カテゴリ:随想( 877 )

まさかホームページの開設を懐かしく振り返る時代が来るなんてね(笑)

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通信会社から郵便物が届いた。
「ホームページサービス終了」のお知らせとある。
これもひとつの時代の転換期なんだろうと思った。

僕が初めてホームページなるものを開設したのは1997年のことである。
当時は社会的に「パソコンブーム」なるものがあった。
自分のホームページを持つことは、かなり先進的な取組でもあったのだ。

なにしろ、その頃にホームページを開設することは、それなりの苦労を伴った。
インターネットに接続することが、初心者にとっては非常に専門的な知識と技術を必要とするように感じられた時代だ。
自分のホームページを開設するまで、いくつかの本を読んで勉強し、準備に1か月以上の時間をかけた。

1997年7月1日に「North Country」なる釣りとアウトドアのサイトを開設した。
北海道の釣り情報に関するホームページなんて、非常に限られていたから、アクセス数は順調に伸びた。
いくつかの新聞でも紹介され、BE-PALのウエブサイト特集でも取り上げられた。

とにかく、いろいろな技術を使うために知識が求められたから、パソコン雑誌を読んで一生懸命に勉強した。
自動的に流れる音楽、動くアニメーション、電光掲示のように流れるメッセージ、アンケートフォーム。
考えてみると、当時はホームページの更新に相当の時間を費やしていたように思う。

今、時代はスマホであり、SNSであり、難しい技術や知識を求められることはない。
誰もが簡単に一瞬で最新の情報を発信することができるようになった。
ホームページサービスの終了のお知らせは、ある意味で当然のことなのだろう。

それにしても、まさかホームページの開設を懐かしく振り返る時代が来るなんてね(笑)


by kels | 2017-06-04 07:25 | 随想 | Comments(2)

ある日、僕は文章を書くことも写真を撮ることもできなくなっていた

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文章を書くことが、僕にとって生きることの一部だった。
自分の書いた文章を向き合うことで、僕は自分の生き方と向き合っていた。
自分の書いた文章に励まされながら、僕は生きた。

同じように、写真を撮ることが、僕にとって暮らしの中の一部だった。
自分の撮った写真を向き合うことで、僕は自分の暮らしと向き合っていた。
自分の撮った写真に慰められながら、僕は暮らした。

ある日、僕は文章を書くことも写真を撮ることもできなくなっていた。
何を書きたいのか、何を撮りたいのか、僕にはさっぱり分からなくなっていた。
僕はすっかりからっぼになっていたのかもしれない。

それから僕は、ひたすらに喫茶店に行ってコーヒーを飲んだ。
コーヒーを飲みながら、ひたすらにたくさんの本を読んだ。
渇き切った僕の中で、何かが満たされるのをひたすらに待ちながら。

きっと長い人生の中では、誰にでもそんな時期が訪れるのではないだろうか。
焦っても悩んでも苦しんでも、渇いた砂の中からは何も生まれない。
ただひたすらに、自分の心に水を与え続け、新しい芽が生まれてくるのを待つしかないと、僕は信じている。

by kels | 2017-05-28 16:46 | 随想 | Comments(6)

僕と祖母は手をつなぎながら、碑難所である公民館のような施設まで歩いた。

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毎日、雨降りが続いている。
故郷の街では避難勧告が出されているくらいだ。
何十年ぶりだろう、こんなひどい雨というやつは。

そのとき、僕は夏休みを利用して祖母の家に泊まり込んでいた。
北海道にもひどい台風が来た年のことだ。
何をすることもなく、僕はただ窓の外の景色をぼんやり眺めていた。

住宅街の脇を小さな川が流れていた。
祖母の家は、その川から随分離れた内側にあった。
川まで数分歩かなければならないほどだ。

その午後、川が氾濫して水が溢れた。
川の水は最初遠くの住宅を浸水していたが、少しずつ祖母の家まで近づいていた。
川の水が寄せてきる様子を、僕はただじっと眺めていた。

