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街を歩けば、至る所で外国人の姿を見かけるようになった

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上川管内美瑛町の農地に立つ1本のポプラ、通称「哲学の木」が24日、農業を営む土地の所有者の手で倒された。
町内でも有数の撮影スポットだったが、老木で倒れる危険性があり、農作業への支障が懸念されていたことに加え、農地に踏み入る国内外の観光客らが後を絶たなかったため。
関係者によると、所有者は「悩んだ末に決めた」と話しているという。

思索にふける人のように映る「哲学の木」は、丘陵地の農作物や雪などと相まって美しい光景をつくりだし、全国区の被写体として知られていた。

樹齢は不明だが、長年にわたって風雪にさらされ、弱っていた。
また、町などが日本語や英語、中国語などで農地への立ち入り禁止を伝える看板を設置してきたが、無視して入り込むケースが続いていた。

北海道新聞(2016年2月25日付け夕刊)

新聞を読んでいると、毎日のように外国人観光客に関する話題が紹介されている。
ホテルの部屋が足りないとか、観光バスが足りないとか、外国人向けの案内表示が足りないとか。
ちょっとした観光バブルみたいなものが始まっているのかもしれない。

確かに、街を歩けば、至る所で外国人の姿を見かけるようになった。
多くは、アジアからの観光客と思われる人たちである。
彼らの多くは、大なり小なりの団体で行動をしているから、すぐに分かる。

観光スポットに行けば、当然に外国人観光客と一緒になる。
土産物を売る店は、日本人よりも外国人を中心にした商売を進めている。
外国人観光客が増えるということがどういうことなのか、肌で感じることができる。

それが、今の札幌だ。

札幌の時計台こそ古びたりされども時は新しきかな 小熊秀雄



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by kels | 2016-02-28 06:15 | 随想・日記 | Comments(2)

乃木坂46と文学と言って思い出すのは、7枚目のシングル「バレッタ」。

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図書室の窓際で 女子たちが声潜め会議中
ヘミングウェイを読みながら 僕はチラ見した

唇のその動きを 頭の中でトレースして
さあ、ヒントをもらおうか?
偶然 目と目が合って 心が覗かれたように 僕は白旗上げた

バレッタ 風の中 踊った髪を手で押さえ
バレッタ 太陽が眩しそうに 目をそらしたのは僕だ

「バレッタ」乃木坂46(2013年)

乃木坂46と文学と言って思い出すのは、7枚目のシングル「バレッタ」。

図書室でヘングウェイを読んでいる男子が主人公だ。
窓際では、女子たちが内緒話で盛り上がっている。
主人公は、彼女たちがどんな話題で盛り上がっているのか、気になって仕方がない。

状況証拠を並べて、主人公は推理を始める。
彼女たちが盛り上がっているのは、「男子でカッコいいのは誰か」という話題。
そして、主人公の視線は、一人の女の子の髪に付けられたバレッタへ、、、

図書室でヘミングウェイを読んでいる男の子が主人公で、女の子たちも、あるいは、図書局の活動で集まっている少女たちかもしれない。
こういうシチュエーションが、僕は大好きだ。
図書室でヘミングウェイを読むことも、図書局で活動することもなかったけれど。

だけど、歌詞の展開から考えると、主人公が読んでいるのはヘミングウェイではなく、本格ミステリーの方がマッチしていたのではないかと思う。
どうでもいいことだけれど。


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by kels | 2016-02-21 20:36 | 音楽 | Comments(0)

北海道文化放送で、「橋本奈々未の恋する文学」の放送が始まった

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「旭川に行くのよ。ねえ、旭川よ!」と彼女は言った。
「音大のときの仲の良かった友達が、旭川で音楽教室をやっててね、
手伝わないかって、二、三年前から誘われてたんだけど、
寒いところ行くのが嫌だからって断ってたの。
だって、そうでしょ。やっと自由の身になって、行き先が旭川じゃ、ちょっと浮かばれないわよ。
あそこ、なんだか作りそこねた落とし穴みたいなところじゃない?」

「ノルウェイの森」村上春樹(1987年)

北海道文化放送で、「橋本奈々未の恋する文学」の放送が始まった。
http://uhb.jp/program/koisurubungaku/

第1回目の紹介作品は、村上春樹の「ノルウェイの森」。
旭川西高校出身の橋本奈々未が、作品の朗読を交えて紹介していく。
小説の中にわずかに登場する旭川市を舞台にしているあたりがおもしろい。

村上春樹の作品には、意外と北海道の実在の都市が登場している。
代表作「ノルウェイの森」では、登場人物の会話の中で、旭川に触れられている。
いわゆる「なんだか作りそこねた落とし穴みたいなところ」だ。

