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森田たまは、北海道が最も北海道らしかった時代の記憶を、生涯抱き続けていたのではないだろうか

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雪のちらつく十一月に、何をおいてもしなくてはならぬのが、漬けものでした。
それが半年の間の、いちばん大切なおかずなので、どこの家でも四斗樽を井戸端に並べて、せっせと漬けます。
しばらく陽に干して、少ししなしなと甘くなった大根を長さ二寸ほど、四つ割にして、みがき鰊と麹で漬けこむ、にしん漬け。
これは、冬の漬けものの王様です。

「冬支度」森田たま(1951年)


「冬支度」は、昭和31年に刊行された随筆集「ゆき」所収の作品である。
森田たまは、明治44年に上京して以降、北海道で生活することはなかった。
したがって、にしん漬けの記憶も、少女時代の幼い思い出ということになる。

その昔、北海道の冬を越す開拓者たちにとって、冬の野菜不足は非常に大きな課題だった。
漬けものは、北海道の冬に野菜を補給するための、重要な保存食だったという。
寒冷な北海道の気候が、特に、この地域独特の漬けもの文化を発展させたということもあるだろう。

流通や冷凍技術が発達すると、北海道内においても、冬の商店には野菜が並ぶようになった。
漬けものだけで、冬の野菜不足に対応する時代は終わったのである。
高度経済成長の時代を経る中で、家庭で漬けものを作る習慣は、どうやら廃れてしまったらしい。

一方で、生活様式の発展や温暖化の進行に伴って、昔と同じような漬けものを作ることは難しくなったとも聞く。

北海道の漬けものは、真冬の厳しい環境の中で生まれてきたものだ。
しかし、寒冷地住宅の開発は進み、北海道の冬を快適に過ごすことが可能になった。
暮らしやすい住宅環境は、北海道らしい漬けものを作るには、少し場違いになってしまったらしい。

そもそも、北海道の冬は、昔のようには寒くはないともいう。
森田たまが上京した1911年の冬を例に取ると、この年の1月、氷点下10度以下となった日が23日ある。
2016年1月では、氷点下10度以下となったのは1回だけだから、冬の寒さは全然違うと言ってよい。

森田たまが「ゆき」を刊行した1951年でも、氷点下10度以下の日は17回ある。
明治時代とは時代が変わりつつあるとは言え、北海道の冬は、まだまだ北海道らしさを十分に保っていた。
おそらく彼女は、北海道が最も北海道らしかった時代の記憶を、生涯抱き続けていたのではないだろうか。

by kels | 2017-11-05 17:46 | 旧・札幌日和下駄 | Comments(2)
Commented by J.W. at 2017-11-07 17:47 x
kelsさん、今晩は
実は、森田たまは、私の出身高の大先輩なので、取上げていただいて感謝です。彼女は東京に住んでいても、エッセイでの描写は、故郷の札幌の事ばかりですね。私も上京組ですが。思い出すのはやはり札幌で過ごした日々が中心。勿論の事、森田たまの過ごした明治、大正の頃は知る由もありませんが、自分の小学生時代(50年代)と比べても冬の過ごし方は大きく変わりました。隙間だらけの木造家屋に薪ストーブ、寝ていても布団は、吐く息で白くなる。日本酒も凍るそんな寒さでしたね。それでもニシン漬けのおいしかった事、毛ガニや数の子も安くて気楽に食べていたし、スキーやスケートに熱中していた子供時代であり、苦労したという記憶はない?
Commented by kels at 2017-11-19 16:45
J.W.さん、こんにちは。
森田たまの随筆作品は、僕も大好きで、いろいろと読み漁っています。
「苦労したという記憶はない?」 とのことですが、きっと、苦労がなかったことはないんだろうなと、お察しします。
ただ、その苦労さえも、きっと北海道の良き思い出にされているのではないかと思い、ちょっとうれしくなりました(笑)
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