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今、渡辺つゆについて、詳しく知る術は何もない

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おつゆさんの命日にふさわしい雨だ。
あなたは春を知らずに過ぎた、秋の寂しい女だった。

「つゆ女伝」吉屋信子(1963年)

昔、渡辺水巴という俳人があった。
「紫陽花や白よりいでし浅みどり」という有名句がある。
大正から昭和初期を代表する人であった。

この俳人には、つゆという妹がいた。
生涯独身で、兄・水巴の世話をし続けたという。
己の女性としての幸せよりも、兄への献身に生きがいを見出していたというのか。

今、この渡辺つゆについて、詳しく知る術は何もない。
ただ、彼女の残したいくつかの俳句を読むことができるくらいだ。
それが僕には、何だか寂しいような気がしている。

圧し鮨の笹の青さや春の雪 渡辺つゆ女

つゆは、太平洋戦争が始まる直前の10月10日、兄より先に帰らぬ人となった。
58歳だった。
つゆの好物は、笹巻鮨だったという。

by kels | 2017-08-27 07:02 | 文学 | Comments(0)

あんなに好きだったお店だけれど、それ以来、このお店を訪れることはなくなった

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東京ではコーヒー、大阪ではコーヒ。
中身は同じだが、カフェ、カフィーということか。
会社員というか、サラリーマンというか、この人たちは、商談と称して一日何杯コーヒーを飲むのだろう。
理解に苦しむのは、なんで番茶や水で商談ができぬか。

「わたしの自由席」森繁久彌(1975年)


居心地の悪いカフェについて考えてみた。
人は楽しい思い出以上に、楽しくない思い出を、いつまでも抱き続けるものらしい。
嫌な記憶を払拭するのは並大抵のことではない。

僕の最も苦手な店は、窮屈な店である。
室内空間にびっしりとテーブルが詰め込まれている店には行かない。
ファストスードの店に行かない最大の理由は、窮屈だからである。

以前、お気に入りの店があった。
小さな店だが、カウンター席のほか、ソファ席やテーブル席が用意されていた。
いつも、人の少ない時間帯に行っていたので、ゆったりとしたソファ席を好んで利用していた。

ある日、どうした事情か忘れたが、珍しく混雑しそうな時間帯に店を訪れた。

ソファ席が空いていたが、これまで座ったことのないテーブル席に座ってくれという。
店内空間は入口を入って左右で分かれていて、左が窓際席とソファ席、右側がテーブル席となっているらしい。
右側のテーブル席の空間を利用するのは、それが初めてだった。

テーブル席は、想像以上に窮屈な空間だった。
小さなテーブルに椅子が2つずつ組み込まれている。
ひとつのテーブル席を除いて、席は満席の状態だった。

テーブルに合わせて、椅子まで小さかった。
おまけに、隣の客との距離が異常に狭い。
人間が一人、横になって歩くことのできる最低限の隙間を確保しているようだ。

オシャレなカフェだから、客は若い男女か若い女性同士だった。
みんな話したいことがたくさんあるのだ。
両隣の客席の声は、まるで僕たちに話しかけているみたいに、響き渡ってきた。

窮屈な空間だから、荷物を置く場所もない。
人が歩くのがやっとだから、荷物を入れる籠を置くことなんて不可能なのだろう。
鞄は膝の上に置くのが、この店のテーブル席の流儀らしい。

きっと、あのテーブル席は、一人客を想定して作ったものだろうと思う。
それとも、狭い空間に最大限効率的に客を収納するために、ファストフード店を真似たのだろうか。

あんなに好きだったお店だけれど、僕はそれ以来、このお店を訪れることはなくなった。
わざわざお金を払ってまで、もう二度と、あんなに窮屈な目に遭いたくないからだ。
それは、インテリアや食器がオシャレだとか、ドリンクやフードが美味しいとか、お店の人たちの人柄が良いとか、そういうものを超えたお店としての本質的な問題だと僕は思う。

by kels | 2017-08-20 07:44 | カフェ・喫茶店 | Comments(0)

僕は小説家以上に随筆家に憧れていたのだ

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学生アルバイトにアイスクリーム売りをしたのは、昭和23年の夏であった。
当時、父の転勤で我が家は仙台に引っ越しており、私と弟は麻布市兵衛町の母の実家から学校へ通っていた。
応分の仕送りはあったのだが、新円切り換えになって間もない時分でもあり、本を買ったりスバル座でアメリカ映画を見たりするには、お小遣いが足りなかったからである。

「学生アイス」向田邦子(1978年)


「アンドプレミアム」で向田邦子の文章が紹介されていた。
旅行に関する文章だったような気がする。
書店で向田邦子の名前を見たとき、無意識のうちに手に取っていた。

向田邦子の随筆は、過去にひととおり読んでいるはずである。
それでも全然記憶にないような話が、次々に出てきた。
「読んだ」と言っても、それは、もう随分昔の話なのだ。