昔の話になってしまうが、僕も旭川では数年間を暮らしたことがある。
人口規模では、札幌市に次ぐ北海道第二の都市であり、地方自治法に定める中核市でもある。
もっとも、実際に暮らしてみれば、北海道の地方都市らしい街だということがわかるだろう。

札幌のように人を集めようとしたけれど、人口は簡単には増えない。
一生懸命に落とし穴を掘っても、まるで誰も落ちてはくれないように。
街の人たちは、そんな「作りそこねた落とし穴」の中で、静かで平和な暮らしを守り続けている。

そんな旭川の街を、橋本奈々未は、ちょうどよく暮らしやすい街だと感想を述べている。
故郷の街を「作りそこねた落とし穴みたいなところ」と表現されて、うれしい者はいない。
彼女自身、きっと時間をかけて、この作品を自分の中で消化していったのではないだろうか。

若い世代が文学について語る場面っていいなあと思う。

ところで、番組を観ていて驚いたのは、「ノルウェイの森」が発表されたのは、今から30年近くも昔のことだったという事実。
作品の舞台は、1970年前後だから、実に今から50年近くも昔のことということになる。
さらに、そんな古さを、今もって感じさせないというところに、この作品の本当の凄さがあるのかもしれない。


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by kels | 2016-02-21 18:25 | 文学 | Comments(0)

昨夜、円山の「森彦本店」で「北の珈琲屋かるた」を発見しました

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昨夜、円山の「森彦本店」で「北の珈琲屋かるた」を発見しました。
カフェ森彦オリジナルのカルタです。
おもしろかったので、早速ご紹介したいと思います。

このカルタ、読み札は、喫茶店「森彦」に関する言葉が綴られています。
コーヒー哲学のことだったり、喫茶店経営の一面だったりと、なかなかユニークで奥が深い(笑)
まずは、読み札を一通り読むだけで楽しめます。

そして、さらに楽しいのが、取り札のイラストです。
インスラグラムでも好評のイラストが、カフェ「森彦」を舞台に描かれています。
かなり、味のあるイラストなので、これを眺めているだけでも、時間があっという間に過ぎてしまいそう。

カルタとして遊ぶのはもちろん、札の一枚一枚を作品として鑑賞するのもお勧めです。
カフェでは見本も飾られているので、実際に手に取って、ぜひ、ご覧になっていただきたいと思います。
コーヒーとか北海道とか札幌の街に対する愛情たっぷりのカルタです。

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個人的に、一番のお気に入りはこれです。
「リラ冷えの街は、コーヒーの街」。
札幌らしさに溢れた一枚ですね。


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by kels | 2016-02-14 18:45 | カフェ・喫茶店 | Comments(0)

死を持って償うしかありえないところに、「不倫」の愛の壮絶さを、僕は感じる

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愛したものの死ほど心安い潔いさぎよい死はない。
その他の死は凡て苦痛だ。
それは他の為めに自滅するのではない。
自滅するものの個性は死の瞬間に最上の生長に達しているのだ。
即ち人間として奪い得る凡てのものを奪い取っているのだ。

「惜みなく愛は奪う」有島武郎(1920年)

「ゲス不倫」でもうひとつ思い出したことがある。
あれは、有島武郎の心中事件だ。
近代日本文学史を揺るがした、大きなスキャンダルのひとつとして、人々の記憶に残されている。

有島武郎の妻は、幼い子どもたちを残して病死している。
有島38歳のときのことだった。

その後、一人暮らしを続けていた有島は、45歳のときに、「婦人公論」の記者である波多野秋子と出会う。
人妻であった秋子の夫は、有島の責任を厳しく問い詰める。
愛を清算するために二人が選んだ道は「心中」という選択肢だった。

不倫の果てに情死事件を起こした有島は、その後、日本文壇からも完全に抹殺されてしまう。
有島の再評価がようやく始まったのは、戦後しばらく経ってからのことだった。
一人の文学者を歴史の奥深くに沈めてしまうほどに、「不倫」という言葉の持つ意味は重い。

たとえ、「死」がすべてを清算しようとも、社会は決して「不倫」を許容することはないだろう。
そう知っていても、死を持って償うしかありえないところに、「不倫」の愛の壮絶さを、僕は感じる。
そこまで壮絶な気持ちがあってこそ、初めて、「不倫」の愛は成立するのではないだろうか。

