札幌の街は1966年以来50年ぶりの大雪で都市機能が麻痺しつつあるようだ

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札幌市では23日午後11時現在の積雪が96センチとなり、12月としては1966年以来の大雪になった。
千歳市の新千歳空港では23日夜までに284便が欠航し、過去に例のない6000人が空港内に足止めされ、JR北海道でも特急など計478本が運休して約5万人近くに影響した。
利用客らは「もううんざり」という表情を浮かべた。

毎日新聞(2016年12月24日)

札幌は雪のクリスマスイブの朝を迎えた。
もちろん、ロマンチックな話ではない。
市民生活を直撃しかねない自然災害の話である。

北海道の冬と言えば、雪が降ったり積もったりするのは当然のことである。
ただ、雪は冬の間、均等に降り続けるのではなく、季節の中でも移り変わりを見せる。
雪が多く降るのは1月下旬から2月にかけてで、特にドカ雪というのは2月から3月にかけて降ることが多い。

一定程度の雪が積もったら、道路の端に雪を寄せる「除雪」と行う。
道路の端に積まれた雪は、冬の間にどんどん高く積み上がっていくわけだ。
このままでは、自動車の通行の邪魔だし、なにより視界が悪くなって危険だから、積み上げられた雪をトラックに乗せて遠くへ運ぶ「排雪」が行われる。

このような作業を行うことによって、札幌の市民生活は冬の間も安定的に保たれている。
もっとも、こうした作業は多額の予算を伴うものだから、無計画に行われることはない。
雪の降る時期、積もる時期に合わせて、計画的に実施される作業なのだ。

逆に言うと、計画で想定していない状況に遭遇すると、街はたちまち混乱する。
除雪が間に合わずに市電が全面運休したり、いつまでも排雪作業が行われずに道路が雪に埋もれたままで交通渋滞が恒常化したりする。
交通渋滞は流通を乱れさせ、市民生活を乱れさせる。

それがクリスマスのようなイベント時期に重なると、被害はいよいよ深刻なものとなっていく。
雪との戦いに敗れた時点で、札幌は経済的にも生活的にも破れてしまうという宿命を抱えているのだ。
それだけに、雪害対策は慎重に行われなければならないし、それこそが札幌の街に暮らす者の使命であると、僕は思う。

良い意味でも悪い意味でも、札幌の街に雪は欠くことのできない存在なのだ。


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# by kels | 2016-12-24 06:58 | 冬のこと | Comments(0)

随分昔のことだが、深夜の遠軽駅を訪れたことがある

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雪の国の停車場は人の心を何か暗くする。
中央にはストーヴがある。
それには木の柵がまわされている。
それを朝から来ていて、終列車の出る頃まで、赤い帽子をかぶった駅員が何度追ツ払おうが、又すぐしがみついてくる「浮浪者」の群れがある。

雪が足駄の歯の下で、ギユンギユンなり、硝子が花模様に凍てつき、鉄物が指に吸いつくとき、彼等は真黒になつたメリヤスに半纏一枚しか着ていない。
そして彼等の足は、あのチヤツプリンの足なのだ。
――北海道の俊寛は海岸に一日中立つて、内地へ行く船を呼んでいることは出来ない。
寒いのだ!

「北海道の「俊寛」」小林多喜二(1929年)

随分昔のことだが、深夜の遠軽駅を訪れたことがある。
氷点下20℃にもなろうかというほど寒い真冬の夜だった。
僕は札幌に帰る一人の女の子を夜行列車に乗せるために、この駅まで送り届けに来たのだ。

深夜の駅は静かだった。
待合室の真ん中にストーブがあって、やかんのお湯がシャンシャンと沸騰している。
どれだけストーブを焚いたところで、待合室が暖かくなるような夜ではなかった。

ストーブの周りには、4、5人の待合客がいた。
客はどれも中高年の男たちばかりで、みんな身体を崩して眠っていた。
ベンチの上に寝転がっている者もいた。

僕と彼女は切符を購入した後、ストーブから少し離れたベンチに座った。
なんて寒い夜なんだろうと思った。
どれだけ身体をくっつけあっても、二人はいつまでも寒いままだった。

