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1パーセントの可能性がある限り、僕は物を捨てることはない

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世の中には2種類のタイプの人間がいる。
物を捨て切れずに溜め込むタイプの人と、片付け上手で物を溜め込まないタイプの人だ。
僕は明らかに物を捨て切れないタイプの人間で、そのことが自分の人生の中でも大きな苦悩の種になっている。

久しぶりに部屋の片付けなどを始めてみて、自分の物持ちの良さに改めて感心するとともに、呆れ果てている。
必要と不必要との判断が付いていないのではないかと思えるくらいだが、1パーセントの可能性がある限り、僕は物を捨てることはない。
もっとも、必要性0パーセントではないかと疑えるようなものも少ないことは確かだが。

自分の持ち物の中で圧倒的大多数を占めているのは、本、蔵書の類である。
子どもの頃から本好きで、誰かに何か買ってもらうと言えば、必ず本だった。
客は、本さえ土産に買っておけば、みんな安心していたらしい。

本好きの性格は大人になっても変わることなく、相変わらず本さえあればとりあえず生きていくことができると思っている。
しかし、本好きにとって最大の悩みは、蔵書の管理に尽きる。
増え続けていく一方の蔵書を、どのように整理して保管していくのか。

僕は部屋の一室を、壁3面書棚にして、自称「書斎」と称しているが、書棚以外に机も椅子もない、実質的にはただの書庫である。
もっとも、それだけでは収納が足りないので、ほぼ全ての部屋という部屋に書棚を備え付けて、本を溜め込んでいる。
リビングには雑誌を、廊下には文庫本を、寝室には趣味本を、といった具合だ。

数年前に蔵書の大整理をやって、数千冊の本を処分したけれど、それでも部屋の狭さは全然解消された気がしなかった。
片付けても片付けてもどこからか本が現れてくるような感覚である。
それでもちゃんと一冊一冊の本には見覚えがあるのだから不思議なものだ。

片付けの話を書こうと思っていたのに、蔵書の話だけでずいぶん長くなってしまった。
僕の持ち物の話は、この際シリーズ化して、一度きちんと書いてみたいと思う。
あるいは、それが、自分への戒めになるかもしれないからね。


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by kels | 2014-06-30 20:58 | 旧・札幌日和下駄 | Comments(0)

中谷宇吉郎の描くエメラルドの芝生と札幌の長い黄昏

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札幌の自然の美しさを説くのに更に挙ぐべきものは、緑の芝生と夏の夕空の光とであろう。
札幌の芝生は欧羅巴(ヨーロッパ)で見られるものと同じで、実は牧草なのであって、内地の高麗芝と違ってこの牧草は放っておけば直ぐ一尺以上にも伸びる。
それを根気よくモーアをかけて刈り込むと、浅い色の水々しい「摘めば汁の実になり」そうな緑の絨毯になるのである。
この芝生が一番綺麗に見えるのは夏の夕暮である。
緯度の高い土地に特有な長い黄昏がいつまでも続いて、街の西方一帯に連なっている山々を薄紫にとじこめると、芝生の色がエメラルドがかって映えてくるのである。

「札幌」中谷宇吉郎(1960年)

「雪は天からの手紙」で知られる北海道大学教授の中谷宇吉郎は、毎日の勤めの帰りに6年間もこの風景を眺めながら、その都度新しい驚きを感じるほどの美しさだったと記している。
札幌で暮らしていると、つい見過ごしてしまいがちの風景であっても、北陸生まれの物理学者の目には、なんとも新鮮なものとして映ったらしい。
こういう文章を読むと、芝生を見る目も変わってくるから不思議である。

また、宇吉郎は、札幌特有の「長い黄昏」についても触れている。
暗くなりそうで、なかなか暗くならない札幌の黄昏は、実に北国らしい夏の夕べを味あわせてくれる。
日が沈んでからの真の闇が訪れるまでの夏の時間を、僕は何よりも楽しみにしている。