雨がひどく降っている。
私達は長い路を歩いたので濡れそぼちながら、最後のいとなみをしている。
森厳だとか悲壮だとかいえばいえる光景だが、 実際私たちは戯れつゝある二人の小児に等しい。
愛の前に死がかくまで無力なものだとは此瞬間まで思わなかった。
恐らく私達の死骸は腐乱して発見されるだらう。

有島武郎の遺書の一節より

どれだけ美しくても「ゲス不倫」は「ゲス不倫」。
救いようはないのだけれど。


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by kels | 2016-02-14 17:59 | 随想・日記 | Comments(0)

僕が思うのは、不倫の恋愛をするからには、自分のすべてを失う覚悟を持つべきだということだ

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「では云う。三千代さんをくれないか」と思い切った調子に出た。
平岡は頭から手を離して、肱ひじを棒の様に洋卓テーブルの上に倒した。
同時に、 「うん遣ろう」と云った。
そうして代助が返事をし得ないうちに、又繰り返した。

「それから」夏目漱石(1909年)

テレビのニュース番組を観ていると、「ゲス不倫」という言葉が飛び交っている。
ニュースだかワイドショーだか分からないけれど、これが現代の日本だ。
もう少し他に報道することがありそうな気もするけれど。

夏目漱石が「それから」を書いたのは、明治42年のことだ。
親友の妻に恋をしていた主人公は、その気持ちを、とうとう親友に告白してしまう。
二人は絶交し、主人公は家族からも絶縁されてしまう。

もとより、主人公と親友の妻との間に性的な関係は一切ない。
他人の妻に思いを寄せてしまうこと、それ自体が「不倫」として許されない時代であった。
大きな十字架を背負った主人公が、新しい仕事を探しに出かけるところで、物語は終わる。

僕が思うのは、不倫の恋愛をするからには、仕事や家族や財産や社会的地位など、自分のすべてを失う覚悟を持つべきだということだ。
すべてを失った上で、人は再びスタートラインに立つことができる。
漱石の「それから」は、まさしく主人公がスタートラインに立ったところで、ドラマの幕が降りる。

まあ、それはそれとして、もう少し他に考えるべきことがありそうだよね。
マスコミも僕たちも。


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by kels | 2016-02-14 07:37 | 随想・日記 | Comments(0)

「ライ麦畑」という安住の地に馴染むことができなかった子どもたち

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でもとにかくさ、だだっぴろいライ麦畑みたいなところで、
小さな子ども達がいっぱい集まって何かのゲームをしているところを、
僕はいつも思い浮かべちまうんだ。
何千人もの子どもたちがいるんだけれど、他には誰もいない。
つまりちゃんとした大人みたいなのは一人もいないんだよ。
僕のほかにはね。

それで僕はそのへんのクレイジーな崖っぷちに立っているわけさ。
で、僕がそこで何をするかっていうとさ、
誰かがその崖から落ちそうになる子どもがいると、かたっぱしからつかまえるんだよ。

つまりさ、よく前を見ないで崖の方に走っていく子どもなんかがいたら、
どっからともなく現れて、その子をさっと「キャッチ」するんだ。
そういうのを朝から晩までずっとやっている。
ライ麦畑のキャッチャー、僕はただそういうものになりたいんだ。

「キャッチャー・イン・ザ・ライ」J.D.サリンジャー/村上春樹・訳(1951年)

この2週間くらいは、どうにも体調が良くなかったので、本ばかり読んでいた。
と言っても、新しいものを読む気にはなれなくて、古い小説を思い出したようにめくって。
何度読み返しても新しい発見のある小説というものが、世の中にはある。

「ライ麦畑でつかまえて」も、おそらくそういう小説のひとつだろう、と僕は思う。

ところで、こういう名作というのは、題名を知っていても内容を知らないという人は、意外と多いらしい。
「ライ麦畑でつかまえて」という作品名が、何を意味しているのか。
それは、この小説を読んでみなくては、やはり理解することはできないものだ。

それにしても、「ライ麦畑」が、僕たちにとって安住の地であるのだとしたら、そこから落ちていくことは、やはりきっと寂しいことに違いない。
そして、僕たちの周りでは、いつでもたくさんの子どもたちが、この「ライ麦畑」から消え続けているのかもしれないのだ。
「ライ麦畑」という安住の地に馴染むことができず、溶け込むことができず、受け入れてもらうことができず。

そんな子どもたちを救うことができるのは、やっぱり彼らの気持ちを理解することのできる者だけなんだろうなあ。
例えば、「ライ麦畑のキャッチャー」なんていうね。


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by kels | 2016-02-13 08:32 | 文学 | Comments(0)