等身大の随筆というのは、読んでいて気持ちが良いものである。
自分も、こういう随筆を書きたいと、昔に思ったことを思い出した。
僕は小説家以上に随筆家に憧れていたのだ。

by kels | 2017-08-19 07:21 | 文学 | Comments(0)

おめでたいことがあったので、仲間を集めて近所の焼き肉屋へ行った

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夏休みになると、市電(後の都電)に乗って、東京の諸方を見物するのが、私の楽しみだった。
その頃の東京人は、自分が住む町内から、めったに外へ出ない。
どの町にも鮨屋があり、蕎麦屋・洋食屋・中華料理から寄席・映画館も、ところによっては芝居小屋まであった。
全てひとつの町の中で、用が足りたのである。

「私の夏」池波正太郎(1980年)


おめでたいことがあったので、昨夜、仲間を集めて近所の焼き肉屋へ行った。
個室を予約しようと思ったけれど、既にいっぱいだという。
店へ行くと、果たして満席で少し待たされることになった。

金曜日とはいえ、どうして、こんなに混雑しているのだろうと思った。
客を眺めていると、家族連れが多い。
リラックスした父親の姿が、やけに目に付く。

そうか、世の中のお父さんたちは、今、お盆休みなのだと、そのとき気が付いた。
8月15日でお盆は終わったと思っていたけれど、世の中的には、お盆休みはまだ続いていたのだ。
職場で予定を調整して休んでいる場合も多いに違いない。

お祝いだから、普段は注文しないような贅沢な肉ばかり食べた。
普段から贅沢していては、このような感動はないだろう。
つつましい生活の中に、小さな幸せがあるのだと思った。
by kels | 2017-08-19 06:54 | 日記 | Comments(0)

この夏は戦中戦後にかけての日記文学を随分読んだ

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八月十五日
本日正午、いっさい決まる(※終戦のラジオ放送)。
驚愕の至りなり。ただ無念。
しかし、私は負けたつもりはない。
三千年来磨いてきた日本人は負けたりするものではない。

「海野十三敗戦日記」海野十三(1971年)


この夏は戦中戦後にかけての日記文学を随分読んだ。
随筆も好きだが、日記には自己と向き合う切なさがある。
回想録とは異なる生々しさがある。

若い頃は小説ばかり読んでいた。
磨き上げられた文章とストーリーは、小説の醍醐味である。
少年時代から今に至るまで読み続けている文学作品もある。

少し前までは随筆を好んで読んだ。
随筆は観察と感性の文学である。
日常の何気ない一瞬にドラマがあることを気付かせてくれる。

最近は古い文学者の日記を中心に読むようになった。
文学者の書く日記は、純粋な日記と言えるかどうかわからない。
文学者は、常に自分の書いたものが、いつか発表されるかもしれないということを、きっと意識しているに違いないからだ。

しかし、日記は極めて個人的な文学である。
美しい修飾語も社会的な問題提起も必要ない。
日記として残しておくべき言葉だけが、そこには並んでいる。

正解だとか誤りだとかを超えて、そこにはある種の真実がある。


by kels | 2017-08-19 06:28 | 文学 | Comments(0)

日本にとって、8月15日前後は、敗戦の季節である

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戦後、続々と創刊されだした俳誌が、なぜ私の俳句を特別に求めるのか、私にはよく分からなかった。
多分、戦争中作品を発表しなかったので、珍しかったのと、原稿料を払わなくても寄稿しそうだったからであろう。
しかし、私は貧しかった。

「俳愚伝」西東三鬼(1959年)

本日8月19日は「俳句の日」だそうである。
ニュースを読もうと思って、Yahooを開いたら、そう書いてあったのだ。
俳句もインターネットの時代である。

この季節は、どうしても終戦記念日に因んだものを思い出す。
日本にとって、8月15日前後は、敗戦の季節である。
単なる「夏」とは、やはり違うのだ。

広島や卵食ふ時口ひらく 三鬼


by kels | 2017-08-19 06:06 | 文学 | Comments(0)

敗戦国としての屈辱は、今、この国にはないように思える

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遂に敗けたのだ。戦いに破れたのだ。
夏の太陽がカッカと燃えている。
目に痛い光線。列日の下に敗戦を知らされた。
蝉がしきりと鳴いている。音はそれだけだ。静かだ。

「敗戦日記」高見順(1945年)


戦時中の記録は、日記文学が充実している。
好きなことを好きなように書けなかった時代。
せめて、日記と向き合いながら、文学者も自分と向き合っていたのだろうか。

庶民にとって戦争の悲惨さは、終戦後にこそ、まざまざと明らかになってくる。
人々は空襲の恐怖から解放されると同時に、国家としての誇りを喪失していく。
敗戦国の民衆として生きていかなければならない絶望が、街には溢れていく。

