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「札幌では毎年11月3日に初雪が降る」という都市伝説

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大風の一夜を境にして、ぐっと深まった秋の色は、急に人々に冬支度をいそがせた。
ほとんど毎年決まって十一月三日に初雪が降り、それから中頃にちらちらと降る日があり、そうして十一月の末か十二月の初めに降った雪は、もう根雪となってしまう。
雪の上に雪が降り、その雪が凍てついたり、吹雪になったり、あくる年の三月がくるまで、人々はもう黒い地面を見ることができない。
根雪になる前に、冬ごもりの準備をすっかり調えねばならなかった。

「石狩少女」森田たま(1940年)

札幌の初雪は、毎年11月3日に降るものだと、森田たまは信じていた。
それはデビュー作である「石狩少女」以外の作品の中でも見ることができる。

私の子どもの時の天長節は十一月三日で、その日の朝は必ず、空がとぎ出したようにまっさおに晴れていた。
それでいて、学校でお式をすませて帰ってくる頃には、ちらちらとはつ雪がふり出す。
その日まで、雪はこらえにこらえて待っていたというように降り出すのである。
北海道の気候は大陸的で、そういうふうに、はつ雪の降る日もきちんときまっていたらしい。

「はつ雪の日~『随筆ふるさとの味』所収」森田たま(1956年)

ふしぎなことに、十一月三日の朝はとぎ出したように青く空が晴れて、その青さが引き締るに身にしみたが、学校から帰る頃には、必ずちらちらと雪がちらつく。
そうしてそれが札幌のはつ雪であった。

「はつ雪~『明治の女』所収」森田たま(1967年)

本当に毎年11月3日に初雪が降っていたのかどうか、それは分からない。
少なくとも、森田たまという一人の少女の中では、11月3日には真っ青な空が晴れ渡っていた。
そして、それはやがて必ず雪になっていたのだ。

あるいは、本当に11月3日に初雪の降った年があったのかもしれない。
そして、その日の鮮明な記憶が彼女の心の中に焼きついて、札幌の11月3日には初雪が降るという小さな伝説が、彼女の中に宿ってしまったのだ。
天長節の式典、11月3日、冷たい青空、そして初雪。

誰しも自分の中にしかないだろう都市伝説を抱えている。


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by kels | 2014-10-31 21:17 | 旧・札幌日和下駄 | Comments(0)

毎年気になるのが大通高校の南西角にある大きな銀杏の樹だ

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紅葉の名所というわけでもないけれど、毎年なんだか気になる秋の樹というのがある。
例えば、大通高校の南西角にある大きな銀杏の樹がそれだ。
南2条通りに面して、この古い銀杏は、毎年のように僕に秋の深まりを教えてくれる。

木の下にはベンチがあって、時々老婆が座っている。
散歩に出かけて疲れたときなどに、一休みしているのかもしれない。
銀杏の下でお婆さんがのんびりと太陽の光を浴びている風景は、何か心温まる秋の情景である。

この木は、毎年たくさんの落ち葉で道を埋めるので、それを楽しみに写真を撮りに出かけている。
街角がびっしりと落ち葉で埋め尽くされたところは、これ以上ないくらいに秋らしさを感じさせる。
多少道が汚れても、秋の道には落ち葉があってほしい。

ただし、問題はギンナンである。
ギンナンの匂いには、いつまでも経っても慣れることができなくて辟易する。
ギンナンのない銀杏なんてつまらないとも思いながら、苦手を克服することは、なかなか難しいみたいだ。


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by kels | 2014-10-28 19:57 | 旧・札幌日和下駄 | Comments(0)

「札幌桑園停車場緑道線」の「紅葉の道」には落ち葉がなかった

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JR札幌駅を中心とした札幌市施行の連続立体交差事業は、構想から約25年を経て昭和63年11月に一時開通し、平成3年度に完了しました。
この緑道は、連続立体交差事業により取得したJR函館本線跡地の有効利用を図ったものです。
散策路として緑あふれ、自然に親しめるように工夫した四つの「道」は、季節の変化を楽しめるように配置した都心の貴重な都市空間ですので、どうぞ「都会のオアシス」をお楽しみください。

「札幌桑園停車場緑道線」解説版より

秋の風景の中では、落ち葉に埋もれた道が好きだ。
大きな銀杏の木などを見つけると、その路上が金色の落ち葉に埋め尽くされていないか確認したりする。
そうして、落ち葉がまだ十分ではないことを知ると、何だかがっかりしてしまう。

札幌駅から高架下の道を散策してみると、秋色に染まった樹木がたくさん並んでいて、いかにも秋らしい風情のある道だった。
「札幌桑園停車場緑道線」と書かれた立派な解説版まで設置されている。
そう言えば、昔はこの緑道でフリーマーケットみたいなことも行われていた。

