カテゴリ:札幌のこと( 808 )

「札幌1957」の表表紙と裏表紙には、札幌中心部の空撮写真が見開きで使われている

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札幌を北海道の首都にする考えは既に江戸時代の探検家たちの脳裏にうかんだ。
建設は明治二年からはじまり、担当者は島判官、岩村判官、さらに西村権監事へと移ったが、その間に都市計画の輪郭は固まった。
開拓使次官黒田清隆が米国からつれてかえったケプロンをはじめ、雇外人76人が都市建設に加わり、当時としては類のないモダンな都市ができた。

「札幌1957」岩波写真文庫(1957年)

「札幌1957」の表表紙と裏表紙には、札幌中心部の空撮写真が見開きで使われている。
写真の左手に大通公園が東に向かって走っている。
キャプションには「西から見た札幌市街」とある。

大通公園の南側に札幌三越と札幌丸井今井の二大百貨店がある。
その向こう側に創成川が南北に走っているのが見える。
西一丁目にある高いタワーは、三岸好太郎の作品にも登場する消防望楼だ。

特徴的なのは、平屋建ての建物がびっしりと建ち並んでいることである。
三越や丸井今井のような大規模なビルはともかく、ビルらしいビルというものは決して多くない。
この時代、中心部の建物は、商家であってもまだ平屋建が普通だったらしい。

おもしろいのは、札幌中心部に札幌駅周辺が入っていないことである。
札幌中心部と言えば、長く大通公園周辺の一帯を差していたからだろう。
現代であれば、札幌駅から南に向かって臨む風景が札幌中心部と紹介されるかもしれない。


by kels | 2017-05-14 05:51 | 札幌のこと | Comments(0)

今年、僕は「札幌 1957」を持って、60年後の札幌の街を歩いてみたいと思う

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岩波写真文庫に「都会の記録シリーズ」がある。
戦後の都会の風景を写真として記録しておこうというものだろう。
現在となっては、まさしく貴重な記録である。

このシリーズに我が街「札幌」も含まれている。
「札幌 1957」とあるから、昭和32年当時の札幌を記録したものだろう。
現代の札幌とは異なる風景が、そこにはある。

今年2017年は、この1957年からちょうど60年である。
遥か60年前なのか、たった60年前なのか、僕には分からない。
ただ事実として、60年という時間は札幌の街を大きく変えた。

今年、僕はこの本を持って、60年後の札幌の街を歩いてみたいと思う。
60年間で何が変わり、何が変わっていないのか。
自分の生きる街が、どのように成長してきたのかを確かめるために。



by kels | 2017-05-13 07:06 | 札幌のこと | Comments(0)

【欠航上等】冬の北海道旅行で注意したい交通リスクを知っておこう【運休ですが何か?】

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札幌では12月としては50年ぶりの大雪の到来で、街はまさしくパニック状態に陥っています。
特に交通事情はかつてないほど最悪で、連日大きく報道されるなど、雪害の影響の大きさを改めて理解しなければならない状況でしょう。
もっとも、冬の北海道に雪は当たり前で、「12月」としては異例の大雪だとしても、シーズン通して考えてみると、いわゆる「ドカ雪」そのものは決して珍しい気象現象ではありません。

そこで、今回は冬の北海道旅行で注意したい交通リスクについて考えてみたいと思います。

◆飛行機による移動は一種のギャンブル?

仕事の関係で、僕も一冬の間に何度かは東京へ出かけます。
移動手段はどうしても飛行機になりますが、冬に飛行機を利用した計画を立てる場合、「行けない場合もある」と想定することが前提になります。
実際、飛行機の移動はギャンブルみたいなもので、飛ぶか飛ばないかは、そのときの運次第という部分が非常に大きいです。

だから、冬に飛行機を使って北海道まで出かけようと考えるときは、当然、行けない場合もある、それもかなり高い確率であり得ると心得るべきです。
逆もまたしかりで、帰りの便が飛べないような事態も、事前に考えておくべきでしょう。

翌日に大切な用務がある場合、僕はできるだけ東京出張を組まないようにしています。
飛行機が欠航した場合、その用務に支障を来してしまうからで、計画は、とにかく「欠航ありき」で考えましょう。

◆JRを信用すると痛い目に遭う?

