラを持って街に出た。
紅葉の写真を撮りたいと思ったのだ。
色づく街を見ると、じっとしていられない性分らしい。

この感覚は、春の桜の季節に似ている。
桜の花びら舞う街を見ていると、じっとしていられない。
つまり、春と秋になると、僕は非常に落ち着きがなくなるわけだ。

そう言えば、しんしんと雪の降る冬の日も、何となくそわそわする。
季節の風景というのは、何かしら人の心に働きかけるものがあるのだろう。
美しい四季を持つ日本に生まれた故の性というものなのかもしれない。

単純に考えて、樹の葉の色が変わっただけで、こんなにも楽しいんだから、人生って良いよね。

# by kels | 2017-10-28 21:19 | 旧・札幌日和下駄 | Comments(0)

最近は、風物詩としてのハロウィンが、すっかりと定着しているようである

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午後、街を歩いていると、南2条通りが歩行者天国になっていた。
仮装をした人々が集まっている。
どうやら、ハロウィンのイベントだったらしい。

最近は、風物詩としてのハロウィンが、すっかりと定着しているようである。
カフェに行けばハロウィンを意識した期間限定メニューもある。
街はもちろんハロウィンムードでいっぱいだ。

何だかよく分からないけれど、活気あふれる街というのは悪くない。
何より、普通に一般市民が、気軽に参加できるところがいい。
時代は、体験参加型のイベントを求めているのだ。
# by kels | 2017-10-28 21:10 | 旧・札幌日和下駄 | Comments(0)

戦後間もない時代の新聞を読むと、毎日のように住宅問題が取り上げられている

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建設すすむ市営住宅 板壁ながら引揚者には龍宮

解体材をめぐり紛糾に紛糾をつづけた授産博覧会資材は、ついに札幌市の手に帰したが、市ではこれで市営住宅八棟七十戸を総工費二百十万円で建設することとなり。
いま◆◆を押し分けて北二十四西五の市有地に来月完成を目ざして建築を進めている。
この市営住宅はアパート式で壁もない板張りの超耐乏住居ではあるが、家のない引揚者たちにはこれでも龍宮のような嬉しい存在。
市ではさきごろ行った住宅困窮調査に基ずき家のない人々に貸付けることになっている。

「北海道新聞昭和23年1月11日付け」(1948年)

戦後間もない時代の新聞を読むと、毎日のように住宅問題が取り上げられている。

増える人間に対して物理的に住宅が足りないという状況で、しかもその数は中途半端なものではなかった。
昭和21年だけで、引揚者数1万5千人(5600世帯)、戦災者数5500人(2000世帯)の受入れである。
東京のような大規模な空襲被害を受けたわけではない街としても、極端な住宅不足は明らかだった。

当初は、日本政府が収容施設の確保を図り、昭和23年以降は、札幌市としても、新たな国庫補助制度を活用して庶民住宅の建設を開始した。
昭和23年に市が募集した八十戸の住宅には、1500件近い申し込みがあったという。
市営住宅への入居は、まさしく夢のような暮らしであった。



# by kels | 2017-10-15 18:15 | 旧・札幌日和下駄 | Comments(3)