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今は、この短い初秋の夕暮れを、せいいっぱい楽しむだけだ

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列車は夕日を追って走っていた。
根室は日本の最東端の町だから、帰途は西へ向かうことになるわけである。
夕日は次第に赤味を増し、丘の背に近づくと血のような色に変わった。
気候が苛酷になればなるほど、夕日は美しさを増すのであろうか。

「北国抄」原田康子(1973年)

秋分の日が過ぎて、夜が長くなった。
毎年のことではあるけれども、何とも切ない季節である。
何だか、世の中の価値観がすべて逆転してしまったかのような切なさだ。

日の短さ以上に、黄昏の短さが夏の終わりを、いよいよ実感させる。
札幌の夏の黄昏は非常に長くて、太陽が沈んだ後の空は、いつまでも明るい。
北欧の白夜に通じる長い黄昏なのかもしれない。

夏が終わると、その長い黄昏がなくなって、太陽が沈むと街はあっという間に暗くなる。
ああ、夏が終わったんだなと、そんなときに僕は強く感じてしまう。
切ない一瞬である。

やがて、そんな短い黄昏にも慣れて、夜の長さにも慣れてしまう。
人間は、365日の微かな変化を、そうやって受け入れながら生きているのだろう。
たかが、黄昏の長い・短いくらいで騒ぐほどのことではない。

今は、この短い初秋の夕暮れを、せいいっぱい楽しむだけだ。





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by kels | 2015-09-27 18:59 | 秋のこと | Comments(0)

夕陽がきれいだったので、雨上がりの街を散歩に出かけた

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育ちというのは恐ろしいものだ。
2、3人で居酒屋へ行って酒の肴を注文するとき、ぼくはまず刺身を頼んだあと、献立表を見て片っぱしから食べ物を注文してしまう。
ほかの2、3人が、一度にそんなに食べられないから、食べてしまってから頼んだらいいと言うが、ぼくはかまわず注文する。
もちろん、全部食べるつもりでは頼むのだが、刺身と突き出しとアサリの酒蒸しくらいでは、卓の上が寂しくて気が気でないのだ。

「北ぐにの人生」小檜山博(2003年)

午後になってひどい雨が降った。
はじめ、稲妻が光ったかと思うと、大きな雷鳴が轟き、たちまち豪雨が降ってきた。
本当に目の前を見ることもできないくらいの、凄まじい雨だった。

こんな豪雨が続くようなら、あっという間に避難命令が出されるだろう。
しかし、雨はほどなく晴れて、雲の切れ間から太陽の眩しい光が射した。
つまるところ、通り雨だったらしい。

夕陽がきれいだったので、雨上がりの街を散歩に出かけた。
大通公園ではオータムフェストが続いて、相変わらずの賑わいである。
もっとも、豪雨の後だったためか、意外とテーブル席が空いていたりした。

食べ物イベントとしては、ちょうど良いくらいの混雑具合だろう。
食べ物を買った後で、食べる場所を探してウロウロするくらいバカバカしいことはない。
さっと座れるくらいの空席があるくらいの賑わいがちょうど良いのだ。

もっとも、きれいな夕陽を見て、外で夕食を食べようと思った人も多いかもしれない。
自分は日没と同時に会場を後にしたけれど、もしかすると、暗くなってからの方が混雑したのではないだろうか。


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by kels | 2015-09-27 18:38 | 秋のこと | Comments(0)

彼女は今でも自由気ままに生きているのだろうか。

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この歌がいちばん彼女のお気に入りだったらしい。
というのも、彼女は髪が乾いてしまったずっとあとまで、夕日が沈み、たそがれの窓辺に灯がチラホラ見えても、なおそれを歌い続けていたからだ。
だが、私たちの交友関係は、最初の涼しい秋風がさざ波のように吹きぬける9月のある晩までは進展を見せなかった。

「ティファニーで朝食を」トルーマン・カポーティ/滝口直太郎・訳(1958年)

