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冬の札幌は、少しだけ時間を巻き戻したような気持ちになることがある

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東京から遊びに来ていた友達が、住宅街の中の道路を見て驚いて言った。
「北海道の道路は本当に広いね」
北海道の住宅街の中の道路は、彼の住む街の表通りよりもずっと広いのだそうだ。

長い歴史の中で生まれてきた東京の道と、近代になって計画的に開拓された北海道の道とを、単純に比べることはできないだろう。
彼ももちろんそんな歴史の違いを理解した上で、北海道の道は広いと言ったのだ。
ずっと北海道で暮らしていると、道の広さを意識することはあまりないかもしれない。

そんな北海道の道であっても、雪の積もる季節には当然のように狭くなる。
この道幅の狭さは、積雪地帯で暮らしたことのない人には伝わりにくいかもしれない。
片側1車線の自動車道路も、冬には自動車1台がやっと通ることのできる道へと変わる。

特に、バス通りではない、住宅街の中の道では運転にも気を気を遣う。
向こう側から自動車が走ってきたら、適当な隙間を見つけて自動車を寄せなければならない。
これは交通ルールではなく、雪の降る街で暮らす人たちが自然に身に付けた慣習だ。

こういう道では、歩行者用道路も雪で埋まっている場合が多いから、歩行者も当たり前に自動車と同じ道路を歩いている。
自動車も歩行者も同じ狭い道を通行している様子を眺めていると、自動車道路がきちんと整備されていなかった時代のことを思い出す。
みんながお互いにお互いのことを考えて、譲り合いながら生きていた時代が日本にもあったのだ。

そういうわけで、冬の札幌は、少しだけ時間を巻き戻したような気持ちになることがある。
だけど、それは決して悪いことじゃない。
普段は見えないものが見える瞬間というのを、札幌の街は見せてくれるから。


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by kels | 2013-12-31 23:22 | 冬のこと | Comments(2)

旅の人たちが夕闇の札幌駅をバックに写真を撮るとき、あまりに暗いと何だか切ない

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今年の冬の札幌駅は何だか暗い。
札幌駅ばかりではなく、JRタワーや大丸札幌店も、いつもに比べると光が少ない。
「節電の冬」だから仕方がないのだけれど、札幌の玄関口が暗いとやっぱり寂しいものだ。

札幌に駅が初めて登場したのは、明治13年(1880年)のことである。
北海道初めての鉄道が小樽から通ったときのことで、もっとも、このときの駅舎はまだ仮のものだったそうだ。
当時、小樽から札幌までの所要時間は、約3時間だった。

きちんとした駅舎の建築は翌年から始まり、明治15年(1882年)の年明けから開業した。
ただし、これは小さなものだったらしく、明治23年(1890年)に増改築をしている。
明治40年(1907年)10月、火災によって駅舎の半分が焼失してしまうが、これは、石川啄木が来札した直後のことだった。

火災を受けて、翌明治41年に3代目となる駅舎が新築された。
この駅舎は、現在「北海道開拓の村」の玄関口として復元されているので、現代の人々にもなじみ深いものとなっている。
次の駅舎が完成するのは昭和32年のことだから、この3代目駅舎は、明治・大正・昭和(戦前・戦後)という、日本にとってまさしく激動の時代を生き抜いた建物ということになる。

戦争に出征する若者たちを見送ったのも、戦後、戦地から引き揚げてきた人たちを迎えたのも、このルネサンス様式のお洒落な駅舎だった。
昭和恐慌の時代、大量の失業者がねぐらを求めて集まったのも、戦後の混乱の時代、「ガンガン部隊」と呼ばれる行商人たちが小樽や余市から到着したのも、やはり同じ駅舎である。
だから、今も年輩の人たちにとって、この駅舎は印象に強く残る建物となっているはずだ。

戦後の復興が進み、伸びゆく札幌の街を見つめていたのは、昭和32年(1957年)に完成した4代目の駅舎である。
高度経済成長の時代に生まれた4代目は、ステーションデパートや劇場を持つ総合的な駅舎となった。
札幌オリンピックの時代やバブル景気の時代を支え、さっぽろ雪まつりで全世界から訪れる観光客たちを迎え入れた。

そして、現在、我々が利用している札幌駅は5代目の駅舎で、平成15年(2003年)に完成したものだ。
大規模な商業施設を備え、それまで大通地区にあった札幌商業圏の中心地を札幌駅地区へと変えてしまうくらいに、影響の大きな存在となった。
もっとも、史上稀に見る大不況の中で、新しい札幌駅が見つめてきた札幌の街は、決して華やかとは言えないものだっただろう。