古い随筆を読んでいると、こんなふうに札幌の魅力を語る魅力的な文章に出会うことができる。
昔の文章だからといって、忘れてはいけないものがあるということなのだろう。
こんな素晴らしい文章を、僕はいつまでも読み続けていきたいと思う。


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by kels | 2014-06-30 19:44 | 旧・札幌日和下駄 | Comments(0)

浮き輪を抱えて麦わら帽子を被った女性の姿が、実に夏らしさを感じさせてくれる

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文房具店に行って、筆記用具のショーケースを見るのが好きだ。
滅多に買うことのできるものではないけれど、美しい万年筆を眺めているだけで、幸せな気持ちになることができる。
だけど、この日、僕の胸を大きく動かしたのは、高級万年筆ではなくて、小さな広告カードだった。

それは、パーカーのショーケースの中に、さりげなく飾られていた。
暑中見舞いの封筒に、万年筆で簡単な絵を描いている、そんなイラストがとてもよかった。
浮き輪を抱えて麦わら帽子を被った女性の姿が、実に夏らしさを感じさせてくれる。

カッコいいなあ、こんな暑中見舞い(笑)


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by kels | 2014-06-29 06:15 | 旧・札幌日和下駄 | Comments(2)

泉鏡花の弟・泉斜汀は、明治39年に札幌の印象を当時の新聞紙上に書き記している

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札幌では目抜の場所という南一条の通りへ行ってみた。
実に札幌ほどおかしなところはない。
この間、家は東京式だと言っておいたが、あれは白木の仕舞家の家のことを言ったもので、商家のことを言ったのではない。

商家に至っては驚く驚く!
東京式がある、西洋式がある、京都式がある、堺式がある、山形式がある、仙台式がある、熊本式がある、徳島式がある、かと思うと名古屋式がある。
ハイカラがある、蛮カラがある、明治式がある、天保式がある、というもので、いろいろまちまち、思い思い、種々雑多な建法がしてある、店附けがしてあるからおかしい。

「札幌見物」泉斜汀(1906年)

泉鏡花の弟・泉斜汀は、明治39年に北海タイムスに入社し、札幌の印象を当時の新聞紙上に書き記している。
当時の札幌の街の様子が、東京からの移住者の視点によって描かれていて興味深い内容のものも多い。
ちなみに、石川啄木が札幌を訪れるのは、翌40年のことである。

さて、今回、斜汀は、札幌の商家の建築様式のバラバラであることを辛辣に批評している。
今でこそ、どこの街に行っても、目抜通りの風景なんて同じじゃないかと思うけれど、当時は、まだ街の個性というものが、どこの街にもあったのだろう。
特に、商家の建築様式は、街の景観を定める重要な要素だった。

どこの街にも、その土地らしい景観というものが、多かれ少なかれ築かれていたに違いない。
しかるに、新しい街・札幌では、札幌らしい景観が築かれるという歴史は生まれなかった。
逆に言うと、そのことこそが、札幌らしい街の歴史であると言うことができるかもしれない。

もとより、札幌は全国各地からの移住者たちによって築かれた街である。
様々な文化が雑多に混合して、新しい文化を形成している。
明治末期には、まだそうした雑多な札幌的景観が、都市部にも残されていたということなのだろう。

東京から来た斜汀にとって、こうした札幌の景観は、さぞかし異様に映ったことだろう。
けれども、全国中が東京のミニチュア化してしまったかのような現代の都市風景に比べると、明治の札幌は何て札幌らしいのだろうと思わぬでもない。
放っておくと、文化というものは、どんどんと画一化されていくものなのだ。


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by kels | 2014-06-29 05:51 | 旧・札幌日和下駄 | Comments(0)

ジョギングを終えて部屋に戻った僕の気持ちは、すっかりと夏モードに切り替わっていた

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土曜日の早朝、山鼻の住宅街をジョギングした。
朝の住宅街の中を走るのは、何だか久しぶりのような気がする。
住宅街の中にも、季節の移り変わりは確かに訪れていた。

