カテゴリ:札幌文化系コラム(雑貨コラム)( 12 )

012 世界風俗こけし人形

1970(昭和45)年といえば大阪万博が開催された年だ。
国際的な大イベントの開催を前にして、日本の関心は世界各国へと向けられ、それは小さなこけし人形の世界にも波及した。



昭和30年代に流行した各地のお土産こけしは、昭和45年の大阪万博を前にして、世界を舞台にしたこけしへと発展していく。
それが、「世界風俗こけし人形」シリースだった。
世界各国の民族衣装をまとったこけし人形は、万博開催を控えて高まる国際熱の中で流行した。

今も、フリーマーケットや骨董市などで見かけることは珍しくなく、当時の流行ぶりをうかがい知ることができる。
相場は、フリマで50円から、骨董屋でもせいぜい300円といったところ。
見つけるたびに少しずつ買い集め、いつの間にかAKB48ごっこができるくらいの数が集まった。



それぞれ個性的で美しいデザインだが、中でもお気に入りは「エスキモー」。
鮭と思しき青い魚をぶら下げているところが、特に素晴らしい。
多分に誤った文化観も散りばめられていると思われる本シリーズだが、このあたりの緩さが昭和的ということなのかもしれない。
by kels | 2011-05-01 21:40 | 札幌文化系コラム(雑貨コラム) | Comments(0)

011 沼田元気流「観光案内の世界」

乙女な視点での観光案内が人気の沼田元気さん。
これまでに発行されている各地の沼田元気的観光案内を振り返ってみよう。



■旅する少女の憩―箱根・湯河原篇

沼田元気的観光案内の源流がこれ。
箱根・湯河原を舞台にした「写真集」だった。
モデルの少女が妖しい色気を漂わせていて、写真集としても不思議な印象。
観光案内ではないが、後のスーベニイル・シリーズへと発展する可能性を秘めている。
1998年、京都書院。

■ぼくの伯父さんの東京案内

元祖・沼田流観光案内は、やっぱり「東京」だった。
「ぼくの伯父さん」が繰り広げる東京を舞台にした人生が、非常に魅力的に描かれている。
もちろん、これは単に「観光案内」と言って良いものではない。
一人の中年男性の生き様を通して見る「東京の可能性」なのだ。
2000年、求龍堂。

■横浜おでかけガイドブック-元祖写真絵本

ヌマ伯父さんが愛してやまない横浜編。
前作「ぼくの伯父さんの東京案内」に比べて、ずっと観光ガイド的な雰囲気が全面に出てきている。
とはいえ、ありきたりの観光ガイドではもちろんなく、ハーフサイズカメラのオリンパスペンFTで撮影された写真がノスタルジックな、「写真集的観光案内」である。
2002年、 青山出版社。

■一杯の珈琲を飲むためだけに行きたくなる札幌・小樽カフェ喫茶店案内

沼田流観光案内、札幌・小樽編は、思い切り「カフェ・喫茶店」をテーマに絞っている。
ただし、お店に関する余計なガイドは一切なし。
ヌマ伯父さんお勧めのカフェ・喫茶店の写真がズラリと並んでいるだけだ。
まずは一杯の珈琲を飲みに出かけてください、ということだろう。
おまけページに、札幌のお土産紹介コーナーあり。
2002年、ギャップ出版。

■東京スーベニイル手帖 ぼくの伯父さんのお土産散歩ブック

「スーベニイル手帖」シリーズの記念すべき第1弾。
「ぼくの伯父さんの東京案内」とは変わって、乙女な東京案内が満載。
まさしく、時代とヌマ伯父さんがぴったりと一致した瞬間ではないだろうか。
様々な試行錯誤の末に誕生した、究極の沼田元気流「観光案内」だ。
2003年、白夜書房。

■京都スーベニイル手帖 冬春編―ぼくの伯父さんの旅のお土産ブック
■京都スーベニイル手帖 夏秋編―ぼくの伯父さんの旅のお土産ブック

「スーベニイル手帖」シリーズ第2弾は「京都」だった。
しかも、充実の全2冊!
観光案内を季節で分けているあたりはさすが。
過去の出版物で培われたノウハウが、すべて発揮されていると言って良い、非の打ち所のない内容となっている。
ただし、過去のシリーズに見られた実験的な要素が薄れてしまったのは、ちょっと残念。
2004年&2005年、白夜書房。

