カテゴリ:随想( 874 )

僕と祖母は手をつなぎながら、碑難所である公民館のような施設まで歩いた。

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毎日、雨降りが続いている。
故郷の街では避難勧告が出されているくらいだ。
何十年ぶりだろう、こんなひどい雨というやつは。

そのとき、僕は夏休みを利用して祖母の家に泊まり込んでいた。
北海道にもひどい台風が来た年のことだ。
何をすることもなく、僕はただ窓の外の景色をぼんやり眺めていた。

住宅街の脇を小さな川が流れていた。
祖母の家は、その川から随分離れた内側にあった。
川まで数分歩かなければならないほどだ。

その午後、川が氾濫して水が溢れた。
川の水は最初遠くの住宅を浸水していたが、少しずつ祖母の家まで近づいていた。
川の水が寄せてきる様子を、僕はただじっと眺めていた。

近所の人たちは大騒ぎをしながら集まってきて、一階にある家具やら畳やらを2階に上げた。
今や避難勧告が出されていた。
流されないように重い荷物を背負った方がいい、と誰かが言った。

僕は布団を担いで、祖母と一緒に家を出た。
水は子どもの太股くらいまで達していた。
僕と祖母は手をつなぎながら、碑難所である公民館のような施設まで歩いた。

碑難所には、既に多くの住民が集まっていた。
お握りが配給されて、僕らは川の水が引くのを待った。
国道が決壊していて自動車も通れないという噂が広まっていた。

僕の父が迎えに来たのは、その夜のことだ。
半壊していた国道を、担当者の人の誘導で通してもらえたらしい。
おおらかな時代で、おおらかな街だったのだろう。

あれから長い時間が経ち、祖母は亡くなり、祖母の家も人出に渡った。
そして今年、久しぶりに避難勧告が出ている。
夏の終わりの、こんな季節だった。


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by kels | 2016-08-21 06:59 | 随想 | Comments(5)

夏の夜っていうのは、何だか特別な感じがする

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僕は髭を剃り、シャワーを浴びてから、外に出て朝の街を散歩し、それからまたダンキン・ドーナツに入ってドーナツを食べ、コーヒーを二杯飲んだ。
街は出勤する人々で溢れていた。
そういう光景を眺めていると、僕もまた仕事を始めなくてはならないという気持ちになった。

「ダンス・ダンス・ダンス」村上春樹(1988年)

夏の夜っていうのは、何だか特別な感じがする。
ただ、夏の夜というだけなのに。


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by kels | 2016-07-10 05:57 | 随想 | Comments(0)

昨日、自分のブログを見て驚いた。6月に書かれた記事が、ほとんどないのだ。

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仕事とは何かと悩む人が多いという。
自分はこう考える。
仕事とは自分以外の他人のために尽くし抜くことだ。

「くちぶえカタログ」松浦弥太郎(2005年)

昨日、自分のブログを見て驚いた。
6月に書かれた記事が、ほとんどないのだ。
おそらく、このブログを始めて以来の最大の更新回数の少なさに違いない。

6月は、僕が1年の中で最も好きな季節だ。
その季節に、僕はほとんど写真を撮らなかった。
気持ちにも時間にも余裕がなかったことは確かだ。

それでも暮らしの隙間隙間で、最低限の写真くらいは撮っているつもりだった。
どちらかと言えば、部屋の中でパソコンと向き合う時間が少なかったのだろう。
いずれにしても、僕は寂しい気持ちになるしかなかった。


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by kels | 2016-07-03 05:16 | 随想 | Comments(0)

僕が初めてジャック・ケルアックの「路上」を読んだのは、15歳のときだ

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自分は18歳のとき初めて「路上」を読み、そこに自分の知らなかった自由を見つけた。
「誰でもが自由にどこへでも行けるどんな道もある」
自由とは「良識と良心」である。

「くちぶえカタログ」松浦弥太郎(2005年)

気が付けば、自分のライフスタイルも随分変わったなあと思う。
仕事に費やす時間が大幅に増え、どうでもいいような趣味に費やす時間は大幅に減った。
自分でも意外な感じがするが、それが年齢を重ねるということなのかもしれない。

