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個人的に北海道三大夜景ツアーなんていうのをやってみようかな

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仕事で旅をしているとき、バスのアナウンスの中に「北海道三大夜景」というフレーズが出てきた。
長く北海道民をやっているけれど、北海道三大夜景という言葉について、恥ずかしながら、僕はあんまりよく知らなかったのだ。
というか、全然知らなかったような気がするくらいだけれど。

世界三大夜景といえば、モナコ、香港、長崎で、僕はいずれの夜景も見たことがない。
日本三大夜景になると、函館、神戸、長崎になるらしくて、我が北海道の函館が食い込んでくるらしい。
函館はともかく、神戸と長崎の夜景は、未だ見たことがない。

それでは、北海道三大夜景というのは何なのか。
道内で素晴らしい夜景スポットが3か所もあるんだろうかと思うけれど、函館、札幌、小樽ということになっているらしい。
札幌は藻岩山、小樽は天狗山で、なるほど、確かにそれぞれが人気の夜景スポットには違いないと納得した。

僕が聴いたのは、小樽天狗山の夜景観光をPRするアナウンスだったのだ。
札幌で暮らしていると、こういう情報はあまり入ってこないけれど、北海道観光ガイドなんかでは、北海道三大夜景なんていうのを、案外大々的にアピールしているのかもしれない。
日没後の観光コースに、夜景を組み込むっていうのは、とても大切なことなんだろうから。

だけど、藻岩山の夜景を見たことがある札幌市民っていうのは、意外とあんまり多くないような気がする。
時計台やテレビ塔と一緒で、観光スポットには、地元市民はあんまり近寄ったりしないものだからだ。
大体、藻岩山から夜景を観ようと思ったら、それなりにお金がかかってしまうんだから、市民としてはちょっと敷居が高いのかもしれない。

僕の場合は、札幌在住にして趣味は札幌散策、北海道在住にして趣味は北海道観光というくらいだから、北海道三大夜景っていうのもいいなあと思ってしまう。
個人的に北海道三大夜景ツアーなんていうのをやってみようかな。
観光ツアーなんていうと、地元であっても観光旅行に来ているみたいで楽しい気持ちになってくるんだ(笑)


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by kels | 2014-02-28 21:38 | 旅行 | Comments(2)

なんたって「ふいに現れ消えたあの人、きっと夏の女神さ」だからね

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2週間くらい前に、山下達郎の「FOR YOU」というCDを買ってきた。
「FOR YOU」は、1982年に発売されたアルバムだ。
当時はもちろんまだレコード盤の時代だったから、このアルバムもLPレコードで発売されていたのだろう。

マニアックな本によると、当時の若者たちは、みんなこのLPをカセットテープに録音して、カーカセットで聴きながらドライブしていたらしい。
80年代前半のオシャレな若者たちが夢中になったカッコイイ音楽と聴いて、僕は早速聴いてみたくなった。
CDは中古屋で簡単に見つかった。

あれ以来、僕は毎日繰り返しこのCDを聴いている。
ひどい日には、一日に100回以上もこのアルバムばかり聴いているんだから、これは完全に病気の範疇かもしれない。
だけど、病気になるくらい聴き続けたいほどに、このCDは素晴らしい音楽の詰め合わせだった。

山下達郎のアルバムをきちんと聴くのは、実は、これが初めてだ。
聞きかじったことくらいはあるにしても、ここまできちんと正面から向かい合って、ヤマタツを聴いたのは、きっとこれが初めてのことに違いない。
そして、これを聴きながら、ヤマタツが未だに人気のある理由が、何となく分かるような気がした。

それにしても、ヤマタツっていう言葉の響きは、なんだか80年代っぽくてかっこいい。
ヤマタツとかハマショーとか、80年代にはカッコイイ響きの名前の人が多かった。
カドマツだのモトハルだの、4音が好まれた時代だったのかもしれない。

「FOR YOU」の話に戻ると、アルバムの隅から隅まで、カッコよくてオシャレな音楽で埋め尽くされている。
オシャレな音楽と言っても、今風のアコースティックで落ち着きのあるボサノバ的カフェ音楽ではない。
ゴージャスでメロウでソフィストケイトされたポップミュージックなのだ。