つい先日まで、まだまだ小さいと思っていた紫陽花が花を咲かせ始めている。
札幌では紫陽花は夏の花である。
住宅街の片隅に、小さな夏が咲き始めているのだ。

夏が好きな僕は、毎年、この紫陽花の花の咲くのを楽しみにしている。
あるいは、僕にとっては紫陽花の花こそが、夏の始まりを告げる合図みたいものなのかもしれない。
そう考えると、紫陽花の花を見つけただけで、僕のテンションは簡単に上って行く。

同じように夏の始まりを告げるラベンダーも、あちこちの庭で花を咲かせている。
ラベンダーの花は、どこの家の庭にも一株や二株くらいは植えているものらしい。
住宅街の中に、こんなにもたくさんのラベンダーの花があるということを、僕はよく認識していなかった。

ラベンダーはプランターの中で育てられていることも多いようだ。
プランターであれば、玄関脇で気軽に花を楽しむことができる。
札幌の人たちは、季節の花を暮らしの中に上手に採り入れて楽しんでいる。

そんなわけで、ジョギングを終えて部屋に戻った僕の気持ちは、すっかりと夏モードに切り替わっていた。
考えてみれば、もうすぐ7月が始まる。
季節というのは、どうしたって進んでいくものなのだと思った。


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by kels | 2014-06-29 05:14 | 旧・札幌日和下駄 | Comments(0)

「小樽・札幌」原田康子(1982年)が語る「道庁赤レンガ庁舎」

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札幌の変貌をうながしたのは、札幌オリンピックの開催であろう。
地下鉄が走り、地下街が生まれた。
路面電車は一部を残して姿を消した。
道路は整備され、大きなビルが増えた。
札幌名物の時計台もビルの谷間に埋没して、いささか窮屈そうに見える。
むかしの面影を色濃くとどめた小樽とは大変な違いである。

しかし札幌にも、むかしをしのばせる古い建物がいくつか残っている。
赤レンガの旧道庁庁舎はその一つである。
小さいながら風格のある庁舎である。

この庁舎は、私にはなじみ深い建物である。
病気になるたびに通う病院が、道庁の裏手にあるからだ。
病院の帰りには、たいてい私は道庁の構内を通り抜けることにしている。
庭園風に整備された構内はゆったりと敷地があって、春から初夏にかけてはまことに気持ちがよい。
観光客が、盛んにカメラのシャッターを切っている。

この庁舎は北海道開拓のシンボルとして保存に意を尽くしているのだろうが、単なる飾りものではない。
会議室など今でも使われているようだが、ここの地下は古文書の宝庫なのである。
私のような職業のものにとっては、利用価値の高い建物である。

「小樽・札幌」原田康子(1982年)


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by kels | 2014-06-28 05:18 | 旧・札幌日和下駄 | Comments(0)

僕は、札幌について書かれた古い文章を読むことが好きだ

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僕は、札幌について書かれた古い文章を読むことが好きだ。
札幌は多くの人々に愛されてきた街だから、いつの時代にもたくさんの文章によって描かれてきた。
それぞれの文章の中には、それぞれの時代にしか見ることのできない札幌がある。

新設の法学部は、その九月一日から開講したから、私は八月一杯で室蘭中学を辞め、新婚間もない妻を白老の実家に預け、単身で札幌に出た。
苫小牧で千歳線に乗り換えると、それは一輛で単線を走るディーゼ・カーであった。
苗穂が終点で、そこから市電で道庁前終点まで来て、西二十丁目行きに乗り換え、競馬場通りで降りて、北へ一丁半ほど行った北六条西十九丁目に妻のいとこの家があり、その二階の六畳間を借りて自炊生活を始めた。

大学の講義は、半年で一年分を消化するために、朝八時半から夕方の五時半までビッシリ詰まっていた。
夕方下宿に戻ると、決まったように先ず土器の七輪に炭火をおこし、小さな鉄鍋で夜と朝の二食分の飯を炊く。
次に、少し大きなホーロー鍋に馬鈴薯、人参、大根など、野菜箱にあるものを片っ端からブツ切りにして入れ、味噌を加えて煮る。

