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橘外男は大正時代から昭和初期にかけて活動していた作家である

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私は音もなく降りしきっている雪を窓の外に眺めながら、来月の給料日にはどんなことをしても合宿屋のオヤジに金を払わずにその金を持って、薄野とかにある女郎屋というものへ行ってみようと決心したのであった。
そして、そう思いながら、サラサラと窓に当たる胸に沁み入るような大晦日の雪を聞きながら、九十五銭の年越しの金を持って身動きもせずに、囲炉裏の端に座り込んでいた。

「求婚記」橘外男

橘外男は大正時代から昭和初期にかけて活動していた作家である。
従兄が苗穂にあった鉄道院札幌工場長をしていた関係で、十八歳のとき、故郷の石川県から札幌へと預けられた。
少年時より素行が悪くて、鉄道院でも公金横領で懲戒処分を受けている。

「求婚記」は、鉄道院時代の経験をもとに書かれた短編。

主人公である「私」は、工場の近くにある苗穂の職工合宿所で暮らしている。
親戚とも折り合いが悪く、将来への希望が持てない毎日だった。
そんな折、工場の中ではブラジルへの移民を希望する職工が増えていた。

ブラジル拓殖移民会社の募集に応募すれば、船でブラジルまで連れていってもらえる。
ブラジルでの農業は、金がもうかって仕方がないという話だ。
詳しいことは何も分からないが、とにかくブラジルにさえ行けば、一生遊んで暮らせるだろう。

ただし、この移民事業に応募する条件に「妻帯者」であることがあった。
独身であった「私」は、急きょ嫁になって一緒にブラジルへ行ってくれそうな女性を探す。
候補になったのは、近所の駄菓子屋で時々見かける若い女性だった。

「私」は、駄菓子屋の婆さんに金を渡して仲介をお願いする。
婆さんは気前よく引き受けて、金まで受け取ったものの、一向に返事が来ない。
年の暮れのある日、「私」はやむを得ず、自らその女性のもとを訪ねて、結婚の意思を確認する。

ところが、女性のもとへは婆さんからの仲介は一切なく、結婚の話は初耳だという。
おまけに、女性の顔を改めてよく見ると、とても結婚しようという気持ちにはなれない。
失意のうちに「私」は年越しを迎えるのだった。

この小説は、苗穂を舞台として描かれているので、当時の苗穂の雰囲気が伝わってきておもしろい。
当時、創成川を東に越えると工業地域で、多くの職工がこの地域で暮らしていた。
決して豊かではない職工の暮らしや街並みが、作品の中には登場する。

作品としての完成度はともかく、こうした庶民の暮らしが描かれているところに、昔の小説の価値があるのかもしれない。


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by kels | 2016-01-09 07:18 | 文学・芸術 | Comments(0)
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