主人公のホリー・ゴライトリーが歌うのは、その夏に流行した映画音楽だった。
特に「オクラホーマ!」という映画の曲がお好みだったらしい。
---眠りたくもなし、死にたくもなし、ただ旅していきたいだけ。

自分に正直に生きたい、自由に生きたいと願うホリーの心情が、この歌には投影されていたのだろう。
発展する文明社会の中で、何より貴重なものは自由である。
ホリーは、文明社会の象徴であるニューヨークで、自由気ままに生きてみせた。

考えてみると、そういう女の子って、かつて自分の周りにもいたような気がする。
まるで野良猫みたいに勝手気ままに生きているような女の子が。
そして、僕はいつでも、そういう女の子をうらやましく思っていたものだ。

年齢を重ねるほどに失われていくものが自由だとしたら、彼女は今でも自由気ままに生きているのだろうか。


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by kels | 2015-09-27 07:41 | 文学 | Comments(2)

一糸の乱れもなく規則正しく冬に向って行進しているかのような季節

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9月の半ばも過ぎて、秋は定まった。
時々、驚くほど寒い朝が訪れ、その日だけ、家々ではストーブをたいた。

「リラ冷えの街」渡辺淳一(1971年)

うだるような残暑もなければ、驚くような寒い日もない。
それが今年の9月だったような気がする。
一糸の乱れもなく規則正しく冬に向って行進しているかのような季節。

それにしても、さすがに風はすっかりと秋のものである。
気温の高い時間を除くと、何か羽織物がほしくなる。
これから雪が降るまでの間、そんな微妙な季節が続くわけだ。

喫茶店に入っても、温かい飲み物を注文するのに迷わなくなった。
蕎麦も温かいメニューを選ぶことが多い。
そして、昨夜、今年初めての鍋ものを食べた(と言っても、スキヤキだったけれど)。

それにしても、嵐のように過ぎ去っていく9月だったなあ☆


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by kels | 2015-09-27 07:02 | 秋のこと | Comments(0)

恋の夢を見ることができるほどには、僕にもまだ希望はあるらしい(笑)

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なあ、年月というのは、人をいろんな風に変えていっちゃうんだよ。
そのときに君と彼女との間で、何があったのかは知らない。
でも、たとえ何があったにせよ、それは君のせいじゃない。
程度の差こそあれ、誰にだってそういう経験はあるんだ。

「国境の南、太陽の西」村上春樹(1992年)

懐かしい夢を見た。

僕はまだ高校生で、好きな女の子に、その恋を打ち明けられないでいた。
二人とも微妙な距離を保ちながら、お互いの気持ちを測りかねている。
そんな幼い恋だったのだろう。

「どうして、そんなことを言うのよ」と、彼女は大きな声で言った。
大きな瞳が怒りで満ちていた。
身に覚えのないことで、僕は怒られているのだ。

「僕は何も言っていないよ」と、僕は言った。
それから長い時間をかけて、僕は彼女の誤解を解いた。
疑わしい表情をして、それでも彼女は最後には、僕を信用してくれたらしい。

いつもはおとなしい彼女だったけれど、友達のことになると、いつでも真剣だった。
正確に言えば、誰に対しても平等で公平だった。
うっかり冗談も言えやしないぜ、と僕は思った。

放課後、校舎からバス通りへと続く帰り道で、僕は彼女に追いついた。
夕闇が街を包み始めていて、僕は黙って彼女と手をつないだ。
彼女が、また怒るのではないかと思ったけれど、何も言わなかった。

坂道を登ってきた顔見知りの教師が、夕闇の中、すれ違い様に何か言った。
「何て言ったの?」と、僕は彼女に小さく訊ねた。
「また、女を変えたのかって」と、彼女は無表情に言った。

そこで目が覚めた。

知らない街の、知らない学校で、僕は知らない女の子に恋をしていたらしい。
あるいは、そういう人生もあったのかもしれないなと、僕は思った。
世の中には、星の数と同じくらいの恋に満ち溢れているのだから。

