戦後間もない時代の新聞を読むと、毎日のように住宅問題が取り上げられている。 増える人間に対して物理的に住宅が足りないという状況で、しかもその数は中途半端なものではなかった。 当初は、日本政府が収容施設の確保を図り、昭和23年以降は、札幌市としても、新たな国庫補助制度を活用して庶民住宅の建設を開始した。
by kels
| 2017-10-15 18:15
| 歴史・民俗
|
Comments(3)
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by
J.W.
at 2017-10-18 14:38
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私はまだ市電の鉄北線があった頃、高校通学で北24条の電停を利用していたので懐かしい思いです。当時は樺太住宅などと呼んでいたような記憶もありますが、詳細は知る由もなく、勉学に励んでいた高校生でした。札幌は新しいようで意外に古い歴史も残る街なのですね。ありがとうございました。
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J.W.
at 2017-10-19 13:44
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追伸ですが、当時(昭和40年前後)北24条の市営アパートに住んでいた同級生がいた。また、鉄北専が麻生まで延長されたのもその頃で、麻生団地という名称も記憶にあるが、まだ団地という呼び方は、一般化されていなかったのかもしれない。
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kels at 2017-10-28 03:42
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