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野口雨情は、札幌で石川啄木と出会っている

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ある朝、夜が明けて間もない頃と思う。
『お客さんだ、お客さんだ』と女中が私を揺り起す。
『知ってる人かい、きたない着物を着てる坊さんだよ』と名刺を枕元へ置いていってしまった。
見ると古ぼけた名刺の紙へ毛筆で石川啄木と書いてある。
啄木とは東京にいるうち、会ったことはないが、与謝野氏の明星で知っている。

顔を洗って会おうと急いで夜具をたたんでいると、啄木は赤く日に焼けたカンカン帽を手に持って、洗い晒しの浴衣に、色のさめかかった、よれよれの絹の黒つぽい夏羽織を着てはいって来た。
時は十月に近い九月の末だから、内地でも朝夕は涼し過ぎて、浴衣や夏羽織では、見すぼらしくて仕方がない。
殊に札幌となると、内地よりも寒さが早く来る。
頭の刈方は、普通と違って一分の丸刈である。
女中がどこかの寺の坊さんと思ったのも無理はない。

「札幌時代の石川啄木」野口雨情(1938年)

野口雨情は、札幌で石川啄木と出会っている。
そのときのことは、雨情の回想録により知ることができる。
札幌時代の啄木を記録した、貴重な文章だ。

下宿屋の女中は「きたない着物を着てる坊さん」と言った。
季節は秋で、「色のさめかかった、よれよれの絹の黒つぽい夏羽織」を着ていたとあるから、よほど印象的な格好だったのだろう。
啄木にしても、大火で焼けた函館を追われてきたばかりのところだったのだ。

御飯を食べながら、いろいろと二人で話した。
札幌には自分の知人は一人もない。
函館に今までいたのも岩崎郁雨の好意であったが、岩崎も一年志願兵で旭川へ入営したし、右も左も好意を持ってくれる人はない、全くの孤立である。
自分はお母さんと、妻君の節子さんと、赤ん坊の京子さんと三人あるが、生活の助けにはならない。
幸ひ新聞で君が札幌にいると知ったから、君の新聞へでも校正で良いから斡旋して貰おうと、札幌までの汽車賃を無理矢理工面して来たのである。

何んとかなるまいかと言う、身の振り方の相談であったが、私の新聞社にも席がないし、北門新聞社に校正係が欲しいと聞いたから、幸いに君と同県人の佐々木鉄窓氏と小国露堂氏がいる。
私が紹介をするから、この二人に頼むのが一番近道であることを話した。
啄木もよろこんで、十時頃連れ立って下宿屋を出た。
これが啄木と始めて会ったときの印象である。

「札幌時代の石川啄木」野口雨情(1938年)

こうして、石川啄木は、札幌の人となった。
もっとも、啄木が札幌に滞在したのは、結果的にわずか2週間のことだった。
雨情と一緒に、小樽の新聞社へ移ってしまうからだ。

それにしても、本人の日記に残るほどには、啄木の暮らしは優雅なものではなかったらしい。
「しめやかなる恋の多そうな街だ」なんて言っている場合ではなかったのだ。
もっとも、それが啄木らしいところでもあるのだけれど。


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by kels | 2015-07-11 22:05 | 文学 | Comments(0)
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