一昔前は、飛行機やバスと比べてJRは冬でも安心して利用できる、そんなテレビCMもガンガン流れていましたが、もちろん現在は、そんなCMもありません。
そんなCMを流すなんてとんでもないくらいJRは運休するし、遅延します。
大雪はもちろん、設備の不具合みたいなトラブルも日常茶飯事なので、道内旅行でJRを利用する場合は、JRが動かない場合の計画も考えておいた方が無難です。

一番危険なのが、札幌と新千歳空港を結ぶエアポートで、ちょっと予想しない事態で簡単に運休してしまうので、飛行機利用の方は特に要注意です。
(なにしろ、雪が降っていなくても運休するので、油断するとエライ目に遭います)

正直に言って、僕も新千歳空港まで移動するときは、JRにしようかバスにしようか、いつも迷います。
本当はJRの方が楽なんですが、運休のリスクがあまりに大きいので、特に朝早い移動の場合は、最初からリスク回避して空港連絡バスをチョイスすることが多いです。

長距離の移動に関しても、函館までは新幹線でたどり着けるとしても、そこから先はJR北海道のホームグラウンドなので、一寸先は闇状態です。
仮に将来的に札幌まで新幹線が走ったとしても、この不安定さが解消されるとは考えにくいので、結局、冬の移動は改善が期待できない部分なのではないでしょうか。
(どうしてこんなに信用できない存在になってしまったんでしょうか、JR北海道。謎すぎる)

◆電車通りの除排雪が市電の運命を左右する?

観光客が市電を利用する場面は、それほど多くないと思いますが、藻岩山ロープウェーを利用するときは、やはり市電が便利です。
(というか、他にはタクシーくらいしか選択肢がないので)
市電の走る電車通りは、比較的除排雪がしっかりとしているので、意外と市電は冬でも信頼できる交通機関だと思います。

ただ、今回のように除排雪が十分ではない状況があると、たちまち、市電も危険な乗り物と化してしまいます。
市電が走る電車通りは自動車の交通量も多い道ですが、その割に片側一車線道路なので、除排雪が十分ではなく道幅が雪のために狭くなってしまうと、自動車が道路からはみ出して市電の軌道内に入ってしまいます(道路が狭くなっているので当然ですが)。

そんなときは道路も渋滞になりますから、渋滞の自動車の列が市電の軌道を塞ぐ状態となってしまい、こんなときは市電はまったく動くことができません。
だから、大雪の日や、特にその直後などは、除排雪が十分ではないことも想定されるため、市電も動かなくなる可能性を頭に入れておくべきでしょう。

ササラ電車が走ったりして、市電自体はかなり信頼できる乗り物なんですが、路面電車が安心して走ることのできる環境が保たれなければ、いくら優秀な乗り物でも走り続けることはできないですよね。

◆進むも地獄、降りるも地獄の渋滞、路線バス

もっとも渋滞の影響を受けるのが路線バスです。
札幌の冬の渋滞は、雪のために道幅が狭くなってしまうという物理的な状況が、その根底にあります。
それに、路面が凍結していて速度を上げることができないなどの要因が加わるわけですが、ほとんどは平常より狭くなった道路に自動車が溢れている状態というものでしょう。

当然、路線バスは、この狭くなった渋滞の道路を走ることになりますから、定刻通りには動きません。
最初10分程度の遅れだったものが、次々と遅れを積み重ねて1時間遅れとか2時間遅れとかになっていきます。
別ルートに迂回するという裏技もなく、しかも、乗ったら最後、途中で降りるに降りられないという地獄の苦しみを感じることにもなりかねません。
渋滞が予想されそうなときは、地元の人たちもバスをあきらめるか、渋滞のない早朝や深夜の時間帯を選んで利用しているようです。

◆一体どうしたらいいんだ、冬の北海道旅行!