遊びに出かける時間も写真を撮り歩く時間も減った。
平日の夜にブログを更新することは難しくなり、週末にどうにか日記を書くくらいのものだ。
古い記事を読むと、どうしてこんなに時間があったのだろうと、不思議に思えるくらいだ。

僕が初めてジャック・ケルアックの「路上」を読んだのは、15歳のときだ。
誰もが憧れるように自由な生き方に憧れたけれど、結局、僕は自由に生きる道を選らばなかった。
自由に選択した結果が、自由ではない道だったのかもしれない。


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by kels | 2016-07-02 05:25 | 随想 | Comments(0)

あるいは、古い遺跡みたいに更新の途絶えたブログの残骸だけが残ったのかもしれない

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桜の樹の下には屍体が埋まつてゐる!
これは信じていいことなんだよ。
何故つて、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことぢやないか。

俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だつた。
しかしいま、やつとわかるときが来た。
桜の樹の下には屍体が埋まつてゐる。
これは信じていいことだ。

「桜の樹の下には」梶井基次郎(1928年)

桜の季節になると、僕は情報技術の急速な進展を思わずにいられない。
こういうことを書くと、年寄り臭くて好きではないけれど、この感覚は本当である。
時代は間違いなく進化している。

少し前まで、個人の情報発信ツールはブログが中心だった。
だから、「札幌のどこそこで桜が開花した」などという話も、みんな当然ブログで発信していた。
情報を探すのも得るのも、ブログが中心の時代だったのだ。

だから、その頃は、帰宅してできるだけ早くに記事を書くことに意義があった。
普通のホームページに比べて、ブログは格段に更新の利便性が高い。
すごい時代になったものだと、誰もが感じていた。

「時代が変わった」と思ったのは、ツイッターが登場したときのことだ。
新しい情報が、いつでも、どこでも、簡単気軽に発信できるようになった。
もはや、ブログにスピードが求められる時代ではなかった。

常に新しい情報が発信され続けている社会において、ブログを急いで更新する意義なんて、ほとんどなくなってしまった。
世の中から、多くのブログがどんどん消えていった。
あるいは、古い遺跡みたいに更新の途絶えたブログの残骸だけが残ったのかもしれない。

今の時代に、わざわざブログを更新する意義があるのだとしたら、それは情報量の多さしかないと、僕は考えている。
簡単な情報ならツイッターでいいし、写真だけであればインスタグラムでもいい。
情報のボリュームがなければ、もはやブログの存在意義などないに等しい。

桜の写真を撮っては、せっせとアップしていた、あの時代が懐かしいなあ(笑)


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by kels | 2016-04-24 05:13 | 随想 | Comments(0)

自分はいつまでも札幌の、あるいは北海道の旅人でありたい

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地方に行くと、何處の町にも、何處の村にも、都會の生活に憧がれて仕事に身の入らぬ若い人達がゐる。
私はよくそれらの人達の心を知つてゐる。
さうして悲しいと思ふ。

「田園の思慕」石川啄木(1910年)

季節が暖かくなってきたので、そろそろ散策を始めようかと考えている。
散策をするときの楽しみは、先人の痕跡を辿ることである。
僕の場合であれば、文学散歩や建築散歩などが、もっとも楽しい。

知っているようでいて、案外と知らないのが、自分の暮らす街である。
経験的に、僕はそのことを知っているから、なおさら、自分の暮らす街を歩いてみたいと思う。
歩けば新しい発見のあるのが、街であり、散策というものなのだ。

本を読むことも、新しい発見であり、知識の散策である。
本を読んで街を歩けば、楽しみは一層に倍増する。
誰の得でもない、自分の好奇心を満たすための小さな旅である。

自分はいつまでも札幌の、あるいは北海道の旅人でありたい。


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by kels | 2016-04-17 18:43 | 随想 | Comments(0)

髪を切ってもらいながら、僕はスタイリストさんとの世間話を楽しんでいる

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女が髪を切るとき、という平凡な言葉に、私は過剰な意味を持たせたくないです。
切りたくなれば切る。
ただそれだけのことですけど、切ることに意味が託されている場合というものも、確実にあるのよ。

「道順は彼女に訊く」片岡義男(2001年)

