豊平神社の青空骨董市に通い始めたばかりの頃、最初に顔と名前を覚えた骨董屋さんのひとつに「叫児楼(きょうじろう)」はあった。
「叫児楼」は小樽から来ている業者で、比較的早い時期に顔と名前を覚えたということは、いつでも自分の好みの商品が、そこには並んでいたということになる。 実際、この店では大正~昭和初期にかけての和ガラスを中心に、同時代の日本陶器や東洋陶器のカップ&ソーサなど、自分の好みにぴたりと当てはまる商品が、いつでも数多く並んでいた。 どちらかといえば、どこかの喫茶店の「髭のマスター」といった風貌の店主から、僕は商品の出所の話なんかを一つ一つ聞きながら、和ガラスの雑貨を少しずつ買ったものである。 たまに、小樽へと足を延ばすことがあれば、僕は「叫児楼」の実店舗にも顔を出し、骨董市などには並ばない、さらに愉快で、だけどあまり売り物にはならないだろうと思われるガラクタの類を、一つ一つ拾い上げては持ち帰った。 今にして思うと、商品の好みも予算も自分の身の丈にぴたりと収まるお店というのは、ありそうで実はなかなか見つからないものである。 ある冬の日、久しぶりに僕は小樽の街を訪れ、「叫児楼」の店にも顔を出した。 いつものように、笑顔の店主に迎えられて、僕は店内の暗がりをゆっくりと見て回った。 ショーケースの中に、古いティーセットがあった。 それは、一見しただけで昭和初期の東洋陶器製品ではないだろうかと分かるくらいに、モダンで洗練されたチューリップ柄のティーセットだった。 値段を聞くと、それは僕の予想を大きく下回る金額だった。 なにしろ、ティーポット、シュガーポット、クリーマー、それにカップ&ソーサが5客セットのフルセットだ。 不思議そうな顔をした僕に、店主は、「もうすぐ店を閉めるからね」と言った。 顔を覚えた店がなくなるという不思議な寂しさを、僕はこのとき初めて感じたのだった。 いくら予想よりずっと低い値段だったとはいえ、戦前のフルセットというのは衝動買いできるような金額ではない。 僕は、「少し考えてからまた来ます」と言って店を出た。 帰り道、札幌に向かって自動車を走らせながら、僕は骨董市で出会ったばかりの頃の「叫児楼」のことを思い出していた。 そして、「叫児楼」から我が家へとやってきた、たくさんのガラス雑貨のことなんかも。 突然、僕は自動車をUターンさせて、小樽の街へと戻った。 次はもうないんだということだけが、僕にははっきりと分かっていた。 再び、店のドアを開けた僕を見て、今度は店主が不思議そうな顔をした。 「そのチューリップ、やっぱりもらっていくよ」と、僕は言った。 それから間もなく、「叫児楼」は店を閉めた。 店内の商品は、通り向かいにある骨董屋の「大正浪漫」へ譲り渡したということだった。 長い時が経ち、とある写真展のギャラリーで、僕は久しぶりに懐かしい人の顔を見た。 それは、小樽のアマチュア写真家の人たちが主催した写真展で、その中の1枚に、コーヒーポットを手に優しく微笑む、どこかの喫茶店の「髭のマスター」の姿があった。
by kels
| 2011-05-01 21:09
| 古物・雑貨
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