いろいろと冬の北海道の交通リスクについて書いてきましたが、地元の人間として言えることは、このような不便な交通状況も含めて冬の北海道の真実だということです。
観光パンフレットでは冬の北海道の魅力がたくさん紹介されていますが、正直に言って、冬の北海道なんてひどく寒いし、あらゆるものが凍り付くし、道路は凍結して滑るし、吹雪で迷子になってしまう可能性はあるし、日照時間は少ないし、まして交通機関は当てにならないしで、全然暮らしやすい場所ではありません。
ただ、だからこそ感じられる魅力というものもあるわけで、こうしたマイナス面の裏側にある魅力を探して楽しむことが、冬の北海道旅行の楽しさなのではないかと、僕は考えています。

とにかく、欠航上等、運休当然、渋滞日常、そんな交通リスクを考えながら、冬の北海道旅行の計画を立てましょう。


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by kels | 2016-12-29 05:53 | 札幌のこと | Comments(0)

思うに、街歩きというのは、どれだけ夢を見ることができるかということだ

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正月に入ると大阪から、はるばる水島爾保布がやってきた。
雪の札幌を大朝の漫画にするためだという。
まず馬橇にのって丸山公園へ雪見に出かける。
「人間をロシア人にとッかえたら、札幌はこのままロシアの町とまったく変わりがなくなるだろう」
「サニン」の校正をしてくれた彼はそんなことをいって、しきりに面白がっていた。

「因縁生」武林夢想庵(1918年)

かつて、内地の人たちは、北海道に遠いロシアを見たらしい。
札幌が「エキゾチックな街」と呼ばれた、ひとつの理由だろう。
雪景色さえ珍しい内地人には、北海道もロシアも同じようなものだったに違いない。

僕は、札幌の街に、遠い北欧の街を見ることがある。
夏の長い夕暮れや冬の早すぎる日暮れは、どこか北欧の小さな街を思わせるのだ。
中心部から少しだけ離れた、静かな街の片隅で夕暮れを迎えたとき、そんな気持ちがいよいよ強くなる。

思うに、街歩きというのは、どれだけ夢を見ることができるかということだ。
それは、遠い昭和初期の札幌の街でもいいし、遠いフィンランドの小さな田舎町でもいい。
想像力を存分に働かせて、僕は札幌の街に様々な夢を見ている。

そうして街を見ることで、何かしら新しい発見というものがあったりするのだから。


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by kels | 2016-12-04 20:38 | 札幌のこと | Comments(0)

この街が誕生した明治以降の時代であれば、札幌が描かれていない時代はない

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札幌開拓の経営は、明治二年十一月十日に始まった。
その年はことのほか積雪が少なく、寒気が過酷であった。
秋が深くなって、例年なら雪が来るのに関らず、深い霜が降り、夜毎に彼等を悩ました。

「札幌開府」寒川光太郎(1941年)

札幌を舞台とした小説は数限りないと思われる。
日本にして日本にあらずの北の島の都市である。
内地の人々を惹き付けるだけの、不思議な魅力を持っていた。

だから、札幌を舞台とした小説は、いつ、どの時代にも生まれた。
明治、大正、昭和初期(戦前)、戦後、そして現代。
この街が誕生した明治以降の時代であれば、札幌が描かれていない時代はない。

その中で、最も古い時代の札幌を描いたものは、開拓時代の札幌を描いたものということになる。
例えば、寒川光太郎の「札幌開府」は、まさしく島判官が札幌の街を築き上げようとする、その瞬間を描いている。
小説の舞台となった「札幌」としては、最も古い部類に属するものだろう。