■鎌倉スーベニイル手帖 ぼくの伯父さんのお土産散歩ブック

「スーベニイル手帖」シリーズ第3弾は「鎌倉」。
写真集的観光案内というスタイルがきっちりと完成されており、安定した仕上がり。
コンセプト的には「東京編」「京都編」を踏襲しており、スポットもお土産もこれ1冊でオーケーの完璧な内容。
2007年、白夜書房。

さあ、この後はいかなる「スーベニイル手帖」を、ヌマ伯父さんは見せてくれるのだろうか。
by kels | 2011-05-01 21:39 | 札幌文化系コラム(雑貨コラム) | Comments(0)

010 懐かしのエロジャケに酔いしれる

「エロジャケ」と呼ばれるカテゴリがある。
レコード・ジャケットの一種で、簡単にいえば「エロいデザインのジャケット」のことだ。
なにが「エロい」のかについては個人差があるため、好事家のみうらじゅんなどは「フェロモン・ジャケット」という言葉で1冊の本まで出している。
さすがに、こればかり集める気にはなれないけれど、昭和時代の哀愁を感じさせるエロジャケは、昭和好きには避けては通れない道には違いない。


興味本位でエロジャケを集めていくと、そこにはある一定の傾向が見えてくる。
すなわち、1970年代に作られたムード音楽とかイージー・リスニングとか呼ばれる音楽には、こうした類のジャケットが多い、ということだ。
逆に言うと、エロジャケを集めるという行為は、こうしたムード音楽のレコードを集めるという行為に発展していく。
さして興味もなかったはずなのに、今ではムード音楽そのものに対する関心が非常に強くなってしまった。

歌(ボーカル)のない演奏だけの音楽を、ずっと昔は「軽音楽」などと呼んでいた。
ジャンル不問、ジャズでもマンボでもブルースでもカントリーでも、すべては「軽音楽」という言葉でくくることができた。
少し時代が進み、「イージー・リスニング」という言葉が生まれた。
お店のBGMとして使われるような、気軽な音楽が次々と世に出されていく。


「イージー・リスニング」の中でも、特に甘いメロディのものが「ムード音楽」と呼ばれるようになった。
男女の間に、なにかしらのムードを漂わせる、甘い音楽だ。
ムードを高める細工は、レコード・ジャケットにも反映され、すこぶるムードある色気ムンムンのジャケットが作られるようになり、いつの間にか「ラブ・サウンズ」という言葉まで誕生した。

一方、成人男性の関心を高めるために、こうした「ムード音楽」系のレコード・ジャケットには、若い女性のヌードや水着の写真などが積極的に使われるようになり、「ムード音楽」はますます大人のための音楽として成熟していく。
しかし、時代の移り変わりが、性的表現の自主規制へと傾き始め、こうしたお色気系のレコード・ジャケットは1980年代に入って衰退する。
性的表現は性的世界の中でのみ生きる、閉鎖的な表現方法となったのだ。


表社会から姿を消してしまったものなので、「エロジャケ」には現代にない当時の柔らかい性風俗が溢れている。
単なる「エロ」にとどまらない哀愁が、写真のどこかに漂っている。
音楽分野としては、ほとんど相手にされていないものがほとんどだから、多くはゴミとして捨てられる運命である。
いろいろな理屈が、僕をゴミ漁りへと向かわせた。


今も僕は、あまり大きくない中古レコード店のセール品コーナーを覗いては、あの頃のままで意味深な微笑みを浮かべている女性のレコード・ジャケットを見つけては、1枚100円とか200円くらいのお金で連れ帰っている。
最近は「エロいもの」にあまりこだわりがなくなった。
ストレートにエロいもの以上に、妖しげな色気の漂うレコード・ジャケットのなんと多いことか。

かつて、世の多くのオジサンたちを元気づけたムード音楽の中の女性たちに、僕は心から「ありがとう」と言いたい。


by kels | 2011-05-01 21:38 | 札幌文化系コラム(雑貨コラム) | Comments(0)

