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札幌の山鼻公園に童謡「赤い靴」の碑が設置された

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山鼻公園に童謡「赤い靴」の碑が設置された。
札幌市内に新しい文学碑が設置されるのは、久し振りのことのように思う。
こういう明るいニュースは、どんどん歓迎したい。

それにしても、山鼻公園に「赤い靴」と聞いても、ピンと来る人は少ないのではないだろうか。

「赤い靴」の作詞者である野口雨情が、明治後期の一時期に、札幌で暮らしていたことは有名な話である。
当時、雨情は札幌市内の新聞社に勤めていて、函館からやってきた石川啄木とも面会している。
二人は、その後、連れだって小樽市内の新聞社へと転職していく。

札幌で雨情は、岩崎かよという女性と出会う。
かよは、開拓農家となるため、静岡県から留寿都村へと移住した女性だった。
移住の際、3歳の娘きみが一緒だった。

函館に上陸したとき、きみはひどく衰弱していた。
娘を留寿都まで連れていくことは難しいと考えたかよは、函館市内の宣教師に娘を養女として託した。
その後、かよは留寿都で鈴木志郎と結婚するが、開拓農家の生活は非常に厳しく、夫婦は札幌の山鼻地区へと移住する。

市内の新聞社で鈴木志郎と出会った雨情は、その妻である岩崎かよから、函館で別れた娘の話を聞き、童謡「赤い靴」の着想を得たと言われている。
つまり、「赤い靴」の主人公である女の子の母親が山鼻で暮らしていたことが、今回の記念碑設置へとつながっているということらしい。
札幌の小さな歴史にスポットライトが当たったみたいでうれしい話である。

ところで、娘のきみは宣教師に連れられて横浜へ移住するが、外国に渡ることはなかった。
アメリカへ帰国することとなった宣教師は、結核に冒されていたきみを連れていくことができず、東京都内の孤児院へと置いて行くことになるからだ。
残されたきみは、9歳で亡くなったという。

雨情に娘の話をしたとき、母のかよは、娘が横浜の波止場からアメリカへと渡り、幸せに暮らしていると信じていたのかもしれない。
そして、雨情もまた、異国で暮らす少女の幸せを祈っていたことだろう。


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by kels | 2015-06-20 22:29 | 文学 | Comments(2)
Commented by 無名子 at 2015-06-23 17:24 x
そうですか。
キミちゃんは北海道縁の少女だったのですね。
麻布十番名の公園というか、広場のような場所に
きみちゃんの小さな像があります。
なぜ横浜ではなく、麻布十番にといえば、
彼女が最後を過ごした孤児院がこの近くにあった関係だとか。
赤い靴と言い、シャボン玉と言い、野口雨情の歌詞には
なぜか悲しい色や音が感じられますね。
Commented by kels at 2015-06-27 20:20
無名子さん、こんにちは。
そう言えば、麻生の碑も訪れたことがあります。
短い童謡の中に、切ないドラマがあるんだなあと思いました☆
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