<< おめでたいことがあったので、仲... 日本にとって、8月15日前後は... >>

この夏は戦中戦後にかけての日記文学を随分読んだ

b0103470_05470515.jpg


八月十五日
本日正午、いっさい決まる(※終戦のラジオ放送)。
驚愕の至りなり。ただ無念。
しかし、私は負けたつもりはない。
三千年来磨いてきた日本人は負けたりするものではない。

「海野十三敗戦日記」海野十三(1971年)


この夏は戦中戦後にかけての日記文学を随分読んだ。
随筆も好きだが、日記には自己と向き合う切なさがある。
回想録とは異なる生々しさがある。

若い頃は小説ばかり読んでいた。
磨き上げられた文章とストーリーは、小説の醍醐味である。
少年時代から今に至るまで読み続けている文学作品もある。

少し前までは随筆を好んで読んだ。
随筆は観察と感性の文学である。
日常の何気ない一瞬にドラマがあることを気付かせてくれる。

最近は古い文学者の日記を中心に読むようになった。
文学者の書く日記は、純粋な日記と言えるかどうかわからない。
文学者は、常に自分の書いたものが、いつか発表されるかもしれないということを、きっと意識しているに違いないからだ。

しかし、日記は極めて個人的な文学である。
美しい修飾語も社会的な問題提起も必要ない。
日記として残しておくべき言葉だけが、そこには並んでいる。

正解だとか誤りだとかを超えて、そこにはある種の真実がある。


by kels | 2017-08-19 06:28 | 文学 | Comments(0)
<< おめでたいことがあったので、仲... 日本にとって、8月15日前後は... >>