月に1度、髪を切りに出かけている。
僕の髪を切るのは、いつでも同じスタイリストさんだ。
この店に通うようになって、もうすぐ2年が経とうとしている。

「本当は先生になりたいと思っていたんですよね」と、彼は言った。
大きな鏡の中で彼は、真剣な表情でハサミを動かし続けている。
「だけど、高校のときに、全然勉強ができなくって」

髪を切ってもらいながら、僕はスタイリストさんとの世間話を楽しんでいる。
日頃、とても狭いビジネスの世界で生きているから、仕事に関係のない話がとても楽しい。
彼と会話をしていると、頭の中がとてもクリアにリフレッシュされるのが分かる。

「高校を卒業して、すぐに働きたいとは思わなかったんですよね」と、彼は笑う。
「気軽な気持ちで専門学校に行って、気軽な気持ちで、この業界に入りました」
そうしてもう10年が経とうとしている。

彼の仕事は、とてもプロフェッショナルだ。
流行の研究だけではなく、経営に関する分析も、実にしっかりとしている。
髪を切ってもらいながら、僕は美容室経営に関するいろいろなことを彼から学んでいる。

「気軽に始めた分だけ、長続きしているのかもしれません」と、彼は言った。
「職業に対する期待と現実とのギャップみたいなものもありませんでしたから」
大きな夢を抱いてプロになった若者ほど、期待と現実とのギャップに耐えられないのではないかと、彼は考えている。

生きている世界も、世代も違うけれど、僕は彼を尊敬している。
あるいは、職業も世代も違うからこそ、僕らは互いを認め合えるのかもしれない。


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by kels | 2016-04-16 21:50 | 随想 | Comments(0)

ずっと昔、一度だけ、僕も二十三歳だった。

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「ジ・イアリングス・クッド・ルック・アウト・オヴ・プレイス・オン・ア・ガール・オヴ・セヴンティーン。
ゼイ・メイ・テンド・トゥ・スタンド・アウト」
「二十三歳の人です」
「ずっと昔、一度だけ、私も二十三歳だったのよ。
でもあと三年で時代は一九六〇年で、私は五十歳よ。
ブリング・ザ・ガール・ヒア。」

「東京青年」片岡義男(2002年)

23歳になったとき、僕はビジネスマンだった。
社会人となって、まだ数か月で、生きることが手探りだった時代。
学生のころとは、確かに違う世界がそこにはあった。

自分なりに一生懸命に頑張って生きていたと思う。
少しづつ仕事を覚え、仲間たちと親しくなり、ガールフレンドも何人かできた。
心にもないおべんちゃらを言うことも、酔っ払って上役の悪口を言うことも、取引先の女の子を口説くことも覚えた。

きっと、何もかもに一生懸命だったのだと思う。
生きることに自信がなくて、生きていくための自信を得るために必死だったのだ。
学生時代の友人たちが、次々と社会に溶け込んでいく様子を隣で見つめながら。

結局、「そこが自分の居場所ではない」と気が付くまでに、2年かかった。
2年かかって積み上げたものを、僕は全部放り出して逃げだした。
会社という仕組みの中からも、社会という枠組みの中からも。

あれから、随分と長い時間が経った。
人生に正解なんてないと知っているけれど、少なくとも後悔だけはしなかった。
難しい場面では、いつでも自分自身で決断したからだ。

ずっと昔、一度だけ、僕も二十三歳だった。


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by kels | 2016-04-16 07:12 | 随想 | Comments(2)

別れの挨拶と初対面の挨拶をするだけで、この季節は相当の時間とエネルギーを消耗する

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先夜、私は大酒を飲んだ。
いや、大酒を飲むのは、毎夜の事であって、なにも珍らしい事ではないけれども、その日、仕事場からの帰りに、駅のところで久し振りの友人と逢い、さっそく私のなじみのおでんやに案内して大いに飲み、そろそろ酒が苦痛になりかけて来た時に、雑誌社の編輯者が、たぶんここだろうと思った、と言ってウイスキー持参であらわれ、その編輯者の相手をしてまたそのウイスキーを一本飲みつくして、こりゃもう吐くのではなかろうか、どうなるのだろう、と自分ながら、そらおそろしくなって来て、さすがにもう、このへんでよそうと思っても、こんどは友人が、席をあらためて僕にこれからおごらせてくれ、と言い出し、電車に乗って、その友人のなじみの小料理屋にひっぱって行かれ、そこでまた日本酒を飲み、やっとその友人、編輯者の両人とわかれた時には、私はもう、歩けないくらいに酔っていた。