近所の人たちは大騒ぎをしながら集まってきて、一階にある家具やら畳やらを2階に上げた。
今や避難勧告が出されていた。
流されないように重い荷物を背負った方がいい、と誰かが言った。

僕は布団を担いで、祖母と一緒に家を出た。
水は子どもの太股くらいまで達していた。
僕と祖母は手をつなぎながら、碑難所である公民館のような施設まで歩いた。

碑難所には、既に多くの住民が集まっていた。
お握りが配給されて、僕らは川の水が引くのを待った。
国道が決壊していて自動車も通れないという噂が広まっていた。

僕の父が迎えに来たのは、その夜のことだ。
半壊していた国道を、担当者の人の誘導で通してもらえたらしい。
おおらかな時代で、おおらかな街だったのだろう。

あれから長い時間が経ち、祖母は亡くなり、祖母の家も人出に渡った。
そして今年、久しぶりに避難勧告が出ている。
夏の終わりの、こんな季節だった。


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by kels | 2016-08-21 06:59 | 随想 | Comments(5)

鳥谷選手、連続フルイニング出場お疲れ様でした!

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まだまだ出せるものがあるのに、今年はプレーに気迫を感じなかった。
彼が引っ張ってもらわねば困る。
本人にも直接話をした。

鳥谷は、記録を優先させたい。
連続試合出場とフルイニング出場という記録を続けることがチームの勝利につながる。
その気持ちを大事にしてやりたいし、力を出せる。

この3年間、ネット裏から阪神を見てきたが、勝つ意識に欠けていたように思えた。
勝負への意識、勝利への執念を持ってもらいたい
。ファイティングスプリットが必要だと思う。
非常に野球にとってメンタルは大事なもの。
ムードを一層したいし、チームを変えるつもりでいる。

鳥谷には、鳥谷阪神と呼ばれるようなリーダーシップをとって
チームを優勝へと引っ張ってもらいたい。
それには結果で強さを見せなければならない。
ホームランが不可欠だ。
過去には20本を打ったこともあるんでしょう?
カネ(金本)は、『鳥谷は自分に負けないくらいの強い体を持っている』という。
なのに、なぜ、現役時代のカネ(金本)に比べてホームランが少ないのか。
今のフォームに原因があるのではないかと考えて、
強く打球を叩くための膝の使い方を伝えた。
おそらく彼も試してみるんじゃないだろうか。

今季35歳を迎える鳥谷は、すべての面でのキャリアハイ到達が目標だ。
ノルマは20本、20盗塁。
シーズンで20本塁打を記録したのは09年のみで、
20盗塁に関しては一度も達成していない。
11年連続フル出場を続けている鳥谷だが、金本監督いわく物足りなさを感じているようだ。

鳥谷クラスがやるプレーじゃない。
ああいうプレーはやっては駄目だ!

振りにシャープさがない。
このまま流れに任せるのではなく、自力で立て直さないと。
自分で這い上がってこないと。

フライを捕れんもん(だから)野球にならん。
(それが)2試合連続、プロ野球じゃない。
恥ずかしい。ありえない。高校生に笑われるわ。
何回目だ?フライで2試合落とすなんてありえない。
(これでは)勝てない。

主力がミスしたらダメだよ。若い奴を使ってるんだから。
若い奴の積極的なミスならまだあれだけど、サイン違いがあったり…。
野球にならん。使ってる俺が悪いんだけど。野球になりません。

まだまだ(自分の)タイミングで打てていない。
自分でなぜそうなるのか分析しないといけない。
自分で修正すること。
僕もコーチも含めて提案することもあるが、やるのは彼自身だ。

今の原口と打力を比べたときに、原口のほうが期待できるということでね。
本人が8番がイヤなら自分ではい上がって調整してくればいい。

工夫して考えて練習して、はい上がってくるしかない。
その手助けはいくらでもするし、8番も手助けのひとつ。
ノンプレッシャーで好きなように試せという意味の8番。
それでもなかなか上がってこないから、まっさらなところでという願いを込めての1番。