解説版によると、もっとも札幌駅に近いゾーンは「紅葉の道」である。
「秋の紅葉・黄葉が都会的な広場の空間を彩ります」とあるように、道は確かに秋色満載であった。
都心にこのような道が整備されていることを、地元の人間として、とてもうれしく思う。

と同時に、少し残念な気持ちもあった。
というのは、この「紅葉の道」には、僕の好きな落ち葉がほとんどなかったからである。
どうして落ち葉がないのかというと、たくさんの作業員がせっせと落ち葉を集めては、舗道をきれいに清掃していたからだ。

落ち葉をゴミと受け止めれば、これほど邪魔な存在はない。
実際、秋の落ち葉が迷惑だからと言って、最近は街路樹を歓迎しない商店街も多いと聞く。
インターネットのショッピングモールみたいに、人間味のない街づくりの方が喜ばれる時代なのかもしれない。

落ち葉のない「都会のオアシス」を歩きながら、僕はそんなことを考えていた。


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by kels | 2014-10-26 22:15 | 旧・札幌日和下駄 | Comments(0)

景気の良かった昭和初期には、札幌市内にもたくさんの喫茶店が営業していたという

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この間斉藤春雄さんから電話を頂いて話をしているうちに、斉藤さんに連れられて、南二条の五丁目かにあった「キューピー」という喫茶店で、最後のコーヒーを飲まして頂いたことを思い出した。
ブラジルのサントスであった。
もうコーヒーなんてものの香りは、とっくに街から姿を消してしまって、僅かに残っている喫茶店では野菜スープという、玉葱のかけらが浮かんでいるスープにタンポポの根だのコショウで味つけたの、それに昆布茶が唯一の飲み物であった。

「札幌放浪記」更科源蔵(1973年)

景気の良かった昭和初期には、札幌市内にもたくさんの喫茶店が営業していたという。
女給を置いた、いわゆる「カフェー」もあれば、純粋にコーヒーの味を楽しませる純喫茶もあった。
西洋のモダンな飲み物は、札幌市民の間にも、すっかりと定着していたらしい。

戦争の時代になって、喫茶店からコーヒーが消えた。
コーヒーに限らず、様々な食料品が街から姿を消していく、そんな時代だったのだ。
コーヒーも手に入らない時代の喫茶店のマスターは、どのような気持ちで店の灯を灯し続けていたことだろう。

更科源蔵の上記の文章は、そんな暗黒時代の喫茶店風景を苦い記憶として振り返ったものだ。

それまでにまず無糖コーヒーなるものにはじまり、昔ながらの大豆をこがしたのから、台湾から入れたパンシューズという豆が、コーヒー豆の代用品。
それから配給の規格コーヒーというのが、サツマ芋の皮やドングリ、それに葡萄の種を乾かしてひがし、ひき割ったものだから、民間の発明も遅れじと栃の実だの蜜柑の皮などで、特製のコーヒーをつくったり、外国のものの本に昔白樺の真皮を砕いて、コーヒーのように飲んだというので、そんなこころみも創意と工夫という言葉どおりにやってみたのだから、当時のコーヒー党は木喰虫とちがわない状態であった。

「札幌放浪記」更科源蔵(1973年)

戦後、高度経済成長の時代を迎えて、喫茶店文化は急速に発展していく。
歌声喫茶、ジャズ喫茶、純喫茶など、喫茶店は多様な形で裾野を広げて、庶民の間へ急速に定着していった。
平和の時代が喫茶店の成長を支えてきたのだと言えるかもしれない。


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by kels | 2014-10-26 20:04 | 旧・札幌日和下駄 | Comments(0)

海のない札幌に残る「軍艦岬」と南山鼻の農園

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やがて雑木林を出外れると、急に視野がひらけ、意外にちかいところに高梨農園の白いペンキ塗りの二階建てといく棟かの平屋とが、あたりいち面の藤色の小さい亜麻の花に囲まれて建っているのが見えた。
亜麻畑のすぐ後ろには藻岩山の山裾が迫っていたが、それが引き裂いたような赤い岩肌の、高い崖になっていて、ちょうど船の舳先のように見えるので、この辺り一帯の山麓を人々は軍艦岬と呼んでいるのだということであった。

「北国物語」船山馨(1941年)

郷土を代表する作家である船山馨の「北国物語」は、札幌を代表する文学作品でもある。
昭和初期の札幌を舞台にした小説からは、当時の札幌が持つ詩情豊かな街の空気が伝わってくる。
言ってみれば、失われた世界が物語の中に閉じ込められているのだ。

東京から札幌へと転勤になった主人公は、従弟を頼って南山鼻へとやってくる。
従弟の家は、南山鼻で農園を営んでいた。
市電の電停まで十数丁も歩かなければならないこの土地が、物語の一つの舞台となっている。