なんたって「ふいに現れ消えたあの人、きっと夏の女神さ」だからね。
80年代の男子は、好きな女子のことを「女神」とか「ヴィーナス」とか「マーメイド」とか「マドンナ」とか普通に呼んでいたらしい。
「ステディ」なんていうのもあったような(笑)

このアルバムの良いところは、とにかく明るくて暗くないこと。
80年代には「ネクラ」とか「ネアカ」なんていう言葉もあったけれど、こういう音楽がトレンドだった時代っていうのは、やっぱり、世の中全体がネアカだったんだろうなあという気がする。
良い意味で、何でもできそうな可能性に満ちているから。

ということで、ヤマタツから始まった80年代ミュージックの旅。
このテーマだけで、しばらく楽しめそうだな。
どうせだったら、明るく楽しく生きた方がいいよね、きっと(笑)





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by kels | 2014-02-27 21:51 | 音楽 | Comments(4)

僕が求めていたものは、札幌という街の古い記憶だったのだ

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どんな物事にも、きっかけというものがある。
そして、僕が古いものを集めることが好きになったのにも、もちろん、きっかけがあった。
それが、魔法のマッチ箱だ。

魔法のマッチ箱を手に入れたのは、北海道神宮の露店だった。
札幌まつりの季節で、神宮の参道には、たくさんの露店が並んでいた。
その中に、古道具なんかを扱う小さな店が一軒混じっていたのだ。

僕が、その小さな箱を手に取ると、店主は、それは昔の手品のオモチャだよと教えてくれた。
札幌の喫茶店のマッチ箱を模したものが二つ、セットになって入っていた。
未使用のものらしく、説明書もきちんと付属していた。

値段を尋ねると「400円」だというので、僕はそれを買って帰った。
手品を試してみるつもりはなかったけれど、そのマッチ箱には、僕の心をときめかせる仕掛けが二つばかりあった。
一つは、丸井今井百貨店で販売されたものであったこと、もう一つは、札幌の老舗の喫茶店「紫煙荘」のマッチ箱をモデルにしていることだった。

後で調べてみると、これは戦前の昭和10年前後に販売されていたオモチャらしかった。
戦前に売られていたものが、現代でも簡単に手に入るということが、僕には驚きだった。
まして、それがたったの400円で自分のものになってしまうのだ。

さらに、小さな札幌の歴史が、そんなところでも見つかるということは、僕にとって大きな発見だった。
昔の札幌の思い出を探すようにして、それから僕は骨董市や骨董屋などに顔を出すようになった。
そう、僕が求めていたものは、札幌という街の古い記憶だったのだ。

あれから、もう随分長い時間が経ったような気がする。
たくさんの札幌の記憶が、僕の部屋には集まってきたけれど、僕の知らない札幌の歴史は、まだまだ
この街のあちこちに埋もれている。
そう考えただけで、僕はこの街の過去の可能性というものに対して、妙にワクワクしてしまうのだ。

おもちゃ箱の中から久しぶりに現れた「魔法のマッチ箱」。
ここが僕のスタートラインだった。
そして、僕は、今もまだ走り続けている。


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by kels | 2014-02-27 20:50 | 雑貨・アンティーク | Comments(2)

この雪解けの季節を乗り越えなければ、本格的な春というやつはやってこない

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やけに暖かい日が続いている。
この場合の暖かい日というのは、北海道の2月としてはという意味である。
午後の気温が氷点下ではない日が続いているということだ。

最高気温が5℃とか6℃だから、常識で考えると、まだ真冬である。
だけど、ずっと氷点下の中で過ごしてきた体にとっては、これは確実に春の予兆である。
たった数℃の違いが、ずいぶん大きな違いに感じられるのが、この季節ということなのだろう。

さすがに、午後の街は春らしい雰囲気を漂わせている。
とにかく、街中至るところに水溜りが出現しているのだ。
道路の上の氷や雪が溶けてきて、ちょっと信じられないくらい大きな水溜りが、あちこちにできている。