札幌という街の歴史を語るとき、札幌駅が果たす役割は大きい。
交通網が激しく発達した時代にあっても、札幌の玄関口はやはり札幌駅に違いないからだ。
列車を降りた人々が初めて見る札幌の姿、それがまさしく札幌駅なのである。

ということで、札幌駅はやっぱり明るい方がいいなあ。
旅の人たちが、夕闇の札幌駅をバックに写真を撮るとき、あまりに暗いと何だか切ないからね。


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by kels | 2013-12-31 07:08 | 札幌のこと | Comments(6)

横浜のシュウマイ屋の醤油挿しも、すっかりと人気のアイテムとなってしまった

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おかしなもので、古いもの集めにも流行みたいなものがある。
オールドノリタケやウランガラスみたいにブームになるものもあれば、地味に隠れたブームみたいになっているものも少なくない。
そういうときは市場価格がすぐに反応するので、何となく分かるものだ。

例えば、横浜のシュウマイ屋の醤油挿しも、すっかりと人気のアイテムとなってしまった。
集めている人は、きっと昔から多かったと思うのだけれど、雑誌などで紹介されて、一気に人気が全国区に広がった。
身近なアイテムだし、手軽なので、関心を持つ人も多かったのだろう。

我が家にも少しずつ集めていたものがある。
好きだという人にプレゼントしたりしていたから、だいぶ少なくなってしまったけれど。
醤油挿しのデザインには2種類あって、劇画チックなものが古く、漫画チックなものの方が新しい。

最初は古いデザインのものばかり集めていたけれど、次第に新しいものの方が好きになった。
きっと同じようなものばかり集めていて飽きてしまったのだと思う。
最近では積極的には集めていないけれど、それでも見つけるとつい買ってしまうもののひとつだ。

骨董関係の雑誌やムック本などで何度も紹介されて、いつの間にか昭和骨董の人気アイテムになってしまった。
デザインが多様で、数を集める楽しみを満たしてくれるということが、この醤油挿しの人気の秘密だろう。
世の中には、こういうものをコンプリートしている人たちも、きっといるんだろうなあ。


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by kels | 2013-12-30 22:49 | 雑貨・アンティーク | Comments(2)

どうやら、珍しく冬らしい年の暮れになりそうな札幌である

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昨夜から降り続いた雪は、今日も一日降りやむことがなかった。
どうやら、珍しく冬らしい年の暮れになりそうな札幌である。
正月なんだから、雪くらい積もっていた方が気分も盛り上がるのかもしれない。

いつものように街に出て、フラフラと歩き回る。
普段の週末と違って、街には人が少ない。
駐車場はどこも「空車あり」で、札幌から人がいなくなっているのが分かる。

もっとも、初売りともなれば、たくさんの人が集まるから、その静けさも一瞬のものだろう。
ひどい雪降りの一日だということも、外出を躊躇させる要因かもしれない。
こんな年の暮れの一日は、部屋の中で温かい紅茶でも飲んでのんびりしていた方がいい。

デパートに入ると、どこのフロアも閑散としている。
数日で初売り・クライアンスセールが始まるのだから、今日買い物をする人もいないのだろう。
冬靴を買おうかと思ったけれど、すぐにセール対象になりそうな気がして、やっぱりやめた。

デパートでも地下の食品売り場は大変な混雑具合である。
年越しの食材や手土産品などを買う人たちで賑わっているらしい。
年の瀬の慌ただしさを感じさせる空間だ。

元旦の年始用に「とらや」でお菓子を買った。
ついでに、自宅用に「きのとや」で「いちごプリンロールケーキ」を購入。
こういうとき、やっぱりデパートは便利だね。

さて、明日は大晦日。
年越しの準備をする人たちで、デパートの食品売り場は大変な賑わいぶりとなるだろう。
穏やかな年越しになるといいな。


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by kels | 2013-12-30 20:12 | 日記 | Comments(0)

食生活における忘れ去られた昭和的風景について考えてみた

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何となく忘れ去られた昭和的風景というやつを考えてみる。

ラーメン屋のカウンター。
湯気の立つラーメンが目の前に置かれると、箸立ての中にぎっしりと詰めこまれた割り箸を抜き取って2本に割るのだけれど、大抵の場合、割り箸は不揃いに割れた。
箸を割った面はボソボソとしていてささくれだっているから、2本の箸をこすりあわせて木のボソボソした感じをなくしたものである。
箸立てにギュウギュウ詰めにされた割り箸も、割り箸をこすり合わせる姿も、今は昔である。