「静かな夜じゃな、いつもこうかな蝦夷地は」
暫くしてぽつりと判官が口を切った。
「はあ、今宵あたりは雪かもしれませぬ」

「札幌開府」寒川光太郎(1941年)

冬が近づく季節になると、決まって僕は島判官のことを思い出す。
間もなく長い冬が訪れようとしている未開の蝦夷地で、彼は何を見たのだろう。
物語は限りない妄想を、僕たちに与えてくれる。


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by kels | 2016-11-28 20:44 | 札幌のこと | Comments(0)

どんな街にも郷土の歴史に詳しい人がいて、僕はそんな老人になりたいなあと思う

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札幌の、したがって北海道の国道起点(北海道道路原票)は、北一条西四丁目交差点の中心にある。
ここから西へ行けば第五号線札樽国道であり、東すれば旭川へ通ずる第十二号線、南は室蘭に至る第三十六号線である。
この地点の、一日の自動車通行量は二万台にも上る。
東京丸の内の一角を、そのままここに移したかとも思われる。
「東京都札幌区」あるいは「リトルトーキョー」と称されるゆえんのひとつである。

「さっぽろ百景」五十嵐久一(1965年)

何とか百景というのものが好きだ。
昭和2年には「日本百景」というものが選定されたという。
以来、日本中のあちこちで「百景」が誕生したことだろう。

古本屋で見つけた「さっぽろ百景」は、昭和40年にタイムス観光から発行されたもの。
北海道は、昭和43年に開道百年を迎えている。
大きな時代の節目を迎えて、札幌に対する再評価が進んでいた時代に違いない。

この本の中には、昭和40年当時の札幌の百景が登場する。
馬フン風、五番館、サンデパート、つぶ焼き、琴似町、手稲温泉、弾丸道路。
今では懐かしくなってしまった「百景」も少なくない。

本当は、そのひとつひとつを追いかけて、2016年の札幌と比較してみたいと思う。
だけど、百景を紹介するには100回の更新が必要で、日常の更新さえままならない現状では現実的ではない。
札幌研究を生業にできたら、そういうことも可能なのかもしれないが(笑)

ちなみに、僕の将来の夢は郷土誌研究家である。
どんな街にも郷土の歴史に詳しい人がいて、僕はそんな老人になりたいなあと思う。


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by kels | 2016-11-23 07:36 | 札幌のこと | Comments(0)

「Pokémon GO」札幌老舗カフェ「苺館」がポケストップに指定されました

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貴重な夏休みの一日、普段の週末にはあまり行かないところへ行こうと思い、久しぶりに「苺館」まで行ったのですが、実に驚きました。
苺館が「Pokémon GO」のポケストップに指定されていたのです。
「Pokémon GO」インストール以来の最大の驚きです(笑)

「苺館」は、札幌市内でも老舗の人気喫茶店ですが、観光客の訪れるような店ではありません。
どちらかと言えば、ひっそりとしていて、知る人ぞ知る名店といった雰囲気の店です。
隠れ家的っぽくない隠れ家カフェが、まさしくここです。

そんなカフェがポケストップだったなんて!
おかげさまで、食事の間中ずっとモンスターボールを貯めまくりでした。

以上、「Pokémon GO」に興味のない方には興味のない小ネタでした。

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by kels | 2016-08-05 19:44 | 札幌のこと | Comments(0)

昭和3年、北海道で初めてのラジオ放送が始まった

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「Pokémon GO」を始めて一週間経った。

このゲームは、モンスターボールをポケモンにぶつけてゲットしていくゲームだが、モンスターボールは、街の中に設定された「ポケストップ」と呼ばれる場所を実際に訪れて入手しなければならない。
ポケストップは主要なモニュメントなどに指定されている場合が多いが、意外なものがポケストップに指定されている場合もあったりしておもしろい。
実際に街を歩くことで再発見できる札幌もあるということだろう。