荒廃した人心というものは、その時代を生きた者にしか分からないだろう。
自分が生き延びるために、誰もが必死の時代だったのだ。

敗戦から長い時間が経過した。
敗戦国としての屈辱は、今、この国にはないように思える。
敗戦とは(あるいは戦争とは)、高度な政治的問題ではなく、庶民の中の日常的問題ではあるけれど。

by kels | 2017-08-09 05:52 | 文学 | Comments(0)

夏になると、留萌の街を訪れたくなる

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夏になると、留萌の街を訪れたくなる。

僕の育った空知の炭鉱町には海がなかった。
炭鉱町の人々は、海を楽しむために、わざわざ留萌まで出かけなければならなかったのだ。
だから僕は今でも、海水浴というと、留萌の砂浜を思い浮かべる。

札幌からは、日本海の海岸線を自動車で北へ向かう。
石狩、厚田、浜益、雄冬と抜けると、やがて増毛だ。

増毛では「まつくら」という寿司屋で、いつも食事をした。
「まつくら」は、海鮮丼で人気のある寿司屋である。
この店の特上の生チラシを、僕は好んで食べていた。

今年は初めて「ジャンボ」サイズの海鮮丼を注文した。
飯の量は2.5合で、その上に大量の刺身が盛られている。
出てきた丼を見た瞬間に、僕は後悔していた。

やはり、料理には、それなりのバランスというものが大切らしい。
「ジャンボ」を食べるのは、最初で最後にしようと思った。
一人では絶対に完食することができなかった。

食事を終えてから、留萌の黄金岬に向かった。
もちろん、「国稀」でお土産の日本酒を買うことは忘れていない。
ここでは、いつも、このお店だけでしか買うことのできない限定品を買うことにしていた。

留萌の黄金岬は、たくさんの行楽客で賑わっていた。
海水浴というよりは、磯遊びを楽しむ人たちである。
泳ぎたい人たちやバーベキューを楽しみたい人たちは、ゴールデンビーチに行く。

磯では、家族連れがカニや小魚を捕っていた。
現地でもカニ捕りの道具を売っているが、網を持って行った方が何かと便利だ。
慣れた子どもたちは、器用にカニを捕まえていた。

特別に何をするでもなく、僕は海を眺めていた。
潮風を浴びるために、ここまでドライブしてきたのだろう。
それは、昨年も一昨年も同じことだった。

夏の週末の時間は、ひどくゆっくりと流れていた。

by kels | 2017-08-07 06:14 | 夏のこと | Comments(0)

さっぽろ八月祭。2日間だけの、短い札幌の夏祭りである。

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土曜日の夜、アカプラで開催中の「さっぽろ八月祭」に出かけた。

「さっぽろ八月祭」は、2年前に誕生したばかりの新しいお祭りである。
詳しいことは分からないけれど、要は夏祭りということらしい。
ステージ上で演奏するバンドに合わせて、会場内の人々が楽しそうに踊っている。

昼間にお邪魔したカフェの店員さんが教えてくれた。
「6時過ぎたら、八月祭に行くんです」
どうやら、前日の夜も踊りに参加しているらしく、「結構疲れますよ」と笑っていた。

櫓の上では、お手本を示すようにスタッフらしき女性が踊っている。
夏祭りらしく、浴衣姿で、バンドの生演奏に合わせて盆踊りを踊るのだ。
その姿に合わせるように、人々は櫓の周りを踊りながら回った。

さっぽろ八月祭。
2日間だけの、短い札幌の夏祭りである。

by kels | 2017-08-07 05:52 | 夏のこと | Comments(0)

時間制限のない同窓会というやつは、どこまでも進もうとしている

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気が付けば、時計の針は午前0時を過ぎていた。
誰も、「もう解散しようよ」なんて言わない。
時間制限のない同窓会というやつは、どこまでも進もうとしている。

それは、長い時間的な空白があるとは思えないような、極めて自然な集まりだった。
記憶の中の僕たちが、ただ少しづつ年齢を重ねて、そこにいるだけだ。
学生時代の居心地の良さを、僕は思い出していた。

あの頃、まったくの他人の僕らは、まるで家族のような一体感を持って暮らしていた。
少年から大人になる一瞬の過程で、それはひどく貴重な連帯感だった。
あの時代に身に付けたものが、現在の僕の多くの部分を支えているような気がする。

そして、それは僕だけの問題ではないように思えた。
仲間たち一人一人の人生には、学生時代の彼らの姿が、しっかりと刻まれているような気がする。
目に見えないくらいに細すぎる年輪みたいに。

「また、集まろうや」と、誰かが言った。
昔の仲間たちも悪くないものだなと、僕は思った。


by kels | 2017-08-06 20:21 | Snap Short Stories | Comments(2)