まだまだだね。自分のタイミングで打てていない。
トップをつくるのが遅い。

チャンスに弱いということ。力がない。
(借金2は)別にあまりそこは関係ないけど。これが実力だから。

最後は自分のね、いくら周りが手助けと言っても、最後はもう自分が考えて、
自分が迷路から抜け出すしかないんだから。
誰でもそうですけど。

だって他にいないやろ。
誰がいるの? 
誰かいるんやったら、オレに推薦してくれ。
そいつを使うから。

まだまだみんな力が出せていないですね。
ある程度自分の能力を出しているのは福留ぐらい。
メッセ(メッセンジャー)もよくなってきましたが、
それ以外は自分の持っている力の半分も出していない。
もっとできるはずなんで。
緊張感を持ったりとか気持ちの面とかを高めていって、
自分の能力が出せるようにやっていけばもっと勝てると思います。

じゃ誰(をスタメンで)いく?
調子を考えて、現状のベストを選んでいるつもりだし…。

相手が良かったとかいう以前の問題。
こっちも指示は出している。
同じボールを投げられて3球で終わる。
打者として恥やろ!

今の内海の状態で点が取れないようじゃ、どうしたらいいか分からん。

1打席目から9回二死満塁のつもりで全打席いけ!
もっと向かっていけ!

見てのとおり。気持ちというより技術が足りない。
何も変わっていない。

流れが悪いのは、誰が見てもそう。
これを打破するのは監督、コーチではなく選手個人、個人しかない。

マイナスの要素が多かったが、一番は打線のつながり。
ここまで打てないとは想像してなかった。
主力の鳥谷、ゴメスのここまでの不振は想定外。
考えられないミスも多かった。抑えもなかなか固定できなかった。

(九回の鳥谷は)何試合か前も同じようなことがあったので、
注意はしていたんですが…

俺も何試合か前に
『ちょっと危ないぞ』と注意したんだけどね、本人には。
まあ出たわね、きょう。

鳥谷? 何なんかね…。
何試合か前に(野選について)危ないぞ、と本人に注意してたんだけどね。
打つ方も見逃し(三振)2つでは上がり目が…。
かなり期待してるんだけど。まあ、見ての通り。

これだけけが人が出たりして、主力が減ってきているんだから。
(鳥谷が)やらないといけないし。打たないといけないし。
普通のノーバウンドをスルーとかしているようじゃあ、やっぱり…ダメだよね。

以前もスルーがあったけど。
気の緩みなのか、目とかの影響があるのか、ちょっとわからないけど。
そっからの2点は痛いわね。普通はスルーはしないけどね、普通は。
両方ともアウトのタイミングだっただけに。

果たして、打席の姿を見とったら悔しいとか思ってんのかな、と。
覇気とか向かっていく姿勢だとか。本当に伝わってくる選手がいない。
ある選手もいるけど。こういう展開でも何とか…と
食らいついて行く姿勢が出て来ないようでは、
何十年やっても、このチームは変わらないと思う。

それ(食らいつく姿勢)を出す努力はしているけど、結局やるのは選手だから。
悔しいとか思っているのかどうか。
本当に、腹の底からね。

これ以上、トリ(鳥谷)をさらし者みたいにするわけにはいかないし。
ちょっと時間を置いてね。
ベンチから見るとか、気持ちの面でそういう闘志というか、
前向きなメンタル的なものが出てくるまではちょっと時間を置いた方が。
まだ彼も若いし。ベテランじゃないし、中堅というか。体も若いし。

フルイニングは(自身の持つ)記録まであと6年ぐらいかかるんだよ。
連続試合出場はモチベーションのためにできる限りは続けてやりたいと思っている。
フルイニングはまだまだ残っている。それをどうこう言う方がおかしい(苦笑)




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by kels | 2016-07-24 21:44 | 随想 | Comments(0)