009 卓上スタンド

「映画の昭和雑貨店」という本がある。
シリーズになっていて、全部で5冊くらいあったかもしれない。
内容はというと、昭和時代に製作された日本映画のシーンから、いかにも昭和的な事象を探し出すというもので、たとえば、「ミシン」や「夏祭り」「川遊び」「オルガン」「モダンガール」「医者の往診」など、映画の中のちっょとした小道具や情景を取り上げていて楽しい。
雑誌「サライ」に連載されていたものだが、こういう本を読むと、戦後の日本映画を見るときは懐かしい雑貨を探すような目になってしまうから不思議だ。

昭和20年代から30年代にかけての映画の中で、特に気になる存在のひとつに「卓上スタンド」がある。
昔の部屋といえば、四畳半の和室が精一杯のものだったから、そんな畳の上に小さな文机があり、文机の上にはカラフルなシェードの卓上スタンドが乗っている。
そんな光景がよく見られた。
あるいは、石原裕次郎のお相手のお嬢様が暮らしている豪邸などでは、贅沢な洋室のおしゃれな棚の上に、上品な卓上スタンドが美しい陰を作りだしていたかもしれない。
自分が子どもの頃には、こうした美しいシェードの卓上スタンドは既に生活の中になかったような気がするから、もう少し昔のインテリアだったのだろう。
洋風の生活様式を採り入れ始めた昭和30年代以降、こうした卓上スタンドは文化的な生活を表すひとつのステイタスだったのではないだろうか。

そういう特別な思い入れがあるためか、シェードのカラフルな卓上スタンドを見つけるたびにチェックする癖が付いた。
チェックのポイントはシェードの汚れ具合と金額だ。
数十年空気にさらされてきたシェードはかなり汚れやすく、美しい状態のシェードを探すことは思ったよりも難しい。
特に、昔のものはシェードが布製なので、一度汚れてしまうとなかなか復活しないという事情もある。
稀に、美しい状態のシェードを見つけたかと思うと、手の届かない金額だったりする。
商品を扱うお店にしてみれば、状態の良いモノが珍しいということは先刻承知なわけだから、それが金額に反映されても当たり前なのだ。
そういう事情を考慮したうえで、入手できそうな機会に少しずつ買ってきた卓上スタンドがいくつかある。
退屈な夜を楽しむための大切な小道具だ。

それにしても、昔のスタンドというのは眺めているだけで飽きないデザインをしている。
シェードの色やスタイルや台座のシルエットや、それらのいずれもが個性的で味わい深いデザインをしていると言っていい。
合理的で画一的なデザインにこだわった現代のものからは感じ取ることのできない「美しさ」がそこにはある。
たかが生活家電の電気スタンドである。
されど生活家電の電気スタンドとでも言いたいような魅力を輝かせて、数十年も昔の小さな照明は、今夜も退屈な夜を照らしてくれるのだ。



by kels | 2011-05-01 21:37 | 札幌文化系コラム(雑貨コラム) | Comments(0)

008 グリコのオマケ

ダンボール箱をひっくり返すと、小さなオモチャが無数に転がった。
どれも昭和の懐かしいオモチャである。
手にとって見れば、それらの多くはお菓子のオマケについてきたオモチャであることがわかった。
自分が幼い頃に手にした、あのオマケたちである。
まるで玉手箱のようなこのダンボール箱を、僕は僕とほぼ同年代の友人から譲り受けた。
彼女は、実に幼い頃からの小さなオモチャを捨てずに、コツコツと集め、ひとつのダンボール箱の中にしまっておいたのだ。
まるで、冬を前にしたエゾリスが木の実を少しずつ隠しておくように、幼い彼女はグリコのオマケをせっせと蓄えていたのだろう。

このダンボール箱を譲り受けてから相当の月日が経つけれど、僕はまだその全容を解明してはいない。
なにしろオモチャは無限に存在していたし、そのひとつひとつを手にとって確認していく作業は限りなく時間と神経を使う作業だったからだ。
だから、僕は本当に時々気の向いた時だけに、ダンボールの箱を開けてはひとつかふたつのオモチャを取り出して机の上に置いた。
ほとんどが昭和40年代のものであるオマケたちは、僕にとってリアルタイムの記憶を持つ。
そして、あの時代、グリコのオマケはまだ同世代の人間にとって共通認識を持てるアイテムのひとつだった。

久しぶりに箱を開けて、その中からいくつかのオモチャを取り出してみた。
個人的な好みのためか、生活道具のミニチュアに神経が集中する。
いつから僕は、こんなにママゴト道具が好きになってしまったんだろう。
小さな家具や楽器や乗り物をいくつか並べて、写真を撮る。
そんな作業を僕はしばらく繰り返していた。
なにしろ、オモチャは無限大にある。
それは必ずしも「比喩」とは言えないくらいに、オマケは無限大にあった。

