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りんご並木の碑

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札幌市内を循環する大規模道路「環状線」が豊平区を走る辺り、中央分離帯にはりんご並木が連なり、その枝には林檎の実が赤く色づく季節となりました。
どうして、こんな道路の真ん中にりんご並木?という感じもしますが、かつて平岸村は林檎を中心とする果樹園で栄えた街で、開拓時代の人々の功労を忘れないようにということで、現在でも並木に林檎が活用されているようです。

ヨーロッパ種としては初めての林檎が平岸村に入ってきたのは明治14年のこと。
林檎栽培に成功した平岸村ではその後本格的に栽培農家が増えて、「平岸林檎」の名前は日本中だけではなくシベリア・シンガポールにまで知られたといわれています。
やがて、戦後になって住宅地化の進んだ平岸では林檎農家が大きく減少し、かつての偉業を後世に伝えようということで、昭和49年に現在の林檎並木が完成しました。

「平岸林檎」と呼ばれて、昭和初期には日本でも有数の林檎の産地として知られたこの辺りには、現在でも当時の「林檎倉庫」を随所に見ることができます。
もっとも、一帯を埋め尽くしていた果樹園は、住宅分譲地として少しずつ切り取られ、現在ではこの辺りは完全な住宅街となってしまいましたが。

また、美園には、当時を偲ぶ「りんご並木の碑」が建てられいて、かつてこの辺りがりんごの産地であったことを伝えています。

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環状線にかかる歩道橋から見た林檎並木。
片側3車線の大規模道路の真ん中でも、林檎はちゃんと実をつけます。
ある意味、都会の神秘ではありますね。
でも、こういう形で郷土の歴史を伝えていくこということは、決して意味のないことではないと思います。
かつて、ここに果樹園を広げて、林檎の収穫に人生を賭けた人たちがいて、現在の街がある。
まあ、そんなに大袈裟に考えなくても、自分が暮らす街にも歴史はあるんだということを、子ども達には感じてほしいです☆

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by kels | 2006-09-13 22:39 | 歴史・民俗 | Comments(4)
Commented by kuroneko at 2006-09-14 00:29 x
こんばんわ~。
戦時中の札幌、平岸の林檎園のお話、最近お芝居で見る機会があり知りました。
東京劇団アンサンブルという劇団が「林檎園日記」というお芝居です。
菊水なんかも、林檎園だったんですよね~。
ケルスさんのブログは、札幌という町の歴史を感じさせてくれますよね♪
Commented by kels at 2006-09-14 20:28
kuronekoさん、こんばんは。
面白そうなタイトルですね~。しかも、平岸林檎園が舞台とは。
札幌にまつわるエピソードには、ジャンル問わずに興味が沸きます(笑)
Commented by rick-rack at 2006-09-15 23:06
またまたおじゃまします ^^
りんご並木、まだちゃんと実をつけているんですね!
なんだか嬉しいな。
わたしが子供の頃は、秋になると月寒公園の坂下グランドを使って
ここのりんごなどを販売したりする「りんご祭り」が行われていましたが、
今でも行われているのでしょうか?
Commented by kels at 2006-09-16 08:16
rick-rackさん、こんにちは。
林檎並木、まだまだ元気みたいですよ~。
「りんご祭り」、懐かしい響きですね。
でも、現在では行われていないような気がします、、、
今度、ちゃんと調べてみますね☆
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