写真は中島公園に設置されたNHKの放送記念碑である。

日本のラジオ放送が始まったのは大正14年のことで、翌15年には日本放送協会の北海道支部が設立され、昭和3年、北海道で初めてのラジオ放送が始まった。
ラジオ放送に必要な施設である「演奏所」は、中島公園の豊水通り沿いに設置された。
演奏所の隣には中島球場があったらしい。

放送初日のプログラムには、天気予報、ニュース、音楽娯楽、料理放送などがあった。
ちなみに、現在も続いている朝のラジオ体操の全国放送は昭和4年に開始されているが、札幌でのローカル放送は昭和3年から始まっていたそうである。
札幌師範学校の教官が、毎朝体操指導を行ったらしい。

この中島公園の演奏所はテレビ時代が訪れて、大通にNHK放送局が開設されるまで活躍した。


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by kels | 2016-07-31 08:05 | 札幌のこと | Comments(0)

街を歩くと、意外なところで昔の札幌の街並みを発見する

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街を歩くと、意外なところで昔の札幌の街並みを発見する。
例えば、道路工事現場の壁を利用した札幌の昔の街並み写真展。
発注側も受注側も頑張っているということだろうか。

だけど、どうして昔の街の写真なんだろうと、素朴に考えてみる。
過去への懐かしさなのか、誇りなのか、あるいは決別なのか。
新しい街を作ろうとしている工事現場に突然現れた昔の札幌の街並みの写真。

昔は良かったね、ということなのか。
きれいで便利な街になったね、ということなのか。
その答えは、きっと人それぞれによって違うはずだ。

大切なことは、過去の積み重ねの中に現在があるということだ。
現在の札幌も未来の札幌も、間違いなく過去の札幌の積み重ねの中にある。
僕たちは積み重ねられた時間の上を未来に向って歩き続けている。

もうひとつ大切なことは、そんな過去の歴史を、決して忘れたりはしないということだろう。


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by kels | 2016-07-30 22:39 | 札幌のこと | Comments(0)

街を歩くほどに、僕は札幌が好きになっていく

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彼は別に為すべき仕事がないからやむをえず散歩したのではない。
自ら進んで観察しようと企てたのだ。
しかるに私は別にこれといってなすべき義務も責任も何にもないいわば隠居同様の身の上である。
その日その日を送るになりたけ世間へ顔を出さず金を使わず相手を要せず自分一人で勝手に呑気にくらす方法をと色々考案した結果の一ツが市中のぶらぶら歩きとなったのである。

「日和下駄」永井荷風(1915年)

札幌にも桜が咲いたということで、久しぶりに散策に出かけた。
カメラを持って、荷風気取りの札幌日和下駄である。
散策なくして、何が己の日和下駄。

ススキノから大通公園、札幌駅まで北上していく。
冬に散策をしなくなったのは、往来に人がいないという理由も大きい。
どれだけ地下通路が発達しても、ストリートスナップは往来でなければつまらないと思う。

天気がいいので、さすがに地上を歩く人たちの姿も多い。
地上には、地下通路では見えない札幌の歴史や文化がある。
古い時代を偲びながら歩くのが、日和下駄流の散策というやつである。

カメラを持って歩くと、街の小さな変化が見えてくる。
人々の流行が見えてくる。
古い時代と新しい時代の軌跡が見えてくる。

歴史が浅い街なりに、札幌も小さな歴史を刻み続けてきた。
2018年には開道150年を迎えようとしている。
150年分の歴史の上を、僕たちは歩き続けているのだ。

もう少しきちんと、この街と向き合わなければ、と僕は思う。
僕の知らない歴史が、この小さな街にはまだまだ無数に隠されているのだから。
街を歩くほどに、僕は札幌が好きになっていく。


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by kels | 2016-04-24 20:18 | 札幌のこと | Comments(0)