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これは夏目漱石が、ある女性の死に際して詠んだ追悼の俳句である

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あるほどの菊投げ入れよ棺の中

これは夏目漱石が、ある女性の死に際して詠んだ追悼の俳句である。
数ある漱石俳句の中でも有名なものの一つなので、知っている人も多いだろう。

小説家として巧みに文章を使いこなした夏目漱石だが、俳句作品には素朴なものが多い。
本来の作品とは別の側面の作家を発見することができることは、文人俳句の持つ楽しみの一つだろう。
ゴタゴタとした説明や装飾がない分だけ、言いたいことがストレートに伝わる。

こういう直球の俳句作品というのは、俳句の世界に通じた人には物足りない場合も多いという。
フォークギターの弾き語りが飽きやすいのと同様に、あまりにも飾り気のない文学というのも、また飽きられやすいものなのだ。
だから、俳句に慣れた人たちは、適度な技巧や装飾を加えながら、俳句の完成度を高めようとする。

その点、僕みたいな素人には、直球ど真ん中の作品の方が伝わりやすい。
もともと古今和歌集よりも万葉集の方が好きなタイプである。
泥臭い人間らしさが感じられるものに共感してしまうのだろう。

そういう意味で、夏目漱石のこの俳句は、作者の悲しみをストレートに表現した作品である。
一切の技巧を排除して、まるで叫ぶような言葉が俳句作品として完成されている。
僕が思うのは、まるで自然に口をついて出た台詞みたいな俳句っていうのはいいなということである。

だけど、こういう俳句っていうのは、実際に自分で作ってみようと思うと、非常に難しいものだということを思い知らされる
何でもそうだけど、一見して簡単そうに見えるものほど、奥は深い。
いつかは、そういう台詞みたいな俳句を自分でも作ってみたいものだ。


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by kels | 2014-01-31 19:56 | 旧・札幌日和下駄 | Comments(2)

生き様というのは、毎日の些細な事柄の積み重ねによってこそ生まれる

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著名人とか歴史的人物とかいうのではなしに、現実世界の中にも憧れの人たちというのはいる。
プライベートな世界にも、ビジネス社会でも、それぞれに尊敬できる人たちというのがいるものなのだ。
身近なところに目標とすべき人を持つということは、生きていく上でとても大切なことだと、僕は思っている。

僕が尊敬できる人たちに共通しているところは、きちんとした自分自身を持っている人たちである、ということだ。
きちんとした自分自身というのは、自分なりの基準で考えて行動できる人たち、ということだと思う。
自分自身の価値観をきちんと持っているということは、何かあったときに、きちんと責任を取れるということでもある。

つまり、僕が目標としているのは、自分自身できちんと責任を取ることのできる大人ということになる。
子供が読んだら、そんなの大人なんだから当たり前じゃないかと思うかもしれない。
だけど、現実社会の大人たちというのは、自分自身で責任を取ることのできないような人間ばかりだ。

責任を取るというのは、単純に開き直るということと同義ではない。
何かトラブルにぶつかったときにも、きちんと解決策を考えることができて、そして、実際に解決することができる、ということだ。
俺のせいだから辞める、というのは、大人の責任の取り方ではないと、僕は思う。

物事すべてを片付けた上でけじめをつけるということこそが、大人としての責任の取り方なのだろう。
そうやって、けじめをつけることができるタイプの人というのは、日常生活の些細なことにも、一つ一つけじめをつけながら生きているものである。
細かいことを適当な匙加減で流している人は、いざというときにも大人の対応をすることができない、というのが、僕の持論である。

生き様というのは、毎日の些細な事柄の積み重ねによってこそ生まれる。
結局のところ、毎日が「いざというとき」だと考えて行動しなければ、本当の大人にはなれない。
ものすごく難しいことを言っているような気もするけれど、世の中には、そうやって生きている人たちというのが、ちゃんといるものだ。

だから僕は、そういう人たちに出会うと、とても嬉しく思うし、その人のように生きたいと素直に思う。
感化されやすい単純な生き方ではあるけれど、素晴らしい人たちの感化を受けながら、自分自身を少しでも高めることができたらいいなと思う。
意外な人が、意外にスマートな生き方をしているものなんだよね、現実社会というのは。


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by kels | 2014-01-30 20:11 | 旧・札幌日和下駄 | Comments(2)

写真の神様っていうのは、きっとどこかに隠れているんだろうなあ

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邪道かもしれないけれど、良い写真が「撮れちゃった」という感覚はいいものだ。
良い写真を「撮った」のではない。
たまたま、自分の好きな写真が「撮れてしまった」のだ。