喫茶店のカウンター。
ブレンドコーヒーを注文すると、マスターは電動ミルで珈琲豆を挽いてくれる。
挽き終わったあとの粉の表面を、マスターは必ずフーフーと吹いていたけれど、あれは、粉の中に混じる珈琲豆の渋皮を吹き飛ばして除去していたのだ。

コーヒーはサイフォンで淹れるのが上等なのだと、当時は誰もが信じていた。
だから、昭和時代の漫画に出てくる喫茶店のマスターは、みんなサイフォンを使用している。
いかにも喫茶店らしく絵になる姿だったけれど、これも今は昔である。

大衆食堂のテーブル。
カレーライスを注文すると、スプーンは必ずお冷の入ったコップの中に突き刺さって出てきた。
スプーンがコップの中に入っていなくても、人はわざわざスプーンを水の中に浸して濡らしてから、カレーライスを食べたものである。
カレーはそうやって食べるのが流儀だと、誰もが信じていたのだろうけれど、今は昔である。

ちょっと気取った洋食屋のテーブル。
恋人同士が食べているハンバーグライスのご飯は、フォークの裏側に乗せて口に運ぶのが鉄則だった。
かなり食べにくいと思うのだけれど、当時はそれが正しいテーブルマナーだったのだ。
だから、フォークの背中にライスを乗せて食べていた人たちは、ある程度、嗜みのある人たちだったということになるけれど、今は昔である。

寿司屋のカウンター。
まだ回転寿司屋も一般的ではなく、寿司は寿司屋で食うものと相場が決まっていたが、寿司を食う時に、ネタではなくシャリに醤油を付けて食べる人が、昔は多かった。
だから、醤油皿にはご飯粒がよく残っていたものである。

あるいは、寿司からネタを外して醤油に付けて、それをまたシャリの上に乗せてから食べるという食べ方もあった。
いずれも寿司職人からは許されない食べ方ではあったけれど、昔は寿司を食うのも自由な雰囲気だったのかもしれない。
子供の時分から回転寿司を食べ付けている現代では、そのような姿も見られなくなってしまった。

夏のスイカは、塩を振りかけてから食べるのがルールだし、トマトは砂糖をかけて食べるのが当たり前。

忘れてならないのが、「味の素」などの化学調味料だ。
どこの食堂のテーブルにも、醤油やソースと並んで「味の素」が置かれていて、漬物やおひたしなんかに振りかけて食べた。
味気ないものを少しでも美味しく食べるための工夫だったのだ。

昔の映画やドラマを観ていると、当時の当たり前の生活が生き生きと描き出されていて楽しい。
そして、今では忘れ去られた慣習も、当時は必然性のある常識的な行為だったのだ。
つまり、僕らが今生きている時代の中にも、未来には忘れ去られていく慣習みたいなものが、きっとたくさん含まれているんだろうな。


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by kels | 2013-12-30 07:03 | 食べ物 | Comments(4)

寝台特急「北斗星」は、静かに札幌駅を旅立っていった

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駅のホームに寝台特急「北斗星」が滑り込んできた。
夕暮れの札幌駅だ。
「北斗星」は吹雪の中を疾走してきたことを偲ばせるように雪まみれの車体をしていた。

年末最後の日曜日で、新聞では帰省ラッシュのニュースが相次いでいた。
「北斗星」もさぞかし混雑しているのではないかと思ったけれど、列車のドアから降り立つ人の姿はほとんどなかった。
寂しいくらいに静かな終着駅だ。

そう言えば、駅のホームにもほとんど列車待ちの人の姿はなかった。
数組の家族連れが青い車体の中に乗りこんでいったくらいで、車内はやはり閑散としている。
年末休暇の日曜日に、「北斗星」はこんなにもガラガラの状態で走り続けていたのだろうか。

あるいは、もっと別の日に混雑しているのかもしれない。
なにしろ、僕自身、寝台特急にはずいぶん長い間乗っていなかった。
「北斗星」の混雑具合の程度を、よく分かっていないのだ。

両親が関東にいるから、東京には定期的に行っていた。
飛行機を使うこともあれば、自動車を積んでフェリーで移動することもあった。
移動そのものを楽しむために、寝台列車も利用した。

その頃は、お盆や正月の休みの時期に、寝台列車の予約を取るのは大変なことだった。
あれは「北斗星」ではなく「カシオペア」だけの話だったのだろうか。
夕方札幌を出発した列車は、翌朝、東京の上野駅に到着した。