何はともあれ、恋の夢を見ることができるほどには、僕にもまだ希望はあるらしい(笑)


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by kels | 2015-09-23 22:01 | 随想・日記 | Comments(0)

9月の札幌の夕暮れには、やはり上着はあった方がいい

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それがギャツビーの父親だった。
いかにも謹厳実直な顔つきの老人で、困惑し、途方に暮れた様子だった。
9月の暖かい日だというのに、丈の長い安物の厚いコートに身を包んでいた。

「グレート・ギャツビー」スコット・フィッツジェラルド/村上春樹・訳(1925年)

今日の札幌が、まさに、9月の暖かい日だった。
午後の日差しは眩しくて、夏のような汗を流した。
残暑のない9月だったから、この暑さは久し振りだと思った。

それでも、夕暮れ時には冷たい風が吹いた。
太陽が沈んでから出かける人たちは、薄手のコートに身を包んでいた。
9月の札幌の夕暮れには、やはり上着はあった方がいい。

季節の変わり目というのは、人々の服装も様々だ。
半袖にショートパンツというサマースタイルの人たちと、ニットにコートという秋スタイルの人たちが混在している。
この中途半端な季節は、もうしばらく続くのだろう。


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by kels | 2015-09-23 21:31 | 秋のこと | Comments(0)

札幌の秋の風物詩「さっぽろオータムフェスト」は、今年も混雑している

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さっぽろオータムフェストは、石狩川流域をはじめ北海道全域の農産物、秋の海産物を集めて、生産者や料理人、醸造者などの作り手の顔が見えてくるぬくもりあふれる祭であり、その旨い食べ方を知っている市民、そしてここを訪れる方々がこの街の生活を祝う祭です。

この街が、集めて来た旨いものは、世界水準。それを、最高の状態に調理する板前達、シェフ達が日々、修業を積んでいます。
それは、ここに住む人たちが、生活の中で、旨いものを食べる努力を惜しまなかった賜物です。
漁師、農家と、醸造者、食品加工者、料理人などの質の高い職人たちと、この風土のなかで、少しでも旨いものを食べようとした人たちが作り上げたといえます。

そして、この北海道の旨いものが全て集まる街・札幌を、北海道全域 ―最高に旨いものが実る、とれる風土― を訪れるきっかけにしていただきたい。
実際にその大地を踏みしめて、旨いものを生みだすための必然である、その土地の空気、水、森、海、風、そしてそこで生活する作り手たちの想いを、ぬくもりを、肌で感じてほしい。
旨いものが、さらに旨みを増すことでしょう。

「さっぽろオータムフェスト2015」公式サイトより(2015年)

札幌の秋の風物詩「さっぽろオータムフェスト」。
今年も相変わらずすごい人気で、会場は常に大混雑している。
本当にビッグイベントになったなあ(遠い目)。

あんまり賑わっているので、予備知識なしで参加すると、かなり戸惑うかもしれない。
できれば、事前に下調べをしておいて、食べたいものをいくつか絞っておいた方がベター。
会場も広いので、ちゃんと食べたい人は、事前チェックが必須だろう。

ただ、数年前に比べて、飲食するスペースは確実に増えていると実感。
どこの会場にも、数多くのテーブルが用意されているので、昔みたいに難民キャンプ状態になることは少ないようだ。
まあ、休日のランチタイムともなれば、さすがに人が溢れているが。

シルバーウィークとあって、道外からの旅行者も多かった秋の連休。
せっかくの北海道旅行、良い思い出だけを抱えて、旅を終えてほしいなあと思った。
そういう意味で重要だよね、こういうイベントに関わっている人たちの責任って。


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by kels | 2015-09-23 20:42 | 秋のこと | Comments(0)

Apple Musicが配信されて以来、生活の中の音楽は、Apple Musicが中心になった

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それから秋がやってきた。
秋がやってきたときには、僕の心はもうほとんど定まっていた。
こんな生活をこのままずっと続けていくことはできないと、僕は思った。
それが僕の最終的な結論だった。