子どもの頃、僕もきっと母親にグリコのキャラメルを買ってもらったはずだ。
そして、僕は必ずしもキャラメルだけが目的ではなくて、キャラメルに添えられた謎の箱の中身に惹かれてグリコのキャラメルを手にしたことだろう。
母親もそんな子どもの気持ちを分かっていながら、子どもにグリコを与えたに違いない。
あのときに買ってもらったグリコのオマケを、僕はいったいどうしたのだろう。
気が付いたときには消えている。
そんな存在がグリコのオマケだったのではないだろうか。

箱の中には、グリコのオマケ以外にも、様々なタイプのオモチャが入っていた。
きっと、不用なものは何ひとつないに違いない。
子供銀行のお金、プラスチックの指輪、動かない時計。
大人の真似をしたくて、背伸びした子ども達が憧れるものが、そこには数多くある。
そして、長い時間を経て、それらは大人が過去を夢見る道具として姿を変えていた。

もちろん、僕は箱の中身を、ここですべて紹介することはできない。
それだけでひとつのブログができるくらいにオモチャはあるし、僕はそこまでして、この箱の中身を解明しようとは思っていないからだ。
まるでひとつのタイムカプセルのようなこの箱を、僕はしばらくは謎のままに放っておいてもいいかなと思っている。
1年のうち、数日の退屈な夜に、僕は箱を開けるだけで良い。
箱の中の空気が入れ替わってしまわない程度に、僕はおまけの世界を楽しんでいる。



by kels | 2011-05-01 21:36 | 札幌文化系コラム(雑貨コラム) | Comments(0)

007 トリス紅茶

「トリス紅茶」というブランドの紅茶があったことを知ったのは、サントリーの公式ホームページを見たときのことである。
そのときは「トリス・ウイスキー」について、何かを調べていたときで、「トリス」というブランドにはウイスキー以前に紅茶やカレーなどの食品があったということを初めて知った。
もっとも、この「トリス紅茶」なるブランドが存在したのは戦前の話であって、現代ではもちろん名前さえ見かけることのないものである。
それでも、紅茶の好きな人間にとって、この「トリス紅茶」なるブランドは印象的に記憶に残った。

札幌の大通公園では、毎年お盆の時期に夏祭りが開催されて、人々が盆踊りを踊っている横で骨董店や雑貨店などが露店を並べる。
札幌で骨董の夜店というのは珍しいから、僕はこの夏祭りの露店を冷やかして歩くのが大好きだった。
露店は昼から営業しているのだけれど、僕はわざわざ日が暮れる時間を選んで大通公園に出かけ、裸電球をぶら下げた骨董の夜店を一軒一軒訪ねて歩いた。
ほとんどは顔なじみの骨董商だったけれど、夜店で出会う彼らはまた別の人たちのようにも見えたものだ。

ある一軒の夜店で、僕は戦前のものと思われる古い紅茶カップとシュガーポットを見つけた。
それは、特に目立つような飾り方ではなかったけれど、古いコーヒーカップを集めていた僕には、必然的な出会いであったかもしれない。
何気なくカップの底を見ると「トリス紅茶」と記されていた。
それは、僕がずっと以前にサントリーのホームページで見た、あの「トリス紅茶」のノベルティ製品だった。
顔なじみの女の子は、「ウイスキーのトリスと関係があるんですかね」と笑った。
紅茶カップもシュガーポットも1個500円で、僕は店に並んでいた「トリス紅茶」の食器をまとめて買った。
アンティークとの出会いは意外なところに転がっているものだ。

もっとも、僕が「トリス紅茶」の紅茶カップを手に入れたとはいっても、僕は「トリス紅茶」について何も知らなかった。
昭和初期、日本では数多くの国産紅茶ブランドが存在していたという。
そして、サントリー(当時は寿屋)の「トリス紅茶」もそんな時代の国産ブランドのひとつだった。
現在でも紅茶ブランドとして名高い「日東紅茶」の前身である「三井紅茶」の誕生が昭和2年のことで、このブランドは昭和5年に「日東紅茶」と名前を変えて、現在に至っている。

