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メモリアルポスト

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札幌駅前にあるメモリアルポストです。
なんと、全国でここだけにしかないという貴重なポスト!(笑)
説明によると、このポストは、郵政事業庁発足と丸型ポスト誕生100年を記念して、お客様の投票によりデザイン決定した特殊ポストで、平成13年10月31日に設置されたものだそうです。
ちゃんと、丸型郵便ポストの歴史まで記載されているので、ポストマニアの方は必見ですね(笑)
そういえば、郵便ポストなんて丸いものだと思い込んでいたけれど、最近はあまり見なくなってしまいましたねー。
by kels | 2007-03-31 22:17 | 札幌のこと | Comments(0)

山鼻記念会館

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石山通を行啓通に入ったところ、すぐ左側にふたつの三角が印象的な建物があります。
「山鼻記念会館」と呼ばれる建物で、山鼻地区の歴史を偲ぶ資料室が設置されています。
屯田兵が切り開いた山鼻地区は、現在でも歴史に誇りを持つ人たちが多く、郷土を大切にしていると感じることが多いエリアです。

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もっとも、一般の市民としては、ケーキ屋さん「ラ ヴェリテ」が入っている建物として記憶されていることでしょう(笑)
地元ではけっこう人気があるようで、休日の午後に行ったりすると、商品がほとんどなかったりなんてこともあるみたいです。
うろ覚えですが、ケーキ屋さんが入る前には、雪印関係の資料館みたいなのがあったような気が、、、
そういえば、山鼻地区は雪印の創業メンバーのひとりである黒澤酉蔵が、かつて黒澤牧場を営んだ場所でもあります。
それにしても、山鼻が昔は牧場だったなんて、夢みたいなお話ですよね☆

洋菓子店 ラ・ヴェリテYAMAHANA
http://www7a.biglobe.ne.jp/~laverite/index.html
by kels | 2007-03-29 22:26 | 札幌のこと | Comments(4)

お声がかりの柏

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南14条の「行啓通」と西11丁目の「石山通」が交差するところにある「山鼻公園」の一隅に、かつて「お声がかりの柏」と呼ばれる柏の木が「あった」ということは有名な話です。
時は、明治14年、屯田兵によって開拓された山鼻地区の状況を視察に訪れた明治天皇が山鼻小学校で休憩した時に、「あの木は何という木か?」と質問されたことから、それ以来、この木は「お声がかりの柏」と呼ばれて、山鼻地区の精神的支柱となってきました。
しかし、この柏の木も老齢化して危険な存在となってしまったため、昭和51年に切り倒されています。
今回は、この柏の木の切り株を見学してみることにしました。

「お声がかりの柏」の木の切り株は、山鼻公園の向かい側にある山鼻小学校の中に保存されています。
そう、明治14年に明治天皇が休まれた学校ですね。
山鼻小学校は明治10年に開校ということですから、その歴史の古さが分かります。
校舎内には「山鼻街道」と名付けられた廊下があり、この廊下には、地域の歴史を紹介する資料や写真なんかが展示されています。
切り株がある郷土資料室も、この一画にありました。

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これが、「お声掛かりの柏」の切り株です。
思ったよりも小さい感じを受けますね。
それにしても、樹齢230年、高さ18メートル、幹の太さは60センチメートルの立派な柏の木の切り株です。

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小学校を見学して驚いたのは、この郷土資料室はいつでも鍵が開けられていて、子ども達が自由に出入りしているということです。
我々は、ちょうど長休みの時間に学校を訪れたのですが、資料室内では子ども達がずっと走り回っていました。
つまり、日常的に地域の歴史に触れている、ということになりますよね。
鍵をかけて、6年間のうちに1度見るかどうかという郷土資料室もあるそうですから、これくらい活用してもらうと、郷土資料も喜ぶんじゃないかと思います。

こういう小学校で学んでみたかった(笑)
by kels | 2007-03-24 08:34 | 札幌のこと | Comments(0)

砲兵第七連隊営門哨舎

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札幌護国神社内にある「砲兵第七連隊営門哨舎」です。
まずは、説明板を。

本哨舎は昭和初期、旭川野砲兵第七連隊営門に建設せられ、以来、部隊警衛の中堅であり、軍紀志気のシンボルである歩哨の立哨位置と戦時勤務に準ずる厳正な服務訓練を行いたる記念建築物であり、勤務した哨兵は無慮十数万と推定される。
砲兵第七連隊の前身である独立野戦砲兵大隊発祥の地として札幌に創設された記念碑と並び建立す。