たくさん写真を撮っていると、思いがけず撮れてしまった写真が一枚や二枚くらい入っていたりする。
そういう写真というのは、意外と撮った瞬間に分かるものだ。
「あ、何か撮れちゃったみたい」

写真は狙って撮るものだと怒られるかもしれないけれど、発展途上の腕前で、良い写真を狙って撮ることはなかなか難しい。
情けないと思いながらも、「撮れちゃった」写真に、ついつい期待している自分がいる。
何とか今日も撮れちゃうといいな。

だけど、「撮れちゃった写真」も積み重ねていくと、何となく写真を撮るコツが分かってくるような気がする。
いつ「撮れちゃったのか」、どうして「撮れちゃったのか」。
良い写真を撮るための秘密は、そんなところに隠れているような気がする。

今日こそは「撮れちゃった写真」の秘密を見つけてみようと思いながら、写真を撮る。
「撮れちゃった写真」をイメージしながら、良い写真を撮ってやろうとあがく。
だけど、そんなときに限って「撮れちゃった写真」は全然下りてこない。

あーあ、やっぱり、今日もダメだ。
と思った瞬間に、あ、何か撮れちゃったみたい、と思う。
写真の神様っていうのは、きっとどこかに隠れているんだろうなあ。


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by kels | 2014-01-29 22:28 | 旧・札幌日和下駄 | Comments(0)

どれだけ時間が経てば「良い思い出」になるのだろうと、僕はずっと待っていた

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時間が経てば、みんな良い思い出になるものだから、と誰かが言った。
どうやら失恋したばかりの女の子を慰めているらしい。
そんな言葉が嘘だということは、大人になった僕はちゃんと知っていたけれど。

どれだけ時間が経てば「良い思い出」になるのだろうと、僕はずっと待っていた。
だけど、それは、いつまで経っても「良い思い出」なんかになりはしなかった。
古傷はいつまて経っても生々しい傷跡のままで、痛みはいつまで経っても鮮烈な痛みのままだ。

どうやら僕は、どこかで大人になり損ねたらしい。
誰もが痛みを忘れるごとに昇るステップを、僕だけが昇ることができないでいる。
20歳の僕は、いつまで経っても20歳のままだった。

大丈夫、みんな良い思い出になるものさと、もう一度誰かが言った。
きっと良い思い出になってしまうんだろうな。
そして、彼女も大人へのステップをまた一段昇るのだ。

オードリー・ヘプバーンの歌う「ムーン・リヴァー」が聴こえる。
どうやら時間は今も流れ続けているらしい。
懐かしい音楽に心地良い気持ちを味わいながら、僕だけが片足を踏み出せないでいる。


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by kels | 2014-01-29 21:39 | 旧・札幌日和下駄 | Comments(4)

札幌パルコ「ジンギスカンのジンくん LIMITED SHOP」オープン

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週末、札幌パルコの前に、羊のイラストを描いた自動車が止められていた。
ジンギスカンのジンくんである。
最近、いろいろなところで、ジンくんを見かけるような気がする。

ジンギスカンのジンくんは、ゆるキャラらしい。
といっても、特に何かをPRしているわけでもないように思える。
強いて言えば、ジンギスカンのPRをしているということになるのだろうか。

公式サイトには、キャラクターの紹介がある。

いつも食べられかけている。
にもかかわらず本人はいたって冷静。
毛が耐熱防火にものすごくすぐれているらしい。
「北海道でジンギスカンを食べた方々に、思い出とともに笑いを持ち帰ってほしい。」という願いから作成。
お土産としてもらった方にもぜひ微笑んでいただきたい。

「公式サイト」より

初めてジンくんを見たときは、とても驚いたような気がする。
だって、食べられている「ゆるキャラ」なんて他に知らなかったからだ。
正確には「食べられかけている羊」なんだろうけれど。

ちなみに、現在、札幌パルコでは「ジンギスカンのジンくん LIMITED SHOP」オープン中。
かわいいクリアファイルやぬいぐるみなど多数取り揃えている。
別に、ジンギスカンのタレの販促ではなかったらしい(笑)

なんだかんだ言いながら、この日はジンギスカンが食べたくなって、夕食に食べた。
体が羊のイラストに反応してしまうらしい。
もはや、パブロフの犬状態だなあと思った(笑)


