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真冬の山麓通りで自動車が次々とスリップして動けなくなった

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「危ない!」
ふいに町角を曲がって来た橇が、弾みを喰って深い雪の中へうずくまったと見る間に、瑞子の足許を掠めて危うく滑り抜けた。
りんりん、りんりん、乾いた蹄の音とともに鈴の音が遠ざかった。

「雪」宇野千代(1929年)

日曜日のことになるが、藻岩山の山麓通りを伏見から円山西町に向って走っていた。
積雪はそれほどでもなかったが、路面は輝くくらいのアイスバーンだった。
急ブレーキをかけても急停車できないだろう。

山麓通りは、札幌旭丘高校を過ぎると下り坂になり、界川から再び急な登り坂となる。
一台のタクシーが斜めになって停車している。
事故というよりは、アイスバーンの坂を上れなくなってしまったのだろう。

ゆっくりとタクシーを追い越すと、コカコーラのトラックが道の真ん中で止まっている。
どうやら、タクシーと同じように動けなくなってしまったらしい。
確かに四輪駆動でなければ、厳しい条件だろうと思った。

さらに、目の前を走っていたイギリスのミニが、ゆっくりと停まった。
滑りながら走っていたのが、とうとうギブアップしたのだ。
何ということはない坂道で、自動車が次々とスリップをして動けなくなっていた。

真冬の山麓通りは、これまでにもよく利用しているけれど、こんな光景は初めてだ。
そもそも、山麓通りを峠道だなんて考えたこともなかった。
その道が紛れもない峠道だということは、目の前の光景がはっきりと示していたわけだが。

危険を察知した車が、次々と引き返していくのを見て、僕は真冬の北海道を感じていた。
まるで札幌市内じゃないみたいだ、と思いながら。


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by kels | 2015-12-30 05:49 | 冬のこと | Comments(0)

札幌の冬の話題と言えば、相変わらず除雪トラブルに関することが多い

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街路の上、人の腰の高さほども雪は踏み固められて、そこが冬の通路となって、カチカチに凍りついていた。
そして家々の軒の脇には、屋根までも届くくらい、掃き寄せられた雪や吹き溜まりの雪が小山のように賑やかに林立していた。
その高い通路の上を今、こけつ転びつ、小山の陰になって、見えつ隠れつ、全身生不動のように紅蓮の焔を上げた三人の男女が、追いつ追われつ狂気のようになって、走り狂っているのであった。

「生不動」橘外男

昔の小説を読むと、路上の雪は高く踏み固められているのが珍しくなかったらしい。
現在のような除雪の概念がなかったのかもしれない。
降り積もった雪をどんどん踏み固めていくから、当然、道路はどんどん高くなっていく。

真冬ともなれば、道路は家の屋根の高さくらいになっているから、玄関を開けても道がない。
仕方がないから、玄関から道路まで続く雪の階段を作って上り下りしたそうである。
古絵葉書の写真などを見ると、札幌の中心部でさえ、意外とそんな感じだったらしい。

除雪と排雪のシステムが整っている現代は、もちろんそんなことはない。
雪が降ると除雪車がやってきて雪を寄せるし、雪が溜まると排雪トラックがやってきて、雪を持っていってしまうからだ。
一定以上の雪が街を埋め尽くすということはないはずである。

もっとも、札幌の冬の話題と言えば、相変わらず除雪トラブルに関することが多い。
どれだけ文明が発達しても、雪は庶民にとって悩みの種だということだろう。
案外、除雪のなかった時代の方が、トラブルも少なかったのだろうか。


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by kels | 2015-12-29 20:21 | 冬のこと | Comments(0)

札幌の街が隅々まで均一に美しく整備されたのは、札幌オリンピック前後のことである

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私はかねて聞いていた通り煙草屋と荒物屋との間の狭い横丁を入った。
職工町の一町ばかり先の左側を目指して入ったが、どうも何ともかともごみごみとした、行けば行くほど裏長屋の貧民窟のような処であった。
降り積もった雪が腰のあたり迄両側に掃き寄せられて、そのトンネルみたいな中を平ったく入って行った芥溜(ごみため)のあたりから、同じような小さな棟割り長屋が幾つも幾つも並んでいた。

「求婚記」橘外男

橘外男の札幌での生活は、明治44年から大正4年までの、約3年半であった。
石川啄木が札幌を訪れた時期から、約5年後といったところである。
橘は、苗穂の鉄道員札幌工場で事務職を務めており、この作品は、当時の苗穂近辺が舞台になっている。

歴史に伝わる札幌はどれもみな美しいが、庶民の暮らしが隅々まで美しかったというわけではない。
むしろ、現代的な社会福祉システムが確立されるまで、庶民の暮らしは非常に厳しいものだったはずだ。
庶民目線で描かれた当時の小説には、生身の札幌が登場しているような気がする。

開拓時代より、創成川を東に越えた一帯は、いわゆる工業地域であった。
当時の言葉で言えば「職工町」で、多くの労働者の暮らしは豊かではなかった。
本当の意味での庶民の暮らしというのは、案外、そんな街にあったのかもしれない。