つまり、簡単にいうと、門番が使った小屋みたいものなんでしょうね。
札幌護国神社は、「北海道の靖国神社」ともいうべき花の都で、敷地内には軍事関係の記念碑がたくさん設置されています。
この哨舎も、そういう理由でここに安置されているものなのでしょう。
軍事遺跡は、他の文化遺産に比べて保存に関する理解度がまだまだ低いようで、なかなか保存が進まないようです。
でも、日本が戦争していたことを知らない世代のためにも、こういう軍事遺産はきちんと保存していってほしいですね。
そして、少し前の日本には、大規模な軍隊があって、実際に戦争を行っていたのだということを、きちんと伝えていくべきであるような気がします。
昨今の文化遺産っていうと、口当たりが良くてカッコイイものばかりが登場するような印象を受けてしまって、それがちょっと残念です。

ちなみに、向かって左隣が「北鎮砲兵発祥の地」の記念碑です☆
by kels | 2007-03-06 19:39 | 札幌のこと | Comments(0)

大通公園の開拓紀念碑

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大通公園6丁目北側に設置されている「開拓紀念碑」の文字は、これまで榎本武揚の書によるものとされてきましたが、本日付け北海道新聞朝刊で、それが実は榎本武揚のものではなかったというニュースが報じられました。
えーっていう感じですよね。
これまで、当然のように様々な関連本で「榎本武揚の書」とされていたものが、実は違っていたんですから。
誤りの発端は、昭和33年に発刊された「札幌市史」の中で、「榎本武揚の書ともいわれる」と記載されていたことだそうです。
この「~ともいわれる」が、いつの間にか通説になってしまったということで、うーん、やはり簡単に書物を信用してはいけないということなんでしょうね。
きちんと、旧札幌市史に当たっていれば、こういう誤りは防げていたということになりますから。
ネットの世界なんかでは、検索で引っかかった情報をそのまま引用したりしているうちに、通説化していくなんてこともよくありますから、それと同じような現象ですね。
けっこう良い教訓になりました。

ちなみに、文字は中国の名書家である王義之の拓本から引用したものだったそうです。
by kels | 2007-03-06 19:05 | 札幌のこと | Comments(0)

旅人の赤い脚

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JR札幌駅東コンコース、ステラプレイスに近い辺りに突然現れる赤い脚。
まるで、旅人の「さて、これからどこに行こうか」という足取りが再現されているかのような、軽快な足取りです。
このオブジェの作者は浅見和司氏、作品名は「Legs“旅人の残像”」だそうです。
JR札幌駅のホームページのコメントには、次のようにありました。

駅を利用する人の痕跡を残さない駅のさがと、目的地へ歩み続ける旅人を表現。

なんだか分かるような気がしますね。
駅というのは人が留まるところではなく、必ず立ち去っていく場所です。
言ってみれば、そこにある旅人の姿は「残像」みたいなものだということで、この作品になったのかもしれません。

それにしても、この赤い脚は、札幌駅の中でもかなり目立っていますねー。
待ち合わせ場所にいいかも☆
by kels | 2007-03-04 20:59 | 芸術 | Comments(4)

行啓通り

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今年のテーマは、札幌の街をきちんと歩いてみようということです。
ということで、今日は早速、札幌の古い商店街である「行啓通り」を歩いてきました。
行啓通は、中島公園に流れ込む鴨々川にかけられた南十四条橋から石山通まで続く、南14条の通りのことで、かつて皇太子がこの地を行啓したことから名付けられました。

時は明治14年、時の明治天皇が山鼻屯田兵村を視察に訪れ、このとき、1本の柏の木をさして「あの木は何という木か」と訊ねたそうです。
この木は「お声掛かりの柏」と呼ばれて、山鼻の貴重な宝となりましたが、それから時が過ぎた明治明治44年、今度は後の大正天皇となる皇太子が、明治天皇ゆかりの「お声掛かりの柏」があるという山鼻公園を訪れます。
行啓通りは、この時の皇太子の行啓のために、きちんと整備をされました。
さらに、大正11年、後の昭和天皇となる皇太子もこの地を行啓され、ついにこの道は「行啓通」と名付けられるに至ったということです。

大正末期から昭和初期にかけて、この通りにはいくつもの店が生まれ、行啓通は狸小路に次くぐ商店街だったと語り継がれていますが、時代の移り変わりの中、個人商店は次々に姿を消し、商店街にもマンションが建ち始めるようになり、現在ではかつての賑やかな商店街としての行啓通は見られなくなってしまいました。

通りを歩くと、マンションやビルの隙間に、かつての面影を残す個人商店が残っていて、それが一層時代の移り変わりを強調しているようです。

ホームページの方に、今日の散策ノートを記録していますので、興味のある方はどうぞ。
(自己宣伝です(笑))
なにしろ大量の写真をアップしているので、ブログではちょっと☆

もっと! 札幌ウォーカー
http://kels.nobody.jp/
by kels | 2007-03-03 23:42 | 札幌のこと | Comments(0)

