<   2008年 10月 ( 60 )   > この月の画像一覧

ポルノグラフティ

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ポルノグラフティのベスト盤を買ってきて聴いている。
随所に現れる懐かしいメロディやアレンジ。
おや?と思うような聴き覚えのあるフレーズ。
J.POPの伝統は繰り返されるらしい。

ついでに、関ジャニ∞「無責任ヒーロー」とDOES「陽はまた昇る」も購入。
DOESって、今どきのめんたいビートってことでいいのかな?


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by kels | 2008-10-31 23:42 | 音楽 | Comments(0)

ひとりぼっち

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これまでにも尊敬できる人というのは何人かあった。
共通しているのは、自分の信念をしっかりと持っていて、自分の意見を明確に言える人だということ。
最近、もっとも気になる人といえば写真家詩人の沼田元気さんで、沼田さんの世捨人のような生き方が妙に気になる。
正確にいうと、これは尊敬する人というよりは、憧れの人に対する気持ちのようなものかもしれない。

他人と違った価値観を持つということは、現代社会の中にあっては簡単のようで実は簡単ではない。
共通理解や共通認識といったものが優先され、「その場の空気を読む」ことが生きていく上で求められている社会だから、自分オリジナルの生き方を生き抜くというだけで、ずいぶん無駄なエネルギーを消費してしまうものなのだ。

理想的なのは「誰にも迷惑をかけないで自分らしく生きていく」という、僕の伯父さんの生き方である。
かつて、吉田拓郎が、「みんな幸せになっていいんだ 人に迷惑さえかけなければね」と歌ったように、社会に迷惑がかからないという条件で、自分らしく生きていきたい。
そういう生き方は、時に孤独で、時に寂しいかもしれない。
けれど、孤独も寂しいということも決して悪いことではないわけで、ひとりぼっちの寂しさを楽しむための術というのも、人間には必要であるような気がする。


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by kels | 2008-10-30 19:53 | 随想・日記 | Comments(0)

羊をめぐる冒険

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今にも雪が降り出しそうな季節になると、村上春樹の「羊をめぐる冒険」を思い出す。
秋の終わりの北海道を舞台に進む物語は、北海道で生きる人間にとって、とてもリアルで切ない話だった。
物語の中盤は、札幌が舞台になっていて、碁盤の目で構成された札幌の街並みが紹介されている。
いわゆる「とても消耗する街」というやつだ。

物語のクライマックスは、札幌を遠く離れた道北の街へと舞台を移し、今にも雪が降りそうな季節感を描きながら、意外な結末や人間の悲しさなどのドラマ性を用意している。
僕は、この十二滝町で主人公が暮らすわずかな期間の描写が大好きで、それでわざわざこの季節の道北地方へと列車を使った旅に出かけたこともあったほどである。
実際、こんな季節の狭間の道北地方というのは、列車も宿も街もガラガラで静寂だけが全体を覆っている感じがして、それが今にも雪が降り出しそうな空を一層意識させるような気がする。
作者の村上春樹も、きっとこの時期の道北地方を旅しながら、奇妙な静寂の中で空模様ばかりを気にしていたのではないだろうか。

決して歓迎されるべき北海道の雪ではないけれど、初雪が近くなるこの季節、人々の気持ちがなんとなくそわそわしてくるのも、また確かなことだろう。
夏でも冬でも、季節とはそういうものである。


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by kels | 2008-10-30 19:48 | 音楽 | Comments(2)

林檎

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札幌は林檎の産地である。
林檎の産地であったという方が正しいかもしれない。
明治初期から輸入・栽培の始まった林檎は、明治後期に至るところには、日本国内だけではなく外国へも輸出されたという。

今から思うと、ちょっと意外な話だけれど、豊平・平岸地区に残る赤い煉瓦の倉庫や、山鼻地区に残る札幌軟石作りの倉庫は、収穫した林檎を貯蔵するために作られたものが多い。
山鼻から豊平川を越えて平岸・豊平・西岡へと広がっていた果樹園は、戦後まで林檎の実を成らせていたが、住宅地の開発が進むにつれてどんどん宅地化され、今では当時の面影もない。

それでも、散策の途中に民家の裏などをのぞき込んだりすると、思わぬところにかつての果樹園の面影があったりする。
それは、貯蔵倉庫であったり、果樹園時代の石門であったり、果樹園の名残の畑地であったりするけれど、そう遠くない昔、札幌に林檎で栄えた街があったことを感じて、なんとなくうれしくなるのである。