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by kels | 2014-01-28 22:30 | 旧・札幌日和下駄 | Comments(6)

さっぽろテレビ塔の「落ちないお守り」を買ってきた

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札幌テレビ塔で合格祈願のお守りを買ってきた。
新聞で紹介されているのを見て、これは是非買っておこうと思ったのだ。
商品名は「さっぽろテレビ塔の落ちない(はげない)お守り」。

2013年、さっぽろテレビ塔は10年に一度の塗装塗替え工事を行いました。
この「お守り」に入っている欠片は、その工事の際に出た塗装片です。
10年間風雪に耐えながら、はげ落ちなかった「テレビ塔の塗装片」をアクリルで加工したもので、テレビ塔展望台にある「テレビ父さん神社」に祀り祈願したものです。

「商品説明」より
確かに、小さなアクリルの中に、赤い破片が入っている。
これが、テレビ塔の塗り替えの際に剥がした古い塗装片なのだたろう。
一つのダジャレだが、受験生にとっては、気持ちの持ち方ひとつで、心強いお守りになるかもしれない。

それにしても、テレビ塔の古い塗装片なんて、随分ロマンチックなアイテムだ。
言ってみれば、廃棄物の再利用に過ぎないが、こういう再利用の可能性はまだまだあるのではないか。
歴史的建造物のメンテナンスを行うときには、似たようなことができそうである。

ずっと以前から考えていることの一つに、歴史的建造物の廃材保管というのもある。
やむを得ず解体せざるを得なくなった建物の破片を適当な大きさにして、記念品として販売するのだ。
かつてベルリンの壁がお土産として売られたみたいに、古い建物の破片なんかも、なかなか良いお土
産になるのではないかと思うのだけれど。

解体工事の現場で見つけたガラスの破片1枚に、空想を馳せる人だって少なくないはずだ。
建物の破片はガラクタではなくて、建物が存在していた証であり、記憶である。
もちろん、古い建物は壊さずに保存するのが一番なんだけれどね。


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by kels | 2014-01-27 20:37 | 旧・札幌日和下駄 | Comments(6)

冬の楽しみといえばアニマル・トラッキングだった

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オホーツクの街で暮らしていた頃、冬の楽しみといえばアニマル・トラッキングだった。
アニマル・トラッキングとは、フィールドに残された動物の痕跡を探す遊びのことである。
足跡や排泄物や餌の食べ残しなどを探しては、どんな動物が、どんな行動を取っているのかを想像した。

冬の原野には、実にいろいろな種類の動物たちの痕跡が残されているものだ。
雪の上を歩くためのスノーシューとストックを購入して、僕は真冬の原野に入った。
原野に降り積もった雪の上には、探すまでもなく動物たちの足跡が無数に入り乱れていた。

動物の痕跡をもっとも見つけやすいポイントの一つは川岸である。
大きな川よりも小さな渓流の岸辺に、思いがけない動物たちの足跡を見つけることができた。
だから、僕のアニマル・トラッキングの旅は、大抵の場合、橋の下を流れる渓流の岸辺から始まった。

動物の足跡には特徴があって、エゾシカやキタキツネ、タヌキ、ウサギ、リス、イタチなどの痕跡は、実に多く見つかった。
時には、足跡と一緒に動物の毛が残されていることもあった。
動物同士が争いあったと思われる痕跡を見つけることも珍しくなかった。

真冬のフィールドでは、休憩も雪の上だった。
持参した小さなガスストーブでお湯を沸かして、紅茶を淹れた。
あの頃の僕は、まだ全然寒さに弱くはなかったのだ。

田舎の街の人々は、週末ごとに山へ入る僕を見て「おかしな人だ」と笑った。
自然の豊かな地域では、誰も動物の痕跡を探すために、冬の原野を歩いたりはしないらしい。
だけど僕は、札幌の暮らしでは見つけられなかったものを、冬の原野で発見できるような気がしていたのだ。


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by kels | 2014-01-27 20:08 | 旧・札幌日和下駄 | Comments(0)

「ブルックスブラザーズ」でセール品を買ってきた

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アパレル業界は、冬のクリアランスセールの真っ最中である。
なにしろ、もう春の新作が次々とディスプレイに並び始めているのだ。
冬物を売り切るのは、今が最後のチャンスだと、どの店も熱の入れようはすごい。

これ以上冬物は必要ないと思っていたのに、セールと聞くと何となく足を向けてしまう。
全然進歩がないんだから(笑)