水溜りでなくても、ザクザクに溶けた雪の上を歩くのは、かなり難儀である。
歩きにくいし、靴が濡れるし、ロクなことがない。
だけど、この雪解けの季節を乗り越えなければ、本格的な春というやつはやってこない。

最初にも言ったけれど、気温はまだまだ真冬と同じである。
太陽の光が当たっているところは暖かいのに、日陰に入ると凍えそうなくらいに風が冷たい。
そもそも最高気温が一桁台なんだから、まだ寒いに決まっている。

その上、朝夕の寒さは氷点下で、こちらは完全に北海道の真冬である。
午後に溶けた雪が夜には凍結して、朝の道は非常に危険な状態になっている。
この道が昼には再び溶けるわけだから、まさしく三寒四温というやつだ。

なんだかんだ言って、青空の午後が多くなったのは、やっぱりうれしいものである。
気分としては、そろそろ春らしい軽いコートへと変えていきたいところだ。
だって、なにしろ週末からは、もう3月なんだから。


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by kels | 2014-02-27 20:37 | 冬のこと | Comments(4)

どうも僕は、ビジネスで文章を書いたり写真を撮ったりするのが苦手みたいだ

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こうやってどうでもいい文章を書いて写真を撮ってブログにアップしたりしていると、時々、知らないところから原稿依頼みたいなことがある。
特別に面倒な話というのはなくて、ミニコミ誌とかフリーペーパーみたいなやつに文章を書いてほしいとか、写真を掲載したいとかいう話である。
面倒な部分がないのであれば、特に断る理由もないので、大抵の場合は引き受けることになる。

ただし、僕は知らない人に会って話をするというのが苦手なので、リアルに打合せを、、、みたいな展開になったときには、その話を降りることにしている。
知らない人に会って話をするのはビジネスだけで十分だし、プライベートの時間にまで、そんなわずらわしいことでストレスを抱え込みたくない。
原稿依頼と原稿受渡しくらいだったら、メールだけで済んでしまうんだから、実に便利な世の中だ。

中には、フリーペーパーの原稿を書くだけで、何万円もの原稿料をくれるという話もあった。
世の中には、実に気前の良い話があるというか、景気の良い会社というものがあるんだなあと、感心した記憶がある。
企業が情報誌にかけるエネルギーは、我々が考えている以上に大きなものなのかもしれない。

そのときは、写真と文章で1ページを使わせてもらったのだけれど、ブログのアドレスも一緒に掲載したにも関わらず、ブログのアクセス数にはまったく何の変化もなかった。
この情報誌を読んでいる人っていうのは、本当に存在しているのだろうかと、疑問に思ったくらいだ。
もっとも、文章も写真もひどいものだったから、誰もブログにまで訪問してみたいとは思わなかったのかもしれないけれど(笑)

変わったところでは、ブログで紹介している雑貨を貸してほしいとか譲ってほしいとかいう依頼も、時々ある。
ブログを使って商売する気はまったくないので、雑貨に関するお話は全て辞退させていただいているが、映画の小道具に使いたいとか、テレビの撮影に使いたいとかいう依頼は意外と多くて、小道具さんたちも見えないところで苦労しているんだなあと、しみじみと感じてしまう。
業者が仕入れのためにコンタクトしてくるのは、どうかと思うけれど。

だけど、依頼を受けて文章を書いたり写真を撮ったりすると、それなりに制約があったりして、どうにもビジネス的な側面が強くなってしまう。
というか、ビジネスそのものには違いないんだろうけれど、どうも僕は、ビジネスで文章を書いたり写真を撮ったりするのが苦手みたいだ。
文章や写真というやつは、やっぱり、自分の好きなときに自分の好きなようにして、ブログにアップしているくらいがちょうどいいんだろうなと思う今日この頃である。


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by kels | 2014-02-27 05:30 | 随想 | Comments(4)