誰もが、自分自身のためにチョコレートを買っていく時代である

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2月14日の聖ヴァレンタインの祭日にも、二人は仕事に出て、松の根もとで昼食を食べた。
シェファーさんは、町からオレンジを1ダースほど取り寄せていたので、それをひとつずつ螺旋形にむいて、果汁のたっぷりありそうなところをティコに分けてやった。

「ダイヤのギター」トルーマン・カポーティ/瀧口直太郎・訳(1958年)

街がバレンタインデーで賑わっている。
2月14日の(どこかの国の)祭日が、いつから、こんなに盛り上がるようになったのだろう。
バレンタイン特需と言ってもいいような賑わいぶりだ。

あちこちのデパートで、特別なイベントが開催されている。
そして、世界中の有名な調理人がこしらえたチョコレートを、競って販売している。
それを世の中の女性たちが、自分で楽しむために買っていく。

チョコレートが女性のためのものとなった瞬間、バレンタイン市場は巨大なものへと変わったのではないか。
意中の男性のあるなしにかかわらず、高級なチョコレートが飛ぶように売れていくのだ。
世界中の職人が、血眼になってチョコレート戦争を繰り広げる気持ちも分かるような気がする。

でも、そのおかげで、男性もデパートの催事場でチョコレートを買い求めやすくなった。
誰もが、自分自身のためにチョコレートを買っていく時代である。
純粋に食べて楽しむためのチョコレートが、市場には溢れているのだ。

とは言っても、この時期のチョコレート売り場の殺気は凄まじいから、男性一人でチョコレートを買いに行くには、強いハートが必要だ(笑)


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by kels | 2016-02-13 06:12 | 食べ物 | Comments(0)

僕は、「朝活」とかいう言葉が出るずっと前から、「朝型人間」である

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生まれてこのかた、一度として会社と名のつくところに勤めたことがない。
とはいってもべつに、会社勤めを拒否して生きてきたというわけではなくて、なんとなく成りゆきでそうなってしまっただけのことである。
僕はときどき思うのだけれど、もし人生を構成している要素のひとつひとつをカラー・マーカーか何かで塗り分けていくとしたら、「成りゆき」を塗るための色のマーカーは、かなりの量が必要になるだろう。

「ランゲルハンス島の午後」村上春樹(1986年)

考えてみれば、何から何まで計画的にきちんと生きている人間なんて、そう多くはないだろう。
ある意味、成りゆきに身を任せることが人生だと言ってもいいくらいだ。
計画とか決断とかいうのは、求められたときに活躍するのかもしれない。

それはそうとして、僕は早朝の活動が好きだ。
「朝活」とかいう言葉が出るずっと前から、「朝型人間」である。
実際、朝というのは、一日の中で、もっとも調子の良い時間帯なのだ。

世の中には、そういう朝の時間帯を有効に活用して生きている人たちも多いらしい。
でも僕としては、時間が許してくれるなら、その朝の時間帯を、最もゆったりと過ごしたいと思う。

のんびりと珈琲を淹れて、クラシック音楽を聴いて、雑誌をめくって、みたいな。
そして、頭がすっきりとしてきたところで、簡単な筋トレをしてから朝風呂に入る。
風呂から上ったら朝刊を読んで、さあ、朝ごはんだ。

もちろん、ビジネスマンの日常の朝に、そんな余裕はない。
目を覚ましてから家を出るまでの90分を、いかに有効に活用するかが命題である。
毎朝5時に起床しても、時間のゆとりなんて、どこにもないんだから。

まあ、今日は代休を取っているので、ゆっくりとブログなど書いているわけですが。


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by kels | 2016-02-12 05:48 | 随想・日記 | Comments(0)

さっぽろ雪まつりの起源の一つとして知られる小樽の北手宮小が閉校になるそうだ

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小樽市の北手宮小学校校庭に、小学生が製作したとは信じられないほど、大きく見事な雪像が並び、児童たちが楽しく遊んでいるのを見た。
札幌の大通にも、そのような雪像を作って、市民が冬の一日を楽しく過ごしてはどうかと考え、ある学校に相談したところ、当時(昭和15年)は物資欠乏の時でもあり、児童のゴム靴や手袋が破損するという事由で協力していただけなかった。

「さっぽろ雪まつり写真集」さっぽろ雪まつり実行委員会(1959年)

さっぽろ雪まつりの起源の一つとして知られる小樽市立北手宮小学校が、この3月に閉校になるそうだ。
北手宮小学校では、戦後も「雪まつり」を続けてきたが、今年が最後の開催となる。
少子化に伴う学校再編は、歴史や伝統にもおおきな影響を与えてしまうものらしい。


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by kels | 2016-02-07 16:08 | 冬のこと | Comments(0)