「朝」太宰治(1947年)

年度末だからというわけでもなく、忙しい日々が続いている。
無茶なプロジェクトを同時進行的にいくつも立ちあげてしまったのが、そろそろ病み始めているのだ。
しかも、本当の悲劇は、まだ始まってさえいない(笑)

そういう仕事の話とは関係なく、世の中は新しい年度を迎えた。
僕の周囲でも、たくさんの人の姿が消えて、新しい人が登場した。
別れの挨拶と初対面の挨拶をするだけで、この季節は相当の時間とエネルギーを消耗する。

正直に言って、挨拶している時間が惜しいくらいに忙しいと思うこともある。
だけど、日本人は律義で義理を大切にするから、丁寧に「お世話になりました」と挨拶をして回らなければいけないと信じている。
次々に訪れる訪問客の相手をしているだけで、3月は終わってしまったような気がする。

夜は夜で、送別の宴の誘いが次々と舞い込んでくる。
酒は飲めなくても、別れを惜しむ気持ちに変わりはない。
気の置けない仲間たちとの飲み会であれば、気持ちの安らぎを感じることさえある。

そうして忙しい毎日を過ごすのが、日本人というやつの3月なのだろう。
そんなふうにして、僕の3月も終わった。
何も残さず、降った雪が溶けていくようにして。


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by kels | 2016-04-02 06:42 | 随想 | Comments(0)

北海道新幹線の開業は、北海道に莫大な恩恵をもたらすことだろう

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じいさんに続いて降りた者が四人ほどあったが、入れ代って、乗ったのはたった一人ひとりしかない。
もとから込み合った客車でもなかったのが、急に寂しくなった。
日の暮れたせいかもしれない。
駅夫が屋根をどしどし踏んで、上から灯のついたランプをさしこんでゆく。
三四郎は思い出したように前の停車場(ステーション)で買った弁当を食いだした。
車が動きだして二分もたったろうと思うころ、例の女はすうと立って三四郎の横を通り越して車室の外へ出て行った。
この時女の帯の色がはじめて三四郎の目にはいった。
三四郎は鮎の煮びたしの頭をくわえたまま女の後姿を見送っていた。

「それから」夏目漱石(1908年)

昨日、とうとう北海道新幹線が開通した。
こんなに大騒ぎするのかと思うくらいに、北海道では大騒ぎだった。
初めて新幹線が来るときというのは、どこでもこんなものなのかもしれない。

はじめに、その朝の朝刊を受け取ったとき、その重さに驚いた。
戦争が始まったって、こんなに重い新聞はないだろうと思うくらいに厚くて重い。
新幹線特集の別冊が付いているのだ。

札幌駅では、新幹線開業のイベントを始めようとしているところだった。
道行く人たちに、記念の何かを配っている。
新しい時代が到来するという、その瞬間の火花みたいなものを確かに感じた。

テレビニュース風に言えば、「新幹線フィーバーに沸く地元」といったところだろう。

一方で、札幌の街は案外と静かだ。
新幹線が通るのは札幌ではなくて函館までである。
多くの市民にとっては、300キロメートルも離れた遠い街のニュースの一つに過ぎないのかもしれない。

それにしても、と僕は思う。

昭和を振り返るとき、新幹線の誕生は間違いなくひとつの時代の節目だった。
文明がひとつの階段を上ったと思わせてくれる歴史的な事件だった。
鉄道の旅は、新幹線の登場によって新しい時代を迎えた。

同時に、失われていくものの多さを、人々はちゃんと知っていた。
それは、昭和への懐旧の気持ちというだけではなかったような気がする。
うまく説明することは難しいけれど。

なにはともあれ、北海道は新しい時代の幕を開けた。
北海道新幹線の開業は、内地と北海道との距離を縮め、北海道に莫大な恩恵をもたらすことだろう。
(と新聞に書いてあった)

北海道開拓の歴史のページが、またひとつ追加されたということか。


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by kels | 2016-03-27 06:18 | 随想 | Comments(2)