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死を持って償うしかありえないところに、「不倫」の愛の壮絶さを、僕は感じる

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愛したものの死ほど心安い潔いさぎよい死はない。
その他の死は凡て苦痛だ。
それは他の為めに自滅するのではない。
自滅するものの個性は死の瞬間に最上の生長に達しているのだ。
即ち人間として奪い得る凡てのものを奪い取っているのだ。

「惜みなく愛は奪う」有島武郎(1920年)

「ゲス不倫」でもうひとつ思い出したことがある。
あれは、有島武郎の心中事件だ。
近代日本文学史を揺るがした、大きなスキャンダルのひとつとして、人々の記憶に残されている。

有島武郎の妻は、幼い子どもたちを残して病死している。
有島38歳のときのことだった。

その後、一人暮らしを続けていた有島は、45歳のときに、「婦人公論」の記者である波多野秋子と出会う。
人妻であった秋子の夫は、有島の責任を厳しく問い詰める。
愛を清算するために二人が選んだ道は「心中」という選択肢だった。

不倫の果てに情死事件を起こした有島は、その後、日本文壇からも完全に抹殺されてしまう。
有島の再評価がようやく始まったのは、戦後しばらく経ってからのことだった。
一人の文学者を歴史の奥深くに沈めてしまうほどに、「不倫」という言葉の持つ意味は重い。

たとえ、「死」がすべてを清算しようとも、社会は決して「不倫」を許容することはないだろう。
そう知っていても、死を持って償うしかありえないところに、「不倫」の愛の壮絶さを、僕は感じる。
そこまで壮絶な気持ちがあってこそ、初めて、「不倫」の愛は成立するのではないだろうか。

雨がひどく降っている。
私達は長い路を歩いたので濡れそぼちながら、最後のいとなみをしている。
森厳だとか悲壮だとかいえばいえる光景だが、 実際私たちは戯れつゝある二人の小児に等しい。
愛の前に死がかくまで無力なものだとは此瞬間まで思わなかった。
恐らく私達の死骸は腐乱して発見されるだらう。

有島武郎の遺書の一節より

どれだけ美しくても「ゲス不倫」は「ゲス不倫」。
救いようはないのだけれど。


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by kels | 2016-02-14 17:59 | 旧・札幌日和下駄 | Comments(0)
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