紅茶カップだけを眺めながら、僕は「トリス紅茶」について、様々なことを妄想していたけれど、それからしばらくして、僕はある骨董店で「トリス紅茶」との新しい出会いを見つけた。
それはとても不思議なことなのだけれど、夜店で紅茶カップを買った、あのお店だった。
僕が「トリス紅茶」のカップを買ったことを覚えていた女の子は、僕の顔を見るなり「トリス紅茶の空き缶が入ったんですよ」と言った。
「ボロボロなんですけれどね」と言いながら、彼女が見せてくれたのは、文字どおり「ボロボロ」になった「トリス紅茶」の空き缶だった。
「中に将棋の駒が入ってるんですよ。駒入れとして残ってたんですね」
確かに、こういう食品の使用済みパッケージが生き残るには、再利用以外に道はないだろう。
僕は、戦前の将棋の駒が入ったままの「トリス紅茶」の空き缶を、500円で買った。

北台湾の地味、気候は紅茶栽培に適するを知り、大正15年その苗種を印度(インド)セイロン島より台北・新竹両州に移植す。
後、台湾総督府の奨励により、昭和7年遂に優良紅茶を作るに成功し、初めてこれを市場に出す。


こうして、僕は「トリス紅茶」の姿を少しは知ることとなった。
もちろん、「トリス紅茶」の味を知ることは永遠にないかもしれないが、アンティークの楽しみを、僕はこの「トリス紅茶」からまた少し学んだような気がした。


by kels | 2011-05-01 21:34 | 札幌文化系コラム(雑貨コラム) | Comments(0)

006 マッチ箱の日記

古道具屋の片隅に段ボール箱が置かれていて、中にはマッチ箱が詰め込まれていた。
3個で100円とか、そんな商売だったように思う。
箱の中には、いったいいくつのマッチ箱が放り込まれていただろうか、ひとつひとつ選んでいく気にもなれず、段ボール箱全部まとめて譲ってもらえないかと訊ねたところ、心よくオーケーの返事。
中途半端に売れ残るよりも、さっさと片付けてしまいたいと思ったのかもしれない。
ほとんど捨て値みたいな値段で、僕は大量のマッチ箱を手に入れた。

部屋に戻って、買ってきたばかりのマッチ箱を整理しているうちに、そのうちのいくつかのものには、箱の余白に小さなメモ書きがあることに気がついた。
たとえば、こんなメモだ。

'63.12.9
大塚が帰って来て、皆と。
(「ブラジルレイロ」のマッチ箱)


記述を拾っていくと、どうやら、このマッチ箱コレクションは、北海道大学の農学部の学生が、1963年から1966年にかけて収集したものであり、彼は小樽の実家から通学していたのではないかと推測された。
マッチ箱は小樽の家から買い出しされたものであったみたいで、小樽の喫茶店を中心に、札幌の喫茶店やバーのものがほとんどだった。

'64.9.11
山崎と阿寒行きの話で駅に。
(「日本食堂 札幌駅北口」のマッチ箱)


骨董屋で古い手紙や日記を見つけることは珍しいことではないが、マッチ箱に書かれた日記というのは、さすがに初めてだった。
小さな箱の余白に書かれた小さな文字は、手紙や日記帳を見るよりも、ずっと神聖で重い行為のような気がした。

細井
ダンスに夢中。道路で練習。
福井
「ボンソワールの夫婦のことがあった。 夢がひとつずつ消えていった。
 近年の自己に対する信用。知らずに人を傷つけて、また大人になってきた。
 夢がひとつずつ消えていった。友達に言えない些細なこと」

「そんな友達やめろ!」 親のきまって言う言葉。
4時まで勉強した。
大人と子供の中間の自分!
(小樽のティールーム「約束」のマッチ箱)


古道具屋の片隅から掘り起こす誰かの青春。
そんなところにも、僕の骨董屋巡りの原因があるような気がした。


by kels | 2011-05-01 21:33 | 札幌文化系コラム(雑貨コラム) | Comments(0)

005 もじあそび

「もじあそび」は、小さな子どもたちが平仮名を覚えることができるように工夫された積み木みたいな木の札で、古いものは戦前から、いろいろな種類が発売されていたらしい。
子どもが覚えられるように、木の札にはその文字を使った言葉が取り上げられているのだけれど、この言葉を表すイラストが実に時代感を良く表現していて楽しい。
もちろん、昔の人たちはわざわざ後生の人間(僕たちのことだ)を喜ばそうと思ったわけではなく、当時の小さな子どもたちのために描かれた絵が、今の時代になって再評価されているだけなんだけれど。