正直に言って、真冬の深夜の駅が、これほどまでに寂しいということを、僕は知らなかった。
ストーブの周りで倒れている男たちを眺めながら、僕は小林多喜二の古い文章を思い出していた。
昭和初期の駅の空想が、頭の中から離れなかった。

「帰りたくない」と、彼女は言った。
あまりにも寂しすぎる別れだと、彼女も感じていたのだ。
列車が到着するまで、まだ時間はたっぷりとあった。

誰も何も言わなかった。
ストーブの上のやかんだけが、シャンシャンと鳴っていた。
部屋はいつまで経っても暖まらなかった。

僕は買ったばかりの切符を持って窓口に行った。
「払い戻しをお願いします」
駅員は何も言わずに、無表情のまま、キャンセル料を差し引いて金を返してよこした。

駅を出ると、夜はいよいよ寒さを増していた。


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# by kels | 2016-12-18 07:49 | Snap Short Stories | Comments(0)

小林多喜二には北海道の冬が似合うと思う

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十一月の半ば過ぎると、もう北海道には雪が降る。(私は北海道にいる。)
乾いた、細かい、ギリギリと寒い雪だ。
――チヤツプリンの「黄金狂時代ゴールド・ラツシユ」を見た人は、あのアラスカの大吹雪を思い出すことが出来る、あれとそのままが北海道の冬である。

北海道へ「出稼」に来た人達は冬になると、「内地」の正月に間に合うように帰って行く。
しかし帰ろうにも、帰れない人達は、北海道で「越年(おつねん)」しなければならなくなるわけである。
冬になると、北海道の奥地にいる労働者は島流しにされた俊寛のように、せめて内地の陸の見えるところへまででも行きたいと、海のある小樽、函館へ出てくるのだ。

「北海道の「俊寛」」小林多喜二(1929年)

小林多喜二には冬が似合うと思う。
北国の夏は、格差社会の現実までも覆い隠してしまうくらいに過ごしやすい。
みんな、世の中の格差という現実さえも忘れて、短い夏を謳歌するのだ。

だが、北国の厳しい冬は、誰もが目の前の現実と向き合わなければならない。
突きつけられた寒さと飢えとが、今と明日とを考えざるを得なくしている。
多喜二の文章は、そんな北の人々の現実を容赦なく突きつけてくる。

北海道は、明治以降に開拓された歴史の短い島だ。
この島に渡ってくる人たちは、最初、誰もが過酷な条件の中で生きなければならなかった。
格差社会で原野を切り拓くことはできなかったのだ。

少しずつ街が大きくなって、少しずつ生活が安定してくると、少しずつ格差が生まれ始めた。
開道50年目を迎える頃には、この未開の地であった北海道にさえ、新しい格差が根付いていた。
そして、大正から昭和初期にかけて日本を襲ったデモクラシーの波が、北の果てにまでやってくる。

この「北海道の「俊寛」」は、昭和5年1月9日の大阪毎日新聞に掲載されたものである。
ノート原稿から、前年の12月21日に書かれたことが明らかとなっている。
昭和初期の年の暮れの北海道を描いた短い文章だ。

ハレの正月は、一年の中で最も格差社会を浮き立たせる瞬間かもしれない。
出稼ぎの労働者たちでさえ、故郷へ帰る者と帰れない者とに分けられる。
激しい吹雪と帰郷さえできない正月が、厳しい現実を彼等に突きつけているのだ。

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# by kels | 2016-12-18 07:24 | 文学 | Comments(0)

女子学生が大学講師に御礼の手紙を書いたところ、自身のメールアドレスを記した返信が届いた

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遅くなって店を出てみると、まだ降り続いている粉雪に風さえ少しまじって、人通りの疎らになった夜の街は、古いフィルムのようにかすれて煙っていた。
仙子はコートの襟を合せながら、ふと、あの男はこの大雪でも、銀行の前に立っているだろうかと思った。

「凍原」船山馨(1955年)