知らない街で食事をするっていうことは、意外と難しいものである

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仕事で道内のあちこちへ出かけることが多い。
週の半分は北海道の地方都市、残りの半分は札幌か東京という感じだ。
たまに一日札幌で仕事をしていると、なんだかゆったりとした気持ちになってくる。

仕事で出ているときは、昼食にその土地のものを食べたりする。
北海道は食べ物が美味しいというのが定説だから、どこの街に行っても、それなりに美味しいものを食べることができる。
観光旅行じゃないから名物料理を食べ歩いたりすることはないけれど、普通の料理屋でそこそこに美味しい料理を食べることは難しくない。

だから、たまに、普通の料理屋に入って、ひどい料理が出てきたりすると、ひどくびっくりする。
先日、日本海に面した小さな漁村で食べたチラシ寿司が、まさしくそれだった。
漁村で食べる生チラシなんだから、誰だって美味しいと思うに決まっているのだけれど、それがそうではなかったのだ。

確かに、生チラシには違いないのだけれど、マグロとイカとサーモンと甘エビ、トビッコという、いつの季節、どこの場所も食べることのできるような定番の刺身と一緒に、卵焼きが乗っている。
当然ながら、刺身はすべからく冷凍物で、味も素っ気もない。
その上に、寿司飯がひどい有様だったから、何だか切なくて泣きたい気持ちになってしまった。

海辺の街で、どうしてこんなに不味い生チラシが出てくるのだろうと不思議だったけれど、考えてみると、それはある意味、当然の話だったのかもしれない。
というのも、その漁村では、近年漁業がうまくいかなくなっていて、満足に漁業で生計を立てている漁師さんたちが少なくなっているらしい。
料理屋も生粋の寿司屋というわけではなく、トンカツ定食みたいなものもメニューに載っているような店だったから、刺身の扱いについては、きっと素人だったのだろう。

マヌケなのは、そういう街のそういう店にノコノコと入って、よりによって生チラシなんかを注文してしまった自分自身である。
店の女の子も「そんなもの食べるの、よしなさいよ」とか言ってくれたらよかったのに。
知らない街で食事をするっていうことは、意外と難しいものである。


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by kels | 2014-02-26 05:53 | 食べ物 | Comments(0)

学生時代最後のラーメンは、いつもよりもしょっぱいような気がしていた

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卒業祝賀会が終わったあと、僕は仲間たちと2次会へと流れた。
みんな、ビジネススーツにネクタイをしめて、カラオケのマイクを握り締めていた。
大人になるっていうことは、こういうことなんだろうかと、僕はずっと考えていた。

10日も経ってしまえば、自分たちが社会人になってしまうという感覚が、どうしても分からなかった。
馬鹿騒ぎの宴会の中で、あるいは僕だけが、きちんと卒業することができずにいたのかもしれない。
何だか自分がひどく中途半端で、薄ぼんやりとした存在であるかのように思われた。

仲間たちは、相変わらずサザンオールスターズを熱唱していた。
彼らは、1年生の頃からこうやって同じようにサザンオールスターズを熱唱していたのだ。
だけど、彼らの歌声もサザンの歌も、あの頃とは何だか全然違うもののように感じられた。

マイクを持っても、自分が何を歌っているのか、僕はまともに理解することができなかった。
歌っているのが誰なのかさえ、僕には分かっていなかったのかもしれない。
カラオケのメロディと一緒に、このままフェードアウトして消えてしまうんじゃないかと、僕は思っていた。

時間とともに、人数は少しずつ少なくなっていて、僕は残ったメンバーと一緒にラーメン横丁へ行った。
男が3人、女の子が2人だっただろうか。
熱いラーメンをすすりながら、女の子が言った。

「ねえ、また、こんなふうにして、みんなで騒いだりできるかな」
歌いすぎたせいなんだろう、声が少し枯れて聞こえた。
「いつでも集まることができるさ」

ラーメンをすする音に紛れて、誰かが言った。
「俺たちはずっとそんなふうにして、仲良くやってきたんだから」
それきり誰もしゃべらなかった。

僕らは何も言わずに、ただ黙々とラーメンを食べ続けた。
狭い店内には、白い湯気がもうもうと立ち込めている。
ストーブの上では、沸騰したやかんがしゃんしゃんと音を立てていた。

