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北24条周辺が本格的に発展したのは、昭和20年代後半からだ

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「北の都心」とまでいわれる北24条周辺が本格的に発展したのは、昭和20(1945)年代後半から。
それまでは、一面にツクシやスギナが広がり、羊や牛が見られたという。
この北24条に「幌北引揚者住宅」が建ったのは昭和23(1948)年ころから25(1950)年にかけてで、入居者のほとんどが樺太など外地からの引き揚げ者だった。
北25西2に1戸13.5坪の建設省規格の建て売り住宅が、北25西3と北26西3に市営の木造平屋住宅40戸が相継いで建築された。

しかし、粘土質の軟弱な地盤で井戸を60センチも掘り抜くと赤い水があふれてくるなどの悪条件に苦労は尽きなかった。
建設省規格住宅を建て、昭和23(1948)年から約20年間、北26西3に住んでいた本間正二さん(64)は「北18条電停までは道路らしい道路もなく、夏でも泥だらけの道をゴム長靴で歩いたものです。春でしたかねえ。棟上げの終わった市営住宅の屋根が突風で道路1本越えた向こう側まで吹っ飛んだこともありましたよ」と当時を回想する。
この地区は、道路が悪いことや札幌市の最北部に位置していたため、まだ行政の手が届かず早くから住民の連帯意識が強く、市内で戦後初の町内会が発足したところでもある。

昭和27(1952)年9月の市電鉄北線の延長は、人の流れと街並みを変えた。
北24条電停付近は利用者が集中し、西5丁目通りには商店や市場が立ち並び始めた。
とくに昭和46(1971)年地下鉄南北線開通以来、飲食店が急増した。

「広報さっぽろ北区版昭和52年5月号」(1977年)


現在も残る幌北団地は、1棟のみとなった。
建て替えられたとは言え、戦後の歴史を物語る建物のひとつには違いない。
それにしても、人口減少が深刻化する現代では、戦後の人口増加問題はちょっと想像しにくいものがある。

昭和20年代の札幌市の人口急増は、社会的な背景が大きかった。
終戦間際では、本州での空襲激化を避けて疎開する戦災者が、終戦直後は、樺太からの引揚者や復員兵の受入れが、その大きな要因となっているらしい。
加えて、戦後のベビーブームで、人口の自然増も同時に進んだ。

それまで「人が住めない」と言われていた地域も、こうした事情を背景として次々と宅地化されていった。


by kels | 2017-10-14 22:58 | 歴史・民俗 | Comments(2)
Commented by ァャ at 2017-10-20 00:21 x
kelsさんのこういう記事、大好きです。

また読めてうれしい😊
Commented by kels at 2017-10-28 03:39
ァャさん、こんにちは。
細々と続いております(笑)
書きたいことはたくさんあるのですが、時間が、、、☆
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