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石川啄木の札幌での下宿屋は、札幌駅北口にあたる北7条西4丁目4番地にあった

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立見君の宿は北七条の西○丁目かにあつた。
古い洋風擬ひの建物の、素人下宿を営んでゐる林といふ寡婦(やもめ)の家に室借(へやがり)をしてゐた。
立見君はその室(へや)を「猫箱」と呼んでゐた。
台所の後の、以前(もと)は物置だつたらしい四畳半で、屋根の傾斜なりに斜めに張られた天井は黒く、隅の方は頭がつかへて立てなかつた。
其狭い室の中に机もあれば、夜具もある、行李もある。
林務課の事業手といふ安腰弁の立見君は、細君と女児こどもと三人でそんな室(へや)にゐ乍ら、時々藤村調の新体詩などを作つてゐた。

「札幌」石川啄木(1908年)

「札幌」は未完成・未発表だった石川啄木の小説である。
札幌時代の啄木を知る材料として、非常に面白い部分が、たくさん残されている。
可能であれば、完成させて、世の中に発表してほしい作品だったと思う。

啄木の札幌での下宿屋は、札幌駅北口にあたる北7条西4丁目4番地にあった。
田中サトという未亡人が営む下宿屋だった。
「古い洋風擬ひの建物」だったらしいが、当時の写真は確認されていない。

啄木が札幌入りした明治40年という年は、札幌の不動産業界にとって大変な年であった。
この年の春に、札幌市内で大きな火災があり、多くの住宅が焼けた。
さらに、夏には函館市内で大火があり、焼け出された人たちが、札幌市内への流れ込んできた。

当然のことながら、札幌市内の下宿屋にも空き部屋が全然ないという状況だったらしい。
単身で赴任した啄木が、相部屋で暮らさなければならなかったことも、ある意味、必然のことであった。
こうした暮らしが、啄木の性格に適さなかったことは、もちろんだけれど。

さて、写真は、現在の北7条西4丁目付近のものである。
写真左手にある黒っぽいビル(クレストビル)のあるところに、かつて啄木の下宿屋があった。
面影は皆無だが、ビルの中に啄木の胸像と説明板がある。

写真右手の道の奥には、札幌駅北口が見える。
田中サトの下宿屋は、札幌駅から非常に近くて、利便性の良いものだったらしい。
啄木は、ここから職場である「北門新報社」へと歩いて通った。

札幌の啄木散策では、欠かすことのできないスポットである。


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by kels | 2016-05-08 07:32 | 旧・札幌日和下駄 | Comments(0)
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