このラーメンを食べ終えたら、いよいよ僕らは卒業するのだ。
そう考えた時、僕は、卒業するまでの間にやり残したことのすべてが、この一杯のラーメンに埋められているような気がしていた。
「また集まろうね」と、もう一度、彼女が言った。

なんて食べにくいラーメンなんだろうと、僕は思った。
もしかすると、僕だけが、最後のラーメンを食べ終えることができないのかもしれない。
学生時代最後のラーメンは、いつもよりもしょっぱいような気がしていた。


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by kels | 2014-02-25 20:02 | Snap Short Stories | Comments(2)

僕が思うに、古物の楽しみの99パーセントは妄想を膨らませる楽しみだ

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3月が近いから、というわけでもないのだけれど、何となく部屋の片づけを始めている。
買い集めたものが、部屋中のあちこちに分散して訳が分からなくなっているので、少し整理整頓しようということだ。
何年も姿を消していたものが現れたりして、片付けはそれなりに楽しい。

片付けをしながら、せっかくだから、僕が集めた雑貨の写真を撮って、その雑貨に関する文章でも書いてみようと思った。
いつもの思い付きなので、いつまで続くかは分からない。
有限不実行の人なので、本人も思い付きでいろいろと書いているだけだ。

一つ断っておかなければならないのは、集めた雑貨についての文章を書くといっても、自慢話のようなものを書くつもりはない。
僕は自分の持ち物を誰かに見せびらかす趣味はないし、自慢したりする趣味もない。
そもそも、誰かに自慢できるようなものなんて、何一つ我が家にはない。

僕はただ、僕の心の琴線に触れた雑貨のことについて、思いつくままに綴ってみたいだけなのだ。
僕が集めている雑貨がどんなものなのかは、これから書いていくだろう文章を読んでもらえれば、いずれ分かるし、それ以上でもそれ以下でもない。
確かなことは、すごいものなんて何もない、ということだけである。

例えば、写真は古い虫眼鏡である。
蕗谷虹児イラストの便箋の表紙の上に乗せて写真を撮ってみた。
女性が泣いている姿ではなく、小さな虫眼鏡が今回の主役なのだ。

僕は、何だかよく分からないものが好きだ。
オシャレな雑誌で紹介されているような人気のアンティークよりも、永遠に雑誌にも取り上げられないだろう、匿名の古雑貨の方にずっと惹かれてしまう。
写真の虫眼鏡などは、まさしくその好例なのではないだろうか。

年代不詳、生産国不詳、来歴不詳。
かなり古いことは分かるけれど、戦前のようにも戦後のようにも見える。
国産品のようにも輸入品のようにも見えて、詳しいことは何も分からない。

ただ虫眼鏡が漂わせる古さだけが、この雑貨の持つ魅力のすべてだ。
古物商の商品としてはつまらないかもしれないけれど、僕はこういう正体不明のものを好んで集めている。
実際に正体が分かれば詰まらないかもしれないけれど、謎が残されているうちは、自分の中で好き勝手に妄想を膨らませて楽しむことができる。

僕が思うに、古物の楽しみの99パーセントは妄想を膨らませる楽しみだ。
いつ、どこで、誰が、どんな暮らしの中で、この虫眼鏡を手にし、何を見たのか。
妄想は物語を紡ぎ出し、物語は古い物に対する愛情を膨らませる。

妄想も膨らまないような古物なんて、わざわざ手にする価値がないと、僕は思う。
カタログの商品解説みたいな知識だけでアンティークを鑑賞したって、それは感動ではない。
感動は自分の心の中で発見するしかないと、僕は信じているのだけれど。


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by kels | 2014-02-23 21:24 | 雑貨・アンティーク | Comments(2)

僕らは今、立ち枯れた葉の上で、いつか花の咲く日を夢見ている

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昭和20年の夏、焼け跡の大地にたくさんの種がまかれた。
種は遠くアメリカから運ばれてきたものだった。
アメリカからやってきた種は、日本の大地の上に小さな芽を出した。