手稲鉱山秋色

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本日付けの北海道新聞朝刊で、木田金次郎の未公開作品が2点発見された記事が掲載されていました。
有島武郎の「生まれ出づる悩み」のモデルとして知られる木田金次郎は、北海道を代表する画家で、岩内町には美術館も建てられています。
見つかった2点のうち、1点は昭和9年に描かれたと見られる「手稲鉱山秋色」という作品です。
戦前、「金山(かなやま)」と呼ばれて賑わった手稲鉱山をモチーフにしていて、これはかなり貴重な作品です。
早く、ナマで見てみたいですねー☆
by kels | 2007-03-03 20:04 | 芸術 | Comments(0)

札幌の散策ルートを探そう

3月に入って、卒業式、春休みと、北海道もいよいよ春らしい行事が続きます。
もっとも、北海道が本当の春を迎えるのは4月に入ってから、観光シーズンが始まるのはゴールデンウィークからと、長い冬はもう少し続きそうです。
まー、それはそれとして、久しぶりにブログ・タイトルにふさわしく、札幌散策についてのお話をしてみましょう。

僕の札幌散策は、どちらかというとスポットを巡る形のものが多く、本当の意味でのウォーキングにはあまり重点を置いていません。
エッセンスだけを抽出しているようなイメージですね。
でも、今年はもう少し幅を広げて、スポットとスポットを結ぶラインとしての札幌をきちんと歩いてみようかと思っています。

そこで考えたのが、理想的な散策ルートの存在。
観光地の札幌にはいったいどんな散策ルートが存在しているのでしょうか。

まずは、基本的な観光ルートを歩いて回るための散策ルート、こういうのはやっぱり地元・札幌市役所の公式ホームページがお得意です。

札幌の観光マップ
http://www.welcome.city.sapporo.jp/access/wide_range.html

必ずしもウォーキングのためのマップではありませんが、札幌市内を歩いて回りたい人にはぴったりだと思います。
エリアの選択肢が多いし、モデルルートも掲載されているので、初めて札幌を訪れる人にもお勧めできます。

続いて、地元の人間が考案した散策ルートです。

地元市民がおすすめする札幌散策コース
http://www.city.sapporo.jp/keizai/kanko/news2/2005.06.28.html

札幌市民が考案した散策ルートで、テーマが独特でおもしろいですね。
「女性に嬉しい満腹コース」とか「恋人(夫婦)たちの時コース」とか。
所要時間が多いものもあるので、都合に合わせて利用してみたいですね。

次は、観光のためというよりも、地元市民のウォーキングが主目的といった感じがする散策ルートです。

札幌市建設局土木部のページ - サイクリング・ウォーキング情報
http://www.city.sapporo.jp/kensetsu/stn/human/hb/index.html

札幌市といっても、道路を管理する土木部が作成するウォーキングマップが紹介されていて、観光スポットだけでは物足りない人にお勧めです。
「北郷緑道」とか意外なルートが紹介されているので、札幌散策の中級者向けでしょう。

札幌散策ルートは、実はこの他にもまだまだたくさんあるのですが、ブログの記事だけで全部を紹介するのは大変なので、もっとたくさんの散策ルートを歩きたいという人は、「もっと! 札幌ウォーカー」の方でどうぞ。

さて、今年はひとつ本格的に札幌を歩いてみましょうか☆
by kels | 2007-03-02 19:17 | 札幌のこと | Comments(0)

札幌西武に残る「五番館」の記憶

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「五番館」といってもピンとくる人たちが少ない時代になってしまいました。
札幌でもっとも古いデパートは、知る人ぞ知る、この「五番館デパート」だったのです。

時は明治39年、札幌興農園が札幌で初めての百貨店を開業、電話番号が5番だったということから、「五番館」という名前が付けられました。
札幌駅前に建つ赤レンガの洋館は横浜の西洋館を模したもので、明治時代の駅前地区のランドマーク的な存在だったといいます。
やがて、大正7年に丸井今井百貨店が、そして、昭和7年に札幌三越が開業しても、五番館は札幌市民のための百貨店としての地位を守り続けました。
当時を表現するフレーズとして、よく使われているのが、「三越は見る店、丸井遊ぶ店、五番館は買う店」というもので、それぞれのデパートの特徴を楽しく表しています。

それほどまでに市民に親しまれた五番館にも業界再編の影響は訪れ、平成2年に「五番館SEIBU」と西武グループの資本が入り、やがて「五番館」の名前さえも消滅していくことになるのです。
現在、五番館を偲ぶことができるのは、札幌西武の「五番館赤れんがホール」と、佐藤水産のサーモンファクトリーくらいなのではないでしょうか。

写真は、五番館赤れんがホールに残された、かつての「五番館」の看板です。
老舗のお店がなくなるということを、僕等の世代は五番館デパートで知ったような気がします。
by kels | 2007-03-01 19:55 | 札幌のこと | Comments(10)