札幌の街が隅々まで均一に美しく整備されたのは、札幌オリンピック前後のことである。
世界中から集まってくる観光客を迎える上で、美しい街は必要不可欠だったのだ。
経済成長の中で、札幌は生まれ変わっていくのである。


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by kels | 2015-12-29 19:57 | 札幌のこと | Comments(0)

毎年思うことだけれど、雪の降る夜というのは、時間の感覚を忘れさせる

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雪の上に立ち留まって、森は瑞子の顔を見詰めた。
もうすっかり止んではいたが、降り積もった上を呷りながらからっ風が飛んでいくので、吹雪のように舞い上がった。
ガス燈の仄明かりだけ、まるで、芝居の雪のように真っ白に舞い上がる。
眼に見える行く手の方は、その雪が黒く見えた。

「雪」宇野千代(1929年)

仕事帰りの雪の中を歩いていると、今がいつの時代なのか、分からなくなった。
最近は宇野千代の古い作品ばかり読んでいたからかもしれない。
頭の中には、大正末期の札幌がいつでもあった。

毎年思うことだけれど、雪の降る夜というのは、時間の感覚を忘れさせる。
時間の感覚ばかりか、時代の感覚さえ乏しくなってしまう。
雪にはすべてをリセットしてしまう力があるのかもしれない。

だから、雪の降る夜、いつも僕は大正時代の札幌に迷いこんでいる。
あるいは、明治時代や昭和初期の札幌であったかもしれない。
100年も昔の札幌が、雪の中には見えるような気がする。

実際、雪に埋もれてしまえば、平成も大正もなかった。
雪の中で、人はみな非力だし、文明という文明は雪の下に隠されてしまう。
目に映る光景は、大正時代の雪の夜と大きな違いはなかっただろう。

だから僕は、冬の雪の夜が好きだ。
僕の知らない時代の札幌が、そこにはあるから。


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by kels | 2015-12-29 05:48 | 冬のこと | Comments(0)

札幌は地下街が多いから、あえて厚着をする必要がないのかもしれない

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彼等は二三日前の吹雪がどんなに酷かったかと言うことを話し合っていた。
ラッキョウ漬けの水がめが寒さのために亀裂したことを話していた。
これで雪解けには行倒れの足の腐った乞食共が、この街だけでも五六人は上ってくるだろう、ということを話していた。

「人間の意企」宇野千代(1923年)

昨日は、この冬初めての真冬日になったらしい。
実際、昨日は寒かった。
初めて冬らしい寒さを感じたと言っていいくらいだ。

もちろん、こんなことはただの序章に過ぎないことは分かっている。
真冬日と言っても、最高気温・最低気温が氷点下4℃である。
いずれ、氷点下10℃を超える日が続くのだ。

もっとも、街に出ると、人々は思ったほど厚着ではない。

高校生くらいの女の子は、ニットカーディガンにマフラーを巻いただけで、平然と歩いている。
カナダグースのダウンなんかを着ていると、まるで観光客のように見えてしまう。
札幌は地下街が多いから、あえて厚着をする必要がないのかもしれない。

ちなみに、宇野千代が「人間の意企」を書いた年の記録を調べてみた。
1923年の冬、札幌で最も寒かったのは1月27日のマイナス20.5℃である。
札幌でマイナス20を超えると、さすがに寒いだろうなあ。

さて、今日も真冬日で、どうやら今日の方が寒くなるらしい。
少しずつ氷点下の世界にも慣れていかなければ。


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by kels | 2015-12-27 06:20 | 冬のこと | Comments(0)

クリスマスが過ぎて、ようやくクリスマス縛りから解放された

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ジルは、スプレイ・ガンで吹きつけたようなジーンズ、三インチのヒールの付いたエメラルド色のハイ・ブーツを履き、胸のくぼみがほどよく見える程度に、白いブラウスのボタンを外している。
いつも黒いミンク・コートを羽織っていた。

「スターダスト」ロバート・B・パーカー(1990年)

クリスマスが過ぎて、ようやくクリスマス縛りから解放された。
つまり、僕が聴く音楽の話だ。
ここ数日間はクリスマスソング以外は聴かないという愚かな呪いを、僕は自分自身にかけていた。

なにしろ、アップル・ミュージックには、大量のクリスマスソングがストックされている。
自分で金を出して聴かないような音楽まで、今年のクリスマスには聴いた。
おかげで知らない曲を、いくつも覚えることができた。

今朝は久し振りに「普通の」バロック音楽を聴いている。
いつもの日常が、ようやく戻ってきたみたいだ。
クリスマスの音楽は、来年のクリスマスで当分いいだろう。

だけど、おかげで随分とクリスマス気分を楽しませてもらった。
急ごしらえのクリスマス気分ではあったけれど。
季節感なんていうのは、きっと、気の持ちようなんだよね。


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by kels | 2015-12-26 06:24 | 音楽 | Comments(0)

まあ、これもホワイト・クリスマスだよな、と僕は思った

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冬だった。
暖かさなどもうとうになくなったような裸電球の列が、小さな田舎の駅の、寒々とした吹きっさらしのプラットホームを照らし出していた。