新しいカフェでコーヒーを飲んでいるとき、隣の大学生の会話が聴こえてきた。
カフェと名乗っているけれど、店内はファーストフード店のように小さなテーブル席が並べられている。
両隣の客の会話が、本を読んでいる自分の耳にも、否応なしに飛び込んでくる。

二人の女性は、同じ大学に通っている学生らしい。
ゼミの仲間たちの話やサークル活動の話で盛り上がっている。
どんな話題でだって盛り上がれる年代なのだろう。

話題は、ふと、ゼミの講師の話になった。
ゼミ生の女子学生が講師に御礼の手紙を書いたところ、自身のメールアドレスを記した返信が届いたのだという。
何でも相談してくださいと、講師からの手紙にはしたためられていたらしい。

「どん引きだよねー」と、彼女たちは笑った。
大学講師の心の奥深くに潜む下心に、彼女たちは実に敏感らしかった。
「やっちゃダメだよね、そういうこと」

昔、僕たちは手当たり次第に女の子たちの電話番号を訊ね、自分の電話番号を配って歩いた。
あるいは、そこから何かが始まるかもしれないと、淡い期待と幻想を抱きながら。
もちろん、彼女たちは、そんな時代があったことなんて何も知らない。

やがて、大学講師はすぐに彼女たちの関心から外れ、話題は人気ドラマの筋書きへと移っていった。
大学講師が、本当に下心を抱いていたのかどうか、それは誰にも分からないだろう。
確かなことは、講師のそんな行為を許すことができないという、彼女たちの潔癖な思いだけだ。

時代が変わった今、僕たちも現代風に生きなければいけないらしい。


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# by kels | 2016-12-11 19:57 | Snap Short Stories | Comments(0)

これまで雪で運休したことのなかった札幌市電の歴史が奇跡みたいなものなのだ

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暁方(あけがた)の三時からゆるい陣痛が起り出して不安が家中に拡(ひろ)がったのは今から思うと七年前の事だ。
それは吹雪も吹雪、北海道ですら、滅多にはないひどい吹雪の日だった。
市街を離れた川沿いの一つ家はけし飛ぶ程揺れ動いて、窓硝子に吹きつけられた粉雪は、さらぬだに綿雲に閉じられた陽の光を二重に遮って、夜の暗さがいつまでも部屋から退(ど)かなかった。

「小さき者へ」有島武郎(1918年)

札幌や北海道を舞台にした文芸作品は古今無数にある。
そして、その多くの作品が、北海道の厳しい冬の暮らしを描いている。
北海道らしさを描こうとするとき、冬の凄まじさは決して忘れることのできない、北海道の風土だからだ。

無数の作家が北海道の冬を文章にしたためたけれど、その中で僕は、有島武郎の描く冬が一番好きだ。
特に、「小さき者へ」の冒頭部分にある吹雪の描写は、札幌の冬を簡潔に表現している。
心に沁み入る吹雪の情景だ。

その頃、有島の家は、菊水1 条1 丁目の豊平河畔にあった。
当時は住宅街というよりも、一帯は果樹園だったらしい。
明治の終わり頃のことである。

有島の暮らした住宅は、現在も開拓の村に保存されていて見学することが可能だ。
この住宅の前に立った時、この家がけし飛ぶほど揺れた吹雪の恐ろしさをリアルに想像することができるだろう。
現代のように、寒冷地住宅が十分に研究されてはいなかった時代の話なのだ。

吹雪に閉ざされて昼なお暗い冬の暮らしを、現代の僕たちは上手に思い描くことができない。
暖かい部屋の窓から眺める吹雪は、生命の安全が保証された吹雪だ。
明治時代の吹雪とは、きっと何もかもが違うのだろう。

そんな現代にあって、雪のために市電が終日運休したという事実は、人々をひどく驚かせた。

もっとも、JR北海道なんて大雪のたびに運休している。
鉄道の視点で考えてみれば、明治も平成も人間の非力さというのは、何も変わっていないのかもしれない。
これまで運休したことのなかった札幌市電の歴史が奇跡みたいなものなのだ。

さて、今日は市電、動くのかな?


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# by kels | 2016-12-11 07:39 | 冬のこと | Comments(2)