肉は高くて買えないから、野菜汁である。
お菜はそれだけの一汁で、一菜もない。
大鍋一杯の汁は、朝晩食べても三、四日はもつ。
それがなくなると、また同じものを作る。
米軍放出の配給メリケン粉は、フライパンで焼いてパンにし、毎日の弁当にする。

食生活は、明けても暮れてもその繰り返し。
食糧がなくなる頃、月に一度くらいは妻が白老からリュックをかついでやってくる。
その時だけは辛うじて人並みのお菜にありつける。
そして、二人で街に出て、今の「四丁目プラザ」のところにあった豪華な喫茶店「西林」に入り、「ジャンケット」というプリンのような菓子を、これも高いから二人で一つ注文し、半分ずつ食べる。
それが最高の贅沢であった。

そんな生活に、私は全く不満がなかった。
「私の札幌」は充実していた。
毎朝八時ごろ家を出て、北七条通りを東へ向かい、「魔の踏切」を渡って、農学部の裏から林檎園の傍を通って、旧予科校舎(現・本部庁舎)へ行く。
一日講義を受けて、快い疲労感に浸りながら、班で押したように同じ道をまた戻る。

「私の札幌」和田謹吾(1987年)

北海道大学に法学部が開設されたのは、昭和22年のことだった。
戦後間もない時代の札幌を生きた一人の学生の記憶が、この文章の中には克明に残されている。
知らない時代の札幌の街の思い出に浸りながら、僕は70年前の札幌を旅しているような気持ちになるのだ。


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by kels | 2014-06-27 22:13 | 旧・札幌日和下駄 | Comments(2)

「悪いけど、昔のことは思い出したくないんだよね」と、僕は言った。

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「kelsさん、お客様ですよ」と、耳元で女性の声がした。
アルバイトの女の子が怪訝そうな顔をして立っている。
「なんか、サーファーみたい人なんですけど」

受付まで出て行くと、学生時代の後輩が立っていて、僕と目が合うと「やあ」と手を挙げた。
僕は彼の手を握りながら「ずいぶん久しぶりだね」と言った。
最後に彼と会ったのは、もう何年前のことになるのだろう。

応接セットのソファに座りながら、僕は笑った。
「ずいぶんラフな格好をしているじゃないか。とても同業者には見えない」
彼は少し苦笑して「ちょっと浮いているかもしれないな」と言った。

日焼けした顔と長い髪。
胸を大きくはだけたストライプのシャツの上に、コードレーンのジャケットを羽織っている。
一瞬、僕は彼の胸にネックレスがぶら下がっているような気がしたけれど、それは見間違いだったらしい。

学生の頃、僕等はよくこうやって二人きりで話をしたものだった。
親元で暮らしていた彼は、一人暮らしの僕のアパートで、週の半分以上を過ごしていた。
僕の部屋へ遊びにきた女の子たちは「兄弟みたいだね」と言って笑った。

性格はまるっきり違う二人だった。
どちらかと言えばどんな人間でも受け入れる僕に比べて、彼はほとんどの人間を受け入れなかった。
それ以上に彼は、ほとんど誰とも口をきくことさえなかったのだ。

僕という人間との中途半端な共同生活の中で、彼は少しずつ変わっていった。
なにしろ、僕の部屋にはいつだって誰かが訪れては、意味のない時間潰しをしていたのだから。
およそ無数とも思われる人間関係の中で、いつの間にか彼はどんな人間でも受け入れる人間になっていた。

やがて学校を卒業して社会に出た僕らは、偶然にも同じ業界の人間となり、同じ苦労を味わうこととなった。
仕事で交錯することはほとんどなかったけれど、二人の生き様はそれほど変わらないように思えた。
彼の手を握り締めたときに、僕はそんなことを考えていた。