レジの上に積み上げられていた木札を手にすると、どの札も「ほん」とか「そり」とかばかりだった。
「私が好きで集めていたものなんですよ」と、店主は言った。
ごく限られたテーマのものばかりを蒐集することがある。
「もじあそび」にも、自分の好きなものばかりを集めるといった楽しみがあるのかもしれない。
中には、小さな子どものイタズラ書きが見られるものもあった。
子どものオモチャなんだから、イタズラ書きはあっても当然。
本当に子どものために使われた、生きたオモチャというのは、必ずどこかにその子どもたちの痕跡があるものなのだ。

かくして、その日も僕は「もじあそび」の札を何枚か買った。
小さな木札を買って帰ると、僕は、幼い頃にバラバラになってしまったままだった自分の小さな思い出を、何枚か分だけ取り戻したような気持ちになった。
そんなささやかな充実感が、あの店へと僕をまた誘うのだろう。


by kels | 2011-05-01 21:32 | 札幌文化系コラム(雑貨コラム) | Comments(0)

004 カフェオレマグ

「お婆ちゃんの家にあったような」みたいな表現を聴くことがある。
古くて懐かしいものに出会ったとき、昭和時代の古い住宅風景を「お婆ちゃんの家」という言葉で表現しているのだ。
それは、あまりリアルな記憶ではなくて、どちらかと言えば、薄ぼんやりとして曖昧な残像みたい。
だから、僕はこの「お婆ちゃんの家にあったような」という表現が好きなのかもしれない。

僕にとって、「お婆ちゃんの家にあったような」で思い出すものは、ぽってりと肉厚のカフェオレマグ。
カップの周りには外国の風景なんかがプリントされていて、どこかチープな高級感を演出している。
お婆ちゃんの家の食器棚には、こんなマグがいくつか並んでいて、お客さんが来ると、お婆ちゃんはこのカップでカフェオレを出した。
と言っても、お婆ちゃんの作るカフェオレは、インスタントコーヒーにミルクと砂糖をたっぷりと入れて作った簡単版だったけれど。
それでも、僕らはお婆ちゃんの作る温かいカフェオレが大好きだった。

1970年代、こんな形のマグがいろいろなところにあった。
ほんのりとポップなイラストの中に、今でもあの頃のお婆ちゃんの面影がある。


by kels | 2011-05-01 21:31 | 札幌文化系コラム(雑貨コラム) | Comments(0)

003 青いデキャンタ

古い住宅街の中心にあったお屋敷が解体された。
大正時代に建てられた立派な洋館で、まさか、あの洋館が壊されてしまうなんて、全然想像さえしていなかったから、時代の移り変わりというのは突然にやってくるものなんだなあと、体で感じた。

一週間後、とあるファッションビルのテナントに入っている雑貨屋のショーケースに、古いデキャンタが現れた。
コバルトの青色が美しい吹きガラスで、昭和初期のモダンさが映し出されているように思えた。
「それ、最近解体された古い洋館から買い出したんですよ」と、店主は言った。
「最近解体された洋館?」
「そう、あの住宅街の中に、大きなお屋敷があってね。ちょうど壊そうとしているところへ入っていったんだ」
ふうん、と僕は言った。
解体された洋館からね。

3日間迷ってから、僕はそのデキャンタを買った。
そのときの僕にとっては、衝動買いできるほど簡単な値段じゃなかったから。
でも、やっぱり買ってしまった。
ショーケースの中に、見つけた瞬間、そうなるだろうと思ったとおりに。

今では大きなマンションが建っている、あの場所には昔、古い洋館があってさ。
誰にでもなく、僕は呟いてみる。
何も残っちゃいないけれど、記憶だけはちゃんとあるんだ。
昭和の初め、建物が建てられたばかりの頃に、きっと用意されたのだろう、青いデキャンタ。
長い歴史を見つめ続けて、お屋敷とともに家族に別れを告げた。
誰も覚えていないかもしれないけれど、僕だけはちゃんと知っている。




by kels | 2011-05-01 21:30 | 札幌文化系コラム(雑貨コラム) | Comments(0)