この夏は戦中戦後にかけての日記文学を随分読んだ

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八月十五日
本日正午、いっさい決まる(※終戦のラジオ放送)。
驚愕の至りなり。ただ無念。
しかし、私は負けたつもりはない。
三千年来磨いてきた日本人は負けたりするものではない。

「海野十三敗戦日記」海野十三(1971年)


この夏は戦中戦後にかけての日記文学を随分読んだ。
随筆も好きだが、日記には自己と向き合う切なさがある。
回想録とは異なる生々しさがある。

若い頃は小説ばかり読んでいた。
磨き上げられた文章とストーリーは、小説の醍醐味である。
少年時代から今に至るまで読み続けている文学作品もある。

少し前までは随筆を好んで読んだ。
随筆は観察と感性の文学である。
日常の何気ない一瞬にドラマがあることを気付かせてくれる。

最近は古い文学者の日記を中心に読むようになった。
文学者の書く日記は、純粋な日記と言えるかどうかわからない。
文学者は、常に自分の書いたものが、いつか発表されるかもしれないということを、きっと意識しているに違いないからだ。

しかし、日記は極めて個人的な文学である。
美しい修飾語も社会的な問題提起も必要ない。
日記として残しておくべき言葉だけが、そこには並んでいる。

正解だとか誤りだとかを超えて、そこにはある種の真実がある。


# by kels | 2017-08-19 06:28 | 文学 | Comments(0)

日本にとって、8月15日前後は、敗戦の季節である

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戦後、続々と創刊されだした俳誌が、なぜ私の俳句を特別に求めるのか、私にはよく分からなかった。
多分、戦争中作品を発表しなかったので、珍しかったのと、原稿料を払わなくても寄稿しそうだったからであろう。
しかし、私は貧しかった。

「俳愚伝」西東三鬼(1959年)

本日8月19日は「俳句の日」だそうである。
ニュースを読もうと思って、Yahooを開いたら、そう書いてあったのだ。
俳句もインターネットの時代である。

この季節は、どうしても終戦記念日に因んだものを思い出す。
日本にとって、8月15日前後は、敗戦の季節である。
単なる「夏」とは、やはり違うのだ。

広島や卵食ふ時口ひらく 三鬼


# by kels | 2017-08-19 06:06 | 文学 | Comments(0)

敗戦国としての屈辱は、今、この国にはないように思える

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遂に敗けたのだ。戦いに破れたのだ。
夏の太陽がカッカと燃えている。
目に痛い光線。列日の下に敗戦を知らされた。
蝉がしきりと鳴いている。音はそれだけだ。静かだ。

「敗戦日記」高見順(1945年)


戦時中の記録は、日記文学が充実している。
好きなことを好きなように書けなかった時代。
せめて、日記と向き合いながら、文学者も自分と向き合っていたのだろうか。

庶民にとって戦争の悲惨さは、終戦後にこそ、まざまざと明らかになってくる。
人々は空襲の恐怖から解放されると同時に、国家としての誇りを喪失していく。
敗戦国の民衆として生きていかなければならない絶望が、街には溢れていく。

荒廃した人心というものは、その時代を生きた者にしか分からないだろう。
自分が生き延びるために、誰もが必死の時代だったのだ。

敗戦から長い時間が経過した。
敗戦国としての屈辱は、今、この国にはないように思える。
敗戦とは(あるいは戦争とは)、高度な政治的問題ではなく、庶民の中の日常的問題ではあるけれど。

# by kels | 2017-08-09 05:52 | 文学 | Comments(0)

夏になると、留萌の街を訪れたくなる

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夏になると、留萌の街を訪れたくなる。

僕の育った空知の炭鉱町には海がなかった。
炭鉱町の人々は、海を楽しむために、わざわざ留萌まで出かけなければならなかったのだ。
だから僕は今でも、海水浴というと、留萌の砂浜を思い浮かべる。

札幌からは、日本海の海岸線を自動車で北へ向かう。
石狩、厚田、浜益、雄冬と抜けると、やがて増毛だ。

増毛では「まつくら」という寿司屋で、いつも食事をした。
「まつくら」は、海鮮丼で人気のある寿司屋である。
この店の特上の生チラシを、僕は好んで食べていた。

今年は初めて「ジャンボ」サイズの海鮮丼を注文した。
飯の量は2.5合で、その上に大量の刺身が盛られている。
出てきた丼を見た瞬間に、僕は後悔していた。

やはり、料理には、それなりのバランスというものが大切らしい。
「ジャンボ」を食べるのは、最初で最後にしようと思った。
一人では絶対に完食することができなかった。

食事を終えてから、留萌の黄金岬に向かった。
もちろん、「国稀」でお土産の日本酒を買うことは忘れていない。
ここでは、いつも、このお店だけでしか買うことのできない限定品を買うことにしていた。

留萌の黄金岬は、たくさんの行楽客で賑わっていた。
海水浴というよりは、磯遊びを楽しむ人たちである。
泳ぎたい人たちやバーベキューを楽しみたい人たちは、ゴールデンビーチに行く。

磯では、家族連れがカニや小魚を捕っていた。
現地でもカニ捕りの道具を売っているが、網を持って行った方が何かと便利だ。
慣れた子どもたちは、器用にカニを捕まえていた。

特別に何をするでもなく、僕は海を眺めていた。
潮風を浴びるために、ここまでドライブしてきたのだろう。
それは、昨年も一昨年も同じことだった。

夏の週末の時間は、ひどくゆっくりと流れていた。

# by kels | 2017-08-07 06:14 | 夏のこと | Comments(0)

さっぽろ八月祭。2日間だけの、短い札幌の夏祭りである。

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土曜日の夜、アカプラで開催中の「さっぽろ八月祭」に出かけた。

「さっぽろ八月祭」は、2年前に誕生したばかりの新しいお祭りである。
詳しいことは分からないけれど、要は夏祭りということらしい。
ステージ上で演奏するバンドに合わせて、会場内の人々が楽しそうに踊っている。

昼間にお邪魔したカフェの店員さんが教えてくれた。
「6時過ぎたら、八月祭に行くんです」
どうやら、前日の夜も踊りに参加しているらしく、「結構疲れますよ」と笑っていた。

櫓の上では、お手本を示すようにスタッフらしき女性が踊っている。
夏祭りらしく、浴衣姿で、バンドの生演奏に合わせて盆踊りを踊るのだ。
その姿に合わせるように、人々は櫓の周りを踊りながら回った。

さっぽろ八月祭。
2日間だけの、短い札幌の夏祭りである。

# by kels | 2017-08-07 05:52 | 夏のこと | Comments(0)