夏の夜っていうのは、何だか特別な感じがする

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僕は髭を剃り、シャワーを浴びてから、外に出て朝の街を散歩し、それからまたダンキン・ドーナツに入ってドーナツを食べ、コーヒーを二杯飲んだ。
街は出勤する人々で溢れていた。
そういう光景を眺めていると、僕もまた仕事を始めなくてはならないという気持ちになった。

「ダンス・ダンス・ダンス」村上春樹(1988年)

夏の夜っていうのは、何だか特別な感じがする。
ただ、夏の夜というだけなのに。


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by kels | 2016-07-10 05:57 | 随想 | Comments(0)

昨日、自分のブログを見て驚いた。6月に書かれた記事が、ほとんどないのだ。

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仕事とは何かと悩む人が多いという。
自分はこう考える。
仕事とは自分以外の他人のために尽くし抜くことだ。

「くちぶえカタログ」松浦弥太郎(2005年)

昨日、自分のブログを見て驚いた。
6月に書かれた記事が、ほとんどないのだ。
おそらく、このブログを始めて以来の最大の更新回数の少なさに違いない。

6月は、僕が1年の中で最も好きな季節だ。
その季節に、僕はほとんど写真を撮らなかった。
気持ちにも時間にも余裕がなかったことは確かだ。

それでも暮らしの隙間隙間で、最低限の写真くらいは撮っているつもりだった。
どちらかと言えば、部屋の中でパソコンと向き合う時間が少なかったのだろう。
いずれにしても、僕は寂しい気持ちになるしかなかった。


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by kels | 2016-07-03 05:16 | 随想 | Comments(0)

僕が初めてジャック・ケルアックの「路上」を読んだのは、15歳のときだ

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自分は18歳のとき初めて「路上」を読み、そこに自分の知らなかった自由を見つけた。
「誰でもが自由にどこへでも行けるどんな道もある」
自由とは「良識と良心」である。

「くちぶえカタログ」松浦弥太郎(2005年)

気が付けば、自分のライフスタイルも随分変わったなあと思う。
仕事に費やす時間が大幅に増え、どうでもいいような趣味に費やす時間は大幅に減った。
自分でも意外な感じがするが、それが年齢を重ねるということなのかもしれない。

遊びに出かける時間も写真を撮り歩く時間も減った。
平日の夜にブログを更新することは難しくなり、週末にどうにか日記を書くくらいのものだ。
古い記事を読むと、どうしてこんなに時間があったのだろうと、不思議に思えるくらいだ。

僕が初めてジャック・ケルアックの「路上」を読んだのは、15歳のときだ。
誰もが憧れるように自由な生き方に憧れたけれど、結局、僕は自由に生きる道を選らばなかった。
自由に選択した結果が、自由ではない道だったのかもしれない。


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by kels | 2016-07-02 05:25 | 随想 | Comments(0)

あるいは、古い遺跡みたいに更新の途絶えたブログの残骸だけが残ったのかもしれない

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桜の樹の下には屍体が埋まつてゐる!
これは信じていいことなんだよ。
何故つて、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことぢやないか。

俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だつた。
しかしいま、やつとわかるときが来た。
桜の樹の下には屍体が埋まつてゐる。
これは信じていいことだ。

「桜の樹の下には」梶井基次郎(1928年)

桜の季節になると、僕は情報技術の急速な進展を思わずにいられない。
こういうことを書くと、年寄り臭くて好きではないけれど、この感覚は本当である。
時代は間違いなく進化している。

少し前まで、個人の情報発信ツールはブログが中心だった。
だから、「札幌のどこそこで桜が開花した」などという話も、みんな当然ブログで発信していた。
情報を探すのも得るのも、ブログが中心の時代だったのだ。

だから、その頃は、帰宅してできるだけ早くに記事を書くことに意義があった。
普通のホームページに比べて、ブログは格段に更新の利便性が高い。
すごい時代になったものだと、誰もが感じていた。

「時代が変わった」と思ったのは、ツイッターが登場したときのことだ。
新しい情報が、いつでも、どこでも、簡単気軽に発信できるようになった。
もはや、ブログにスピードが求められる時代ではなかった。