ということで、「ブルックスブラザーズ」でセール品を買ってきた。
オックスフォードのボタンダウンシャツとシェットランドセーター。
いつも同じようなものばかり買っているんだから(笑)

寒がりなので、シャツにセーターを重ね着するのが定番コーデ。
必然的に、シャツとセーターがどんどん増えていく。
憧れの豊かな暮らしと、全然違うような気がするけれど。

だけど、さすがに冬物を買うのは、これで最後だろうなあ。
早く春らしい装いで、春の街を歩きたいものだ。


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by kels | 2014-01-26 22:31 | 旧・札幌日和下駄 | Comments(0)

彼のクローゼットは、寝室の壁に取り付けられた10本のフックだけだ

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今さらかもしれないけれど、僕にはモノを集めるという性癖がある。
要不要とか有益無益とか、そういう価値観というのは、全然関係ない。
欲しいと感じたモノを、ただ集めたいだけなのだ。

モノは自分で買ってくることもあれば、誰かからもらったり、どこかから拾ってきたりすることもある。
要するに、ただモノを集めるという目的が果たせれば、方法なんかは関係ない。
モノがたくさん並んでいることで安心できるタイプの人間なのだろう。

こんな性格だから、少ないものを上手に活用して生きているタイプの人を見ると、すごいなあと感じてしまう。
モノをたくさん持っている人よりも、モノをほとんど持っていない人を尊敬してしまう。
いつかは自分もそんな暮らしをしてみたいと憧れてしまう。

例えば「MY STANDARD -大人の自分定番」というムック本。
この本の2号に、「パピエラボ」でディレクターをやっている人の暮らしが紹介されている。
その記事を読んだとき、僕は素直に「あー、いいなー」と思った。

彼のクローゼットは、寝室の壁に取り付けられた10本のフックだけだという。
シャツもパンツもバッグも、すべてがそこに集約されている。
必要のないもの、使う機会のないものは、彼の暮らしの中にはない。

僕が憧れる生き方というのも、こんな必要最小限の生き方だったような気がする。
どれだけたくさんのモノを持っていたって、使うことがないのであれば、それは持っていないのと同じだ。
豊かな暮らしとは、モノに囲まれて暮らすことではなく、どうやって生きるかなのだ。

実際にそうやって生きている人を見るたびに、僕は後悔と反省の念に包まれる。
そして、明日からは豊かな暮らしをしていこうと、きっと心に誓う。
その誓いに嘘はない、はずだ。

にも関わらず、相変わらず僕の部屋はたくさんのモノに埋もれている。
昨日の反省と後悔は、一体どこへ行ってしまったのだろう。
簡単のようでいて、決して簡単ではないからこそ、豊かな暮らしなのかもしれないな。





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by kels | 2014-01-26 22:04 | 旧・札幌日和下駄 | Comments(2)

古いマッチ箱は、一つ一つが札幌の小さな歴史である

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久しぶりに大量のマッチ箱を買ってきた。
リサイクル・ショップの片隅に、ひっそりと置かれていたのだ。
古いマッチ箱は、時々思いがけないところに現れるらしい。

マッチ箱には、一つ「3円」という値段が付いていた。
今の時代に3円で買えるものがあるということが驚きである。
3円出して、一つだけ買っていく人もいるのだろうか。

マッチ箱は、小さな紙箱4つに分けて並べられていた。
その中から好きなものだけを探すという作業をする気にはなれない。
全部でいくつあるのか分からなかったけれど、そのままレジに持っていった。

全部くださいと言うと、店の人は特に驚きもせずに、冷静にマッチ箱の数を数え始めた。
すべてを数え終えるまでには、相当の時間がかかりそうである。
店内をブラブラしながら、数え終るのを待った。

半分ほど数えたところで、店の人は「お客さん」と僕を呼んだ。
「残りはサービスでいいですよ」と言う。
「いいんですか」と確認すると、「使えないやつも入っていると思うよ」と言った。

マッチ箱は、昭和50年代の札幌のものが中心だったようである。
特別に古いものではないが、僕はこの時代の札幌が妙に好きだ。
全部数えたわけではないけれど、500~600個くらいあるように思える。

古いマッチ箱は、一つ一つが札幌の小さな歴史である。
教科書には残らないような小さな歴史が、それぞれのマッチ箱には記されている。
マッチ箱のデザインを眺めながら、僕は懐かしき時代の札幌の街を読み取ろうとしていた。


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by kels | 2014-01-26 21:12 | 旧・札幌日和下駄 | Comments(4)