実際のところ、利便性や快適性を考えたら、寝台列車である必要はないのかもしれない。
だけど、旅の楽しさとは利便性や快適性だけで測れるものではないはずである。
かけがえのない思い出を手に入れることも、寝台列車の旅の楽しさだった。

もっとも、現代に生きる人々が時間に余裕をなくしていることも、また確かだ。
僕自身、時間的余裕があれば寝台列車を利用したいと、いつも思っていた。
ゆとりある旅を楽しむには、あまりにも現代社会は窮屈になりすぎている。

いつか引退して、のんびりと旅を楽しむことができるようになったら、寝台列車を使って日本一周の旅なんていいな。
だけど、きっとこの国は、寝台列車の存在を、そんなにも許し続けたりはしないかもしれない。
余裕がないということでは、日本もJR北海道も、そして、僕自身もそんなには変わりはしないのだ。

やがて、予定の時刻になると、「北斗星」は静かに札幌駅を出発した。
両親と一緒に窓から手を振る幼い少年の記憶に、この旅はしっかりと刻みこまれるだろうか。
おそらくだけれど、少年はきっと、この冬を忘れることはないだろう。


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by kels | 2013-12-29 22:57 | 旅行 | Comments(2)

僕は蒐集したものを墓場まで持っていくつもりはないよ

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僕は蒐集したものを墓場まで持っていくつもりはないから、適度に楽しんだら手放してもいいと思っている。
骨董品は市場に回すものだと、末続尭さんも著作の中で書いている。
博物館ではないのだから、集め続けるだけではどこかで無理が生じてしまうのだろう。

それでも、これだけは生涯絶対に手放したくないと思えるものは、誰しもあるだろう。
僕にとっては、札幌関係の史料がそれだ。
僕は札幌の郷土史研究を自分のライフワークにしたいと考えている。

もちろん、現在はきちんと調査・研究するような時間的余裕はないから、これは将来の夢だ。
いつか隠居して、昼間から酒を飲んでも許されるような身分になったら、僕は毎日郷土史のことばかり考えて生活したい。
昔の時代の札幌のことばかり考えて暮らすのだ。

だから、現在はそのときのための資料収集の段階だと考えている。
骨董市や古本市に出かけては、札幌の昔を偲ぶ小物を探し続けている。
ほとんどのものはガラクタだけれど、将来的に貴重な資料になるものも含まれているかもしれない。

食器やオモチャやレコードや古本なんかは、いつか手放してしまおうと思っているけれど、札幌関係のものは永久保存である。
せっかくだから、いつか本当に活躍するときがくるといいな。
随分遠い将来の話だけれど。


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by kels | 2013-12-29 21:24 | 雑貨・アンティーク | Comments(0)

そういえば、この曲のタイトルは何と言うのだろうと思った

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ここ数日間は南野陽子の「VIRGINAL」というCDばかり繰り返し聴いている。
1986年発売のアルバムで、典型的なアイドルソングだけれど楽曲の完成度が高い。
別に南野陽子のファンというわけでもないのに、ここ数年くらいで突然お気に入りになったCDの1枚だ。

ふと、ある曲を思い出しながら、そういえば、この曲のタイトルは何と言うのだろうと思った。
歌詞もメロディも記憶されているのに、タイトルだけが欠落している。
BGMとしての音楽だから、そもそも曲名を確認したことなんてないのだろう。

僕は音楽がとても好きだけれど、曲名を知らないものが数多い。
ラジオから有名な曲が流れてきたときも、「これ、なんていう曲?」などと尋ねることが多い。
音楽はとてもよく知っているものであっても、曲名とリンクしていない。

子供の頃は、歌詞カードを眺めながら一枚のアルバムを徹底的に聴きつくしたものだった。
いつの間にか、音楽が暮らしの中に溶け込む存在となっている。
名前がなくても音楽だけはそこに存在することができるのだ。

まあ、音楽の楽しみ方なんて人それぞれなんだろうなと思う。
世の中には、音楽を知らずとも曲名だけを無限に記憶している人がいるかもしれない。
曲名を知らない音楽を愛するっていうのも、そんなに悪くはない。


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by kels | 2013-12-29 21:13 | 音楽 | Comments(0)

つまるところ、僕は旅の計画を立てることが好きなのだ

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旅に出るとき、きちんと計画を立てるタイプと、無計画に出発してしまうタイプとがある。
僕は明らかに前者のタイプで、徹底的なシュミレーションをして予定表を作る。
極端な話、分刻みのタイムスケジュールを作らなければ気が済まないくらいだ。