その農園は、藻岩山の山裾である「軍艦岬」が切れるところにあった。
現在ではもちろん住宅街となっているこの辺りも、当時は広い農園が広がっていたのだろう。
山鼻川の畔を歩いていると、秋の物寂しい風景に70年以上も昔の札幌の景色を思い重ねてしまう。

「軍艦岬」の名前は、時代を超えて今に伝えられている。
石山通を南区に向って走っていったとき、藻岩山の山裾は、嫌でも目に入ってくる景観だ。
藻岩山と豊平川とが、まるで衝突しそうになったところは、札幌の一つの景勝地と言えるかもしれない。

おそらく、海のない札幌にただ一つの「岬」だろう。


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by kels | 2014-10-26 06:38 | 旧・札幌日和下駄 | Comments(0)

北大の銀杏並木には、たくさんの見物客が集まっていた

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自動車で北大を訪れたときには、北大病院の駐車場に車を止めることが多い。
銀杏並木を観ようと思って、久しぶりに北大に到着してみると、病院の駐車場は使えなくなっていた。
病院利用者のための駐車場なので、観光利用はお断りということで、まあ、もっともな話ではある。

まだ早朝に近いほどの早い時間帯だったけれど、銀杏並木にはたくさんの見物客が集まっていた。
銀杏にはまだ青い木もあるものの、ほぼ見頃と言っても差し支えない雰囲気だ。
歩道の落ち葉が少ないところを見ると、ピークはこれからなのだろう。

僕は落ち葉に埋もれた秋の道が大好きなのだ。
ここの銀杏並木を見に訪れたときも、空を見上げるよりも道端を覗きこんでいる時間の方が長いくらいだ。
来週末には地上が金色の葉に覆われた風景を見ることができるに違いない。

並木道は普通の自動車道路なので、路上で写真を撮るのは危険である。
自動車が走ってきているのに、堂々と車道の真ん中で写真を撮り続けている人たちを見ると、ちょっとハラハラする。
あんまり迷惑行為が続くようだと、おかしな規制がされないとも限らないからだ。

ちなみに、11月2日(日)に限っては、北13条通りが一般開放される。
道路の中から写真を撮りたい人は、この日がお勧めである。
家族連れでのんびりと銀杏並木を散策するにもぴったりだろう。


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by kels | 2014-10-25 21:58 | 旧・札幌日和下駄 | Comments(0)

大通公園を歩いていて、ふと思った。街がすっかりと秋色になっている、と。

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大通公園を歩いていて、ふと思った。
街がすっかりと秋色になっている、と。
いつの間にか、季節は粛々と移り変わっていたらしい。

もちろん、街の紅葉が始まっていることは、僕にも分かっていた。
だけど、気が付いた時の街は、あまりにも深い秋の中にあった。
薄い絵の具を塗るように、街は毎日少しずつ少しずつ秋色に染まっていたのだろう。

考えてみると、もう10月の下旬である。
いつ初雪が降ってもおかしくない季節である。
街が秋色濃く染まっていたとしても、何の不思議もない。

秋の街を観ながら、秋の景色がこんなにも美しいものだということを、僕は改めて知った。
毎年のように眺めてきているのに、どうして、こんなに新鮮な感動を覚えてしまうのだろう。
街の色は確かに鮮やかで、そして、生まれて初めて見るかのように斬新だった。

その理由は何となく分かっている。
秋の街の風景は、あまりにも刹那的で、あまりにもはかないものだからだ。
日々少しずつ色彩を変えていきながら、秋の風景はあっという間に過ぎ去ってしまう。

長い季節を雪の中に閉じ込めてしまう冬の風景とは違って、秋の風景は一瞬だ。
それだからこそ我々は、街に訪れた秋の風景にさえ感動を覚えてしまうのだろう。
明日の街は、今日の街とはきっと違う風景を見せているのだから。


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by kels | 2014-10-24 20:18 | 旧・札幌日和下駄 | Comments(0)

美香保公園が札幌オリンピックの会場だったことを、どれだけの人たちが知っているだろうか

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美香保公園は1942年(昭和17年)に札幌初の都市計画に定める公園として計画された公園です。
計画決定当時は野球場やグラウンドを積極的に配置する運動公園的な公園とすることが予定されていたほか、空襲の際の避難地となる防空緑地となることが期待されていました。
戦後、グラウンドの整備が始まり、1972年(昭和47年)の第11回冬季オリンピック札幌大会ではフィギュアスケート競技(規定)の会場として使用されました。