 食ひかけの林檎をハンドバッグに入れ 高濱虚子



<関連する記事はこちらです>

「軟石造り倉庫」「軟石造り倉庫」 
「札幌軟石」



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by kels | 2008-10-30 19:44 | 随想・日記 | Comments(0)

大根干し

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長い冬に備えてたくさんの漬け物を作るのは、冬の野菜不足を補うために人々が考え出した暮らしの智恵である。
一般の家庭で漬け物を作らなくなって、もうずいぶん時間が経つような気がする。
住居環境が良くなって、漬け物を作るには不向きになってしまったからとか、そもそも漬け物という料理に人々が興味を持たないとか、スーパーに行けば何でも手に入るとか、理由はいろいろあるのだろう。

家庭で大根を干さなくなったことが、社会的に何か影響を及ぼすのか、僕には分からないけれど、懐かしい光景が姿を消していくことはなんだか寂しい。
だからといって、我が家の窓辺に大根を干すわけでなく、生活スタイルの変化は、ある意味受け入れるしかないのだろうとも思う。

それにしても、子どもの頃に食べた漬け物の旨かったことよ。
あんなに好きだった冬の漬け物も、最近ではすっかり食べなくなってしまった。
手に入るのは「漬け物風」のものばかりみたいな気がする。
漬け物石を持ち上げて、蓋を開けると、表面にびっしりと薄い氷が張り付いたあの漬け物の旨さを知っているのは、きっと僕らが最後の世代になるのだろうな。


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by kels | 2008-10-29 19:37 | 随想・日記 | Comments(0)

がんばらないで

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人は簡単に誰かに向かって「がんばって」と応援するけれど、これって優しいようでいて、けっこう残酷な言葉だったりするから注意しなくてはならない。
誰だって頑張りたくないなあと思う日はあるわけで、そんなときに「頑張れ!」なんて声をかけられたって、勇気づけられるというよりはヘコんでしまうことになりかねない。
まして、一生懸命に頑張っている人間が、崖っぷちでヘトヘトになっているときに、「さあ、がんばれよ!」なんて声をかけられると、「自分はこんなに頑張っているのに、まだ頑張らなくちゃならないのか」と、絶望に追い込まれてしまうことさえあるという。
心が病んでいる人に向かって、励ましてはいけないというのは、そういう事情によるからだけれど、これは病気ではないにしても、ちょっと弱っている人間にとっても同じことだろう。

だいたい、我々は無闇に誰かを応援しすぎる。
他人のことを応援している暇があるんだったら、自分のことをもっと頑張れと言いたい。
励まされること、勇気づけられること、期待されることが、本人にとっては苦痛であり重荷であるんだということを、もっときちんと考えて理解すべきだ。
大人だって子どもだって、それは同じなんじゃないだろうか。

そのかわり、最後には「がんばったね」と喜びを分かち合う余裕がほしい。
喜びの涙や悔し涙を一緒に流してくれるということが、本当の優しさなんだと、きっと分かってもらえるから。


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by kels | 2008-10-29 19:33 | 随想・日記 | Comments(4)

修学旅行

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札幌の観光スポットで写真を撮ることが多いから、そういう場所では修学旅行生と一緒になることが多い。
比較的修学旅行生をよく見かけるのは、都心部ではやはり大通公園と時計台である。

先日も、さっぽろ時計台の近くをブラブラしていたら、中学生たちが時計台の前でウロウロしていた。
でも、彼女たちにとって、時計台の持つ歴史的意義や文化的意義はそんなに関心のあるものではなかったらしく、次の目的地である石屋製菓までどのように行くべきかということの方が、重要な問題であるらしかった。

時計台の前には、いつでも観光客待ちのタクシーが2、3台止まっているから、彼女たちはタクシーの運転手に道筋などを教えてもらっている。
あるいは、暇つぶしの運転手の方から声をかけたのかもしれない。
地図を開いて、時に大笑いしながら、彼女らは運転手の話に耳を傾けていた。


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by kels | 2008-10-29 19:28 | 随想・日記 | Comments(0)

