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「ライ麦畑」という安住の地に馴染むことができなかった子どもたち

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でもとにかくさ、だだっぴろいライ麦畑みたいなところで、
小さな子ども達がいっぱい集まって何かのゲームをしているところを、
僕はいつも思い浮かべちまうんだ。
何千人もの子どもたちがいるんだけれど、他には誰もいない。
つまりちゃんとした大人みたいなのは一人もいないんだよ。
僕のほかにはね。

それで僕はそのへんのクレイジーな崖っぷちに立っているわけさ。
で、僕がそこで何をするかっていうとさ、
誰かがその崖から落ちそうになる子どもがいると、かたっぱしからつかまえるんだよ。

つまりさ、よく前を見ないで崖の方に走っていく子どもなんかがいたら、
どっからともなく現れて、その子をさっと「キャッチ」するんだ。
そういうのを朝から晩までずっとやっている。
ライ麦畑のキャッチャー、僕はただそういうものになりたいんだ。

「キャッチャー・イン・ザ・ライ」J.D.サリンジャー/村上春樹・訳(1951年)

この2週間くらいは、どうにも体調が良くなかったので、本ばかり読んでいた。
と言っても、新しいものを読む気にはなれなくて、古い小説を思い出したようにめくって。
何度読み返しても新しい発見のある小説というものが、世の中にはある。

「ライ麦畑でつかまえて」も、おそらくそういう小説のひとつだろう、と僕は思う。

ところで、こういう名作というのは、題名を知っていても内容を知らないという人は、意外と多いらしい。
「ライ麦畑でつかまえて」という作品名が、何を意味しているのか。
それは、この小説を読んでみなくては、やはり理解することはできないものだ。

それにしても、「ライ麦畑」が、僕たちにとって安住の地であるのだとしたら、そこから落ちていくことは、やはりきっと寂しいことに違いない。
そして、僕たちの周りでは、いつでもたくさんの子どもたちが、この「ライ麦畑」から消え続けているのかもしれないのだ。
「ライ麦畑」という安住の地に馴染むことができず、溶け込むことができず、受け入れてもらうことができず。

そんな子どもたちを救うことができるのは、やっぱり彼らの気持ちを理解することのできる者だけなんだろうなあ。
例えば、「ライ麦畑のキャッチャー」なんていうね。


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by kels | 2016-02-13 08:32 | 文学 | Comments(0)
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