「美香保公園の歴史」公園設置の解説版より

札幌オリンピックなんて古い言葉だと思っていたら、最近になって頻繁に聞くようになった。
「夢よ、もう一度」とばかりに、札幌オリンピックの再現に向けた誘致運動が活発化している。
実現したら凄いことだと単純に思ってしまう。

それにしても、以前の札幌オリンピックから既に40年以上が経過している。
当時20歳だった人たちも60歳を超えているわけで、時の立つのは本当に早い。
札幌オリンピックが歴史の一頁になってしまっていたとしても、何の不思議もないわけだ。

逆に言うと、かつての札幌オリンピックを知らない世代が多くなったということでもある。
美香保公園が札幌オリンピックの会場であったことを、どれだけの人たちが知っているだろうか。
公園で遊んでいる子供たちのお母さん世代は、案外知らないかもしれないなと思った。


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by kels | 2014-10-23 21:46 | 旧・札幌日和下駄 | Comments(4)

森田たまの随筆には、母校である北海道庁立札幌高等女学校の話がよく出てくる

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私たちの学んだ庁立札幌高等女学校というのは、当時北海道で唯一つの公立女学校であったから、全道の優良児がこぞって受験し、小学六年(当時は高等二年)から入学できるのはほんのわずかで、大ていは二、三度落第の経験を持っているからだった。
ちょうど東京の一高でも受験するようなせまき門であったが、その代わり校舎の設備もよかったし、先生の質もよかった。
理科教室は階段式であったし、音楽室にはピアノがあって、音楽学校出身の若い女の先生が、ドレミファなどとは言わず、アーアーアーアーで音階を教え、楽譜を読ませた。
裁縫教室も椅子で、大きな裁ちもの机を一人ずつ与えられ、ミシンもあった。
これは当時の北海道長官園田安賢氏が、二年にわたって海外視察をした結果、北海道の女子に高等教育を受けさねばならぬと考え建てた学校で、創立はたぶん明治33年であったかと思う。

「明治の女」森田たま(1967年)

森田たまの随筆には、母校である北海道庁立札幌高等女学校の話がよく出てくる。
厳密に言えば、森田は同校を退学しているので、母校とは言えないのかもしれない。
退学しているにせよ、学校に対する深い愛情が文章からしみじみと伝わってくる。

最近の若い人たちに「庁立札幌高等女学校」と言ってももちろん分からないだろう。
一番分かりやすい説明は、現在の札幌北高校の前身となった学校である、ということだ。
戦後の男女共学制度が始まったときに、札幌高等女学校は札幌北高校へと名前を変えた。

今の札幌北高校と同じように、庁立高女(人々はこう呼んだ)も名門校だった。
上の随筆にもあるように、相当の狭き門だったらしい。
庁立高女の出身者たちが、母校を誇りに思う気持ちも理解できようというものだ。

さて、この庁立高女、当時は北2条西11丁目にあった。
現在は札幌市立大通高校が建ち、数年前までは札幌市立大通小学校があった場所である。
明治時代から、この場所は学問の地としての歴史を刻み続けてきたのだ。

現地に残る記念碑を眺めていると、歴史の重さをひしひしと感じる。
明治、大正、昭和、平成と塗り重ねられてきた教育の歴史の重みとでも言うべきか。
きっと様々な子供たちの様々な思いが、今もこの場所には残されているに違いない。


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by kels | 2014-10-21 19:42 | 旧・札幌日和下駄 | Comments(2)

早朝のろいず小熊邸と紅葉の藻岩山と

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日曜日の朝、久しぶりに藻岩山の山麓を散歩した。
気が付けば、山はいつの間にか紅葉に包まれている。
秋は着実に深まりつつあるらしい。

電停「ロープウェイ入口」からロープウェイ乗り場までは歩いてすぐの距離である。
シャトルバスが運行していて、観光客は利用しているけれど、バスに乗るとあっという間の距離である。
バスを待っている間に、歩いて到着してしまう。

早朝のためか、ロープウェイはまだ動いていなかった。
観光客の代わりに、地元の人たちが犬を連れて散歩を楽しんでいる。
観光スポットも住民にとっては日常空間に違いない。

人気の喫茶店「ろいず小熊邸」もまだ営業していなかった。
天気が良いから、古い建物を観ているだけで十分に気持ちいい。
こうして季節を感じることのできるカフエっていいなと思う。

小熊邸の前には札幌軟石で造られた石段がある。
石段を慎重に上っていくと、札幌の街並みを見下ろすことができた。
考えてみると、昔はもっと頻繁にここを訪れては、札幌の街を見下ろしていたものだ。

散策をするなら、やっぱり朝がいい。
街がまだ本格的に動き始める前の、静かでしっとりした時間。
新しい一日を生きているって感じがきちんとするから。


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by kels | 2014-10-19 21:28 | 旧・札幌日和下駄 | Comments(2)