常に新しい情報が発信され続けている社会において、ブログを急いで更新する意義なんて、ほとんどなくなってしまった。
世の中から、多くのブログがどんどん消えていった。
あるいは、古い遺跡みたいに更新の途絶えたブログの残骸だけが残ったのかもしれない。

今の時代に、わざわざブログを更新する意義があるのだとしたら、それは情報量の多さしかないと、僕は考えている。
簡単な情報ならツイッターでいいし、写真だけであればインスタグラムでもいい。
情報のボリュームがなければ、もはやブログの存在意義などないに等しい。

桜の写真を撮っては、せっせとアップしていた、あの時代が懐かしいなあ(笑)


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by kels | 2016-04-24 05:13 | 随想 | Comments(0)

自分はいつまでも札幌の、あるいは北海道の旅人でありたい

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地方に行くと、何處の町にも、何處の村にも、都會の生活に憧がれて仕事に身の入らぬ若い人達がゐる。
私はよくそれらの人達の心を知つてゐる。
さうして悲しいと思ふ。

「田園の思慕」石川啄木(1910年)

季節が暖かくなってきたので、そろそろ散策を始めようかと考えている。
散策をするときの楽しみは、先人の痕跡を辿ることである。
僕の場合であれば、文学散歩や建築散歩などが、もっとも楽しい。

知っているようでいて、案外と知らないのが、自分の暮らす街である。
経験的に、僕はそのことを知っているから、なおさら、自分の暮らす街を歩いてみたいと思う。
歩けば新しい発見のあるのが、街であり、散策というものなのだ。

本を読むことも、新しい発見であり、知識の散策である。
本を読んで街を歩けば、楽しみは一層に倍増する。
誰の得でもない、自分の好奇心を満たすための小さな旅である。

自分はいつまでも札幌の、あるいは北海道の旅人でありたい。


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by kels | 2016-04-17 18:43 | 随想 | Comments(0)

髪を切ってもらいながら、僕はスタイリストさんとの世間話を楽しんでいる

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女が髪を切るとき、という平凡な言葉に、私は過剰な意味を持たせたくないです。
切りたくなれば切る。
ただそれだけのことですけど、切ることに意味が託されている場合というものも、確実にあるのよ。

「道順は彼女に訊く」片岡義男(2001年)

月に1度、髪を切りに出かけている。
僕の髪を切るのは、いつでも同じスタイリストさんだ。
この店に通うようになって、もうすぐ2年が経とうとしている。

「本当は先生になりたいと思っていたんですよね」と、彼は言った。
大きな鏡の中で彼は、真剣な表情でハサミを動かし続けている。
「だけど、高校のときに、全然勉強ができなくって」

髪を切ってもらいながら、僕はスタイリストさんとの世間話を楽しんでいる。
日頃、とても狭いビジネスの世界で生きているから、仕事に関係のない話がとても楽しい。
彼と会話をしていると、頭の中がとてもクリアにリフレッシュされるのが分かる。

「高校を卒業して、すぐに働きたいとは思わなかったんですよね」と、彼は笑う。
「気軽な気持ちで専門学校に行って、気軽な気持ちで、この業界に入りました」
そうしてもう10年が経とうとしている。

彼の仕事は、とてもプロフェッショナルだ。
流行の研究だけではなく、経営に関する分析も、実にしっかりとしている。
髪を切ってもらいながら、僕は美容室経営に関するいろいろなことを彼から学んでいる。

「気軽に始めた分だけ、長続きしているのかもしれません」と、彼は言った。
「職業に対する期待と現実とのギャップみたいなものもありませんでしたから」
大きな夢を抱いてプロになった若者ほど、期待と現実とのギャップに耐えられないのではないかと、彼は考えている。

生きている世界も、世代も違うけれど、僕は彼を尊敬している。
あるいは、職業も世代も違うからこそ、僕らは互いを認め合えるのかもしれない。


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by kels | 2016-04-16 21:50 | 随想 | Comments(0)