「国境の南、太陽の西」村上春樹(1992年)

7月にApple Musicが配信されて以来、生活の中の音楽は、Apple Musicが中心になった。
こうしてブログを書いている今も、Apple Musicでシューベルトの歌曲集を聴いている。
ディースカウとムーアのシューベルト歌曲集を、全部ダウンロードしたのだ。

おかげで、どこにいても作業用のBGMはシューベルトになった。
全部で463曲もあるから、おそらく、絶対に飽きることはない(笑)
これだけでも、Apple Musicに登録した価値はあるのではないだろうか。

最近では、わざわざコンポまで歩いていって操作するのが面倒なくらい(笑)
もう長年愛用しているステレオコンポだから愛着はあるんだけれどね。
ゆっくりと音楽を聴くという生活ができていないということなんだろうな。

まあ、のんびりとレコードを聴く楽しみは、将来のために取っておこうか。


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by kels | 2015-09-23 05:04 | 音楽 | Comments(0)

新しい秋は、去年の秋とは、やっぱり違う季節ということらしい

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我々が朝食を食べ終え、ポーチに出たのは9時だった。
夜を境に気候は一変したらしく、空気には既に秋の匂いがあった。
ギャッツビーの以前の使用人の中ではただ一人残っていた庭師が、階段の下に姿を見せた。
「今日にもプールの水を抜いてしまおうと思っとります」

「グレート・ギャツビー」スコット・フィッツジェラルド/村上春樹・訳(2006年)

実際、札幌の街は、すっかりと秋らしい空気になった。
何が秋らしいと言うのではない。
空気がすっかりと秋らしいのだ。

街が落ち葉に埋もれる晩秋と違って、初秋はさりげなく、そして慎ましやかだ。
熱病が冷めてしまうみたいに、夏は、いつの間にか遠ざかっている。
そして、みんな少しづつ、この新しい季節の空気に慣れてしまうのだ。

過ごしやすいという意味では、確かに良い季節である。
暑すぎもせず、寒すぎもしない。
太陽の高いうちであれば、上着だって必要ないだろう。

ただし、昼と夜との気温差が大きいのも、この季節の特徴である。
かつて何度も、この季節に風邪をひいた。
いつまでも夏のつもりで、薄着で過ごす夜が原因なのだ。

どんな環境にも、なじむまでには時間がかかる。
季節でも人間関係でも、それは同じだ。
新しい秋は、去年の秋とは、やっぱり違う季節ということらしい。


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by kels | 2015-09-23 04:03 | 秋のこと | Comments(0)

映画「華麗なるギャツビー」の字幕では、「友よ」という表現が使われていた

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僕が『グレート・ギャツビー』を翻訳していると言うと、アメリカ人はまず、「じゃあ、ギャツビーの口癖であるold sportは、どう日本語に訳すのですか?」と質問してきた。
当然と言えば当然の質問である。
もしアメリカ人だったら、僕だって同じ質問をすると思う。

「グレート・ギャツビー(あとがきより)」村上春樹(2006年)

結局、村上春樹は、この「old sport」問題を「オールド・スポート」と訳すことで決着を図った。
適当な、うまい具合の日本語が見つからなかったわけだ。
翻訳というのは難しい作業なんだなあと、つくづく思う。

もっとも、役者によるあとがきの解説がなければ、「オールド・スポート」が何を意味するものか、まったく分からないという問題は残る。
意味が分からなくても筋書きには影響しないのだが、ギャツビーの存在を理解する上で、これはやっぱり寂しい。
この口癖こそが、ギャツビーのアイデンティティのひとつになっている部分はあるからだ。

2013年公開の映画「華麗なるギャツビー」の字幕では、「友よ」という表現が使われていた。
ちなみに、1957年翻訳の野崎孝版では、「親友」。
親しくもない人に対して、親しげに呼びかける俗語だったのかもしれない。

おやすみ、オールド・スポート(笑)


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by kels | 2015-09-22 06:58 | 文学 | Comments(0)