旅先が決まったら、どこを回るべきなのかリサーチする。
目的施設が何となく決まっている場合もあるし、まったく何も決まっていない場合もある。
つい、あれこれ詰め込みたくなるが、時間的余裕を見ておかないと計画は破綻する。

行き先が決まったら、次に時刻表を丹念に調べてタイムスケジュールを組み立てる。
公共交通機関の時刻を決めて、徒歩を含む移動に要する所要時間を算定する。
乗り継ぎがうまくいかないと予定が崩れしてしまうので、余裕を持った計画を組み立てるよう心がける。

宿泊先を決めるのも重要な問題である。
道外はともかく、道内ではまともな宿泊施設が少ないから、いつも非常に難儀する。
不愉快な思いをする宿泊施設は、大抵の場合、北海道内だ。

食事先を決めておくことも、極めて重要な問題である。
あらかじめ予定を立てておかないと、何を食べるかで悩んで、現地で余計な時間を潰してしまいかねない。
必要があれば席を予約してことも大切なポイントである。

綿密なシュミレーションを何度も何度も行って、ようやく旅の予定表が完成する。
ここまで仕上げた頃には、もう実際に旅に行って帰ってきたような気持ちになっている。
実際に旅に出るのが面倒くさいような心持ちになっている。

半ば疲れたような気持ちのままで、いよいよ本当の旅に出発する。
現地に入ると、予定に組み入れてなかったようなスポットばかり訪ねてみたくなっている。
予定はたちまち破綻して、自由気ままな旅へと変貌してしまっている。

宿泊先や食事先を予約してしまったことを後悔することも少なくない。
旅は予定のない自由気ままな旅の方がよかったなあと、いつも思う。
そして、帰路に着く頃には、次こそは計画のない自由気ままな旅をしようと誓う。

だけど、いざ旅の計画を立てる頃になると、またまた分刻みのタイムスケジュールを作りたくなって仕方がない。
つまるところ、僕は旅の計画を立てることが好きなのだ。
地図と時刻表を開いて旅の計画を立てることは、僕の人生にとってかなり重要な幸福要因である。


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by kels | 2013-12-28 22:53 | 旅行 | Comments(2)

いつからだろう、寒さに対してこんなにも弱くなってしまったのは。

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僕は古い建物が好きで、古いビルや古いマンションや古い民家や、それらを改装したようなお店が好きだ。
そして、それと同じくらいに寒いところが嫌いだ。
真冬の古いビルや古いマンションや古い民家や、それらを改装したようなカフェやレストランは、だから僕を悩ませる。

いつからだろう、人並み以上に寒さに強い人間だった僕が、寒さに対してこんなにも弱くなってしまったのは。

昔は真冬でもマフラーなんか巻かなかったし、手袋なんか使わなかった。
吹雪の中でもコートの前を平気で開けて、一日中街の中を歩き回っていたものだ。
それが今では、マフラーや手袋の着用はもとより、トップスの重ね着なんていうフル装備は当たり前。
嫌いだったタートルネックも手放せなくなり、コートの前ボタンを留めないなんて考えられないようになってしまった。

そんな人間だから、冬場の古い建物というのは、僕にとっては辛い環境でもある。
職場にしている古いオフィスビルも、窓ガラス一枚の簡素な作りで、外気温が思い切り室内気温に干渉してくる。
おまけに、昨今はウォームビズとか節電とかで、暖房経費の節約ばかりしているから、オフィス内の寒さは想像を絶するほどである。

ちょっと大袈裟に聞こえるかもしれないけれど、寒い日には僕はオフィス内でも手袋を着用しているのだ。
さすがに室内でマフラーを巻くことはできないけれど、キャンプ用のフリースジャケットを着込むことは珍しくない。
女性の大好きなブランケットだって、僕は膝の上に置いて防寒しているくらいなのだ。

古民家カフェにも魅力的なものが多いけれど、真冬の寒さもまた格別のものがある。
円山にある「森彦本店」みたいに外国製の大きな薪ストーブをガンガン燃やしてくれれば、寒いようなことはないのだけれど、多くの店では小さな石油ストーブでささやかな暖を取る程度なので、とてもじゃないけれど、「ゆっくり本を読んで~」みたいな気持ちにはなれない。
テーブルの上のホットコーヒーが急速冷凍されていくのを、空しく見つめているだけだ。

寒いなあ。寒いのは嫌だなあ。
そんな台詞を一日に300回くらい繰り返しながら、僕は毎日を生きている。
どれだけ念じたって、僕の寒さが解消されることはないのだけれど。


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by kels | 2013-12-28 22:31 | 冬のこと | Comments(0)