清華亭

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札幌駅北口からすぐのところにある明治の洋館、清華亭。
歴史的建造物だけれど、道庁赤レンガやさっぽろ時計台、中島公園の豊平館などに比べると、知名度は今ひとつみたいだ。
歴史的には、開拓使時代の建造物として非常に貴重なもの。
駅の北側にあるのがマイナスかと思ったけれど、さらに北に位置する北海道大学は人気の観光スポットでもあるので、単純に位置関係だけの問題ではないのかもしれない。

もともとは偕楽園という公園の中に建てられていたものだが、今はなんとなく住宅街の中に忽然と古い建物が現れるみたいな印象を受ける。
それでも、北海道大学と一緒に散策してみると、その一帯が単純に独立しているのではなく、かつては北大と有機的に結びついていただろうことを体で感じることができそうだ。

知名度は今ひとつと書いたけれど、見ていると思った以上に観光客が訪れているみたいで驚いた。
札幌駅から北側エリア、北海道大学とセットで散策するとちょうどいいかもしれない。


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by kels | 2008-10-28 20:01 | 建築 | Comments(0)

野生絶滅種

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先日の夕刊に、銀杏の木が野生絶滅種として登録されていることを初めて知った。
生態系保全の問題にはそれなりに関心があり、特に生物多様性については一応の勉強をしているつもりだったから、これはかなり恥ずかしいなと思った。
もっとも、僕は渓流釣りを趣味にしていた関係で、淡水魚の、特に北海道の渓流に棲む渓流魚の問題について勉強していたから、植物のことにまで頭が回っていなかったのかもしれない。
それにしても、すぐ目の前に存在して、日本中のどこにでもある銀杏の木が絶滅種だったというのは、かなりショックな話ではある。

言うまでもなく、野生絶滅種とは種として自生するものが地球上に存在しないことを意味しているわけで、現在、我々が見ることのできる地球上のすべての銀杏は、人間の手によって植えられたものばかりということになる。
(実際には、一部の地域に野生種が残っているそうです)
もちろん、これは本来的な状態ではないということになるが、野生の銀杏は氷河期にほとんど絶滅したというから、氷河期以降の生態系を本来的なものと考えるなら、必ずしも銀杏の存在が生態系の是非を問うものではないのかもしれない。
(氷河期に絶滅というのもすごくスケールの大きな話だけれど)

明治以降に開拓と近代化が同時に進行した札幌では、アメリカの先進的な産業振興を積極的に導入したから、街の至る所に外来種は存在する。
街の歴史のスタート地点から存在した外来種は、人々にとっては既に在来種と同じ感情を持つべきものとなっており、そこに札幌の街が抱える小さな歪みを、時に感じることがある。
それを否定して我々はこの街で生きていくことはできないし、そうしたものをみんな受け入れてこそ、我々はこの街で暮らしていく資格を得ることができるような気がするのだ。
北大の銀杏並木の素晴らしさも、ポプラ並木の雄大さも。


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by kels | 2008-10-28 19:58 | 随想・日記 | Comments(0)

外套

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この秋、初めてコートを着て出勤した。
地下鉄に乗ると、同じようにコートを着込んだ人たちが目につく。
昨日の朝には、コートを着ている人はほんの一握りだったことを思うと、どうやらみんな昨日の寒さが身に沁みたらしい。

世の中全体が「秋」色に染まっているけれど、この時期の北海道は「秋の終わり」というよりは「冬の始まり」に近い季節である。
今日にも初雪が降るだろうかと思わせる冷たい風を全身に浴びていると、これはすっかり冬と言ってもいいんじゃないだろうかと思う。
ただ、北海道の冬の厳しさは実際こんなものでは済まないから、雪が降るまでの短い季節を、北海道の人たちは「秋」と呼んでいるのだろう。

北海道の春が、ほとんど初夏と同時にやってくるように、北海道の秋も、ほとんど冬と同時にやってくる。
春や秋の短さは、まさしく北海道的季節感だ。
それは、長い冬が春や秋の持ち分を食い散らかしているからということになるのだけれど、そう考えると、北海道の冬が本当に長いということを実感できる。
雪がある季節を冬と呼ぶならば、北海道では11月から3月まで、下手をすれば4月の上旬までは冬だ。
そして今、我々はまさしくその冬の取っ手に手をかけて、冷たいドアを開けようとしている。


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by kels | 2008-10-28 19:54 | 随想・日記 | Comments(2)