アメリカの栄養剤を注入されて、芽はすくすくと成長した。
大地はすぐに緑色を取り戻した。
もはや戦後ではないと誰かが言った。

アメリカからやってきた種は、日本の大地の上で、日本の光を浴び、日本の水を吸いながら、大きく芽を伸ばし、たくさんの葉を付けた。
新しい日本は、緑豊かで明るい国だった。
大地はたくさんの葉で覆われて、そこが焼け跡であったことを知る者は、既に少なくなっていた。

芽を出した苗は、ものすごいスピードでどんどんと背を伸ばし、葉を広げ続けた。
それは世界中の国々が驚くような速さで、人々はそれを高度経済成長期と呼んだ。
葉は一枚一枚の端まで瑞々しく、鮮やかで、そして、新鮮な香りがした。

高く成長した苗は、いくつもの蕾をつけた。
大地の上には、大きなエネルギーが充満していた。
何でもできそうな可能性が、人々を勇気づけた。

やがて、日本の大地の上に大輪の花が次々に咲いた。
日本の国土は、色鮮やかな花に覆われて、
世界で最も豊かな国だと、誰もが信じていた。

花の季節は、みんなが想像していた以上に短かった。
いや、やがて花が枯れてしまう季節が来るなんていうことを、誰も想像していなかったのだ。
バブル景気が弾けたと、人々は嘆いた。

花を落とした葉は、次々に立ち枯れていった。
もう一度、花を咲かせるためには、もう少し時間が必要だった。
失われた20年が、あっという間に過ぎ去った。

僕らは今、立ち枯れた葉の上で、いつか花の咲く日を夢見ている。
焼け跡の大地に根付いた植物は、簡単には倒れたりしないということを、みんな知っている。
大切なことは、光や水を浴びて、一枚一枚の葉をよみがえらすことなのだ。

季節は巡るもので、花は永遠ではない。
新しい花を咲かせなければ、僕らは季節の中を生きていけない。
今、新しい花を咲かせるのは、今を生きる僕たちなのだ。


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by kels | 2014-02-23 05:44 | 随想 | Comments(2)

久しぶりに「札幌地名散策」なんていうのも楽しいかもしれない

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北海道の地名は、アイヌ語地名の音に、そのまま漢字を当てはめたものが多い。
北海道に難読地名が多いというのは、発音の難しいアイヌ語に、特別の意味を持たない漢字が、当てはめられているからだ。
漢字には音を補う意味しかないのだから、地名の漢字を読んだところで、何かの意味を把握することは不可能である。

札幌市内の多くの地名も、アイヌ語のものがそのまま使われている。
発寒(ハッサム)、簾舞(ミスマイ)、茨戸(バラト)などは、アイヌ語の難読地名の良い類例である。
カタカナ表記にしてさえ定かではないアイヌ語の音に、漢字を当てはめる作業は、さぞ大変なものだっただろう。

月寒(ツキサム)など、今でこそ読めそうな感じがするが、従来正しくは「月寒(ツキサップ)」であった。
今でも地域の人たちは、自分たちの町を「ツキサップ」と呼んでいる。
僕自身、「ツキサップ」の方がよほど北海道らしい感じがして好きである。

一方で、日本語の意味を持つ地名も、決して少なくはない。
例えば、「麻生(アサブ)」は、北海道の亜麻発祥地であることから、「桑園(ソウエン)」は、桑畑があったことから、「二十四軒(ニジュウヨンケン)」は、24軒の家が移住してきたことから、それぞれ地名が名付けられた。
地名の中に歴史が残されているものは、地域巡りをする際にも、良いきっかけとなるものである。

今はまだ寒いけれど、もう少し暖かくなったら、久しぶりに「札幌地名散策」なんていうのも楽しいかもしれない。
そう言えば、ブログを始めたばかりの頃は、毎週そんなことばかりやっていたような気もする。
自分の暮らしている街を、きちんと見つめ直すということも、時には必要なことなのだ。


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by kels | 2014-02-22 21:25 | 札幌のこと | Comments(2)