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石川啄木が恋い焦がれた橘智恵子の実家は、札幌市東区北11条東12丁目にある

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おととい来た時は何とも思わなかった智恵子さんの葉書を見ていると、なぜかたまらないほど恋しくなってきた。
「人の妻にならぬ前に、たった一度でいいから会いたい!」
そう思った。

智恵子さん!
なんといい名前だろう!
あのしとやかな、そして軽やかな、いかにも若い女らしい歩きぶり!
さわやかな声!

二人の話をしたのはたった二度だ。
一度は大竹校長の家で、予が解職願いを持っていった時、一度は谷地頭の、あのエビ色の窓かけのかかった窓のある部屋で---そうだ、予が『あこがれ』を持っていった時だ。
どちらも函館でのことだ。

ああ! 別れてからもう20か月になる!

「ローマ字日記」石川啄木(1909年)

石川啄木が恋い焦がれた橘智恵子の実家は、札幌市東区北11条東12丁目15番地にある。
いわゆる「石狩の都の外の君が家」だ。
当時、この一帯は、大きな果樹園(林檎園)であったらしい。

今、この地を訪れると、果樹園だった時代の面影はなく、住宅街が広がっている。
札幌の多くの果樹園と同じように、戦後の人口増加対策の中で、ここも宅地化が進んだものであろう。

それでも、橘智恵子の実家を訪れると、そこがかつて林檎園だったことを示す記念碑がある。
碑の周りには林檎の樹が植えられていて、真っ白い花が咲き始めている。
この地に林檎畑が広がっていたことを伝える、何よりの証だ。

碑の裏面には、地の主が、かつて札幌の林檎を世に広めたことが記録されている。
まさに「林檎の碑」だ。
札幌のひとつの歴史が、今もこうして記されていることに小さな感動すら覚える。

碑の最後に、詠み慣れたあの歌が、ひっそりと記されている。

石狩の都の外の
君が家
林檎の花の散りてやあらむ

「一握の砂」石川啄木(1910年)

白い林檎の花が、札幌の初夏を爽やかに告げていた。

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by kels | 2016-05-15 07:05 | 文学・芸術 | Comments(2)
Commented by 木邑 at 2016-05-21 09:10 x
80年代後半にこの家のそばに住んでいました。
当時も少し気になっていましたが、この様な所縁のある建物とは知りませんでした。
写真を見ると、私が通りすがりに眺めていた頃と変わらぬ佇まいで、何かホッとします。
Commented by kels at 2016-05-22 19:55
木邑さん、こんにちは。
普通の住宅街の中に歴史あり。
札幌って、やっぱりおもしろいなあと思いました☆
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