「夜の樹」トルーマン・カポーティ/川本三郎(1945年)

クリスマスの朝になって、ようやく雪が降った。
朝7時過ぎ、オフィスに到着したあたりから、雪は突然激しくなった。
ビルの外の風景は、猛烈な降雪に包まれ始めていた。

仕事を終えて帰宅する頃には、雪はすっかりと降り積もっていた。
しかし、気温は高かったのだろう。
足元の雪は溶けて、歩道は大きな水溜りで人々の行く手を阻んでいるように見えた。

まあ、これもホワイト・クリスマスだよな、と僕は思った。
週末になれば、今年初めての真冬日が来て、街は少しずつ凍りつくのだ。
凍りつくときが、ほんの少し遅かったというだけのことだから。


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by kels | 2015-12-26 05:55 | 冬のこと | Comments(0)

二軍選手を買わないと決めてから、洋服を買う回数はかなり減った

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もちろんサンタクロースは本当にいるよ。
でもひとりきりじゃとても仕事が片づかないから私たちみんながサンタクロースなのさ。
私もそうだし、お前だってそうだよ。いとこのビリー・ボブだってね。

「あるクリスマス」トルーマン・カポーティ/村上春樹・訳(1982年)

街をフラフラしながら、何か用事を見つけようと思って、セレクト・ショップをいくつか覗いてみた。
だけど、結局のところ、僕の買うべきものは、特に見当たらなかった。
つまり、セールが始まっても、僕の買うべきものは特に見当たらないということになる。

二軍選手を買わないと決めてから、洋服を買う回数はかなり減った。
「値段が安い」ということは、洋服を買う理由にはならなかった。
必要なものを必要なときに買う、それだけだ。

ひとつひとつの値段は高くなっているかもしれない。
それでも、トータルでは、そんなに無駄遣いをしているという感じはしていない。
何より余計なものを買わなくなって、クローゼットがすっきりとした。

もう、この冬に冬物を買うことは、きっとないだろう。
そして僕は、年が明けたら新しい春物のことだけを考えて過ごすのだ。
セレクトショップの新しいカタログを心待ちにして。


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by kels | 2015-12-23 20:56 | 随想・日記 | Comments(0)

明日はクリスマス・イブだというのに、札幌の街には雪がなかった

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そして僕はクリスマス・イブを、胸ときめく太っちょサンタの到来をいつものように心待ちにした。
もちろん僕はそのじゃらじゃらと音を立てるでっぷりした太っ腹の大男が煙突からどすんと落ちてきて、楽しげにクリスマス・ツリーの下に贈り物を並べていくのを見たことはなかった。

「あるクリスマス」トルーマン・カポーティ/村上春樹・訳(1982年)

クリスマスの空気を感じたくて、用事もないのに街へ出かけた。
何の用事もないのに。
考えて見ると、いつだって僕は、用事もないのに街をふらついている。

地下街の書店で文庫本を一冊買って、そのままスターバックスコーヒーに入った。
ホワイトモカのコーヒークリームラテを注文して、黙って本を読んだ。
祝日だというのに、カフェは意外と空いているような気がした。

そう言えば街全体が、意外と落ち着いていたような気がする。
クリスマスのざわめきはあったけれど、それ以上でもそれ以下でもないというか。
おかげで僕はゆっくりと小説を読み、コーヒーを飲み干し、街を眺めることができた。

あるいは、それは、街に雪がないせいかもしれなかった。
明日はクリスマス・イブだというのに、街には雪がなかった。
札幌のクリスマスとしては、それが季節感を少し損なわせていたのかもしれない。


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by kels | 2015-12-23 20:46 | 冬のこと | Comments(0)

だから僕は、現代と1980年代とを行ったり来たりしながら生きている

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またクリスマスの季節がめぐってきた。
でも由美子は今年は浮かない気分だった。
毎年、クリスマス・イブを海外で過ごしてきたので、彼が今年はどこへも行かないと言ったとき、まるで「別れよう」と言われでもしたかのように、傷ついたくらいだった。

「スターダスト」森瑤子(1991年)

1980年代に流行したものに触れるのが好きだった。
小説、音楽、映画、ファッション。
1980年代にしかない匂いが、そこにはある。

僕は特にバブル文化というやつが好きだった。
おそらくは二度と繰り返されることはないだろう歴史の一頁。
フィッツジェラルドの古い小説に通じる切なさが、この時代にはある。

だから僕は、現代と1980年代とを行ったり来たりしながら生きている。
相変わらず後ろ向きだなあと思うけれど、気が付けば、いつでもあの時代に心が動いている。
戦後とも高度経済成長とも違う刹那的な時代に憧れてしまうのかもしれない。

黒歴史だとみんなは言うけれど、それほど僕はバカバカしいとは思っていない。
僕たち日本人が、あの時代から学んだことも少なくなったはずだから。
どんな歴史にも教訓があり、反省があり、そして成果もある。

大切なことは、「もう一度、成功したい」と思う勇気なのではないだろうか。


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by kels | 2015-12-23 06:55 | 随想・日記 | Comments(2)