「あの頃の仲間とは会っていますか?」と、彼は言った。
「悪いけど、昔のことは思い出したくないんだよね」と、僕は言った。
「相変わらずなんだから」と言って、彼は小さく笑った。


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by kels | 2014-06-27 20:37 | 旧・札幌日和下駄 | Comments(0)

「佐藤花光」で赤い紫陽花入りの小さな花束を作ってもらった

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アトリエ・モリヒコの向かい側、電車通りを挟んでちょうど正面に小さな花屋がある。
名前を「佐藤花光(さとうはなみつ)」と言う。
うっかりしていると通り過ぎてしまいそうなくらいに小さな店だ。

急に贈り物用の花が必要になって、夕方、この小さな花屋に飛び込んだ。
店内は決して広くはないけれど、予想以上に多くの花が、生き生きとしてストックされている。
どの花を選んだらいいのか、ちょっと迷うくらいだ。

一番先に目に付いたのは、赤い紫陽花の花だった。
お店の人によると、それはピンク色の紫陽花ということらしいが、僕には十分に赤い紫陽花に思えた。
この紫陽花だけは、ぜひ買って帰りたいと思った。

お店のスタッフに予算を告げて、赤い紫陽花を入れるように注文すると、彼女はすぐに美しい一つの花束を作り上げた。
いつも思うことだけれど、優れたブーケというのは、本当にそれだけでアートなのではないかと思う。
そして、彼女の作ったブーケは、確かにアートと呼んでもおかしくはないほど美しかった。

札幌のカフェ好きな人たちの間では、実はこの花屋さんはちょっと有名らしい。
なにしろ、真正面にある「アトリエ・モリヒコ」に飾られている美しい季節の花は、この小さな花屋さんによって用意されているものだからだ。
「アトリエ・モリヒコ」と「さとうはなみつ」とをセットで愛用している人も少なくないことだろう。

そんなわけで僕は、この美しい花束を、短時間のうちに無事に手に入れることができた。
もちろん赤い紫陽花の花も込みで。
そして、間もなくこの花束は、僕ではない誰かの腕の中に抱かれることになる。

自分のための赤い紫陽花は、また別の機会に買えばよいと思っている。


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by kels | 2014-06-25 22:01 | 旧・札幌日和下駄 | Comments(0)

あれからずっと、札幌の夏を包み込むという「紫いろの朝もや」を探し続けている

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昭和38年に「塵の中で」で直木賞を受賞した小説家・和田芳恵は、札幌の夏について、こんなことを書き記している。

どっとあふれるような夏が来て、カッコーの声がするころ、朝もやは紫いろになった。
エルムやポプラの木立、広い静かな通りの家並が濃い紫いろに染まり、紫いろの影絵のような人が近づいては消えた。
今もそうなのだろうか。
そのころの札幌の若い娘たちは、みな白いエリをきちんとあわせていて、清新な感じだったと思うが、ほんとうは、私の思い出のフルイにかかった美しい記憶の中の娘なのかもしれない。

「札幌の夏」和田芳恵(1960年)

この文章を読んだとき、僕は「紫いろの朝もや」というのは、どんな靄(もや)なのだろうということを思った。
紫いろの朝もや。
あるいは、それは、あちこちにライラックの花を咲かせた街を包み込む、柔らかい朝もやのことだったのだろうか。

なにしろ、40年も昔の時代を偲んで1960年に書かれた文章だ。
単純に考えると、1920年頃の札幌の街を回想しての文章だったということになる。
現在から90年も昔の札幌の街を連想しろといっても、それはあまりに難しい問題だった。

そして僕は、あれからずっと、札幌の夏を包み込むという「紫いろの朝もや」を探し続けている。
90年の時を経て、若い娘たちは、夏らしく活発で奔放な姿へと変わった。
エルムやポプラの木立だけが、かろうじて、あの頃の札幌を今も保ち続けている。


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by kels | 2014-06-25 20:27 | 旧・札幌日和下駄 | Comments(2)